325話 白き蠱惑《White Queen》
謁見の間には粛然でいて厳かな空気が冷ややかに張り詰めていた。
純金の鷹が両翼を広げ、銀燭台の炎を瞳に宿す。飾られた宗教画には天を衝く大樹の上に楽園が広がることを示唆する。
聖都エーデレフェウスに建てられた聖城には本日も数多くの修道者たちが集っていた。
城となれば防衛の要であるのだが、ここは少しだけ意味が異なる。聖城は創造主の膝元と謳われ宗教の中央地だった。
だからこそ修道者たちは聖域を求め、集い、祈り、結ぶ。
祈られる先には必ず象牙の槍が掲げられている。創造主を模した大理石の男の隣には、選定と審判、ふたりの天使が付き従う。
ここはエーテル国でもっとも位高き者が訪問者へ意と言を伝える場。1国の代表である王が威光を示す場ともいえる。
「テレノア様ザナリア様ともに玉座へのご就任心からのお喜び申し上げます」
そこへまたひとりの来訪者があった。
彼女はゆったりとした所作で深い森色ドレスの裾を摘まんだ。
小さな動作でさえ育ちの良さが滲む。花に見立てた愛らしいアクセサリーも彼女を飾る小物にすぎない。
「此度聖都にて行われた絢爛豪華な戴冠式こそが王たる第一の使命です。晴れやかな王を奉った臣下たちはきっと貴方様たちへの忠義を固めることでしょう」
紡がれる言のひとつとして隙などなかった。
抑揚の深い完璧な肉体美。佇まいから所作の1つ1つが完成さている。
さながら森の妖精。気品へ手足を生やして笹葉耳を生やしたかのよう。
そんな煌びやかな装いをしたエルフの見つめる先には、王が座す。謁見間の最上段には2つの雄々しき玉座が鎮座している。
「エルフ国女王である貴方様に遠路はるばるご足労いただけましたこと感激の至りです」
「どうぞ今宵はごゆるりと聖城にて御羽根をお休めくださいまし、リアーゼ・フェデナール・アンダーウッド様」
2つの玉座には静謐と陽が同居していた。
国を背負う最高権力者同士の語らいとなれば容易ではない。自然と表情が強ばり身がすくむというもの。
だが、双王のひとり。テレノア・フォアウト・ティールはまるで友と語らうときのように頬を緩める。
「まさかリアーゼ様とこのような形でお話することになるとは思いもよりませんでした。もしよろしければこのあと客間のほうでまたお茶でもご一緒いたしませんか」
敵を作らず屈託のない少女の笑みだった。
柔和な頬の横でシルクグローブの手をぽん、と打つ。
だがリアーゼからの返答より先に鋭い眼差しがテレノアを射貫く。
「長旅を終えてお疲れのところになにをおっしゃいますか。もう貴方様は聖女ではなく立派な王だということをお忘れにならないでください」
陽気な王に対し、こちらは冷然と、覇気を乱さない。
もういっぽうの玉座からザナリア・フォアウト・ティールが静かに諭した。
するとテレノアは子供のように両頬をぷっくりと膨らましながら睨み返す。
「私とリアーゼ様は昔からお付き合いがありますし、なんならお友だちです! たとえ王となったとはいえ一緒にお茶くらいなら――」
「その考えかたが常日頃から甘いといっているのです! もっと王としての立ち振る舞いを心がけてください!」
「そうはいってもザナリアだって毎朝剣を握っておられるじゃないですかぁ! 剣士としての振るまいのほうが奥分勝っているように見えますよぉ!」
「あ、あれは身体がなまらないように心がけている鍛錬ですわ! たとえ王であっても前線で戦うこともあるでしょう!」
若干、収集がつきにくい状態になりつつあった。
どちらからか玉座を立ち上がってヒートアップしていってしまう。
「日頃というのであればザナリアだって鎧を着つづけるのはどうかと思います! 王が物々しい装いで街を歩けば何事かと民に心配を与えてしまいます!」
「有事のさいに鎧と剣がなければ民をお守りできません! 文句をつけるのであればテレノアだってもう少し剣を握る癖をつけたほうがいいのではなくって!」
やいの、やいの。これでは謁見どころではない。
すでに互いの目には互いしか映っておらず。よりにもよってエルフ国女王が蚊帳の外だった。
ふたりともなりたての女王だった。逆をいえば慣れてすらいない。
とはいえ聖女と教祖の娘。高貴の出自であるからこそ所作に抜かりなし。
たまにこうして王としての振る舞いを忘れなければの話だが。
「おふたりは王となられた後にもとても仲がおよろしいのですね。王となられた経緯が経緯だったので非常に安心しました」
歌うかのように品のある笑い声が喧噪に響いた。
リアーゼはたまらずといった具合に細白い喉で愉快を奏でる。
「長旅とはいえエルフ国はお隣さんです。それほど疲弊しておりませんのでテレノア様のお誘い喜んでお受けいたします」
「やった!」雲のように癖の毛先がぴょんと跳ねた。
「それにもしよろしければザナリア様もご一緒に如何でしょう?」
この誘いは寝耳に水も良いところ。
テレノアを叱ろうと睨んでいたザナリアは、はっ、と目を見開く。
「ルスラウス教元教祖であるお父様ともご見識がありましたので、そのご息女である貴方様とも言葉を交わしてみたいですわ」
「あ……その、いま父は……」
教祖ではない。紡ぐ口が僅かに歪む。
聖誕祭での一件以降ハイシュフェルデン教は、最高権威を手放している。
時の軍勢に身を乗っとられたことによるいまは敬虔ないち信徒として歩み直していた。
「ハイシュフェルデン教はいずれ神の膝元へと帰ってこられるはずです」
「っ!」
真っ直ぐと曇りのない新緑色の眼差しだった。
ザナリアはリアーゼの言葉に息を呑み、静止する。
「彼は世界でもっとも神を敬愛する御方であるということは神がもっとも存じているはず。であれば彼は必ず貴方様が言葉を濁さず誇れる場所に帰ってくる」
「違いますか?」花弁が開くかのように暖かな微笑だった。
ザナリアは一瞬視線を逸らし唇を震わせる。
だが、すぐに顔を上げる。己の父を己以上に案じる彼女に「はい!」真摯な返答で応じた。
女王としての格の違いだった。あれだけ肩肘張っていたふたりもすっかり力が抜けている。
「なんだかリアーゼ様に王としての品格をご享受願いたい気分ですねぇ」
「ハァ……それは正直なところ私も同意です。叶うのであれば王の貫禄というものを是非1から学びたいくらいです」
これにはたまらない。王としての貫禄どころか女としての品まで叶わない。
両者とも息を整え己を恥じる。
改めて落ち着いてから玉座に座り直すのだった。
白き女王リアーゼといえば周囲諸国からの評判は随一といえる。
ときに敬われ、ときに恐れられる。有能さと狡猾さを併せもちながら信頼も厚い。絵に描いたかの如き才色兼備として知れ渡っていた。
なにより多くの者を魅了するのは彼女の生まれもつ白く珍しい髪色だった。
しなやかで、澄んでいて、煌びやか。通常のエルフとは異なる色のない純白こそが彼女のあらゆる才を象徴している。
「ときにおふたりに伺いたいのですが……ワタクシの領地に関するお噂はご存じでしょうか?」
指滑らせ爪弾くような音色だった。
テレノアとザナリアは互いを見合って首を傾ける。
「エルフ国のお噂、ですって?」
「私もあまり多くのことは聞き及んでおりませんわ?」
いまいち要点を得なかった。
国を挙げて祭事に耽っていたということもあってか、外の情報まで手が回っていない。
それにリアーゼの口にした噂というのがまた不可思議だった。
「国境を跨いで響いてくるほどの大事ならば私たちの耳に届いているはずですよねぇ?」
「さすがに噂ていどの小言となると少々……」
なぜだか怒られる直前のような空気感が漂う。
戦ではないにしろ情報こそ世界の要。そこを怠ったとなれば王としての示しがつかぬ。
だが、リアーゼは疑問符を並べるふたりにふふ、と微笑を漏らすだけ。
「昨今辺境の地より至った吟遊の者が特別な詩を詠われるのですよ」
「それはとても素敵ですねっ! 私そういった冒険譚などが語られる詩は大好きですっ!」
「とはいえああいった詩は尾ひれがつくものです。あくまで娯楽ていどであって国が動くような大事にはなりませんけどね」
ザナリアは、はしゃぐテレノアと違って、どこか冷めていた。
吟遊とは詩歌を作りながら日銭を得る。その語られる詩に信憑性なんて欠片もない。
ときおり真実が混ざるためあんなものとコケにしていいわけではない。しかしイマドキ手放しで信用するのは幼子くらいなもの。
「それでリアーゼ様のお聴きになった詩というのはどういったものなのです?」
「地を穿ち多くの木々を石と変え命すらをも喰らう化け物。小さな村より這いでては国を崩す大食らいの化け物。青き龍の背に乗った蒼き槍が打ち貫かん」
2小節目あたりからザナリアは背を伸ばしていた。
聞き覚えがあるなんてものではない。
内心焦る彼女を嘲笑うかの如く魔性の孤が描かれる。
「その反応からお察しするに、やはりこのお話は彼の人種族が成したということですのね。そして貴方がたは我が国の沽券に関わるとある1件に深く関与していたということ」
思わずヒヤリ、と。頬が冷たい汗に濡れた。
十中八九。彼女の話は現実のもの。吟遊どころか真実でしかない。
その詩は、聖杯へと焼べられた怪魚のことを示している。
「ど、どどど、どうしましょう……!? こ、これって国際問題的なことになっちゃいます……!?」
「し、知りませんわよそんなこと……!? 双王がおめおめ揃ってエルフ国の領地に踏み入っていたなんて前代未聞ですわ……!?」
まさに、いてもたってもいられない。
テレノアとザナリアは慌てふためいて玉座越しに声を潜めた。
いまのいままで黙っていたというわけではないのだ。玉座争奪戦以降もごたごたと慌ただしかった。だからちょっと報告が遅れてしまっていたというだけのこと。
だからといってそうは問屋が卸さない。こうしてリアーゼが直々に問いただしにきた時点で大事である。
「ですが当時の私たちはただの聖女と騎士という身分でしたのよ……! 双王という現在のような形式になるなんて誰が予想するのです……!」
「じゃあ、じゃあぜんぶミナトさんのせいにしてしまいましょう……! 私たちはミナトさんを護るためについていったお付きという形が相応しいはずです……!」
「っ、苦肉ですが得策ですわね……!」
双王の心がいま1つになった瞬間だった。
(区切りなし)




