332話 船着き場、ノアの英雄《MINATO》
「なぜ部外者である聖騎士のお嬢様がでてくるのです? しかも聞くところによれば剣聖直々に依頼をしたということになりますが……」
ひとことでいうならば、不穏だった。
剣聖との決闘に部外者が乱入する。しかもそれが剣聖本人の願いであるかのような口ぶりだった。
東は不審に眉を曇らせるが、少年はまるで気にした様子もない。
「そんなことだろうと思ってたよ」
もっとも危惧すべき事態にもかかわらず、呑気だった。
これには東でさえ「お前……」口を挟まざるを得ない。
「はじめからこうなることを知っていたのか? 決闘を成立させないことこそ裏切りだろうに?」
「だってリリティアのヤツはじめからオレと戦おうなんて考えてないしな。半年以内に上手いこと懐柔できるとでも思ってたんだろう」
少年は椅子を引いて腰を落とす。
それから「おいで」と膝を叩く。
すると龍の子は白く短な足で駆け寄る。ひょいと抱えられて彼の膝の上におさまってしまう。
「それとリリティアの行動は裏切りなんかじゃないさ。なにしろ戦って負けるか戦わず自尊心を保ったまま大陸に残留するかの選択肢を用意してくれたんだから」
幼子の頬をこねたり、髪を梳いたりと、もみくちゃだった。
だが龍の子はまるで等身大のぬいぐるみのよう。嫌がるどころか気持ちよさそうに目を細める。
「リリティアは出会ったときからずっとオレの意思と行動を尊重しつづけてくれている。だからオレもその期待に答えてあげないと恩知らずになる」
育手であり師を語る表情は、和やかだった。
悪意のひとつも感じさせない。どころか恩義と敬いに満ちている。
彼にとって剣聖は血肉を与えてくれた存在に等しい。身も技も養ってくれた親同然の立場にいるのだ。
「つまり貴方は聖剣のフィナセスを超えた先で剣聖リリティア殿を負かすといいたいのですかな?」
「聖剣を超えなければリリティアに勝てない。ならオレの答えはとっくに決まっています」
レィガリアの問いにも迷いのない澄んだ瞳だった。
年相応の幼さはある。だがその奥には揺らがぬ志が据わっていた。
しかし世の端くれていども知らぬ稚拙さは、時に過酷さを見つめていないのと同義でしかない。
だからこそレィガリアは、すぐさま理のなさを見抜く。
「そう、おっしゃるのであれば貴方は非常に傲慢です。聖剣は現大陸最強の剣士であり聖女様にお仕えする聖騎士でもあります。その実力は龍である剣聖様に届かずとも技巧では天賦の才を秘めます」
「傲慢でもいいいじゃないですか。なにも成せずのうのうと生きる怠慢よりはよほど――」
少年の伸びをする手が上がりきる前に止まった。
刹那の間にどこか緩慢な空気が歪む。それを殺気と呼ぶに値するかはわからない。
しかし剣にかけられたレィガリアの手には、意思と呼べるだけの気迫があった。
「聖剣と剣聖はともに剣へ聖を賜る者であり剣士として最上格を意味する。つまり貴方はこの私をも超えているつもりかと問わざるを得ませぬ」
瞳の銀光に修羅が宿っているかのようだった。
歴戦の勇士の裏には、ただひとこと。つけあがるな餓鬼が。彼の目は確かにそう語っている。
さすがにここで黙っているわけにもいくまい。保護者としての役割をこなす。
「はっはァ! 幼子も見ているのですから穏便にことを運びましょう! なによりここで2人が争っても不毛でしかない!」
東は意を決してレィガリアの視線を遮るように割って入った。
剣士の逆鱗に触れる。少なくとも剣を携えるレィガリアにとって譲れぬものもあろう。
腰を低く落とすと付随して鎧の小札がちゃらりと響く。しかも抜剣とともに首を落とすには十分なほど。間合いが死を語っていた。
冷え冷えとした空気にたまらず少年を引き寄せ、耳打ちする。
「レィガリア殿にとって聖剣のフィナセス殿は近しい関係のはず。もっと言葉を選ぶとかそのへん上手くやれ」
「聖都直属の騎士が月下騎士で、聖女直属の騎士が聖騎士だから同僚でもあるのか。ちょっと無粋ないいかただったな?」
少年は龍の子を抱きしめながら椅子から立ち上がった。
それから2人は「すみませんでした」まっとうに謝罪する。
するとレィガリアは剣にかけていた手を解いて姿勢を正す。
「勘違いなさらないでいただきたいのですが私は剣聖様のことを讃えているだけです。なので聖剣のほうへはゴミ以下の感情しかもちあわせておりません」
「同族どころか国を守る同僚相手なのにゴミって辛辣すぎないですか!? けっこう気さくで気立ても良い美人さんな印象でしたけど!?」
「いえ見た目に騙されてはいけません。フィナセスは剣士としてならば非常に優秀ですが逆をいえば剣のことしか頭にないのです。なので同期全員から重荷として扱われるほどの奔放者です」
魔物とやり合ったときとは異なる肝の冷えかただった。
レィガリアの行動を大人げないと一笑するのは難しい。剣に生きる強者にとって剣聖とはそれほどまでに畏怖される存在なのだ。
つまり少年はこの世界のなかでも高位の相手とやり合うということになる。
「おそらく剣聖様は弟子である貴方を全力で伏すおつもりでしょう。だからこそ見定めのためにフィナセスを前座に立たせる。そして貴方が黄泉路へ至り絶望する覚悟があるのか試しているのです」
聞けば聞くほど正気とは思えなくなってしまう。
知れば知るほど勝利は意識と同じくらい遠く感じてくる。
先ほどのレィガリアの行動だって怒ったわけじゃない。少年に正気と勝機を尋ねていただけなのだ。
ならばそろそろ本題に入らねばならない。この森に訪れた本当の意味はこの瞬間に集約している。
「それで……聖剣と剣聖相手に勝算はあるのか?」
東が問うと、空気が張り詰めた気がした。
清廉でひやりとした寒気が背筋を撫でるかのよう。
勝てばノアへ帰還、負ければ大陸世界へ在留。ブルードラグーンの船員たちの運命は彼の双肩にかかっている。
「万が一くらいはある。はじめから諦めてかかるほどバカじゃない」
東は「そうか」視線逸らして言葉を濁す。
レィガリアもとくに口を挟むつもりはないらしい。
説得ならばこの半年、どころか数秒前に行っている。
「…………」
毅然と腕を組みながら眼と口元を閉ざすのみ。
しかし少年の横顔は決意に満ちているようで、どこか儚くもあった。
もっと楽な道に転ぶこともできたはず。しかし己の意思で茨を踏むと決めたのだ。
ならば最後まで看取ってやるのが情というヤツだろう。東は彼の正面に陣どって椅子に腰掛ける。
「勝っても負けても船員たちへのフォローは俺がなんとかしてやる。最後まで看取ってやるからやりたいことをやり尽くせ」
パチンと鳴らしてから少年の眼前を指し示す。
男の覚悟にケチをつけるほど無粋ではない。
だが、勇気ある言葉なんてしょせんは仮初めだ。空元気を与えるようなもの。
それでも迷い悩む若人の背中くらいは押してやれる。
「力を思う存分見せつけてこい――人間代表」
東は勇壮な笑みを作った。
すると少年は一瞬眼を皿のように見開く。
それからふふ、と鼻を鳴らして目端にシワを集める。
「すまん任せる。死に水をとる役目は任せた」
「はっはァ。誇りを穢さず尊重することを武士の情けと呼ぶくらいだからな。剣などという馬鹿げたで戦に挑むお前にもってこいの言葉だ」
わざわざ会いにきて良かった、と。脳裏に過った。
迷い、悩み、描く。勇敢な少年の置かれた状況をようやく、理解した。
おそらく負ければ英雄は人の子に戻らざるを得ない。濃い辛酸の味を一生噛み締めながら望まぬ未来を歩くことになる。
「こちらこそ、すまなかったな」
「それはなにに対しての謝罪だい?」
「大人が負うべき重責をお前1人に背負わせてしまった。本来であれば舵をとるべきは俺だっただろうに」
こちらとしてもやれることは全力でやってきた。
ブルードラグーンの修繕はもう間もなく完了する。船員たちもそのころには全員が目標であるオール第2世代を達成させるだろう。
しかし彼だけは孤独だった。こんな危険な森のなか、ただ1人、仲間の顔も見られず孤軍奮闘する。
しかももっとも難度の高い課題を課せられていた。常人であれば夜な夜な精神を摩耗させていてもおかしい話ではない。
東は成長した少年を見て改めて踵を揃える。そして心のなかに巣くう闇をいまようやく理解する。
「俺はお前に責任を押しつけたまま放置してしまった。船員全員の監督をすべきはずなのに1人だけを例外とし甘んじた。これからは俺のことを船長失格と罵ってくれてかまわない」
彼を1人と認めた上で大人の謝罪だった。
もはや恥も外聞もない。後悔だけが胸中をじくじく痛ませる。
もっと見てやるべきだった。励ましてやるべきだった。支えてやるべきだった。いくら反芻しても刻んだ秒針は戻らない。
「俺は心のなかでお前を信じ切れていなかった。きっと途中で挫折しこの世界に残留するのだと決めつけていた。それでもブルードラグーンを修繕し若人たちを導いたのは……言い訳が作りたかったんだろうな」
「……言い訳? らしくないことをいうじゃないか?」
「ノアを見捨てる言い訳だ。俺たちは努力した、それでも無理だったからあとは平穏に暮らそう。そうやって俺という人間は己にとって都合の良い諦めどころを求めてしまった」
もう1度「すまん」深く謝罪の言葉を床板に吐露した。
純粋無垢な若人と違い諦めきっていたのは、おそらく1人だけ。
使命を全うしながらも心はどこか浮ついて、飄々と遊び歩いていた。たゆまぬ努力を重ねる少年を視界の外に考えていた。
知識と経験を重ねて小狡くなっていた。そして少なからずひたむきで曲がらぬ小さな光に嫉妬をしていた。
だがようやく正気に戻ることができる。己が目指す英雄の器ではないことをはっきりと理解する。
「決闘で敗北しても俺の首で可能な限りお前の自由を保護する。俺を許せとはいわんが、それくらいはさせてほしい」
拳のひとつでも、と。祈るのもまた甘えか。
しばし奇妙な間が開く。鳥のさえずりと調理の音のみが屋内に木霊した。
そしてこの静寂の時を動かすのもまた少年の「はぁ?」という、とぼけ声だった。
「このていど別にどうってことないさ」
「……どうってことない!? こんな追い詰められた状態でどうってことない!? そんなわけがないだろう!?」
「あの明日死ぬかもしれない死の星での生活に比べたら天国すぎてむしろ快適なくらいだよ」
打たれるような衝撃が全身を巡った。
意図せず笑みがこぼれて、口角が痙攣する。
東は彼を見つめながら動けなくなっていた。
うちで鼓動が怒濤の早さで広がる。胸いっぱいの想いがあふれそうなほど広がっていく。
予想外。想定以上。常識の外。狂ってるといわれてもオカシクはない。
――コイツ……! もし呪いを破って開花したらどこまで化けるか……!
だが東にとってそれが良かった。
それこそが少年にとっての常識であり世界の理なのだ。
「せっかくこんな場所まできたんだし飯食ったらちょっとした頼みを聞いてくれ」
変わらない。
身長は少し伸びたか。胴もしっかりしているし腕周りなんて大人顔負け。
それでもなにも変わらない。あの見上げた天を背負い理想を掲げた1本の矢が、この世界にいる。
「決闘までにブルードラグーンにある全種類のサイエンスウェポンを調達してきてほしい」
子龍を抱いた少年の名は、ミナト・ティール。
盾の五芒が、1つ。マテリアルリーダー。
またの名を、人類を救った、ノアの英雄。
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