304話 良く晴れた日の憂鬱2《Over Limit》
「ハァァ? 実力の伸びが急に止まって悩んでるぅ?」
シックな店内に大音量で木霊する。
こぢんまりとした喫茶店は本日も落ち着いた様相に包まれていた。
もはや常連となりつつあるミナトは気さくに呼びつける。
「おすすめの飲み物とおすすめのお茶請けお願いします」
さっ、と。手を上げるのが早いか。
呼ばれた店員が短なスカートを扇ぐようにして駆け寄ってくる。
「本日はベリィたっぷりのチーズケーキがすすめですよっ♪ 紅茶とセットなら紅茶のほうはおかわり自由となってますっ♪」
じゃあそれで。即決。是も否もない。
ここ喫茶サンクチュアリででてくる料理に外れなし。
確信しているからこそ。毎回オーダーは店員の少女にすべて丸投げだった。
「じゃあ僕もミナトくんと同じヤツで」
「かしこまりましたぁ♪」
ヨルナがメニューをパタンと閉じる。
それを見て少女は軽やかなステップでスカートを揺らめかす。
「すぐおもち致しますので少々お待ちくださいませっ♪」
艶やかな金色のロングヘアがはためいた。
シャツが弾けてしまいそうなほど胸元は張り詰めておりはだけた丸い肌が眩しい。
瞳は鮮やかなスカイブルーでどこまでも澄み渡っている。
「今日の店員さんもいいなぁ。まさに看板娘って感じがして癒やされる」
ここに通う理由も彼女の笑顔が癒やしだから。
ミナトはすっかり店員さんにハマっていた。
現を抜かしている横では、ヨルナがほんのり不満顔をしている。
「ふぅん……? キミってああいうタイプが好みなの?」
「好みっていうかオレの周囲にまともな女子がいないから相対的に見て店員さんが上位に食いこむってだけの話だよ」
幽霊女、剣聖、吸血鬼。えとせとら、えとせとら。
出会いは多くあれど、どれもどこかが尖っていた。
そのなかで比較的に話が通じてまともなのは、幽霊女くらいか。
「ヨルナだってもっと女の子らしい格好すればいいじゃないか。怪魚討伐報酬も残ってるし今度ザナリアのときみたいに見繕ってやるぞ」
「ぼ、僕はいいってばっ! 生きてるときからオシャレなんて気にしたことないんだからいまさらだしっ!」
といった感じで赤面ながらに断られてしまう。
鍛冶一筋で生きた職人がいまさら現を抜かしていられないのか。
整った顔立ち、長いまつげ、大きな瞳。磨けば確実に光る逸材なだけに少々もったいない。
店員さんを優しい瞳で見送ったミナトは、ようやくルハーヴのほうに目を向ける。
「で、なんでアンタこんな場所で女引っかけて遊んでるんだ? もし次オレの店員さんに手をだしたら闇討ちで銃殺するからな?」
「ミナトくん店員さんはみんなの店員さんだからね。あと僕が叩かれたときより本気すぎるのなんでかな」
愛らしい店員さんに手をだす輩を許すものか。
穢れなき純潔こそ彼女に相応しいと、ミナトは豪語する。ゆえに粗暴な雄が近づこうものなら暗殺すらいとわない覚悟があった。
冷徹な視線を向けられたルハーヴは、しっし、と。気だるそうに手を払う。
「別に女目当てて聖都なんぞにくるもんかよ。エーテル族くんだりがうじゃうじゃたむろってる場所に好き好んでこねぇっての」
そういって無料のライム水をひと息に飲み干す。
「ところでさっきの伸び悩んでるって話だがテメェ本気でいってやがんのか?」
「本気だから悩んでるんだよ近ごろ鍛錬をしても手応えがなくて焦ってる」
藁をも掴む思いだからこそ相談相手は選んでいられなかった。
ひと悶着あったからといってルハーヴは西方の勇者とまで讃えられる男だ。
多少遺恨はあっても――仕方のない――決断だった。
ルハーヴはグラスをひっくり返す。なかの氷を頬張ってばりぼりと噛み砕く。
「せっかくだからいまのうちにはっきりいわせてもらう。テメェじゃ一生棒に振っても剣聖の足下にさえ及ばねぇ」
「……。それは自分がオレに負けたことを加味した上でいってるんだな?」
しばし対面の席でテーブルを挟み、睨み合う。
するとルハーヴは根負けしたとばかりに「ちっ」舌を打つ。
それから行儀悪く椅子の背もたれにどっか、と。もたれかかった。
「これは俺の物差しでいってるんじゃねぇ世界の常識の話をしてんだ。たとえヒュームでもっとも技に長ける究極であっても龍には叶わねぇ」
種族格差の開きというのは、いまさらな話だった。
常識で計れぬ非常識がこの世界の常識で、覆すことは至難どころか皆無とさえ謳われるほど。
「ヨルナ、テメェは残酷なことしてるって自覚くらいあんだろうな? 見えもしなければ届きもしねぇモンをちらつかせてなにが楽しい?」
「そ、そんな! 別に僕は――……そう、なのかもしれないけど」
ルハーヴの指摘に二の句が継げず。
ヨルナは身を縮こめてしゅんと黒い頭を垂らしてしまう。
しかし彼女が責任を負うようなことがあってはならない。誰もが龍には勝てぬと口々に決めつける。それは大陸種族たちにとって当たり前というだけ。
ルハーヴはしかとミナトを見据える。
「その辺の胸くそ悪ぃことをぜんぶ噛み砕いた上でこれから俺の話すことを良く聞いとけ」
拳が軽くではない勢いでテーブルに振り落とされた。
卓上にあるグラスのなかが波立って波紋を広げる。
「テメェの蒼力は呪いに設定された下限値を僅かだが上回りつつある」
「っ。どういうことだ?」
真剣な、それも射貫くが如き眼差しだった。
唐突な聞き覚えのある単語にミナトさえ意図せず5指を震えさせるほど。
そうしてしばし経てから彼はとつとつと語り始める。
「テメェは気づいてねぇようだが戦った俺には良くわかる。テメェのうちに眠る蒼力がすでに内側から表面上へと浸透しつつあるってな」
言い終わる直前にダン、と勢いよく立ち上がった。
ヨルナは唖然と、黒い目を丸く見開いている。
「まさか、あの試合の途中でミナトくんは蒼力を発現させてたってこと!?」
「とくに試合後半の極限集中による無意識下の視力、反射能力、反応速度が尋常じゃねぇ。もしそうじゃなかったら俺も魔法なんて上等なモン使うかよ」
白熱する2人とは異なり唯一1人のみ話しについていけていない。
ミナトは漠然とした面持ちで腕組みし首を捻る。
「いちおうだけど蒼力ってフレックスのことだよな? オレはイージスの呪いを宿してるから使えないんじゃなかったのか?」
「使えないんじゃねぇ使えるほどの許容量に届いてなかったってだけだ」
投げやりな言い草にむっ、としたところで意味はない。
違和感。それはずっと脳の片隅にあったはず。
覚えがあってなお目を逸らしていた。しかし現状に立たされてようやく影の正体に行き着く。
――そういえばなんでイージスは呪いを宿していてもフレックスを使えてたんだ?
さぁ、と。ミナトは全身から血の気が引いていく感覚を覚える。
あの女性は、イージス・F・ドゥ・ティールという恩人は、使う側だった。
幼いながらに見ていた記憶と現状が合致しない。イージスは、アザーキャンプを守っていたではないか。この身、家族を守り抜いていたではないか。
巨躯もあるアザーの民AZ-GLOW相手どり。勇猛果敢に戦っていたではないか。
行き着いたときいても立ってもいられず卓を叩いて立ち上がってしまう。
「も、もしかして使えるのか!? この状態でもフレックスを!?」
説明では神羅凪の呪いがすべてのフレックスを吸収してしまうということだった。
だが、リリティアたちからの説明のなかにあったのは、あくまでミナトに尽き、イージスではない。
ルハーヴは興奮状態のミナトをせせら笑う。
「使えるのかじゃねぇ現に使ってんだよ。ようやくイージスが設定した下限値から毛先一本抜けだしたていどだがな」
「たぶん小さすぎて実感はほとんどないだろうね。でももしルハーヴの話が本当ならキミは神羅凪の吸収を上回る蒼力に至ったとういことになるはず」
ヨルナからの肯定があっても未だ信じ切れず。
とうてい鵜呑みに出来るような内容ではなかった。
「どうやら説明が足りていなかったみたいだ。あらためてキミに神羅凪の呪いの詳細を話すことにしようか」
ヨルナに手を添えられミナトは放心状態で席に着く。
神をも超越する力、神羅凪。蒼力の集積と解放が呪いの目的であり、そして呪いを解呪方法はたったの3つだけ。
呪いを解くには代わりとなる贄を用意するか、己の定めた地点まで力を集積させる、また直接冥府の巫女に解かせること。
呪いにかかれば己のもちうる蒼力から最大値の2割ほどを神羅凪が恒久的な回収を行う。そのため常時蒼力を消費しているのと同じ状態を魔法で強制的に作りだしている。
欠点としては、呪いにかかっていると本気で戦えないこと。窮地に追いこまれたとして20%ほどの力は絶対に発動できないのと同様状態となってしまうこと。
「と、ここまでが神羅凪という呪いのもつ特性であり欠点だね。ゆっくり話す暇がなかったからいまさらになっちゃってごめん」
語られる真実のすべてをいっぺんに脳へ仕舞いこむのは難しかった。
だが、1つだけ。混濁するミナトでさえわかることがある。
「じゃあオレは……あのイージスの20%の位置にいるってことなのか?」
あまりの衝撃に唇の震えが止まらなかった。
息を刻むようにして言葉を発することしかできない。
そんなミナトをルハーヴは「ヘンッ」気っ風良く一笑した。
「混血龍と対等なわきゃねーだろ。テメェ如きせいぜいあの娘の1%未満だっつーの」
どれだけ嘲笑されようともまともに頭に入ってこない。
ただ打ち震えるほどにこの身は歓喜に湧いている。
「オレが……? みんなと同じように……フレックスを使える……?」
感極まる。意識も感慨もなく内側が滾っていた。
あれほど渇望し、藻掻いた。なのに手に入らなかった。
そんな力がなぜここにきていまなのか。当然疑問に思わずにはいられない。
「だけど、どうして……? そんな急に……?」
「実感がねーなら急でもねぇ。そもそも俺が対峙して初めて気づいたってだけのことよ」
「つまりいままで気づかなかっただけで使えていたってことなのか……?」
実感がない。ゆえに本人は無能だと思い込んでいたということ。
それでもやはりミナトにとっては寝耳に水。どうしてもルハーヴの言葉が信じられない。
すると打ち震える肩にそっ、と。羽を置くようにして友の手が添えられる。
「力が芽吹いたのはきっとキミが生きようと必死になっているからだと思んだ」
ヨルナは花がほころぶような笑みでミナトを見つめていた。
「2ヶ月後に迫る決闘のためにあらゆる努力をし命が育まれているんだ。だって蒼力は魔法とまったく異なる命を育み強くなる力だからね」
命が育まれている。
ミナトは色の抜けた声で彼女の言葉を繰り返すことしか出来ない。
死に向かうのではなく生へ歩む。それはアザーで死を望みながら生きていたころとまるで逆だった。
いまや帰還を願って生き延びることしか考えていない。生きたくて生きたくて仕方がない。
「お待たせいたしましたぁ~♪」
と、ここで店員さんが踊るような足どりで割って入ってきた。
手にもった盆から色鮮やかなケーキと紅茶がテーブルに添えられる。
「おや? どうかされましたか?」
配膳を終えた店員さんはひょっこり身体を斜めに倒す。
昼行灯の如く佇むミナトを下から覗きこむ。
「とっても嬉しそうですけどなにか良いことでもあったんですねぇ♪」
屈託ない笑みがわあ、と広がった。
そういって彼女は「ごゆっくりどうぞぉ♪」とキッチンのほうへ戻っていってしまう。
――いいこと?
握りしめた手のなかに硬いなにかがあった。
ソレは言葉で形容出来るような現物ではない。しかし必ず留めておきたいと思えるモノ。
――そうだ、これはきっと、いいことなんだ! もしもっと強くなればオレも仲間と一緒に戦えるようになる!
あらゆるものをとりこぼしてきた人生だった。
それがいまようやく1つの大きなモノを手中に収める感覚があった。
「と。別にこんなことを伝えにわざわざこんな場所まできたわけじゃねぇ。レティレシアから言伝とその手伝いを命じられてきてんだ」
ルハーヴは立てかけてあった槍を掴む。
おもむろに石突きで床板をとん、と軽く叩く。
「お姫様から依頼のお誘いだ」
あまりに突飛な提案だった。
ヨルナとミナトはきょとんと肩を落としながら見つめ合う。
「レティレシアから?」
「でぇとのお誘い?」
そもそもレティレシアからの依頼という時点で、碌でもない。
ルハーヴのそれは、ミナトの歓喜を陰らせるには十分な不敵めいた笑みだった。
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