336話【VS.】白龍 剣に聖を宿す乙女 リリティア・F・ドゥ・ティール
「ダモクレス剣が抜かれれば正式な誓約決闘の開始だァァ!! 創造主フィクスガンド・ジ・アーム・ルスラウスの御面へ勝敗のみを捧げよォォ!!」
玉座からレティレシアの罵りめいた怒号が降り注いだ。
すでに客席から注がれる視線は、中央1点に集う。
興奮の熱気が肌の表面をじりじりと焦がす。喜怒哀楽すべての感情がここを世界の中心であることを訴えている。
「アナタは私が初めてまともに育てた愛弟子です。いかな結果に収束しようともそれだけは私の誇りだと覚えていてください」
「リリティアに感謝を伝えようにも言葉が足りない。死にかけていた身体を人間に戻してくれた恩人だからこそ、超えてみせる」
ほぼ同時に深々と突き立った儀式剣を引き抜く。
儀式用とはいえそこいらの数打ちなんて足下にすら及ばぬ一級品だった。
血の通ったように柄が手に馴染む。銀光を閉じこめた剣身も、ずしりとくる重さも、すべて最高の剣を意味している。
「我が娘イージス・F・ドゥ・グランドウォーカーの眼に狂いがあったか! 母の剣でもって精査させて頂きます!」
流麗な金の三つ編みが魚の尾の如く揺らめく。
剣を構え、鋭利な切っ先を相対する少年の眉間へと、定めた。
究極。彼女のとる行動のすべてが剣の最上位を意味する。剣に聖を宿す地上最強の剣士。
しかし相対するは、人。しかも半年前まで剣なんてまともに振ったことさえない、ずぶの素人。
「さあ構えなさいミナトさん! このまま立ち尽くしていてはレティレシアに飽きられてしまいますよ!」
ゆらり、と。発破をかけられ切っ先が震える。
ゆっくりと構え、構え、構えを通り過ぎてなお剣が振り上げられていく。
そしてミナトはおもむろに振り切った剣を振り下ろす。
「――せいっ!!」
会場が荒波のようにどよめいた。
彼の行動に誰しもが表情で驚愕を描く、目を疑う。
「なっ!?」
当然リリティアだってぎょっと眼を広げていた。
あろうことかミナトは手にした儀式剣を手放す。どころかリリティア目掛けてぶん投げた。
投げられた剣はくるくると回転しながら孤を描く軌道で山なりに飛翔する。
「はぁぁ!? なにやってるのミナトくぅん!?」
ヨルナを筆頭に驚愕模様が剣の行方を追う。
こんな荒技もとい所業にレティレシアだって黙っていられるわけもない。
「テんメェこの野郎腹いせかァ!? せっかく余が用意してやった儀式剣を雑に扱うんじゃねェ!?」
投擲なんて洒落た手段ではなかった。
ただ放られただけ。しかも孤を描くほど緩い挙動で落ちていく。
そしてリリティアは落ちてくる剣を半身を開き、容易に回避する。
「やはり実力では敵わぬと踏んで絡め手を混ぜてきますか」
「絡め手なんて大層なものじゃない。ただ純粋にその剣がいらなかっただけさ」
「――っ!」
僅かな蒼が点と点を1閃に繋いだ。
影はなく、あるのは過ぎたという砂塵のみ。衆目を剣へ移動させている間にミナトはリリティアとの距離を詰めた。
そしてさらにAlecナノコンピューターへ指示を送る。
「スイッチウェポン・レッドナイン、レディ」
カチャリ、と。Alecと同期した武器の固定具が外れた。
腰に下げたくびれのない寸胴状が解放され、すかさずミナトは柄を握りこむ。
「一足で詰めるならまだしもその距離では間合いの外です。虚を衝くには些かお粗末でしたね」
頬横に構えた剣の鏡面にはリリティアが映しだされていた。
彼女のいう通り、足りない。間合いが死んでいる。
振りかざしたものの、その距離じゃ魔法でも使わなければ、まだ届かない。
ならばこちらだって唱えられる。魔法ではなく、人類が築き上げた科学の詠唱を。
「《スイッチ》ッッ!!」
受けとった音声認識が剣の機構を変化させる。
振りかざされた鏡面の寸胴が中央から割れる。両刃が根元がぐるりと翻って片刃のブレードへと切り替わった。
スイッチウェポン、レッドナイン。別名、赤熱。
武器の特徴はユーザーの意向に沿って刃を倍加させる。
「これが――ッッ!! 渾身だアアア!!」
科学技術に覚悟と咆吼を乗せ、かざされた。
レッドナインの間合いは容易にリリティアを捉えている。
見定めも解釈も語りもいらない。はじめから切り札を切っていった。
本心で敵わないかもと思うより早く、全身全霊。頬に氷が伝い溶けていくような緊張感すら感じる間さえ与えない。
誰もが敵わぬと口にした。ミナト自身だってリリティアの強さは痛感している。
ゆえに初手切り札。心が伴わぬ短期に必殺を1撃目へぶちこむ。
「ハアアアアアアアアアアアアアア!!!」
必死で生きた先で光をももぎとる。
刃が伸びたことでタイミングがコンマ1秒ほどズレる。そのコンマ1秒が、1歩の稼ぎが、相手の感覚を鈍らせる。
虚を衝き、さらに裏手を仕込む。泥臭い足掻きの1撃だった。
「……これでも、ダメか」
だが轟く暴風が過ぎ去った後は、静寂のみに支配される。
かざした刃は地面へ深々と突き刺さっていた。
本当にギリギリだった。おそらく見ている者全員が直撃を予測していたはず。
「ふぅ……。私が龍でなければ直撃していたでしょうね」
リリティアは無傷だった。
直撃の寸前に身体を開いて回避していた。
卓越した身体能力と対応力の賜物だった。普通であればいまのは、必殺の1撃たり得る。少なくともミナトには確実に当たるという確信があった。
「本気だとその早さで動くのか……正直、知りたくなかったよ」
「私もまさか序盤から全力を見せることになるとは思いませんでした」
心のなかで舌を打つ。
身に沁みる。失望というより絶望に近い。
悪寒が身体に満ちていくのがわかる。
「さすがに十分に肝を冷やしました。もし相手が他種族ならばいまの1撃で確実に終わっていたでしょうね」
リリティアは刃を頬横数ミリていどで華麗に躱していた。
よりにもよって人の認識ではあり得ない速度でスカートを翻し、回避したのだ。
――これは……予想以上に……。
切り札の1枚が徒労に終わる。
歯がみした隙間から魂を吐くかの如く。喪失の熱が漏れでた。
ここから先は技術の消耗戦となる。薄氷を踏みしめ、いつか奈落へと墜ち、徐々に心が失われていく。
そうしてリリティアとレティレシアは、人の心を砕くのだ。個の儚い夢も願いも、すべてを――……
「っ!?」
その時だった。
失望のさなかミナトははじめ理解できなかった。
しかし間断ない。大気が痺れ、背と腹を叩き、鼓膜をぐちゃぐちゃにかき回す。
「いけえええええええええええええええええええええ!!!!」
はじめに知覚できたのは、ヨルナの絹を裂くが如き叫びだった。
しかし徐々に膨れ上がって気づかされる。意識の浮上とともに音が明瞭になっていく。
「いいぞォォ!! もっとだ、もっと攻めろォォ!!」
「西方の勇者のときと同じだァァ!! ひっくり返してみろよォォ!!」
1つ1つが、重なっていく。
すべて違う色をして、すべて違う音色を奏でる。
「最強がどんなもんだってんだい!! 上座にふんぞり返ってる鱗を引きずり下ろしてやりな!!」
「いまのは凄かったぜェェ!! 俺らの目でも追えやしねェェ!!」
7つの色。
7つの種族。
他の世界。
「勝って帰るんだろォ!! だったら立ち止まってる暇はねぇぞォ!!」
敵だったルハーヴでさえ背を押さんと声を張り上げる。
多くの種族。救世主たちがミナトへ向けて一丸となって喝采と野次を謳い上げていた。
――ああ……そうか。
それは、呆れるくらい酷似していた。
あの星の海で見た出会いの形と、とても良く似ていた。
剣を握る手に100を超えた力が漲っていく。
――オレはこの世界のことも……!
冷や水を頭からかけられたような気分だった。
喝采は全身を数千という平手で打つかのようだった。
かけがえのないものを両手いっぱいに押しつけられたような錯覚さえ覚えた。
「それで……終わりますか?」
問いかけへの答えは、もう決まっている。
はじめよりも熱く煮えたぎっていたから。
ミナトは顔を上げて再びリリティアと対峙する。
「冗談ポイだ。開戦の火蓋を斬ったっていうのに引き下がるアホがどこにいる」
「良い完成度です。いまのを見てまだ眼が死なないとはなかなかに優秀ですよ」
向かう足先を止める手立てを知らなかった。
ただ感情の赴くままに剣を振るうのが楽しくて、楽しくて。
激が、火花が、汗が、砂塵が舞うたび会場の声が背を押す。声が猛り狂う。
「ふっ……! 突きの軌道をコンマ数ミリ突きで防ぐとか化け物かよ……!」
「人種族のアナタにとっては化け物のはずですし、これから先もずっと化け物でいつづけるつもりです」
化け物と称されてなお強敵は凜としていた。
ミナトは1撃目以降、1歩足りとも彼女を退かせることができていない。
まさに剣舞、剣の武神とでもいおうか。彼女は華麗に剣閃をまとい鎧の如く攻撃を弾いていく。
「じゃあ化け物の弟子もちょっとくらい化け物になってみるとするか」
だが、それでも笑えていた。
心が、希望よりほんの少しだけ温かいものに触れている。
…… … … ……
 




