301話 天界より授かりし遺物《Semi-Artifacts》
はじめからこの勝負の結末に勝利は望まれていない。
ゆえに主が想定していない結末を許さない。
「恥さらしに恥を塗りたくられた余への落とし前はどうつけるべきだろうな~ァ?」
情念掻き立てる娼婦のよう。
太ももを交互にこすらせ尻を振って色を振りまく。
まるで品性のない笑みが意味するのは愉悦などではない。弱者を嬲るための威嚇そのもの。
棺の主であるレティレシアが朱色の大鎌をぶら下げながらゆるりと降り立つ。
このまま勝負にケチをつけられたままでいられるものか。ミナトは重い腰を上げて彼女と対峙した。
「小さな勝利をおめでとう」
「その小さな勝利さえ穢そうとしてくれてありがとう」
売り言葉に買い言葉。
礼儀もない恭しい礼にこちらも動揺の大袈裟な礼で返す。
刹那に互いの中間にバチバチと火花が散る。
「ここから先は棺の間の問題でなァ。陳腐な部外者はそうそうにご退出願おうじゃねぇかァ」
「これは正式に認められた公式な決闘のはずだ。それを大本営、猿山の大将みずからが否定するのはオカシイじゃないか」
レティレシアの作る笑みの溝が「テメェ殺すぞ?」深まる。
だがミナトとて「やれるものならやってみろよ」1歩として引くことはなかった。
だいいち彼女が割りこんでくること自体無作法も良いところ。レティレシアがでてくるということはすなわち男と男の勝負に文句をつけることに他ならぬ。
「この我が儘女が。これ以上好き勝手に振り回されてたまるか」
「ひゅ~♪ ずいぶんと色男の面ァになったじゃねぇかァ♪ 闘技の場で抜くってんなら相応の代償は覚悟して貰うぜェ~♪」
ミナトは肝を冷やしながら腰の剣鞘に手を添える。
するとレティレシアも手にぶら下げた大鎌を構える。
互いに傍らへ武器を添えて睨み合う。どちらも1歩として引かず、いがみ合う。
「待って待って! いいから待ってえ!」
一触即発空気のなかヨルナが滑りこんでくる。
燕尾のマントをたなびかせ慌てて割って入った。
「ミナトくん絶対に剣を抜いちゃダメだからね!」
「ならそこの無粋な輩にいってやってくれよ。さっさと家帰って寝てろってさ」
「あとレティレシアも! 決着のついた決闘への物言いは御法度だよ!」
「ここは余の支配する領域だ。余の創造する世界の道理なら創造主である余が決めて当然だろうが」
止めに入るも説得の甲斐無し。
元はといえば2人は犬猿の仲に近い。互いが理念を反している。
しかしここでいがみ合ったところでカタがつかないのは日の目を見るより明らか。
バチバチ、と。対立する2人の間に気だるげな歩調で歩み寄る影が、ひとつほど。
「俺は本気でやって負けたんだ。この結果に文句はねぇよ」
当事者は予想以上に飄々としていた。
ルハーヴは手に槍をぶらさげてがに股気味に主と向かい合う。
するとレティレシアの表情もがらりと変化する。
「……つまりテメェは己の敗北をすんなり認めやがるってか?」
剃刀の如く目端を吊り上げ、笑みを閉ざす。
彼女の口から飛びだしたのは地の底から響く低い問いだった。
「召し使えられてようやく惰性の生を貪れてるんだぜ? それらすべてを理解した上で敗北を認めるってことだな?」
眼差しはさながら雑兵を見下すかのよう。
彼女はすでに壊れたおもちゃから興味を失っている。
だが、ルハーヴは「ああ」さもありなんとばかりにつづけた。
「俺は西方の勇者として戦い、そして負けたんだ。信念も、執念も、それらすべてを全力で曝けだしてなお勝てなかった」
「余の選出した救世主として戦い、負けたってか? ずいぶんと舐めた口叩きやがるな~ァ?」
レティレシアは手にした大鎌を振るう。
鎌首もたげる血色の刃がルハーヴの首に添えられる。
彼が生きているのは勇者として冥府の巫女に見初められたから。もし一方的に魂の契約が解除されれば……想像に難くない未来が訪れることになる。
「俺の戦った好敵手はそもそも雑魚なんかじゃなかったぜ」
それでもルハーヴは身じろぎひとつしなかった。
胴と首が違える直前というのに眼差しに曇りひとつありはしない。
「それにこの俺が全力をだして負けたんだ。観客決めこんでる連中のなかでどれほどの数が負けるかわかったもんじゃねぇな」
「…………」
肩をすくめると同時に手放された槍が闘技場の砂に落ちて埋もれる。
ニヒルな笑みに悪びれた様子もなければ、主への弁明さえない。
「ミナト・ティールという人種族は西方の勇者ルハーヴ・アロア・ディールに勝利したッ!! もしこの名誉にケチつけようってんなら西方の勇者を上回ってからにしてもらおうかッ!!」
それどころか堂々と他の救世主たちに怒鳴りつけてしまう。
ルハーヴは主を正面から見据えて、己の敗北を認めたのだった。
するとパチ、パチ、パチ。どこからともなく乾いた音色が枠の辺りから響いてくる。
ひとり、ふたり。やがてはもっと多く。落ちた音が波紋となって伝え、広がっていく。瞬く間に闘技の場は平手を打つ喝采に彩られた。
「いいぞお!! ガキのわりに良くやったァァ!!」
「おい下馬評もってこい!! 今日は大穴に賭けた馬鹿野郎の総どりだぜ!!」
「久しぶりに胸が弾むような決闘だったねぇ! 今夜はいい酒がのめそうだよ!」
無頼たちの品のない野次が、次々と波及する。
主の意に反しているのにもかかわらず横断幕を掲げる行為だった。
そんな騒音の最中に「……ちっ」不満を打ち鳴らす。レティレシアはルハーヴの首に回した大鎌をとり下げる。
「……気にくわねぇ。が、救世主たちが認めたってんなら実力は示したってことになるな」
意外とすんなり正直だった。
それでも認めたくない空気が満ち満ちている。
大鎌をぶぉうと薙いで「ちっ」と、もう1度大きく舌を打つ。
「グズが首の皮1枚で生き延びたんだ。次また負けたら承知しねぇからな」
「ったく鎌に殺微塵も気が籠もってねぇっての。吸血鬼のくせに天邪鬼まで買ってやがんだから手に負えねぇや」
どうやら予定調和のようなものだったらしい。
滅するつもりはなくともひとことくらい文句をいっておきたかったといった感じか。
ヨルナは天邪鬼を横目に肩をすくめ眉寄せ微笑む。
「ああ見えてここの主はけっこう慈愛ある性格をしているほうなんだよ。初見だと高圧的に思うかもだけど、レティレシアって自分の認めたお気に入りにはとことん尽くすタイプだから」
彼女こそが無頼の頂点に君臨する主なのだ。
法をもたぬ連中を統べるには相応の才覚がなければ成立しないはず。
良くも悪くもここは彼女の統治下にある。ゆえに棺の間こそが本当の自由を体現している。
「? どうしたのさっきから黙っちゃって?」
ここにきてようやくヨルナも異変に気づく。
決闘を勝利という栄華によって彩った1人が返事すらしないで佇む。
ミナトは、朦朧とする。
「あんなにオレを嫌ってた連中が……まるで手のひらを返したような……いったいどうなってるんだ?」
多くの種族たちが見据える中央に自分が立っていた。
身体を叩くような歓声を余すことなく浴び、頭がクラクラしてしまう。
あれほど人を親の敵の如く侮蔑していた。それなのにいまやスタンディングオベーションで勝利を祝う。
多くの者たちと無数の種族たちがミナトに惜しみない賛辞を送る。これは、そう、まるで世界の中心さえここにあるかのよう。
呆然と会場を見渡すミナトの筋張った肩へ、ぽん、と。繊細優美な手が添えられる。
「それが勝利というものの味さ」
「勝利の味?」
「醜くも抗って抜けでた先にはきっと栄光という功績が待っている。君の必死に生きる姿が勝利を生みだし、それを見た者たちの心を掴んだんだ」
ヨルナがなにをいっているのか、少しくらいしかわからない。
それでもそのどこか誇らしげな友の横顔に、ミナトも滾るモノを覚える。
――もしこの光景がノアの仲間たちと一緒だったら。
最高だな。拳の内側が無性に熱かった。
勝ちを閉じこめた手のひらが火を握りしめたように、滾る。
――絶対に帰る……! 絶対に救ってみせる……!
いつか過去に置いてきてしまった夢の景色を、ミナトは確かに見た。
立ち向かう笑みを咲かせ、拳を片手の平にすぱぁんと叩きこむ。
それだけで不安も不満もなにもかもが明瞭に晴れていく。瞳の奥には空色の輝きを秘めて。
「……ん?」
ふと別のところに熱を感じて視線を下げた。
するとどういうことか。閃光手榴弾やらを入れていた腰の道具入れが、とても不可解な現象を引き起こしているではないか。
不可解かつ不可思議。まるで魔法にでもかけられたかの如く白光を発している。
「ミナトくんがメチャクチャ白光してるんだけどぉ!?」
「まぶしっ!? なんだこれ、怖っ!?」
明らかな異常にミナトとヨルナは同時にすくみ、震え上がった。
刹那ならまだしも数秒経てなお光が強まる。こうなると閃光手榴弾の誤作動とは考えづらい。
「おいてめぇ……なんだそりゃ?」
レティレシアの首がぎぎ、ぎと軋む。
白光を見る血色の瞳はこぼれんばかりに剥きだしになっている。
「いやオレにもなにがなんだかさっぱ……あれ? 前にもなんだかこんなことがあったような?」
「なにをもちこんでやがるって聞いてんだよ!? いったいその尋常じゃねぇ聖マナの根源はなんだ!?」
ミナトはどやされ慌てて白光の正体を引っ張りだす。
掴んだのは線と線の2本で象られた宗教的異物とでもいおうか。
光の根源の正体は、十字架だった。
「その十字架ってこの間の生誕祭でも光ってたヤツじゃないの!?」
「そういえばそんなこともあったなぁ!? でもオレ今回もってきた覚えないんだけど!?」
光が強すぎて目が糸のように細まってしまう。
十字架の白光は強まるばかり。まるで太陽がもう1つ増えたかのように眩しい。
「ちょっと見せて」
横からミナトの手元をひょいと覗きこむ。
エリーゼは片目隠しの眼帯を外し、十字架を眼前に顎へ手を添えた。
いっぽうでレティレシアは明らかに精彩を欠く。
「ここは母様の領域に踏み入る冥府の門前だぞ!? なのに天界の遺物なんぞもちこみやがって!? どこでそんなもん手に入れやがった!?」
口汚く、ミナトに当たりが強いのはいつも通り。
しかしいまの彼女は慌てるというより狼狽に近い素振りだった。
まるで見えないなにかに怯えているかのよう。声色も厳しく身の振りかたもとても冷静とはいえない。
「おいテメェ答えやがれっていってんだよ!!」
――……あれ? どこでこの十字架手に入れたんだっけ?
ミナトは、胸ぐらを捻りあげられながら首を捻った。
だが不思議と思いだせない。とある箇所の記憶がすっぽり抜け落ちているのだ。
重要な部分の頁だけが破かれてしまったかの如く。十字架に関する記憶のみが喪失していた。
こちらが乱痴気騒ぎだというのにヨルナとエリーゼは意に介した様子もない。
「見たところ天界より授かりし遺物であることは確かのようだけど、なにか分かりそうかい?」
「生きてたころ神より賜りし宝物関係の集団に属していた。だから天界より授かりし遺物にもちょっとだけ詳しい」
ふむん、なんて。口をちょんと尖らせる。
雑音に振り回されることもなくストイックに鑑定を進めていく。
「これは……過去発見されたモノに酷似している。名は、《天使の典拠》。天界の目に分類される類いの遺物かもしれない」
あらゆる事態が暴風のように吹きすさぶ。
とてもではないが人間であるミナトについていける状態ではない。
しかもでてくる言葉がまったく頭に入ってこないでいる。
「てんかいの、め?」
天界も、遺物も、レティレシアの慌てふためく様子さえ、なにもかもが不明瞭。
ミナトとは違って大陸種族たちはさも日常であるかのよう。
エリーゼは尻を突きだすような姿勢でまじまじと十字架を観察していた。
だが、ようやく顔を顔を上げる。両端で結った黒の尾の如きツインテールを流しながら縦に頷く。
「これはたまに天使が悪戯に大陸へ与えるお目こぼしのひとつ、と思われる。そしてもし本物であれば所持者に小さな天運を授けるという縁起物」
この瞬間。その存在に気づけたモノはいただろうか。
おそらくはいない。音もなく、存在さえ希薄なソレを知覚なんて出来るはずもない。
「するとつまり……この十字架をもっていると、どうなるんだい?」
「遺物の効果はとても簡易的。地上と接触をしないはずの天使とメチャクチャ出会いやすくするというもの」
ミナトとエリーゼが何気なく向かい合っていた。
その時だった。輝かしい十字架の光がふっ、と消えた。
まるで燭台に灯された蝋燭を軽く吹き消すようにして光が明滅する。
「報告には聞かされてたですがぁ……どうやらまーたこの世界に人間が現れやがったですか」
若くハキハキとした少女の声だった。
ミナトは、ふと街で声をかけられ時のように隣を見る。
――女の子……?
それは笑顔と呼べるのだろうか。口角が僅かに上がっていて目はビー玉のように丸い。
美しいというより愛らしさのほうが際立つ。それなのに彼女から漂う雰囲気は清浄で、どこかひやりと冷たい。
「君は?」
ミナトは、なんとなく脊髄反射で尋ねた。
すると彼女は表情を微塵も動かさず淡々と応じる。
「まず自己紹介するなら自分からってのが筋です。だからお前から名を名乗れです」
人によっては恐怖を覚えてしまうかもしれない。
しかしミナトは、彼女が誰であるかを知らなくても、なんであるかを知っていた。
「イージス所属マテリアルリーダーマテリアル1のミナト・ティールだけど」
「ふむふむ。ちゃんと自己紹介できて偉いです。どうやら教養はちゃんとしているようです」
新たなる存在の登場に――大陸種族たちの――時が凍っていた。
無論、物理的なんてふざけた現象なものか。ミナト以外の大陸種族たちが精神的に石像の如く固まっているのだ。
それどころか彼女の存在は、どこぞ聖都を止めた存在と比べて、まるで真逆。
ちょい、と。少女は踵を揃えて浅い礼をくれる。
「主より定められし真名は、種の罪を断ち禊ぐ。断罪の天使タストニア・リーシュ・ヴァルハラです」
動きに合わせてベル状に開いたスカートの揺れた。
降臨した少女の背には、あろうことか2枚の可憐な翼が広がってる。
「どうやら偶然にも一時の運命が交差したようです。だから以後があるかどうかは知らねぇですが、よろしく頼むです」
現れたのは、また天使だった。
どうやら決闘を終えてもう一波乱あるらしい。
怒濤の気配が不敵な笑みを添え、すぐ側に佇んでいる。
………………




