346話 虹よ、橋渡れ《World TO World》
たった1人、本気で生きた。
もっともか細い1つの未来を目指してひた走る。
「なんだぁ? あの空に広がる霧みたいなもんは?」
「え? どこどこ?」
船員たちが異変を察知しはじめていた。
ジュンは眩しそうに目を細める。夢矢が陽光に蒼めく空色のほうを指し示す。
少しずつ、だが確実にこちらへと強大ななにかが飛来しつつあった。
はじめは豆粒ほどの小さな点の集合体。しかしそれらは羽ばたきひとつで音さえ置いて空を横切る。
「い”い”っ!? なんかしらねぇけどスゲー大量にこっちくんぞ!?」
「あ、あれはまさか……――大量の龍族じゃないの!?」
「異常事態!? ぜんぶこっちに向かってきている!?」
冷静沈着なリーリコさえ身を強ばらせてたじろぐ。
先ほどまで停滞していた数多くの疑問は些末な事象と成り下がるほど。なにしろ物量が物量。1体1体が巨大な龍が空を覆い尽くさんばかりにこちらへ向かってきている。
「GRRRRRRRRRRRRRRRRR!!」
雄々しきかな、咆吼。
猛々しきかな、明光。
彼らの獰猛な在りかたは、最強の存在証明ともいえた。
空を覆い尽くさんばかりの龍たちが空を占拠し、活況する。
「KYAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
「GROOOOOOOOOOOOOO!!!」
「WAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
まさに群雄割拠。回遊する。
国旗の如く巨大な翼たちが風を舞い上げ大気を脅かす。
穏やかにせせらいでいた草原の青が竜巻に飲まれて津波を作った。
そして1体の神々しい姿をした紅の龍が大地に降り立つ。
「狩りの時間だァ! 老いたグズのろまはついてこれねぇぜェ!」
龍の頭上から辛辣で悪質な笑みの似合う女性が姿を現す。
身の丈ほどもあるポニーテールが暴風に巻かれて踊る。
柔肌を晒すためのエナメル質なドレスが蠱惑さをまとう。丸く女性的な腰からは短毛のふわりとした蝙蝠羽を生やす。
総毛立つ人類の前に突如として現れたのは、冥府の巫女だった。
「現世に憚る100万の煩悩と悦楽を傀儡と化すゥ! 余の理に逆らうヤツは首根っこ引っ掴んで冥府に叩き落としてやらァ!」
大見得切って血色の大鎌を回す。
愕然と硬直する人間たちを切れ長の瞳がギョロリと睥睨した。
東は、空を埋め尽くす龍とレティレシアを見上げている。
「見送りにしては騒々しいな。なにか良からぬ企てを感じるのは俺だけだろうか」
さも楽しそうに口端を引き上げた。
ふぅん、と。横のミナトに視線を送りながら鼻を鳴らす。
光景をひとことで言い表すのであれば、混沌。その龍を引き連れる座長を務める彼女も相まって加速する。
瞬く間もない。帰還をしようとしていたところに、これ。あれだけ平穏を敷き詰めていたはずの草原に静けさの欠片もない。
龍の背にはテレノアやザナリアまで騎乗していた。良く見れば青き鱗の海竜に民族衣装の少女まで。
ふた首の龍から上品に降り立ったエルフ女王は、しずしずと船員たちに一礼をする。
「いまここに集うは1人の少年の生き様に魅了されし大馬鹿者たちです。決死に生き、まばゆいばかりに生を輝かせ、虚無ともいえる夢を現実へ昇華させた。その結末のつづきをご覧くださいまし」
リアーゼは揺れるスカートの両側をすっ、と持ち上げた。
優雅な所作で再び一礼をくれる。呆然とする人々を讃え敬うような笑みを広げる。
「是非に勇敢なる者たちの帰郷をお手伝いさせてくださいませ」
ここにきて女王から尋常ではない提案だった。
さらに空舞う龍の背には、救世主たちまで揃い踏み。
冥府の巫女。そして龍の長。魂の英傑。そのすべてがいま神の実在する天空に集う。
「これってつまり、ミナトくんが勝ったことで得られた助力てこと?」
「だとしたら半端じゃねぇ戦力増強だぜ! なにせ世界最強の龍がこんなにも手伝ってくれるってんだからなぁ!」
リーリコの吐息をジュンの気勢が掻き消した。
圧倒的な光景を前にミトス・カルラーマ・ヒカリは目を玉のように見開ている。
「げ、激やばすぎでしょ……! ウチらだけじゃ無理でもこれなら……!」
震える脚は地を支えられていない。
彼女含め数人の船員は、尻餅をついたまま動けないでいた。
だが助力の提案には、ひとつだけどうあっても覆らない不可能が存在している。
「で、でもちょっとまって!? この子たち全員が僕たちの世界にくるっていうこと!?」
「一緒に戦ってくれるってんだからそういうことだろ?」
「酸素とかどうするのさ!? 僕らはフレックスの力で生命を維持できるけど、この子たちは宇宙じゃ生きられないんだよ!?」
現実的に考えれば、夢矢の疑問はもっとも。
彼の突きつける現実は、どうしようもないほど真っ当だった。それだけに圧倒されていた若人たち全員が、は、っと。我に返らされてしまう。
そうでなくとも狭間以降は、無酸素の宇宙空間となっている。つまりたとえ最強の龍であれ大気がなければ戦えぬ。
「よく訊いとけやゴミどもォ!!」
汗ばむ頬を叩くような渇が去来した。
レティレシアは慌てる人の子たちを見下し口端を歪める。
「テメェら如き馬糞が余を見上げられるだけでも生涯最高の瞬間だと自覚しやがれェ!!」
挨拶代わり。たぶん初めましてという意味。
しかしミナトでなければ彼女の翻訳は難しい。この世界に満ちる翻訳の道理を超えた飽くなきひねくれ者なのだから。
そんな横柄な対応に船員たちは顔色に呆れと諦めを滲ませる。
「あの人、唐突に僕らの存在をゴミ扱いするんだ……」
「ミナトお前、あんなのとずっと一緒だったのか?」
「あの通常運転にはもう慣れたから。尊厳とかそういうものぜんぶ無視されるのにも慣れたから」
これにはミナトに船員たちから同情の視線が降り注ぐ。
ある意味で元凶。その実、凶悪。
レティレシアという女性を長く見ていなければ芯を知ることさえ難しい。
「でもああ見えてそれほど最悪に悪いやつってわけじゃないんだよ。意外と仲間思いだし……鎌で肩抉ってくるし……勝手に決闘のルール変えるし……」
「目からハイライト消えてるけど!? いわされてないソレ!?」
これで如何にミナトを取り巻く環境が過酷だったのか想像に易いはず。
友たちは寂れた表情をするミナトの心中を察しただろう。
だが騒乱の中央である彼女は、そんな空気を1mmとして汲むはずもない。
根に近いほど肉が重なった健脚が交わる。美貌に下卑た笑みを貼りつけのらり、くらり。
一見すれば、蠱惑。丸い腰を振って歩く淫猥な足どりは、どこか人を値踏みするかのようで、小賢しい。
そうやってしばしレティレシアは上機嫌に船員を流し見してようやく。呪いの主は未だ呪いを秘める少年と同じ目の高さで向き合う。
「手伝ってやる。ありがたく思え。クソッタレ」
「ありがとう。相変わらずだな。クソッタレ」
抑揚さえない。淡々とした売り言葉、買い言葉。
しかもどちらも笑みを絶やすことさえない。
2人の関係ならばこのていどは序の口。争いの火種にさえなるものか。
「クソッタレって季語かなにかなの!?」
「平和な日常会話にんな言葉使わねーだろ……」
だが知らぬ者にとっては、そうではない。
夢矢もジュンもぎょっと目を丸く、穏やかではなかった。
しかしこの濃密な関係性を現せる言葉、なんて。2つ世界合わせてもない。
その証拠にいまは出会いの時とは違う。互いの眼は互いを称え合えている。
「もし世界の道理から外れれば帰れなくなるかもしれないぞ。それどころかオレらの世界は簡単に死ねるくらい危険な空間だ」
「ハッ! 心配すんな肉体そのものを連れていくわけじゃねぇ!」
レティレシアの破顔一笑だった。
ニヤニヤと端を意地汚く引きつらせ口元に鋭利な三日月を描く。
まるで的外れを語るミナトを嘲笑しながら愉悦を歌うかのよう。
「忘れてるかもしれねぇがテメェらが帰るには障害がごまんとありやがる。そもそもテメェらは帰るために亀裂にフン詰まった忌々しい化け物どもを抹殺し尽くさなけりゃならねぇ」
かなり手痛い指摘だった。
これには船員たちも眉を曇らせ眼で足下を睨めるしかない。
というよりハナからそこが泣き所なのだ。船員たちの苦悩の種こそが狭間の怪物の1点となっている。
幸運なことといえば敵との戦闘は聖都強襲のさいに経験済みということか。決して油断ならない敵と認識できている。
一時的な膠着状態になりかけたところで、賽を振るを者がいた。
白裾をふわり波立たせながら背の女神が祈りを結ぶ。
「世界の狭間は無酸素かつ無重力の暗黒世界となっている。策もなしに大陸種族たちが乗りこんだところで生存さえ難しいはずだ」
遠巻きに静観していた東が割って入る。
表情から内心を読み解くのは難しい。しかし少なくともいまの彼は気楽な素振りではない。
しかしレティレシアは言葉どころか視線すらそちらに仕向けることはなかった。
彼女にとって在るのは、価値あるか、そうではないか。この場に現れたのだって損得勘定以外のなにものでもないはず。
「そこで余からテメェらに恩寵を授けてやる」
レティレシアは人々を前に不敵な笑みを浮かべた。
決して信じてはならない類いの笑み。山羊角と美貌。悪魔からの囁きであるかのよう。
当然はいそうですかと容易に看過できる者は少ない。
だが、ミナトだけは警戒心をまざまざと滲ませる船員たちを置いて歩みでる。
「ここまでやってきたんだ。いっそオレにやれることならなんでもやってやる」
「ほう。呪いの契約でその命を貪り喰らうといっても同じ口叩けんのかよ?」
「もしこの身に魂と呼ばれるモノがあるとして、それをお前にくれてやることくらいわけないさ」
ひくり、と。ミナトの快諾を見せつけられたレティレシアの尾の先端が惑う。
本当に僅か。一瞬。刹那にも満たない驚愕の表情だった。
「いい男になったじゃねぇか」
しかしそれもすぐに邪気めいた児戯の微笑へと早変わりする。
レティレシアは白い太ももを交差させて尾を揺らし羽を広げた。
「なら決定を覆す必要はねぇな。テメェはどこまでいっても冥府の底しか歩けねぇ」
「あんがい冥府も悪いところじゃなかったよ。お前らと一緒にいたこの半年間は少なくとも退屈じゃなかったからな」
真黒と深紅が見つめ合う。
半年前まではこちらが僅かに見上げる立場だった。身長も体躯もなにもかも未熟な子供だったから。
ミナトはもう彼女を見上げることはしない。地べたに這い下されるがまま死を享受しない。
対してレティレシアもいつしか顎をあげて彼を見下す機会をなくしていた。
いまはこうして向かい合う。半年という短くも長い時間が2人を対等にしている。
そして深紅の大鎌が世界を横薙ぎに刻み、仕向けられた。
「余の呪いでここにいる龍と救世主ども全員の魂をテメェのなかにぶちこむ」
一陣の風が頬を撫で、草を煽り、吹き抜ける。
提案の不明確さに困惑の音が漏れた。だがミナトは大鎌の先端から眼を逸らさなかった。
大陸種族に頼る以外に方法がなかったから。なにより心から彼は彼女の本質を知っているから。
「余のもつ超絶特殊な冥マナをミナト・ティールの身体に注ぎこむ。そしてその冥マナが切れるタイムリミットまでに狭間のゴミカスを龍と救世主の魂が一掃する」
赤く燃え滾り滅炎と化す。
ひとりぼっちで見知らぬ地へ迷いこんだ蒼き龍がいた。
翼はへし折れ飛ぶ意思さえ朽ちて空は遠く、胴を横たえる。
だがそれでも蒼き鋼の意思は消えなかった。やがて再び空を夢見た小さな光は、大いなる群れを従え母鳥の元を目指す。
作戦名 Blaze Sky.
2つの世界は、復讐と未来を求め、煌々と炎熱する世界へ征く。
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