299話【VS.】背に栄光と傷跡 勇者ルハーヴ・アロア・ディール 2
鮮黄色の空光の帯が揺らめく。
腕へ抱かれし夢現の闘技場は、幻想で縁どられた枠内であるかのよう。
荘厳かつ勇猛な空想の戦場には、闘士が2人ほど。目に見えぬ闘気を背負って佇む。
数多くの魂たちが見つめるなか。肺が冷えるほど淀みない。凜とした静寂が満ちていた。
声援も喝采もなく雑音は皆無となって終演を予兆する。いまひとたび時が動きだせば……きっと。
「《強化支援》」
先に動いたのは、ルハーヴのほうだった。
天に手を掲げ意味ある言葉を紡ぐ。
すると現れた薄く透けるシアー調の赤い幕が彼の身体目掛けて降りてくる。
「本来魔法を使うつもりはなかったんだがもう御託を並べるつもりはねぇ。この魔法は身体能力を1段階ほど上へ引き上げる魔法だ」
鍛えられた肉体の体表面に赤い光が瞬く。
光は長身痩躯をくまなく覆い尽す。明光はさながら羽衣の如く揺らいで美しい。
「魔法を使うのがこっちの習わしだ。まさか卑怯とはいわねぇだろうな」
ルハーヴは、ニタリと口角を引き上げた。
使うつもりはなかったといったか。おそらく本当に使うつもりがなかったのだろう。
勇猛だが、獰猛ではない。
赤のヴェールをまとうルハーヴの姿には、真の意思が籠められている。
「ずいぶんすっとした顔になったな」
「ああ。お陰様で久しぶりに本気で潰したい相手に出会えたぜ」
ミナトとて悪くはない気分だった。
好敵手は、その身をもって己を超えろといっている。
ならば、多くの言葉より態度で示す。
「こい」
ミナトは片頬軽く張って表情を引き締めた。
腰鞘からすらり、と。名工仕立ての白色片刃引き抜いて構える。
ここに至って身を引くなんてもってのほか。ルハーヴは仲間たちの見据えるなかで、魔法という全力のカードを切ってくれたのだ。
こちらも全力で応えてやらねば無作法というもの。中途半端に終わらせては西方の勇者の顔に泥を塗ることになってしまう。
「…………」
「…………」
1つ、2つ、と。どちらともなく無言で砂を踏む。
まだ遠い。槍と剣。互いの間合いは違えど、どちらとも死に間合い。
1歩刻むたび神経が過敏になっていく。服のすれ、汗の乾き、風の揺れ、髪先1本1本まで感覚が通っていく。
ここは熱砂の上か、はたまた紅蓮の泡がひしゃげる溶岩の上か。緊迫する視線と堰を切る直前の精神が焦げてしまいそう。
そして2人は雌雄を決するべく闘技という大舞台の上にて向かい合う。
「開始の合図はいらねぇな」
「勝ちの合図は相手に負けを認めさせたらだ」
「オウケイ」
互いの間に気迫と気迫の火花が散っていた。
鎧袖一触と思われていた。これは勇者の栄冠ある試合だと誰もが考えていたことは間違いない。
しかしここにきて大番狂わせ。観衆たちは侵しがたい空気に触れながら固唾を呑み、事態の推移を見守っている。
「じゃあ、今度は俺から行かせてもらうぜ。待ったなしの全身全霊をありったけくれてやる」
仄赤き光沢が脈を打つ。
ルハーヴが身を低くかがめた。
その直後だった。
「――くッ!?」
辛うじて回避できた。
否。鼻横数ミリの薄皮が裂けている。
一瞬の混濁。しかしミナトに考えている余裕はなく、すぐさま剣を構えた。
ルハーヴの笑みが閉じると同時に穂先が消失したのだ。そしてそのゼロコンマのうちに疾風が頬を薙ぐ。
――これが、本気だと!?
一段階上。冗談じゃない。
支援魔法を浴びた男の挙動は、もはや人の踏みこめる領域を凌駕する。
「オラアアア!! 剣聖の剣はこんなもんじゃねぇぞォ!!」
回し、突き、払う。
薙ぐ、穿つ、切り裂く。
それらすべての動作がほぼ同刻に振る舞われる。
しかも繰りだされるすべての攻撃が決死。1撃1檄が大砲であるかのよう。
並外れていた。圧倒的な物量だった。
ミナトは回避に注力するも押されつづけている。
――これが本来の勇者か!? さっきまでと、まるでケタが違う!?
躱す、躱す、躱す。
余裕なんてあるものか。呼吸さえもう幾ばくとしていない。
剣で受ければ防御は楽々と貫かれる。辛うじて流せたとして即時次が襲いかかる。
上段中段下段からの攻撃に反撃の隙さえない。頭が回らない。ただ一心にこの猛虎の如きラッシュを生き延びるので、やっと。
「まさか……全力だぜ? これでも受けやがるのかよ?」
「――つ、ッ!?」
ぞっ、とした。その低く絞るような音に恐怖した。
ミナトがルハーヴに覚えた恐怖の根源は、熱の差。
これほどまでに渾身を煮詰めた熱い攻めのなかに、氷の如く凍てついている。
振られる技も、槍も、戦場も。ルハーヴは平静の元に掌握しているのだ。
強靱な打撃に両手が痺れる。精神的な追い詰めに刃先は震える。
――このまま守っていたら、墜ちるッ!!
ミナトは柄が手肌に食いこむくらい強く握りしめた。
このまま受けつづければもう10秒ともたないことがわかっている。
ならばじわじわと消耗して敗北となるなら手立ては1つのみしかあるまい。
「ハアアアアアアアアアアアア!!!」
なればこその光芒一閃だった。
転じる願いを籠め、反攻の1撃を振る。
だが、付け焼き刃はしょせん付け焼き刃でしかない。
ルハーヴは、あたかも予測通りとばかり。ひょい、と最小限の動作で身を躱す。
「フッ!」
「っ!? ガッ、ァ!?」
回した槍の柄がミナトの腹部に刺さった。
攻撃の余韻で開いた鳩尾に石突きが叩きこまれる。
衝撃は凄まじくミナトの身体は1mほど後方に吹き飛ばされてしまう。
身体はくの字に曲がり腹の内部にダメージが爆ぜ広がる。それによって横隔膜が停止し呼吸が止まり、口からしどとよだれを零しながら酸素を求める。
しかもルハーヴはダメ押しとばかり。後ろ脚でタメを作り、回転し、薙ぎ払う。
「ッッッ!!?」
ゴッ。という気色の悪い音がミナトの脳内に響き渡った。
側頭部を蹴られたことで視界は揺らぎ世界は逆を向く。人1人という重さにかかわらず身は半回転しながらさらに3mほど吹き飛ぶ。
「ハッ、ェグェッ……ウ”ッ、ックハ……!」
ミナトは朦朧と、地べたと平行な世界を見ていた。
己が地に伏しているということさえ刹那ほど理解が遅れた。
――これが、現役だったころの実力か……! いまの姿こそが西方の勇者……!
さすがは勇者。控えめに評して手も足もでない。
彼の操る槍は槍として上限値を上回る。雄々しく巧みな技から編みだされる縦横無尽さは、槍であって鞭の如し。
熟練した技術は神業の域に達する。対峙した相手は為す術がないまま穂先に絡め捕られ死に至る。彼が勇者と崇められていたときの相手はみな相応な結末を辿ったのだ。
「圧倒的だな」
そこらじゅうから失意めいた音がした。
逆を言えば勇者に対しての感嘆ともとれる吐息だった。
救世主たちは大地に伏したミナトから痛ましげに目を逸らす。
「そりゃそうだ。さっきまでの状態こそが異常だったんだ。たかが数日修行したていどのヒヨッコが全力の勇者に勝てるもんか」
「英雄は死してなお魂は死なず。餓鬼が調子に乗って挑むには手頃じゃなかったってだけさ」
観客たちはすでに舞台の終演を見ているかのようだった。
栄華を知る勇者がただ1人の少年を仕留める。それはきっと世界の道理。
なのになぜだろうか。ヒュームも、エルフも、紫煙の魔女も、甲冑男も、揃いも揃って肩を落とす。
「終わりかよ?」
みすぼらしく地べたを這う。
ルハーヴは、槍を肩に掛けながらそんな1人を待つ。
「終わるならそのまま寝とけ。終わらねぇのならいますぐ立て。恥じも負けも認める必要なんざねぇ、なにせこれは当然の結末だからな」
彼を覆う仄赤きヴェールが渦を巻いて揺れた。
突き離すでもない。追い打ちにてトドメを刺すのでもない。瞳には侮蔑や軽蔑もない。彼はただ待っている。
地べたに伏したミナトが立つのを目を逸らすことなく待っている。
さあこいよ。やってみろ。越えて見せろ――……やかましい!!!
パンクしそうなポンコツの脳みそが聞こえぬ声を聞く。
耳の奥がうるさくてうるさくて仕方がない。
失意の吐息も、嘲笑する音も、再起を待つ願いも、すべてが小煩い。
「……一、生……後、悔……する、なよ……」
こんなにうるさくて寝ていられるわけがない。
ミナトは、かすれ喉で呼吸を激しく刻む。
「アンタには……ヨルナに、オレの友人に……謝ってもらわなきゃならない」
周囲にどよめきが際立った。
よもや立ち上がる。剣は落としていない。まだ戦おうとしている。
しかしざわめく観衆たちをよそに、ルハーヴは微塵も驚きを孕んでいない。
「完璧に狙った蹴りの手応えがなかった。腹に1撃を喰らいながらも化け物じみた反射神経で横に威力を逃がしやがったな」
「逃がしたからといって十分効きまくってるさ。意識を根こそぎ毟りとるような蹴りをどうもありがとう」
立ち上がったからどうだというのだ。
見てみろ。もう真っ直ぐに立つことさえ出来ていないではないか。
ただの死に体だ。勝負はとっくについている。
会場の端から端まで。全員が苦し紛れと囁き声を揃えた。
しかし舞台の中央に立つ2人だけは、意に介した様子はない。
「次で終わりだな」
「ああ、たぶんな」
「言い残すことがあるなら聞いてやる。どうせあとでまた会うことになるだろうがな」
「まだ奥の手がある」
「そうかよ。なら好きにやれ」
好敵手は思いのほか情に熱く優しい男だった。
こうして対話という形式で、ミナトの呼吸を整えるのを待ってくれている。
「すぅぅ……ふぅぅ……」
先ほどから呼吸をするたび肺が千切れそうにずくずくと痛む。
もしかしたら骨にも異常があるかもしれない。意識だって朦朧として世界が巡っていた。
ルハーヴの語る次で終わるというのは、予想や予測ではない。確定した未来の話。
そう。こうしてミナトが立ち上がったのは、苦し紛れ以外のなにものでもなかった。
ハナからわかっていたことだ。
戦に長けた猛者に力量や技術で勝ることは不可能なのだ。
「さあ思う存分喰らいあおうかァ!! お前の敵は一騎当千の勇者であることをその身に刻めェ!!」
疾風怒濤。槍片手に駆る姿は虎の如し。
ルハーヴは槍を掲げて鬨の声を上げた。
魔法によって強化された疾走は、人の限界をゆうに超える。
「これでェ――!!!」
赤き閃光が会場を中央から2分した。
熊のように抉る足跡を砂に踏みこむ。愚かな挑戦者を貫かんと弓の如く槍を引く。
「終わりだアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
ハナからわかっていたのだ。
はじめからずっと。
だからミナトは、ルハーヴを見つづけていた。狙っていた。
勝利を掴まんと意識が極地へと至る。その瞬間を狙って。集中が極限に至った中央点を見計らう。
ミナトは腰に下げた道具入れからあるものを引っ張りだした。
「芸がねぇ!!! また飛び道具か!!!」
ルハーヴは構うことなく攻勢を緩めることはない。
暴風。巻かれた相手を捻り上げるための必殺。疾走とともに穂先は大渦となって襲いかかる。
しかしミナトは躱さない。
「…………」
そっ、と。それらを空中に置いた。
剣とポーチからとりだしたソレを両手から放りだす。
するとルハーヴの視線は誘導されたかの如く、ソレを凝視する。
「……なんだよ、それ?」
なぜか見てしまうのではない。見せられている。
見なければ避けられぬ銃の恐怖を覚え、させられたから。
はじめからずっと。この瞬間のために試合が組み上げられていたから。
そして槍の穂先がミナトを捉える刹那にソレは起こった。
次の瞬間、世界は音と光の2つに分断される。
「ガ――グァァァッッ!!?」
ここにきて重ねた策が爆燃した。
それはミナトがカービン銃と一緒に持ち込んだ、非致死性兵器。
閃光手榴弾と呼称されるもの。大陸にはない兵器が発する光と音で鎮圧する。
「く、クソッタレ目が、耳がイカれただと!!? いったいなにがどうなってやがる!!?」
無知で不意打ちならばなおのこと、良く効く。
目と耳を潰されたルハーヴはもだえることしか出来ない。
効果を知っていなければ、不可避。これこそが絶対命中の兵器である。
「1発目の弾丸をわざと当てなかったのは誘導のため。大陸種族とはいえ音速の鉛玉を躱すのなら観察しなければならないと、アンタに教えるためのブラフを張らせてもらったよ」
はじめに発砲したカービン銃の弾丸は、意識誘導だった。
頬に1発。ついでにやけくそのような射撃。
これらによって大陸種族であるルハーヴは、カービン銃を知る。
知らなければ警戒のしようがなかった。しかし知ってしまったことで、気づかぬ間に、銃の恐怖を植えられていたのだ。
「さらにいえば西方の勇者は戦場の常連だ。頭も切れるし判断だって間違えることはない」
ゆえにはじめからずっと、絶え間なく、信じつづけている。
ルハーヴほどの男ならば必ず戦場に現れた未知をくまなく探る。切れ者強き者であるがゆえ、矯めつ眇めつ、観察してくれる。
「て、めっ……ここにきて、まだ搦め手を隠していたってのかァァ!!?」
これは現代の魔法箱。
物質が化学反応することによって目の眩むほどの閃光と爆音が迸った。
「アンタは最後の瞬間に銃を警戒した。だからどうしようもないほど直接100万カンデラと180デシベルを浴びることになったんだよ。それがオレの最初で最後の策とも知らずにな」
「俺は、西方の勇者だッッ!!! こんな、こんなくだらねぇ、終わりかたなんて認めるものかアアアア!!!」
吠えたところで光にやられた眼球が裏返って白目を剥く。
ルハーヴはすでに槍を手放していた。目を押さえながらよろめくしかない。
彼の視覚聴覚の感覚器官は遮断されている。きっとミナトの言葉さえ届いてはいないだろう。
さらに閃光手榴弾を受けた彼が立っているのは、前後不覚の雲の上。槍を奮うことはおろか、ただ立つという単純行動さえ難しい状態だった。
ゆえにその頭上をとるのは、ただ1人のほう。
「正面から強いヤツ相手に堂々とやって勝てるわけがないだろう。それくらいガキのオレでもわかってるよ」
剣は必要ないから捨てた。
この状態の生き物相手に刃なんて無粋だから。
「ヨルナから色々聞いたけど気の毒なんて思わないさ。生きてればそれくらいのこと1度や2度くらいはあるものだから」
あとは淡々と執行すれば良かった。
友を蔑み、面に拳を打ちつけた罪をとくと償わせる。
はじめから奇襲を用意していたのだ。
緻密に積み上げた。決して悟られぬよう闘志の水面下に感情をひた隠しながら組み上げた。
「西方の勇者……きっちり過去の清算を済ませてこい。もしその下らない正義を捨てられたのなら……アンタの背中に憧れつづけた連中に手向けの花くらい添えてやれ」
そう、はじめからぜんぶ、誠心誠意。ひと繋ぎ。
眼球の奥に、ぼやり。薄明の蒼が灯る。
「科学を使うのが人間の習わしだ。まさか――……卑怯とはいわないよな?」
ただ真っ直ぐに全身全霊を叩きこむ。
好敵手へと、最大火力をもってして振り、下す。
「ガァァッッ!!?」
頬にのめりこむほど、突き刺さる。
大ぶりの拳がルハーヴの横頬を打ち貫いた。
勇者であった男の信念をも砕く、鮮烈な蒼1閃だった。
砂上を滑りながら吹き飛んだ肉体は、動かず。そして勇敢に立ち上がることはない。
円形闘技場の大舞台には、拳を高く掲げた勝者のみが残されている。
● ◎ ? ? ? ?




