337話 冥府の巫女《Blood Solitude》
夢想世界の中心で、無数の赤刃と銀閃の軌道が幾たびと、重なり合う。
閃光めいた爆ぜる音は、まるで奏でられた金管楽器のよう。間断のないテンポは小気味よい。それでいて転調を繰り返しながら訊く者を飽きさせない。
「す、すげぇ……本当にアレこの間までのガキかよ」
救世主の誰かが客席で慄いた――……クソうぜぇ。
はじまる前と打って変わって、熱気去る。救世主たちは、さながら帳が下りたかの如く、眼を乾かしていた。
これほどの幕劇から目を逸らせるものか。すでに多くの者が瞬くことさえ止めた。想定外の光景を網膜に焼きつけている。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
静寂を貫くようにして剣戟と雄々しき咆吼が轟いていた。
砂上の舞台は遠く離れている。というのに彼の気迫は腹の奥へずしりと響く。
人と龍。脇役がいない剣の物語。見る種族たちの視線すべてを釘付けにして離さない。
「――フッ!」
低い位置からの切り上げだった。
それをリリティアは読んでいたかの如く容易に回避した。
しかし少年はさらにくるりと身体を回転させ横一線を見舞う。
「止めようとするよなそりゃァ!!」
「っ!?」
リリティアの構えた剣に刃がぶつかることはなかった。
少年は即座に2mほどまでに伸びていた剣の刃部分を変形させたのだ。
そして取り回しの良くなった鏡面で、守備の逆側から反転の1撃を繰りだす。
「1度の攻撃に必ず数回の嘘を交える。虚を衝く要領は大変素晴らしいですね」
受けず、飛翔する。
リリティアは白い脚で地を蹴って間合いの範囲外へ後転した。
「よくぞ短い期間でそこまでの技術を磨き上げましたね賞賛に値します」
まるでダンスでも踊るかのようだった。
身はしなり、剣の重ささえ感じさせぬ。間髪入れぬ攻撃の嵐にも即時即対応。普段より短い決戦用の衣装のスカートを可憐に揺らめかす。
それをさらに少年は、剣を巧みに変化させながら猛追する。
「カスるとすら思っていないのによく言うよな! せめてもう少し驚いたフリでもしてくれよ!」
「実力の向上に驚いているのは本心ですよ。ただ私なら順応できてしまう程度というだけです」
跳んで跳ねるだけならうち捨てられた魚だってできる。
難しいのは如何に効率的な打撃へと変容させるか。熟達した者でさえ極地へ至れるケースは極少数だろう。
ならば彼には才能があったのか。否、それは武器を携える救世主たちによって否定されている。
ではなぜ才能も時間も年輪さえ重ねていない少年が、ああまでして存在しているのか。
どうして果敢に龍へ挑む彼の背景に震え上がるほどの獰猛さを重ねてしまうのか。
「蒼い……猛獣」
また客席のどこかで誰かが慄きを発した――……いい加減にしやがれクソが。
この場にいる観客全員が見ている。同じ恐怖を共有している。
呼吸さえままならぬ間断のない剣は、さながら獣の双牙。さらには蒼き閃光を引いて猛撃が繰りだされる。
さながら莫大な相手にもかかわらず喉笛掻き切らんと食らいつく、獰猛な獣。龍の鱗を噛み切らんと喉笛に牙を突き立てようとしている。
「あのヤロウふざけやがって! 俺と決闘したときは全力だしてなかったってコトかよ!」
八つ当たり気味に拳が振り落とされた。
西方の勇者ルハーヴ・アロア・ディールは、少年を見つめながら噛み締める。
さらには決闘を眺めつつも指先が僅かに震えていた。
「人種族ってのは俺らヒュームと変わらねぇんじゃなかったのか!? それなのにもかかわらずあの凄まじい緩急の攻撃方法はなんだってんだ!?」
「……た、たぶんだけど」
横から唾が飛んできそうな怒鳴り声でも見向きすらしない。
ヨルナは口元に手を当てながら目を見開いている。中性的な愛らしさを深刻さで埋め尽くす。
そしてルハーヴの怒りさえ見ず。まじまじ、と。黒炭色の瞳は、舞台上から逸れることはない。
「あれは……イージスの力からあふれたミナトくん本来の力なんだよ」
「本来の力だぁ? 蒼力は神羅凪の呪頁にぜんぶ吸われて発揮できねぇんだろ?」
呆れてものも言えぬ。
そういう風にルハーヴもまた眉間に険を寄せていた。
「それって半年前にいた脆弱でひ弱な少年のことだよ」
だがヨルナはそれでも構わずつづける。
「半年の修行を経て彼は呪いの頂点を超えかけているんだ」
しょせん憶測に過ぎない。世迷い言、虚言。
しかし現実に人は人種族ならざる速度を発揮しつづけている。
剣聖には決して届かぬ微々たるもの。目を凝らさねば見えぬほどの小さな変化。超極微量の差異でしかない。
だがしかし、それを種族たちは総じて、進化と呼ぶ。
「ッッッッ!!?」
ゆえに気にくわない。
気にくわない気にくわない気にくわない。
眼下に広がる光景を否定したくて胃の腑が吐き気をもよおしている。
「調子……こきやがってェ……!」
否定したいのに輝きが眼前から消えてくれない。
食い縛っても、見下しても。どれほど歪めても心が――……気にくわねぇ!
人の子は、ただただ必死だった。足掻き藻掻き前に這いずることしか考えていない素振りだった。
しかしただ必死なのではない、真に必死なのだ。だからこそレティレシアは否定したかった。
その必死な姿に魅せられているという己の満たされかたを拒絶したかった。
「ようやっとるのぅ。修行つけてやっとったワシらにさえ牙を隠しておるとは」
白い髭をしごき、しごき。
しわがれ声が太く置いた喉を焦がす。
するとヨルナははたと一瞬静止し、前髪振って振り返る。
「師匠と……ちび師匠まで!? いったいこんな時間までなにを!?」
同じ客席に立っていたのは、のっそりと、ちんまい。
ゼト・E・スミス・ロガーとアクセナ・L・ブラストロガーのドワーフ男女だった。
双腕と斧動明迅。どちらも彼に修行をつけたという好き者である。
「ワシに一瞬でつくような勝負をわざわざ見にくるような野次馬根性はねぇさ。じゃからいまきたのは不甲斐ない人の子をからかいにきただけじゃな」
「だのにまーだやりあってんだー。これまたいったいぜんたいなにがどうなっちまったらこんな展開になんだー」
ゼトが霞目を細め、鉄腕で庇をつくった。
頭4つ5つほど下では眼帯の少女がへの字口を描く。
どちらも目の前の接戦を信じがたいといいたげな様子だった。
しかしいっぽうで人の子と剣聖の打ち合いはさらに激化している。
「ハアアアアアアア!!!」
人の子が猛る。
同時に薄く、蒼が体捌きに付随して線を引く。
「っ」
それをリリティアは迅速かつ丁寧に捌いていった。
剣と剣が重なる。気と気が混ざり合う。
半端な蒼が灯るたび刹那のみ加速する。そのせいで剣の打ち合う音が不協和音を奏でていた。
不規則な応酬と朱色の剣が入れ替わりで尺を変える。変幻自在な戦いかたはいままでにない、世界に類を見ぬ新たな技だった。
ゆえに魅せられてしまう。大陸最強と名高き剣よりも遙かに。
「すっげ……!」
黙れ。
「あんな……! あんな自由な剣を見たことがないよ……!」
黙れ黙れ黙れ。
「こんなん勝ち負けなんてどうでも良くなっちまうじゃねぇか! 俺はいまから餓鬼に賭け直すぜ!」
鉄と鉄が高音で打ち鳴らされるたび、沸き立つ。
無頼どもが嬉々として人の子の背を押す声を張り上げる。
「認めねぇ認めねぇ認めねぇ認めねぇ……! ここで認めちまったら……肯定しちまったら……! 余があの子を信じてなかったってことになっちまうじゃねぇか……!」
喝采と歓声のなかひとり、とり残されていた。
背を丸く押しとどめても胸の奥が締め付けられる気分だった。
必死に生きる姿を美しいと、勇ましいと思ってしまう。目を潰されそうな光に自然と呼吸が苦しくなっていく。
浅ましい、卑しい、妬ましい。必死に別の感情で埋め立てなければ保てない。
気にくわない気にくわない気にくわない。幾度と心がそう唱えて吐き捨てる。
「……見てぇよなぁ、――ッ!?!」
限界だった。無意識にあふれていた。
あふれた想いがたまらず口から漏れ、慌てて塞ぐも、もう遅い。
もしあの覚悟に人種族の蒼が乗ったなら。イージスが醸し蓄えた彼女の思いが重なったなら。
「だけど……その世界に余のイージスはいねぇってことになっちまうじゃねぇかよォ!」
考えがまとまらず頭を掻きむしってしまう。
ずっと親友の帰りを待っていた。だから人の子を認めるということは、親友の死を認めることと同義だった。
ゆえに認めてしまえば、もう会えなくなってしまうことを肯定する事態に他ならない。
「余のなかから隣にイージスがいたという記憶を消さないでくれェェ……! 孤独だった余に唯一心から寄り添ってくれたあの子の笑顔を忘れたくないだけなんだァァ……!」
頼むよ。濡れた弱々しい音色だった。
冥府の巫女ではない。身を抱いて震えるほど繊細なひとりの女性の細やかな願い。
しかしその声は遠く、飛び立ってしまった友の元に届くものではない。
「テメェに剣聖は倒せねェェェェェ!!!! 余はお前をゼッテェに認めねぇからな、人の子ォォォォォォ!!!!」
代わりに威嚇という慟哭が喝采を割って響いたのだった。
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