322話 君の望んだ世界《Desired World》
無限を知り有限であると気づく。
限られた月日は幾星霜の如し。百の夜を抜けてなお月は欠けずにいた。
蒼き龍がここルスラウス大陸世界に墜落してすでに5ヶ月が過ぎている。
青草の萌える草原には大勢のドワーフなどの種族が群れなしていた。罵声の如き怒号が響き渡らせブルードラグーンの修繕に励む。
大陸種族たちの奮闘と支援、そして努力と研鑽の賜物だった。人の叡智と大陸種族の技どちらが欠けても成せぬ偉業。
このままいけば予定より早く主翼部分に代わりの上等な翼が設えられるだろう。
「…………」
「…………」
「…………」
焦燥するほどに長く、瞬くが如き日々。
少し背が伸びた者もいる。華奢だった体躯が引き締まって大人びている。
操舵室に集ったメンバーたちの表情には、覚悟という意思が座っていた。
そして時数分ほどを経てようやく。廊下側から繋がる扉が横にスライドして、入ってくる。
「やあやあやあ未来ある若人諸君! 本日も有意義な朝会と洒落こむとしようじゃないか!」
白尾の裾を引いて軽々な色男が姿を現す。
年甲斐のない足どりを踏む。唄うような音色もまた子供のよう。
30はとうに過ぎているだろう。男は並ぶ若人たちを前にわざとらしい大仰な素振りで礼をした。
しかし頭を上げると同時に男は、ダークブラウンの眼を細める。
「フゥム……どうやら華も実もない空気のようだな」
東光輝は船内を見渡すと指を鳴らす。
この船内で気楽に浮かれているのは、彼だけだった。
集った総勢20余名の若人たちは一心を背負うかのよう。真顔まま佇み、眉ひとつ動かそうとしない。
その不穏な空気をとりまとめるように1人、歩みでる。
「この世界がそう長くないことを知っていたんだな?」
感情を閉じこめるみたいに短く、冷たい声だった。
ジュン・ギンガーは、眼を尖らせながら返答を待っている。
回答を託されたのはいうまでもない。東は、少年少女らの視線を一手に担う。
「さあなんのことか……おお! そういえば午後からエーテル族の乙女と聖都でお茶をする約束をしていたな!」
「…………」
「エルフ、ドワーフ、ピクシーなど種族違えども俺は女性との約束を反故にしないと生涯決めている! おかげで大切なコトを思いだせた!」
滑りよく回る、饒舌。
無駄に動く一挙手一投足までもが、欺瞞。
高位船員服である白羽織が波を打つたび、演技臭くて鼻がとれてしまいそう。
言葉で答えを訊かずとも断言できる。東は、知り得ている。
本来であれば大陸世界残留という手はずが整っていた。運命の死闘で敗北したさいにこの世界で平穏を送るはずだった。
しかしひねくれた世界は、ひねくれたまま正位置をとりつづける。あの救いなき宙間移民船を見捨ててすら安寧という収束を迎えられぬ。
「…………。なにかいうことはないのか?」
ぴたり、と。高笑いが止まった。
期待、否。裏切りを知られてなお無風。
丁々発止不可避。癇癪のひとつでも湧いて当然だった。
不動の若人たちを見つめる眼差しは意外とばかりに開き、瞬く。
「いつ、滅ぶの?」
静寂に口火を切ったのも、静寂。
リーリコ・ウェルズは吐息の如き問いを東へ投じる。
受けた東はしばし眉根を寄せてから彼女と向かい合う。
「レィガリア殿曰く、1年後か10年後か、または100年後か。とりあえず確実にここルスラウス世界は滅ぶのだとか」
「理由は?」
「いま現在大陸世界の根幹をなす天界が時の軍勢という別派閥から襲撃を受けて魂を減らしているらしい」
戸口を1度開けてしまえば怒濤の如し。
東は、飄々と一切の余念を残すことない。
ピンポン球でも打ち返すようにつらつら問いに答え始める。
「魂? ちょっと話の意味が良くがわからない?」
「天界の兵も大陸の種族も一部、つまり与えられた神の粒だ。そして時の軍勢は現世界統治権利をもつ創造主の魂を掻き集めながら戦力を増大し、進行をつづけている」
そこまで詰めてリーリコは、はふ、と唇をすぼめた。
肌浮かすスーツのなだらかな曲線が優雅な波を打つ。
「その創造主とやらは確実に負けるの?」
「実態は俺も良く知らん。だがレィガリア殿は我々に安息を得て欲しいがため真実を閉ざしている」
「真実が閉ざされている時点で結論がでているじゃない」
冷え冷えとした船内に、ぱちん。
堂々な「そういうことだ!」脳天気な音が弾けた。
指を突きつけられたリーリコは、たまらず舌をだして呆れ果てる。
「ところで……お前ら隠されていたことになんの感情も湧かないほど脳が入っていないのか?」
衝撃の事実といって過言ではない。
なにせこれから世界が滅ぶ、とまで言わしめているのだ。
なのに若人たちは問うばかり。拳のひとつも飛び交いはしない。
ひた隠しにしていた東だからこそ、この状況は身震いしそうなくらいには、気持ちが悪いだろう。
なかでも感情的になりやすいジュンでさえ対話という形をとりつづける。
「おおよそたったの5ヶ月ぽっちだ。にもかかわらず第2世代能力に開花していないのは残すところ3人ぽっちだ」
「うむ。話には聞いているが正直なところ成果としては僥倖の意気だな。このチームシグルドリーヴァは天才の集団なのかと認識が改まってしまうほどに」
東のいう僥倖とは、決して謀るものではなかった。
むしろ歴史的快挙といえるような異常でしかない。おそらく人類史もっとも加速度的な快挙だった。
大陸世界墜落してからおよそ5ヶ月。月日としては水が湯に替わるほど長い時ではないはず。
なのにブルードラグーン船員メンバーは、ほぼ第2世代能力開花済みとなっている。
「まるで夢矢の次世代化に引き寄せられるようにみんな第2世代に移り変わった。そして残る3人も間もなく第2世代能力の敷居を跨ごうとしている」
リーリコは己の開いた手に視線を落とす。
なかでも彼女の次世代化は凄まじく速かった。
「まさか私の得意とするものが隠密に繋がる《心経》ではないなんて思いもよらなかった」
彼女に与えられた第2世代能力は、《則動》。
無機物への透視とでもいおうか。はたまた無機物に己の感覚を同調させる能力。
これは触れた人体の異常を検知する《調乖》と似て非なるもの。さらにいえば影の王たる彼女にとって遠縁の能力に等しい。
だが開花した能力は映し鏡のようなものだった。リーリコは能力開花以降ブルードラグーンの修繕に尽力し、まっとうしている。
「僕が思うに第2世代能力のはじまりは自分の得意に気づけるかどうかなんだよ」
気づきを得られたのはたった1人の新しい発想だった。
その最たる元凶となったの者こそ虎龍院夢矢だった。
ただひとこと。その虫も殺さんばかりの笑顔で彼は、こう口にした。
もっと自由の解釈を広げて色々やってみようよ、と。
その日から船員のメンバーたちは新たに進むべき道を模索しはじめる。己の知り得ない未知に踏みこむため努力しつづけた。
そしてついに宙間移民船世界では気づけなかった極地へと辿り着く。第1世代から第2世代へ移行する術を身につける。
「おそらく夢矢が気づかせてくれなかったら私はずっと憧れに囚われていたはず。そのせいで影としての才覚に焦がれ眼を反らせられなかっただなんて……」
リーリコは蒼をまとわせた手を握りしめた。
得た力を尊ぶよう拳をそっと胸に抱き留め、瞳を閉ざす。
望むモノと得意なモノは異なるという決定的な例だった。
影に潜むことを生業とする彼女の場合ならとくに願いのほうが先行し強情になってしまう。
「リーリコちゃんは心のどこかで心経という特異な能力に憧れを抱いていたんだね」
夢矢が朗らかな笑みを傾けた。
するとリーリコは閉ざしていた世界をゆっくりと開く。
「それは、そう。王の影として務めるのであれば心経こそが最適。もっとも必要とされる力……」
「だけどリーリコちゃんの自身がもっとも得意だったのは意思とは別のところにあった。無機物に意思を介入させる調乖こそが無意識下でもっとも優れた感覚だったんだ」
夢矢は佇むリーリコの華奢な肩に手を触れた。
リーリコは嫌がる素振りもなく、彼の手に手を重ねる。
「ありがとう夢矢くんこれで私もみんなと一緒に戦える」
あまり表情を変えない少女の頬がほころぶ。
夢矢は僅かに驚いたように見開くも、すぐに微笑みを返す。
「僕はそんなにたいしたコトはしていないよっ。第2世代に移行出来たのはきっとリーリコちゃんの努力が実ったんだよっ」
「ううんこれは人類規模で進化を促す大きな発見。私たちが必ずノアに帰らなければならない理由が増えた」
夢矢は頬に桜色を浮かべたじろぐ。
そんな初心をリーリコはぐいぐい壁際に追い詰めてしまう。
「そ、そんな!? ちょっと距離が近くないかなぁ!?」
「ふーふふふ。心からの感謝を伝えるにはこれが適正距離」
壁にぶつかるころ中性的な小鳥は魔性の餌食となるのだった。
第2世代への移行条件は規正の枠に囚われないこと。個の執着という常識を逸脱しすることこそが進化の種火だった。
すでに船員のほぼ全員が己の枠から踏みだしている。つまりもうしばらくとしないうちに契約条件が整うということに他ならない。
「東そろそろ年貢の納め時だぜ」
船員たちは少年少女から戦士になりつつあった。
顔つきだって成端で、眼差しにも迷いはない。
たったの5ヶ月の間で未熟な蛹は蝶となって飛び立とうとしている。
誰が、ではない。必死の努力もあったが、そうではない。そんなモノは決まっているのだ。
「俺たちが第2世代へ移行する方法を見つける。そしてなおかつ全員が次世代へ移れることを知ってやがったな」
ジュンは腕を組んで堂々と言い放つ。
淀みのない威風堂々とした佇まいで決め手にかかった。
しばし間を開けて船内にくつくつと控えた音が奏でられる。
「ク……ククッ……ククク……」
手が羽織のポケットに詰められていた。
千鳥足のようにふらつきながら声を押し殺す。伏した表情は前髪の影に隠れている。
そしてバッ、と。東は前髪をかき上げて若人たちと対面した。
「ハァーハッハッハァ!! 俺がそんなこと知るわけないだろバカかお前らは!!」
大砲の如き一笑だった。
船員たちは彼を除いて呆然と眼を皿のようにする。
しかし東は身体をくの字に曲げながら腹を抱えて涙を浮かべていた。
ただ1人の爆笑が渦巻くなか、たまらずジュンが前に踏みだす。
「だったらなんで全員第2世代を帰還の条件に提示したんだよ!? 出来ると信じていたからじゃねぇのかよ!?」
「ああ確かに夢矢の唐突な覚醒に可能性は感じていた! が、まさか本当にやり遂げるとは思いもよらなかったぞ!」
ジュンでさえ予想だにしない答えだったのだろう。
「お、思いもよらなかったって……お前……」
それだけに東の高笑いに気圧され、言葉を詰まらせた。
ひとしきり笑い終えた東は、ぴしゃりと横頬を打つ。
「ふぅ……危うく腹がよじれかけた。あまり大人をからかっていいものじゃない」
眼に滲んだ涙を指で拭いとった。
しかしまだ笑みの余韻が消えていない。
にまにまとした大人の意地汚い薄ら笑みが張りつけてある。
「俺は可能性を見いだしお前たち若者という大穴に賭けてみただけだ。そしてお前たちは一心にその命題をやり遂げてくれた」
先の破顔一笑からして言葉を疑う余地はなかった。
なにより取り繕うならまだしも逆の嘘をつく理由がない。
「無責任な話ではあるが第2世代という条件をはじめから無理難題とわかっていて押しつけただけにすぎん」
カツリ、カツリ。拍車のついた革のソールが当てもなく彷徨う。
若人たちの追う視線の先には広い背と祈り女神が描かれている。
チームシグルドリーヴァ。即席であるが一蓮托生を誓う1本の旗本でもあった。
東は、振り返りざまににやり、と。片側の口角を引き上げる。
「奇跡に縋るような希薄の可能性ではあった。しかしお前たちは見事俺の期待以上の奇跡を起こしてみせた」
ぱちん、と。指鳴らし。
まるでそれは幕を開ける区切りであるかのよう。
半年以内に第2世代へと至るのならば帰還。もし成せねば友や家族すべてを置いて大陸世界に滞留。
期限つきで深刻な2択を迫るという。ひとことでいうならば、荒療治でしかない。
だが若人たちは己の意思で見事東の試練に打ち勝とうとしている。
いつしか淀みを口にするモノはいない。帰還という目標を目指して一致団結し、立ち向かう。
「最後まで励み、費やし、挑みつづけろ! 起きてみる夢もたぬモノに純粋な魂は宿らないと知れ!」
いままでののらりくらりとは、違う。
それはきっとチームをとり仕切るリーダーとしての鼓舞だった。
受けた若人たちは一瞬表情を和らげてから仕切り直す。全員がデジタル腕章に描かれた盾に手をかざして踵を揃える。
「残るにしろ帰るにしろお前たちの目指す先で戦いが避けられんのならば他より抜きんでて強くなれ!! 未来はやってくるものではなく己の手と意思で勝ちとるものだ!!」
信じている。おそらく彼が、誰よりも。
1つの誓いがあるからみながここまで真摯に目的へひた走れた。
友へ自慢したい、友へ誇りたい、友へ褒められたい。思惑はそれぞれあるが、全員たった1人の友を待ちつづけている。
「はっはァ。同じ空の下にいる仲間に負けぬようにいこうじゃないか」
少なくともこの異世界にいる人間は、そう。
全員が同じ望みを胸に抱いていた。
○ ○ ○ ○ ○




