317話 血の口吻《Melty Kiss》
「命ある今日という日に乾杯ッッ!!」
「創造神様のお導きに感謝と祝福と一杯の杯をっ!!」
街酒場で掲げられた大量の杯がぶつかり合う。
芳醇な麦の香りを乗せた黄金色が飛沫となって散った。
良きことを祝うのも、嫌なことを忘れるのも、酒なくしてはじまらぬ。
カウンター席には無頼の男が脇目も振らず陣を張っている。
「くぅぅ~! かったるい任務のあとっつったらやっぱこれよこれぇ!」
「ガァーハッハッハ! 肉体を失ってなお胃の腑に沁みるわいなぁ!」
がぶり、がぶり。2人は酒を水の如く飲み干した。
底も舌の根も乾けばまた酒樽のひしゃくに手を伸ばして注ぎ入れる。
酒豪の飲みっぷり。しかし彼らを責めるモノはおらず。どころか酒場いっぱいに酒と油の香りが蔓延していた。
ミナトは救世主と冒険者たちの喧噪を背負いながら極厚の肉を頬張る。
「魂なのに酒飲むのか」
生まれ故郷の兄貴分から霊とは足のないものと聞かされていた。
だが、どうやら異世界ともなればその限りではないらしい。
足もあれば、豪快に笑うし、音程を外して歌う。酒を食らいながら女にちょっかいをだしたりと、生者となにも変わらない。
ミナトは染みだす油を奥歯で噛み締めながら頬肘をつく。
「そういえばヨルナもちょくちょく買い食いしてたよな。あんな森のなかに数年いたっていうんだから別に食べる必要もないんだろ」
年齢不詳とはいえ未成年という垣根は越えず。
対して卓をともにするヨルナはといえば、葡萄酒で僅かに頬を桜色を含めていた。
「魂だけとはいえ生き残ってるわけだからね。嗜好の類いは種族にとっての本能みたいなモノさ」
串に刺したチーズを燭台でじっくりと炙る。
それを石窯でこんがりキツネ色になったバケットに乗せ、ひと思いに頬張る。
「ん~! やっぱり生きている以上食の欲求には叶わないねぇ!」
ヨルナは頬を押さえながらうっとりと目尻を垂らす。
テーブルの下で短尺から伸びる白い足がぱたぱたと振られた。
「つまり生きるためではなく楽しむ、心の癒やしってところか」
「いちおう飲食でマナの回復や温存は出来るからね。レティレシアのマナに頼らないよう食事する救世主は多いよ」
他愛もない談笑に耽りながら欠伸でもすれば日もとうに落ちている。
空に双子月が瞬くのなら大地はとうに宵の頃合い。鮮烈なる任務を終えた街はすっかり平穏をとりもどす。
街自体に被害がなかったということが大きい。冒険者たちの身体を張った活躍のおかげで復旧の手間が省けていた。
食事を終えたヨルナは、葡萄酒をくゆらせながら酒場内をぐるぅり見渡す。
「それにしても冒険者たちが酒場を貸し切って奢りとは太っ腹だよねぇ」
「人の金で呑む酒と食う肉ほど旨いものはないっていうからな」
切り分けた肉をフォークで刺す。
口に運ぼうとした直前に飲みかけのグラスがこちらへ傾けられる。
「ところで君はお酒を嗜まないのかい?」
潤んだ黒い瞳がチーズの如く溶けかけていた。
差しだされたグラスには彼女の唇の跡がくっきりと残されている。
「まだ酒の味を知るほど世のなかに飽きてない」
誘いを受ける代わりに肉を頬張った。
ヨルナは断られた酒をきゅう、と飲み干す。
「あら残念。君とお酒を酌み交わせる機会を楽しみにしてたんだけどなぁ」
ふふ、と。酔いの混ざった小癪な笑みが咲く。
ハートのヘアピンで留められた髪を揺らし華奢な肩をすくめた。
店内はレティレシアの温情ある対応によってダモクレスバブルの到来している。懐の温もった冒険者たちの懇意で一晩酒場を貸し切りとなっていた。
獅子奮迅の活躍をした救世主たちもまた――全員ではないにしろ――酒好き浮かれ好きが留まっている。
「貴方……またヘンなことに首を突っこんでますわね……」
足音が横で止まったかと思えば、聞き馴染みのある声だった。
ミナトは「ん?」ととぼけ顔で振り返る。するとそこには騎士鎧姿の女王が佇んでいるではないか。
しかもなにやら複雑そうに眉をしかめこちらをじっとりと半目で睨んでいた。
「ザナリア? ずいぶん辺鄙な街に出向いてるな?」
声の正体は双王の片割れ、ザナリア・ルオ・ティールだった。
女王だというのに相も変わらず腰に剣を履いている。
高貴なドレスもまた一興であるが彼女にはやはり荘厳な騎士鎧がよく似合う。
ヨルナは予想外の大物の登場に腰をぴょんと跳ねさせる。
「わわわっ! 唐突に女王様が現れるとか心臓に悪いよ!」
しかしミナトはとくに驚くことはない。
女王である彼女でさえ友と接するよう気さくに応じる。
「街の安否を確かめるくらい騎士団の連中にやらせればいいじゃないか。わざわざ多忙な女王様が直々っていうのはどうかと思うぞ」
「そもそも王の不在期間が長すぎて政治や街の機構そのものが停止しているのです。だからこそこうして国のトップは現状の把握に率先して務めなくてはならないのです」
聖都というよりエーテル国自体が200年近く王不在だったらしい。
つまるところ新王の片割れであるザナリアは、その負債を払わされている最中といったところか。
「ところで貴方はこんな危険な場所でなにをやっておられるのですか! 冒険者の方々から伺ったところによればまた厄介ごとに首を突っこんだようですわね!」
品のあるお嬢様口調になるのは、感情的担っている証。
ザナリアは素知らぬ顔で肉を頬張るミナトを上からキッ、とキツく睨む。
「ダモクレスガーゴイルの大発生ともなれば街ひとつが容易に滅ぶ案件です! 剣聖様との決闘を控えながらいったいなにをやっているのです!」
おもむろに卓がダァンと叩かれた。
それでようやくミナトはこれが彼女からの警告であることに気づく。
慌てて噛みかけの肉をレモン水で流しこむ。フォークを置いて姿勢を正す。
「ま、まあまあ、なんやかんや救われたんだしいいじゃないか。その後の死者もゼロだったわけだし大団円のハッピーエンドぉ……」
「そんなものは偶然の賜物ですわッ!!」
上手いこと茶化そうとしたところに天罰が下る。
ザナリアの繰りだした手甲の指がミナトのこめかみへと食いこんだ。
しかもエーテル族の腕力も並ではない。身体ひとつが軽々と持ち上がてしまう。
「いーたたたたたッ!? なんでオレにアイアンクロー!?」
「冥府の巫女様がたまたまいらっしゃらなければこの卓も、酒も、街に息づく命でさえ土のしたでしたのよッ!! それほど過酷な状況にもかかわらずなにを呑気に参戦なんてしておられるのですか!!」
暴れども、藻掻けども、外れない。
ザナリアは端正な顔を真っ赤にして憤慨する。
「だいいちここでの祝宴でさえ私の袖の下を通しているようなものなのです! 犠牲をださずに済んだ冒険者や貴方たちを労うよう計らったテレノアにだって十分感謝なさってくださいな!」
「ぎゃあああああわれるわれる!? このままだと犠牲者が1名になっちゃううう!?」
痛みのぶんだけ心配の裏返し、彼女なりの気づかい。
それだけ友が己を心配してくれている。それくらいミナトだって重々承知している。
「心配かけたのは本当に悪かったって! でもとりあえずオレも巻きこまれた側だってことを説明させてくれ!」
薄らぐ視界で精一杯の謝罪だった。
するとじょじょに手の力が緩められ、ようやく地に足がつく。
「それで修行のほうはどうなっておられるのです。まさかこれもまた強くなるための一環とおっしゃるおつもりですか」
……いてて。ミナトは顔のパーツを中央に寄せるみたいにしかめる。
解放されてなおこめかみに鈍い痛みを覚えてならない。
「今回大活躍をしたレティレシアがすべての元凶だよ。この街の近郊でとれるダモクレス鉱がどうしても欲しかったんだとさ」
「ダモクレス鉱? なにゆえ冥府の巫女様が聖石とさえ呼ばれる武器の素をお求めなのです?」
あー……。ミナトはたまらずザナリアから視線を逸した。
彼女は決闘で敗北したさいの条件が変わっているとは知らない。
しかもそのレティレシアの心変わりした状態を、ミナトでさえ理解していない。
――あまり深く憶測で話さないほうが良いな。
なんとなく、そうなんとなく。
ミナトは頭のなかで念仏のように唱えた。
しかし隣で困り眉がひく、と動く。
「でもきょうみなと、でぇと――むぐっ?」
モチ羅の口を封じるまでの動作は迷いがなく、素早かった。
この世界にくる前の軟弱さでは間に合わなかったかもしれない。
まさかデートするためにこんな危険な場所にいた、なんて。ザナリアに知られたら次こそ頭が砕かれかねぬ。
ミナトは、急ぎモチ羅の爆弾発言を塞いで防ぐ。
「なー! 今日の筋肉増強タンパク質大量食い倒れツアー楽しかったよなぁ!」
「むぐむぐ? むぐむぐ?」
「なー! ミナトさんのぶんのお肉もたんとお食べ! 大きくおなり!」
ヨルナとザナリアから同時に冷たい視線が注がれる。
「まったく……幼子相手にいったいなにをなさっておられるのですか」
「あ、あはは。とりあえず僕からはノーコメントで」
色とか、恋とか、そんなものはどうでもよいのだ。
バレたらただただ面倒くさいことになる予感がしてならぬ。
決闘に敗北したらミナトはレティレシアと婚姻する。と、いういことになっている。
嘘か冗談か、はたまた真実か。どれであってもザナリアがいい顔をしないことだけは確かだった。
と、ここで修道服風姿に戻った元凶が腰をしならせこちらに向かってくる。
「よぉ腐れゴミ虫ダーリン」
(区切りなし)
 




