333話 聖剣の審判《Armistice OF Heaven》
欠け割れ苔生す石畳の回廊が龍の長首の如くつづく。
空なき空には空色の代わりに金色を映し、あられのような曇が漂う。
両側には迫るような壁によって道が阻まれていた。無限に等しい長い直線の回廊は混沌に等しい静寂を生む。
「果たして今日この日にここへ訪れるのでしょうか」
「……」
願わくば、現れぬことを祈っていた。
社交用の華やかなドレスを帯びた双王の胸には、細やかな祈り手が結ばれている。
場へ赴くのであれば必ずこの長い回廊を介さなければならぬ。近道を使用しないのない正規手段はここにしかない。
「もし現れなければ救われずとも安穏とした明日が訪れる」
「しかし今日もしこの道を辿るのであれば、後悔と絶望を知る」
友として、尊び親しみ、少なからず愛を覚えている。
人は短な期間にもかかわらずそれだけの功績を大陸に創り、重ね上げた。
だからこそテレノア・ティールとザナリア・ティールは、一心に祈りを捧ぐ。
時流れ征くごとに足をくすぐられるような焦燥感が立ち昇ってくるかのよう。
「もしこの先に進めばもう引き返すことは叶いません。勝敗が決し冥府の巫女の所有物として生涯を終えることになるはずです」
「すでに儀式ははじまっており大陸の王たちでさえ集っている。王が人と龍の決闘を統治統合するのだから決定は絶対です」
使命の場には冥府の巫女によって招かれた王たちが集ってしまっていた。
エルフ、ドワーフ、妖精、複合獣種の代表たち、龍王、そしてエーテル。今宵の闘技は大陸世界の最高権威たちによって導かれる。
ゆえにこの道を昇れば引き返すことは許されぬ。そして冥府の巫女にとって今日という日は通過点にしかすぎないだろう。それどころか生け贄を得る祝賀とふんぞり返ってほくそ笑む。
本日雌雄を決する決闘日となっている。龍の剣に挑むのは人種族の剣。
結末は誰の目にも明らかだった。賭けどころか話題にすら及ばない。つまり面白くもない決闘が本日開かれようとしている。
「……あっ!」
「あのおバカ……!」
銀眼が4つの歪みない真円を形作った。
ぎょっ、と。見開かれた眼差しの奥で淡い怒りが仄めく。
なにしろ向かってくる影は呑気どころか陽気である。
「~♪」
小粋な鼻歌交じりに向かってくる。
歩幅を広く、散歩でもするみたいだった。
「テレノアとサナリアまできてくれているとはな。てっきりフィナセスさんだけが立っているものかと思ってたよ」
おす。まるで街道で友とすれ違うみたいだった。
気さくさだった。これから己が修羅を歩むとは思えぬほど、日々だった。
「どうしてですか……? ミナトさんはこの世界のことが嫌いなんですか……?」
拙く上目がちな問いだった。
現れないでほしいと願って、現れてしまう。
テレノアは瞳を滲ませながら薄い胸の前で祈りを強く結ぶ。
「一緒に……幸せになりましょう? ここで引き返せばきっと冥府の巫女様もお許しくださるはずです」
まるでダンスの手ほどきでもするかのよう。
テレノアはロンググローブを帯びた手をそっと差しだす。
「貴方様に救われたこの命を貴方様の未来のために使いたいのです。もし叶わなくとも聖誕祭で受けたご恩をほんの少しでも返させてください」
瞳は滲み目のフチには涙がたまっていた。
勇気をだして華やかなスカートを揺らめかせ、ヒールの踵を前へと踏みだす。
「いますぐここを引き返しともに生きましょう? 何気ない日常へと帰り平穏をともに享受しましょう?」
愛の告白といわれればその通りだったのかもしれない。
彼が聖都へもたらした祝福はテレノアにとってそれだけの価値あるもの。
そして聖都派と激戦を繰り広げた教祖の娘ザナリアだって同価値の恩がある。
「これは不器用でわがままな私たちなりの説得です」
本来であれば隣に立つことさえ叶わなかった。
敬愛する聖女は、もしこの身が王となれば聖火に焼べられていた。
これを幸福な収束以外なんとするのか。その結末を与えてくれたのはなにを隠そう彼なのだ。
「私たちは貴方という勇敢で親愛なる友を手放したくはありません。ここから進むというのであればそれは蛮勇に他なりません」
相手の心を汲む余裕なんてあるものか。
なにしろ焦っている。足先から脳天まで焦燥している。
奪われたくない。そう、願う乙女心が無茶を押し通そうとしている。
「私ザナリア・ルオ・ティールは、ミナト・ティールを心よりお慕いしておりますわ。だから貴方が誰かのモノになってしまうのは不本意で黙っていられません」
指先が震えるのを隠すために拳を握りしめていた。
そこでようやくザナリアはテレノアの祈り手を結ぶ理由に気づく。彼女もまた同じ思いをその胸の内に秘めていることに。
「その未来は信念を捻じ曲げても幸福だといえる世界に繋がってるんだろうな」
優しい、そして残酷な微笑みだった。
向けられただけでわかってしまうほど。
「2人の気持ちは凄く嬉しい。だから……ありがとう、ごめん」
「そんなっ」
「どうして私たちの気持ちをわかっていただけないんですかッ!?」
2人はほぼ同時だった。
唇を噛み締め、失望に苛まれ、悔しさを身いっぱいに宿らせる。
それほどまでに彼は、脇目も振らず、前しか見ていない。
これほど真摯に止めようとしているのに彼にはちっとも見えていない。
少年は握った手を左の胸板にどんっ、と強めに押しつける。
「そっちの世界につづく未来は、オレの願う世界じゃないんだ。もし耳の奥に聞こえてくる仲間たちの声を無視したらオレはオレじゃなくなってしまう」
どこまでも曲がらぬ。決して逸らされぬ黒い瞳だった。
優秀な体躯には黒地で肉を浮かすような素材をまとう。鎧は帯びず、腰には紅の鋼。それから背には筒を背負う。
それはまさしく人の世界の姿だった。こちらの種族のどれとも異なって異質な装い。この世界に存在しない……形だった。
これではもう止められない。友を止められぬことと、そのうちに秘めた覚悟を、自覚させられてしまう。
「あーあ。乙女、しかも双王のおふたりを泣かせるなんて罪な男ねぇ」
さめざめと涙する2人の隙間をを割ってでる。もう1人がいた。
煌びやかな礼装ではない。彼女は腰に剣を履き、鎧をその身に帯びている。
「貴方いま美女ふたりに告白されて完封したのよぉ?」
叱るような呆れるような。
感情の入り交じった様子で、くびれた腰に手を添えた。
「完封って……。別にそんな大それた話じゃないですよ。それにオレなんかどこぞ馬の骨と双王が釣り合う訳がないですし」
「あのねぇ、その双王を双王にしたのも貴方なんだからね。女をくまなく幸せにした責任くらい自覚なさいな」
長い廊下に啜り泣く音が2つほど。
白き鎧姿の女性は眉を渋らせながら2人を背後に下がらせる。
そして震える肩を落ち着かせてから屈託のない笑みを別の方角に広げた。
「いまの話から察するに私がいることを承知だった、ということよね?」
少年の目からその笑みがどう見えただろうか。
少なくともこれから起こる事象を知るのならば、暗雲低迷で然り。
「もちろんさ。聖剣のフィナセス・カラミ・ティールさん」
だが、少年もまた平静だった。
腹が据わっているというより正気ではない。
なにしろいま彼の目の前にいるのは現大陸最強の剣士なのだから。
フィナセス・カラミ・ティールは美貌をそのままに肩をすくめ首を横に振る。
「そ。覚悟はできているということならこっちとしても助かったわ。覚悟が固まっていない相手へ一方的に斬りかかるのは騎士の名折れだもの」
こつり、こつり。大きめの反響音が木霊した。
幾層と鉄板を重ねて柔軟性のあるサバトンが苔生す石床の上をノックする。
可動域を狭めぬが要所を捉えさせぬ純白の軽装鎧。それこそ聖都守護し聖女を掲げる聖騎士隊の特徴だった。
「剣聖様からのご依頼で足止めする手はずだったのだけれどね。なんていうか……いまこの場の総意として貴方を倒さなきゃいけなくなっちゃたじゃない……」
なかでも彼女は剣聖を志す者であり、通常の騎士とは段違いにモノが違う。
種族的な特性は龍に劣るが、技量でいえば剣聖と並び立つほど。なによりエーテル族の種族特性はヒュームと同等である人種族を遙かに凌駕する。
つまり戦ったところで少年に勝ち目なんてはじめからないに等しいのだ。
「で、やり合う準備はもうできているのかしら?」
フィナセスの瞳が怜悧に細まる。
すらり。腰鞘から引き抜かれると閃光とともに彼女の剣が姿を現す。
光の剣の後光に照らされながら彼女は優雅に構えをとった。
「聖剣なんて呼ばれる最強の剣士が前座を務めるとは。たかだか人間、な相手になかなか豪華ですね」
少年は未だ抜剣する様子すら見せていない。
それどころか談話に興じて戦闘そのものに乗ろうとしていなかった。
対してフィナセスは剣をおさめようとはせず。守護者としての佇まいを変えることもない。
「私は聖剣なんて呼ばれているけど名乗ったことは1度としてないわ。その理由がおわかりかしら?」
「剣の頂に立っていないから。ヨルナがそういってたのを聞きました」
「なら話が早くて助かるわ。貴方がここから進んだ先にはまさにその私の目指す頂きが立っているの」
さあ抜きなさい。構え、催促する。
すでにどちらの表情も笑っていない。向かい合う姿は真剣そのもの。
黄金色の空から降り注ぐ光が剣を携える2名を淡く照らしだす。
そして少年は、しばしフィナセスを見つめてからようやく初動に入る。
「じゃあフィナ子さんを倒さないとリリティアに辿り着いたところで無駄ってことになりますね」
「そういうことよ。そして私は貴方が剣聖様と戦うに値する星であるかをチェックする役割も担っているの」
腰に帯びた朱色の鉄板へと、手を添えた。
どちらの剣も刃渡りは1mに満たない。しかし彼の剣はこちらの世界のものと比べて素材そのものが異なっている。
切っ先は平たく、鏡面の如き光沢に満ちていた。工芸品や装飾品といわれても遜色ない美しさ。
フィナセスもちら、と彼の不思議な剣を一瞥し、構えを正す。
「私は騎士として忠義を貫くために貴方を阻むわ。痛い思いをしたくないのであれば即刻ここから立ち去り外で今日という日が過ぎ去るのを待ちなさい」
「もし断ったら?」
「躊躇なく手足の骨を砕かせてもらうわ。そして明日になったら治癒魔法を施す。それでオシマイ」
2人は、互いの思いを手に相対する。
スタートの合図はない。すでにどちらかが動けば爆ぜるだけの緊張感があった。
きっと彼女の言葉に虚偽はない。騎士という誇りを賭けて対峙するものを完膚なきまでに砕くだろう。
「我が主君たちがこの裁定をお見届けになられるわッ!! だから私は全力で貴方の剣を推断するッ!!」
先に闘気を発したのは、聖剣のフィナセスだった。
剣を振りかぶりながら後ろ足で地を穿つ。剣や鎧の重ささえ感じさせぬ突撃は閃光の如く迅速で、鋭い。
神は命に不条理を与えない。挑むのは世界の意思ではなく挑戦する者が愚かであるか。
そして必然のなかに刺す光こそが奇跡と呼ぶに値する。
しかしこれではただ勝ち目のない戦いで、奇跡は起こりえない。
一方的で不釣り合い。戦いにさえ成就せぬ無駄な行動でしかない。よって、未来に可能性の分岐はなく、普遍。
当たり前と呼ばれる結末に収束を認める――
「ッ!? そ、それは!?」
そのはずだった。甘美な世界は道理を翻す。
火花が弾けると同時にフィナセスは息を呑む。
攻勢どころか反転。あまりの反撃を辛うじて剣で受け、後退を余儀なくされてしまう。
後ろで見ているテレノアとザナリアでさえ信じ難い光景だった。
あり得ないことを目前に眼を零れんばかりに剥きだす。
「まさかミナトさん!? はじめからずっと!?」
「まったく呆れますわね……! そんな秘策を誰が予想できるものですか……!」
軽蔑、侮辱、悲哀、同情。
そしてそれらすべてが敬意と呼ばれる功績へ転じていた。
相対するフィナセスでさえ驚きを含んだ笑みを鋭角に吊り上げる。
「……。どうしようもなく最高の嘘つきね、貴方」
ここで油断なんてしていられるものか。
聖騎士の前には、すでに難敵が姿を顕現させている。
これ以降はきっと神さえ運命を辿ることが難しい。それどころか彼は世界や道理さえ騙くらかそうとしていた。
これは天の審判ではなく、奇跡に縋るものではない。人は種族へ覚悟の競い合いを強制している。
ゆえに未来のほうが手繰られていく。
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