327話 夢のつづき《My Hero,Your Hero》
「無理をいって申し訳ない唐突にこんな場所を案内してくれなんてさぞ驚かれたことでしょう」
「驚くもなにも予知していたことですのでお気になさらず。なによりここはエーテル領土のなかでも随一の難所です」
鬱蒼と茂る森の獣道に2つの影があった。
どちらも若くはない。しかし老いているというには瞳に灯る情熱の色合いが濃い。
「もし土地勘のない者が単身足を踏み入れれば延々と彷徨うことになってしまう。逆に頼っていただけて私としても安心しました」
軽装甲に羽織り布。その肩から垂れた幕には清き月が描かれている。
背には長身鉄塊を1本と、腰には幅広を。あらゆる有事に対処する準備が整っていた。
風格のある騎士の男は、肩で風を切るように森を掻き分けていく。
「ここは魔物の質がもっとも苛烈です。もし違和感を覚えたらすぐに戦闘態勢をとって御身をお守りください」
「はっはァ。私がレィガリア殿にお頼みしたかったのは道案内です。もし戦闘になるのであれば科学の槍をご披露いたしましょう」
東は緊張感のない薄ら笑みを浮かべていた。
白羽織の懐から手頃な銃をとりだして構える。
「それが貴方の武器なのですか? ずいぶんと……こぢんまりとしてとても頼れるようには見えませぬが……」
レィガリアは周囲警戒をしながらも、眉根に深くシワを寄せた。
当然こちらの世界の彼が知る由もない。
東は手慣れた指捌きで銃をくるくる、と回して見せる。
「これは容易な殺しと説得の道具ですよ。知らぬ者の命を奪い知る者を怯えさせるという人類にとって偉大で平和的な大発明です」
「フム。ならばその平和的な道具がこちらの世界で作られぬことを祈るのみですな」
月下騎士レィガリア・アル・ティールは、横目にしていた視線を前へと戻す。
興味を失ったというより説明を聞いて良くないものだと判断したのだろう。
それを見た東は「同感です」懐に平和的な皮肉を仕舞い戻す。
実際戦闘になれば銃ほど容易なものはない。獣であれ魔物であれ本能で生きる生物には鉛玉が良く効く。
深い森へと立ち入っておよそ3時間は経ったか。その間魔物の襲来は――幸運なことに――なかった。
レィガリアの携える剣は優しい部類だろう。なにしろ銃口を前に命を語りようがないのだから。
「それにしてもこの森はおどろおどろしい。入ったときにも感じたひやりとする感覚が神経にまで沁みてくるかのようです」
「この誘いの森こそ魑魅魍魎の根源ですからな。毎年多くのよからぬ魔が生まれ挑んだ冒険者たちは還らぬ姿で発見されるのです」
1歩1歩と刻む足が鉛のように重かった。
まるでぬかるむ草葉が革の靴底を掴んで離さないかの如く。
景色は変わらず木々と緑ばかりがつづく。しかし湿気とは異なる別の生ぬるさが肌をじわりと撫でていく。
――さながら正気を奪う狂宴の森だ。とても生命の住まえる地ではない。
しかしこのおぞましき森に半年間ヤツはいるのだ。
悪鬼羅刹住まう過酷な環境で、戦い勝つための牙を研ぐ。
懸念はあった。だがチームシグルドリーヴァの全員が信じると決めた。
楽に生きる方法もあった。少しでも長く平穏を得てまっとうに死ぬことだってできただろう。
なのにヤツはそれを選ぶどころか見向きもしない。それが己の進むべき道であるとはじめから定めている。
だから東も彼を信じられた。若人たちに明日を与える大人の役目を捨て、夢見る少年の夢を選んだ。
「はっはァ。まったくバカなことをしたものだ」
やってしまったものだ。東は薄ら笑みを噛み締めた。
己を嘲笑う。結局のところすべてを選択したのはこの身ではないのだから。
「ずいぶんと楽しそうですがどうかされましたか?」
「いえ、後悔は先立たぬと思い知っただけです。そしてそれを人は希望とごまかすのだとも」
レィガリアはしばしニヤけ面の東を眺めていた。
それから得心がいったとばかりに首を縦に揺らす。
「気を悪くせず聞いていただきたいのですが、おそらく剣聖様との決闘はまっとうな勝負にならぬでしょう」
「ほう。やはりうちの小僧ではいくら努力しようとも相手にすらなりませんか」
「私でさえ傷ひとつつけることさえ叶わぬ御方なのです。生まれもった天賦の才と能に技が加わることによってはじめて剣に聖が宿る」
鎮めた声色には若干の口惜しさが感じられた。
レィガリアからの回答は、肯定とも否定ともとれぬ曖昧でしかない。
しかしそれははじめから悟っているのと同じこと。この数100とあった日々のなかで幾度と説かれている。
「私は幾度も貴方様へ決闘から手を引きこの大陸に根を下ろすことを進めました。しかし貴方様はどこ吹く風と聞き逃しつづけている」
人の子が剣聖に勝利するのは間違いなく不可能だ。
運や実力でどうにかなる相手ではない。だからもう諦めさせたほうが彼のためだ。
そう、彼が繰り返すのは決して人という種を見くびっているわけではない。
ではなぜそれほどまでに辛辣な言葉を浴びせかけるのか。それは、それが最善だから。
レィガリアは腰の剣で隔たりとなる雑草を払うように、散らす。
「あの少年のことを心底信じておられるのですな」
ギラギラと光を帯びる鱗鎧の懐から紙をとりだした。
折られた厚紙を剣身に沿ってあてがい汁をおおまかに拭い去る。
撫でられた茂みのなかからは、どす黒い液体が漏れでていた。頭を失った子鬼の貧相な体がごとりと倒れ伏す。
東は、差し伸べられた手をとって血を踏み死骸を大きく跨ぐ。
「信じるというのは些か違うのかもしれません」
子鬼の身体はいまなお痙攣しつづけていた。
悲鳴さえ上げることなく散る。しかしもしこちらがやらねばあちらはこちらの命を狙っていた。因果応報といいうやつだろう。
東は、振り返って茂みのなかへと手を合わせる。
「あの少年は幼きころから見ていた夢の続きなのです。歳を重ね日々が褪せてしまった老獪のつまらない憧れ、栄光とでも呼びましょうか」
「夢の、つづき……ですか。わからない話でもないというのが難儀なところです」
東が歩き始めるとレィガリアも身を翻す。
周囲警戒に一切の余念がない。まるで本能で守護が身についているかのよう。
1流の案内役。姫や王を支える最高位の騎士なのだからこれほど信頼に足る相手もいない。
常に3歩先をサバトンで踏みしめる。護衛対象の気配を読みつづけていた。
だが、不意にレィガリアの鎧の音が止まる。
「ですが少々酷な知らせがございます」
東も吊られて足を止めた。
森に吹き抜ける葉すれとともに広い背へ描かれたマントがはためく。
「はっはァ。酷な知らせとはずいぶんと物々しい形容ですな。これ以上我々の置かれる状況が悪くなるとは思えませんが」
「…………」
回答は無言だった。
レィガリアは振り返ることもなければ進もうともしない。
ただ剣さえもたぬ手甲が固く握り結ばれている。
「剣聖様自身は決闘そのものを望んでおりませぬ。なぜならば勝敗の結果はどう足掻こうとも明白なのですから」
彼の忠義に習った慎ましい声に口惜しさが滲む。
東はレィガリアの背を見つめながら目を細めて表情を引き締めた。
彼は酷な知らせと口にしている。現状わかりきっていることをわざわざあらためるとは思えない。
東はしばし無言で思考を巡らせてから「……フム」唸る。
「つまり決闘そのもののルールにとり決められたモノとは異なるなんらかの改ざんが行われると?」
「ご明察です」と。そう、レィガリアが口にした直後だった。
唐突だった。まるで森中が震撼するような。大規模の異分子が森中の大気そのものを変貌させる。
「 V R O O O O O O O O O O O O O O O O O O ! ! ! ! 」
(区切りなし)
 




