303話 良く晴れた日の憂鬱《Talent Limit》
もうもうとして森に漂う煙幕の如き水のヴェールを斬り払う。
「後退とは敗走にあらず次の1手に繋げるための手段へ結びつけるんです」
白き風が湿った頬を撫ぜた。
放たれる1閃は常にこちらの知覚を1手先上回っている。
洗練。なれど流麗。白き裾が朝を孕んで踊るたび、剣舞う。
「ハッ! らぁぁっ!」
白蛇のうねりの如き剣戟を掻い潜っていく。
受け、薙ぎ、躱し、結ぶ。動作に呼吸を挟む暇すらない。
襲いくる斬撃をひと呼吸でいなし、転ずる。
「ツッッ!!」
状況は作った。
ここまででようやく呼吸が入る。
両脚をどっしり地に据え、迎え撃つ。
「雑木林のなか己のみに優位をとれる場ですか」
いいですね。紅の瞳が僅かに細められる。
後部で結われた金色の三つ編みを巻きながら木々を蹴る。
まさに縦横無尽。彼女にとって重力は皆無。上下左右に軌道を代えて蹴られた幹が、ミシリ。軋む。
だがこちらとて無駄に雑木林を這い回ったわけではない。木々のなかの一部に広がるこのスペースこそ反撃の狼煙となる。
「ここでその長さの剣は振り抜けないだろ!!」
これで地形による優位は得た。
ミナトは脇を締めて怪魚の骨剣を握り直す。
どうせ本気で打っても当たらないのだ。せめて小細工でも組みこまねば勝ち目すらない。
しかし勝機に満ちたその無謀なる瞳は、次の瞬間絶望へと転ずる。
「……へ?」
瞬く間もなく優位が消失した。
銀の閃光が迸ると同時だった。周囲をとり巻いていた木々が木くずに変化する。
木だったモノがガラガラと乾いた音を立てながら崩れていく。まさに瓦解するかの如く。
「薪割りって力の弱い種族が効率よくするために斧を使うんですよ」
読み誤ったのだと自覚した。
人如きの短い尺度で世界は推し量れないことを知る。
「でも私の腕力ならば刃を潰した剣でもこれくらいできてしまうんです」
悔いている時間はない。
ミナトは、リリティアの着地を狩らんとすでに地を蹴っている。
「オオオオオオオオオオオ!!!」
「失策からノータイムでの反攻ですか」
いいですよっ。戦っているという表情ではない。
まるであやしているかのよう。柔和で朗らかな笑みが華やぐ。
実力は雲泥、月とすっぽんほど。あまりにも残酷な差だった。
「フゥッ!」
正面から正々堂々。
そんなバカな話があるモノか。
ミナトは間合いに入る直前で刃を地に突き立てた。
彼女の顔目掛け湿った腐葉土を掘り返すようにして刃を払う。
「そういう小細工をしっかり入れてくるのも素晴らしいですっ」
「――ッ!?」
声のした方角はあろうことか真後ろだった。
ミナトは振り返りざまに切り払いを放つ。
「らぁぁっ!」
半円分の遠心力を乗せた刃が爆ぜる。
こちらは両手だというのに振り抜けぬ。刃と刃が擦れ合って小さな火花を飛ばす。
「はじめのころは裏をかかれるたびに硬直していましたが。だいぶ判断を鈍らせなくなりましたね」
対してあちらは余裕の笑みが張り付いたまま。
握りしめたら惚れてしまいそうな細腕1本……――嫌になる。
「さてそれでは問題です。実力差のある相手がこの間合いに入ってきたらどうするのが最善でしょう?」
「ぐ、くぅっ!?」
全体重が掛かっている渾身のはずなのに押し返されてしまう。
もはや質量の問題ではない。拮抗を望むには圧倒的にこちらの力が足りていないのだ。
ならば――とれる手は1つしかない。ミナトは刃を返すようにリリティアの剣を流す。
そして受け流した膂力をそのまま回して追撃に代える。
「そうですそうです。力で叶わないのならばわざわざ力で相対する理由はありません」
「ハアアアアアアアアアアアアアア!!」
打ちこむ。1打で無理ならもっと多く。
腕だけではない。腰、膝、股関節。人としてもつモノすべてで総力を振る舞う。
しかし悲しいことに刃はかすりもしない。
「……うーん、ですねぇ」
ひらり、ひらり。白い裾が波を重ねる。
そうするたびに銀閃がミナトの振るう刃を弾いていく。
さながら舞踏であるかのよう。リリティアの所作に淀みは一切なく、無駄がない。
対してこちらはすでに満身創痍に近い。ひと呼吸という刹那の全力がすべて気泡の如くいなされていった。
「よっ」
「のわっ?!」
そしてトドメとばかりに足払い。
ミナトは、リリティアに足下を掬われ半回転して地に伏す。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
――ダメだ……! 勝ち目どころかやり返す糸口すら掴めない……!
これにて終幕だった。
253戦253敗。辛酸を嘗めた回数は、500以上で留まらない。
足掻けども、足掻けども。足掻いた数だけ実力の違いを実感させられる。
そもそも肉体の強度、性能、特性に超えられない壁が存在していた。
――いや、それは1番居心地の良い言い訳にすぎないっていってるだろ……!
だからといっておめおめと認められるモノか。
言い訳の先にあるのは、陳腐。諦めるという行動の前準備に過ぎない。
ミナトは、実力不足の悔しさやら恥やらを一緒くたに噛みしめるしかなかった。
とはいえこのまま地べたに寝ていても日が暮れる。せっかく1日のはじまりだというのに不貞寝している場合ではない。
よろよろと立ち上がり服の汚れを払って落とす。それから骨剣を拾い上げて腰鞘へと収納する。
「ミナトさん……なんだか最近様子がおかしくないです?」
「……え?」
虚を突かれるように負け犬顔を上げた。
するとそこにはリリティアがじっとり訝しげに目を細めて立っている。
「なんだか気が入っていないようなやる気がないような……そんな気のなさが垣間見えるんですよね」
金色の瞳がまるで心さえ見透かすかのようだった。
ミナトはたまらず、すぃ、と。視線を余所に泳がす。
「剣の乱れは精神の乱れです。剣の師である私が弟子の異変に気づかぬわけがないんです」
「い、いったいナンノコトカナー? オレ強くなること以外にキョウミトカナイカラナー?」
「目すら合わせられずにどの口が言ってるんですか。私知ってるんですよこの間の決闘が行われてからというものミナトさんの様子がおかしいこと」
ぐうの音もでない。
正解を突きつけられてしまっては逃げ場がないではないか。
先日行われた決闘以降、修行に身が入っていないのは事実だった。
西方の勇者に勝利して浮かれているわけではない。むしろその後の一幕がすべての元凶となっている。
「もしかして日々悶々としているのはレティレシアにちゅーされたことが原因ですか?」
リリティアがそそくさと視界に割ってい入ってきた。
ミナトは黙ったまますぅ、と。また目を逸らす。
「それとも負けたら死ぬのではなく結婚するというほうですか?」
ミナトが逃げるたびにリリティアは右へ左へ腰を捻る。
疑念というより確信に近い眼差しは、冷ややかだった。
「いいですよねーレティレシアってナイスバデーで男性に評判なんですよー」
「いや、オレは別にそんな……」
煽られると生々しい実感を呼び覚ましてしまう。
実感があった。思春期まっただなかにあの記憶は鮮明すぎる。
甘く芳しい首筋の匂いも。触れて沈む肌の感触と温度も。なにより触れたことがないほど柔らかな唇の味を教えられた。
支配者らしい暴挙といえる。しかもあれ以降目すら合わせてくれないときたものだ。
のらりくらり。湯気だつミナトを横からむっつりと睨む。
「決闘までもう2ヶ月切ってますけど――果たして色気づいている場合ですかねぇ~」
「だから本当にそういうんじゃないんだよ……」
「まあいいですどうせミナトさんなんかが私に勝つなんて最初から無理な話なんですからね!」
そういってリリティアはぷりぷりと怒りながら踵を返す。
どうやら朝の鍛錬はここまでらしい。
しかしリリティアから発された言葉は、ミナトの胸を大いに貫く。
それほどまでに十分な威力を秘めていた。
近ごろの修行にが入らないことの発端は、浮かれ話などではない。
――力が……伸びなくなってきてる。
決闘以降明確な高原現象に陥っていた。
…… …… …… …… ……
本日も聖都は活気に満ちあふれている。
ドワーフの冒険者が肩で風を切って歩く。十字架を手にした狼耳の巡礼者が祈りを結び洗礼を与える。日常を送るエーテルの女性は店で焼けた小麦のパンを眺める。
まさにここは豊かさの象徴のようなところ。都を数多くいる大陸種族の足どりが彩っていた。
「あのレティレシアの契約っていったいなんなんだ? そもそもオレの意思を捻じ曲げるようなことが可能なのか?」
「命とかを賭けたわけじゃないしそれほど巨大な効力には及ばないと思うよ」
そんな雑踏のなかをぽくぽく歩く2人組がいる。
髪色も同じ漆黒色をしており長さも、種族すらさして違いはないのだ。
2人を俯瞰から見れば兄弟、もとい姉弟のように見えているかもしれない。
「じゃああれは一体なんの儀式だったんだ?」
「口約束というのも弱いながらに契約のひとつだからね。小さなころに結婚しようという約束したとしてどちらかいっぽうがその約束を覚えていれば結婚する可能性は大いに上がる」
「それってつまりものすごい直接的に告白されたってことじゃ……」
「しかもあの場の救世主全員にキスと告白の現場を見られていたのも厄介だよ。決闘に負けて約束を反故にした場合なにをされるか考えただけで恐ろしいね」
朝の修練を終えたミナトは買いだしにでていた。
とはいえこれといってやることがあるというわけではない。リリティアが聖都での買い物が終わるまで暇を潰していればそれで済むというだけのこと。
ついてこないという選択肢はあった。だが鬱屈したまま鉄を振り回すというのも芸がない。
なによりこうして雑多に揉まれながら気分の再構築を計るのは寛容だった。
「それにしても天界より授かりし遺物なんて代物いったいいつどこで手に入れたんだい?」
「知らないといいたいところだけど知ってるはずなのに記憶が抜け落ちてるんだよなぁ。なんかこう有名人の名前をど忘れしてて思いだせそうなのに浮かんでこない感じ」
ミナトがうんざり顔で腰の物入れから十字架をとりだす。
するとヨルナは顎に手を添えむむ、と唇を山なりに尖らせる
「もしかして元所持者がその十字架に特別な魔法をかけていたのかも。だからキミは部分的な時間を感知、あるいは一定期間を記憶出来なくなってしまった」
「なにそれ超怖いんだけど。そんなヤバ魔法がかけられてたとするならこれって呪物の類いじゃないか」
「あはは。いちおう超レアリティの高い縁起物だよ。もしちゃんと鑑定がすんでいたら家宝になるくらいにはね」
《天界より授かりし遺物》。
ミナトのもつ十字架は《天使の典拠》と呼ばれるものらしい。
「これがあると持ち主の元に天使が降臨しやすくなるのか」
見れば見るほどただの十字架だった。
材質は鉄で、ひんやりとしておりやや重量がある。
装飾も施されていなければ、あちこちに酸化している箇所が多く見られ、しみったれた印象が強い。
「それはあくまで大陸歴史上に見つかっている類似物と同じ効果ならば、ってことだよ。もしかしたらもっと別の効果もあるのかもしれないね」
ミナトは伸びをするヨルナを横目に十字架を構えてみる。
「これ以上不幸な目に遭いませんように……」
「祈るならせめて幸福を祈りなよ……なんでネガティブ避けなのさ」
暇を持て余すというのもなかなか贅沢な時間だった。
こうしてなにも考えずぶらぶら出来るのも命あっての物種だろう。
石畳の奏でる雑踏やそこらかしこから響いてくる高い笑い声。水路を流れる涼やかな水音を聞きながら鼻歌でも奏でればデュエットの完成だ。
時がゆっくり流れているのを実感しながら聖都を堪能する。しばしながら別世界の情緒に浸って流れる雲の如く散策する。
「なあちょっとくらいいいだろォ?」
「あ、あのあの! 私にはお店があるので!」
どこにでもふつつか者は湧くものか。
賑わう通りを少し横道に逸れた辺りでなにやらひと悶着起こっていた。
ミナトは辟易した素振りで重い頭を揺り起こす。
すると路地の向こう側で細身の男が嫌がる少女の腕を引いているではないか。
――ん、あれって……?
「少し付き合ってくれればいいからよォ。君みたいな可愛い子がこんないい天気の日に仕事なんてもったいねぇよなァ」
一見して、輩。
だがその実、無法者。
「……お?」
どうやらあちらもこちらの存在に気づいたらしい。
槍を携えた男は飄々とした足どりでこちらに向かって近づいてくる。
「おいおい探してたんだぜェ。ったく時間潰しに摘まみ食いしようと思ってた矢先にこれだ」
そうそう忘れるほどこちらの記憶も浅はかではない。
だがミナトは、彼が誰であるか知った上で大空目掛け、叫んだ。
「衛兵さああああああああああん!! か弱い店員さんを襲う蛮族がここにいますよおおおおお!!」
「おい馬鹿止めろォ!? 聖騎士とかがきたらマジで洒落になんねっての!?」
西方の勇者ルハーヴ・アロア・ディールは蛮族になりかけたのだった。




