345話 凱旋《Load Of Future》
梵鐘の如き厳格な扉が軋みと悲鳴をあげながら口を閉ざす。
闇から這いでた先で、まず迎えてくれたのは、目覚めるような青い空だった。
7対3の黄金比に思わず頬が緩みそうになる。抜けるような青のベッドに3Dプリントされたような雲が身体を横たえている。
「……ようやくだ、ようやく……」
ちょっぴりだけ大人になった、そんな苦笑が漏れた。
青草を踏む足裏にほんの少し自信を携える。重大な責務から解放されたからか未来が広く見えている。
なにもきっちり半年離れていたというわけではない。たまに会いに行って顔見せくらいは済ませていた。
だが最後の仕上げに入る辺りから3ヶ月くらいの間は足が遠のく。互いに気を使ってろくに言葉さえ交わす機会を避けていた。
「おーい! おーい!」
「っ!」
だからやけに遠くからの声が懐かしく聞こえた。
勝手知ったるはずの友の声が鼓膜をかすめる。
「ミナトくーん!」
遠間からでも誰なのかを視認できた。
夢矢が小兎のように跳ねながらこちらに向かって手を振っている。
無論のこと視界に映る景色に立っているのは、彼だけではない。墜ちた蒼き龍の足下には人々が集っていた。
ミナトは、「ふっ」と。こみ上げるモノを感じながら小走りになってしまう。
「――ただいまっ!!」
遠くはない道すがら、ちょっとだけ考えた。
だけど結果的に思いついたのは、色気も飾り気も勝ち気もない。
やっぱり相応しいのは、ただいまの4文字だった。だってあそこは帰るべき場所なのだから。
駆け寄るミナトをブルードラグーンの船員たちは、満面の笑みで迎える。
「やったじゃねぇかおいおいおい! 俺ははじめからずっと信じてからなぁ!」
「あはは。ジュン……そういいたい気持ちはわかるけど、せめて目の下にクマを隠すとかしなよぉ」
「ふぁぁ~……まだ朝じゃん」
なんてことないやりとりのなかで変わっているものがあった。
全員ちょっとだけ大人になっている。しかし、ちょっとだけ。大半はミナトの記憶とほぼ変わらない。
見覚えのあって、懐かしい顔ぶれたち。世界を越えて漂流してからも生きながらえた勇者たち。
「心配することは別に悪いことじゃないよ。ジュンも僕と同じで昨日の夜とか食欲なかったみたいだし」
「それ違う。ジュンは昨日、昼に聖都の喫茶店で爆食いしてた」
ジュン・ギンガー、虎龍院夢矢、亀龍院珠、リーリコ・ウェルズ。
彼彼女ら含む20余名のブルードラグーン船員たち。
「おおっ!? こっそり1人で出掛けたってのになんで知ってんだよォ!?」
「こそこそしてたから怪しくてつけただけ。もしこそこそなんてしてなかったら追わなかった。以上」
まったく同じ顔ぶれが一同に介する。
神の導く奇跡か、それとも必然か。少なくともいまの船員たちの顔ぶれに迷いはなかった。
きっと迷っただろう。迷った挙げ句いまだってゴールに手さえ届いていないかもしれない。
だが、パラダイムシフトスーツに身を包んだ若人たちの眼には、明確な蒼が秘められている。
「服装に違和感を覚えるのは、こっちの世界に慣れたからかねぇ」
懐かしい顔ぶれのはしゃぐ姿に温いため息が漏れた。
ミナトも黒い薄地の質素なスーツを身に帯びている。
借りたものはすべて返してきた。厚手の農夫服も、儀礼剣も、恩も、感謝も。
「なーに1人で黄昏れてんだよぉ!」
「うぉっ!?」
唐突に太い腕が首に回され体幹が崩されてしまう。
どうやら半年の間にジュンたちもそうとう鍛えたらしい。
組まれた腕も屈強で逆らえない。頬に当たる胸板も硬く隆々としている。つまり嬉しくない。
「なんだよなんだよ! あんなヒョロガリだったのに滅茶苦茶整ってるじゃねぇか!」
「ヒョロガリで悪かったな! 余裕と無駄がない洗練された状態だと人間はああなるんだよ!」
それでも確実に変わったのは、ミナトのほう。
ジュンのいうとおりだった。もう誰にも心配されないくらいには、勝っていた。
治癒魔法を利用した超回復トレーニングの成果は華々しい。肉削げて骨身の浮いた軟弱な少年はもうここにいない。
ふとミナトは、年上からの可愛がり受けながら脳裏に疑問を浮かべる。
「ところでなんでもうオレが勝ったってことを訊いてるんだ? まだ決闘が終わって半日も経ってないんだぞ?」
当たり前のように受け入れていたが、違和感だった。
レティレシアの扉で最速直帰したというのに、仲間たちの耳が早すぎる。
「レィガリアさんが早馬どころか龍の背に乗っていの一番に吉報を知らせにきてくれたんだよ!」
ほら、と。夢矢の示す方角には、騎士然とした佇まい。
勇壮な傷顔の男が腕組みしながら毅然としていた。
「観戦に出向く際こちらのかたがたが不安そうにしておりましたゆえ。さしでがましい真似をしてしまったのであれば謝罪します」
言い終えてレィガリアはおもむろに鉄靴の踵を鋭く鳴らす。
そのまま儀礼的な完璧の所作で姿勢良く腰を僅かに曲げた。
慌ててた夢矢は、駆け寄って彼の腕にすがりつく。
「止めてください! レィガリアさんにずっとお世話していただいているのはこちらのほうなんですから!」
「忠には忠を、義には義を。聖誕祭のご恩の端を返しているに過ぎませぬ」
この半年間、彼は人々を直接的に支援していくれていた。
国の姿勢も新たに。騎士団を仕切る忙しいさなかでも疲れひとつ見せやしない。
文句のひとつもない、完璧な世話焼き。聖誕祭の成功にかこつけながらも情にあふれていた。
「大陸最強種族に勝っちまうなんてどんな修行したんだよ! ドラゴンキラーとか超かっけぇじゃねぇか!」
「ミナトくんが勝ったのは嬉しいんだけど……僕より体格よくなっちゃってる。あんなに筋トレしたのに全然体つきが変わらないのかなぁ……」
「夢矢くんの場合女性ホルモンが多いからだと思う。体格が良くなるためには男性ホルモンが必須」
「リーリコちゃんなにげヒドいこといってるの気づいてない!? 僕いちおう男なんだけど!?」
どっ、と。誰かが笑うと吊られて笑いが連鎖した。
懐かしい騒々しさ。決して嫌ではない楽しいだけを詰めこんだ忙しなさ。
求めていたものがここにある。そんな胸がいっぱいになるような心地よさを覚え、ミナトも笑みを広げてしまう。
「凱旋を楽しむのも良いが、気を緩めるには些か早急だぞ」
そんなさなか若人から1歩退いた位置に彼はいる。
白翼の如きミモレ丈。流動生体繊維を身に帯びながら風にたなびく純白をまとう。
ミナトは、孤高を気どって佇む東光輝の元へ歩み寄った。
「で、東のほうはきっちり納期を守れたんだろうな?」
「はっはァ! 当たり前のことを訊くなむず痒くなるじゃないかァ!」
東は指を鳴らし決めきらない謎ポーズとる。
相変わらず底の読めぬ中年だった。
しかし彼の場合口だけが達者なのではない。あるていど、達者なのだ。
その証拠に彼の振り仰ぐ先には、納期を守った製品が飾られている。
海面の如く波打つ草原の中央。蒼き龍。帰還の翼。
折れていたはずのブルードラグーン両翼部分には、灰色で新品同様の翼がめかしこまれていた。
「ドワーフの技術と我ら人類の叡智の結晶を詰め合わせッ! 新たに生まれ変わったコイツの名は、ニューブルードラグーン改だッ! 翼を直して中身の修理も万全に済ませてあるッ!」
景気よく乾いた音色が弾けた。
はしゃぐ中年の横でジュンはじっとりと眼を細める。
「なにがニューで改だよ……もと通りに戻っただけじゃねぇか」
「茶化すなこういうのは気分だ! それに物質自体はこの世界のものを使用している! もしかしたら性能がぐんと上がっているかもしれないぞ!」
「計器的にいえば重さも速度も耐久力も元とどっこい。そもそもテスト飛行してデータがとれてる」
珠は半目をこすりながら片手で操作する。
ALECナノマシンの詳細なデータを空間に示す。
しかし間延びした指摘さえ東の耳に届いていない。
「この俺にかかればこのていどの偉業なんぞ朝飯前だ! お前らは俺が夜な夜な聖都で遊んでいる思っていたみたいだが影でしっかりやることはやっていたということだ!」
青々とした生命を感じる風に高笑いが混ざって吹き抜けた。
夜な夜な遊びながら仕事をしていたのか、夜な夜な仕事をしているさなか遊んでいたのか。
卵が先か、鶏が先か。だがこうしていまとなっては優秀な成果を若人へまざまざと見せつけている。
東の振り仰ぐ先には、蒼き龍が横たわっていた。失われたはずの翼を広げ、胴体にも傷ひとつない。母なる巨鳥から飛び立った精巧な姿をとり戻している。
これには若人たちからの文句ひとつもでてこない。
「あはは。でも本当にやり遂げちゃう辺りちゃんと大人やってるんだよねぇ」
「これでちゃんと中身も伴ってたら俺らもソンケーできるんだけどよぉ……」
「ま、東がいまさらまともになったらそれはそれでキショイ」
「ぐぅ……」
相変わらずの年相応ではない。
が、変わらないという良さが身に沁みる。
そんな軽率大人とミナトは、数日ぶりに向かい合う。
「勝ってきたぞ」
「フッ。そうだな」
どちらともなく拳を宛がう。
2人の間には言い知れぬ。だが悪くはない空気が漂っている。
信頼や尊敬なんて言葉にできるものではない。ただ視線の位置は届かなくとも、対等でありつづけていた。
「とにかくおかえり! ミナトくん!」
夢矢は小鳥のようにぴょんと跳ねた。
思わず抱きしめてしまいたい感情に駆られる。そんな幸せに濡れるふにゃふにゃな安堵の笑顔だった。
彼以外にも船員たちの顔ぶれは凜々しくも歓待ムードに傾いている。
「とうとう約束が守り抜かれたんだぜ! これで帰還することに文句ねぇよな!」
ジュンの声に反する論は上がらなかった。
ブルードラグーンの船員たちは芯のある瞳をしている。
一時は大陸世界残留派と帰還派で意見が割れつつあった。だが2つの約束が成されたいま、反抗の意志は微塵もない。
もとより残留派も母船に残る友や血縁を見限っていたいたわけではないのだ。その証拠に残留を望んでいた男女も覚悟を決めている様子だった。
「ってか勝ったってことは帰るってことだがよぉ? ミナトにかけられていたっつー呪いはどうなったんだ?」
「そうだよ!? ミナトくんのフレックス能力っていったいいまどういう状態なの!?」
ジュンと夢矢の疑問は真っ当だった。
これから帰るにあたってまず間違いなく戦闘に発展すること請け合い。
個々がパワーアップしたとはいえ限界がある。無数の化け物と戦闘をするのであればミナトに秘められた力こそが希望であり、主力だった。
「あ~……それなんだが。話すと超絶長くなるというかぁ~……」
ミナトは腑に落ちない声色で回答を濁らせた。
代わりにリーリコが光学迷彩の羽織をたなびかせながら前にでる。
「そもそもあんな化け物とどうやってやり合う? ノアに戻って総力戦をするにしても勝ち目があるとは思えない」
誰もが予測しながらも口にしなかった事象だった。
ここまでの半年間掲げていたのは生きるという目的のみ。そこから先の予定は限りなく未定に近い。
ゆえにここにきて最大の難問が船員たちを襲いつつあった。
「前提としてノアが残ってなければ戦いにすらならないよね。そうなると僕らも帰ったところで犬死にになっちゃう」
「とはいえ弔いのひとつもしてやらねぇのは華がねぇ。俺はノアが沈んでいたとしても最後まで食らいつく覚悟だぜ」
「あの世界と世界の狭間を抜けるだけでも一か八か。その先のことははっきりいって未知数」
「……ねむぅ」
途端に静寂が粒のような疑問と疑問でこすり合わされた。
帰還が決まったといっても攻略法が見当たらない。
船員たちはいても立ってもいられないといった様子だった。口々に宛てのない議論を開始してしまう。
「で、計画性ナッシングってわけではないだろう」
「そろそろくる。地獄直行便の片道切符はとっくに切られてるからな」
(区切りなし)
 




