298話 紛いし記憶《Faker》
勝つ理由は十分に揃っていた。負けることのほうが難しいとさえ踏んでいた。
だが、甘美で栄誉ある勝利は何処か。とうに辛酸となって胃の腑を焼き焦がす。
「ハアアアアアアアアア!!」
一気呵成。打ちこまれる剣戟は重く、鋭い。
こちらが一瞬でも気を逸らせば彼の剣は届きうる。
しかしこちらとて受ける避けるでは芸がない。
「――シッ!!」
ルハーヴは、相手の振り上げの隙を穂先で突いた。
高速の槍先が閃となって刃の軌道を延ばす。胸の防具の僅かに下、脇腹へえぐり混むように虚を射貫く。
――コイツ!? どうしてこうも避けられる!?
完全に読み勝っていた。
しかし当然の如く当たりはしない。少年はこちらの攻撃を察知するや振り上げの動作を直前に外し、躱した。
自惚れを知る。舐めていたと後悔する。驕っていたことに脳を焼かれる。
よもやたかが子供如きと想定していた相手がこれほどまでに力をつけていたとは。数日前の敗北から一転し想定した刃を翻す。
これにはルハーヴの得意満面に伸ばしていた鼻先がへし折られる。
「この槍技は俺自身が練り上げて極めた新進気鋭!! しかもエルフのしなやかさとドワーフの剛気をも覆す!!」
間合いの外から旋風の如く薙ぎ払う。
だが彼もまた間合いを呼んでいたかの如く背を逸らして穂先を避けた。
ルハーヴの槍捌きには明確な焦りが滲んでいる。弄ぶどころか全身全霊をもってする。
「なのになんでこの間まで雑魚だったガキに1発として当たらねェ!!?」
振れども突けども1発として当たりはしない、恐怖。
確実ににじり寄ってくる。ひと振りの攻防を重ねるたびより鋭敏な反撃が襲いくる。
「オオオオオオオオオオ!!!」
「ふざけんな!!! ふざけんな!!! フッッッザケンナ!!!!」
なによりその目が気に食わない。
彼の目が強者でる立場にいるルハーヴを煽り立てていた。
きっと屈さない。どれほど落とそうとも幾度だって這い上がってくるだろう。
対峙する者をそう恐れさせるまでに強固な意思を秘めている。
「な、んで、そこまでして――ッ!?」
そのときゾッ、と。背筋に這い上がる疎ましい感覚を覚えた。
その正体は不可解な冷えだった。さながら気づかぬ間に蜘蛛糸で絡められているかのような不安。奈落へ墜ちる幻覚。
脳が異変を覚えると同時。身体は即座に本能的に後退を選択する。
――なんだ!? この違和感は!?
互いの間合いが開いて斬り結ぶ音が止む。
一端の休息といった様相に収束する。カンカンに熱された気迫が肌から湯気となって立ち昇る。
――俺のほうが明らかに格上なのは誰が見たって当然だ! 技で勝ってるほうが戦いを支配するのは道理!
ルハーヴは猛禽類の如き凶暴な目を吊り上げた。
技というものはそれほど容易く語り尽くせるものではない。こちらには一日どころか幾万日の長がある。
なのになぜ。戦闘経験は当然として力量も、立端だって優位をもつ。しかもここはいわゆる自陣に値する。
――冗談じゃねぇ俺はいったいなにと戦っている!? なにを相手に戦わされているってんだ!?
ルハーヴは張った肩を上下させながら呼吸を整えていく。
忌々しげに間合いの外にいる少年を睨み付けた。
――屈辱、これは屈辱でしかない……! 戦士として拭い去れぬほどの穢れ……!
顔中が膨れ上がるかと思うほどの血の気が浮く。
さらに奮えるほどに羞恥と忸怩に呑まれかける。
だが敗北という本能的な恐れが暴走を辛うじて抑えていた。
ルハーヴは「ふぅぅ~……」と肺を絞って怒りを吐息に変換する。
「もうとっくに仲間は死んで骨さえ残ってねぇかもしれねぇらしいじゃねぇか。なのになぜそこまで盲目になってでも仲間のために踏ん張れんのよ」
1足、2足、3足。
両者ともに円を描きながら間合いを計っていく。
「信じられるのなんてしょせん自分だけだろ。他の奴らなんて上面を塗り固めながら平気で裏切ってきやがる」
誰の身の上話をしているのか、なんて。問うまでもなかった。
自問自答。己の経験則。裏切られて売られた過去の記憶。
ここまで戦ったのだから実力は認めよう。しかし若きその心に楔を打つくらい他愛もないこと。
「テメェの信じる仲間なんてのは、テメェの見てる幻想に過ぎねぇ。そしてその幻想はすぐに裏を返し平気でテメェを貶める、テメェが生きるための生け贄にしてくんのさ」
少々聡く小狡いが掌握など容易い。
心とは身と密接に繋がるもの。若くして見る安く脆い希望を追ってしまえば刀折れ矢尽きるも同義。
なによりそれはルハーヴ自身の物語だった。羨望し夢半ばに朽ちた青年の幕締め。
「…………」
「現実突きつけられてぼーっと突っ立ってんなァ!! テメェの見てる美しいだけの世界なんてものは薄皮1枚剥いだらドブ以下なんだよォ!!」
心理戦をけしかけている間にも油断なかった。
観察する。探る。呼吸から毛の動きを隅々まで模索する。
対峙した者同士だからこそわかることも多い。なによりここまで実力を示されたのであれば認めざるを得ない。
――そういやコイツ人種族とやらだったか。と、なればもってやがってもなんら不思議じゃねぇ。
結果、少年は相応の敵へと昇華していた。
ルハーヴは、ここにきてようやく意味を紡ぐ。
「《鷹の目》」
マナを瞳に集約させた。
短命ゆえ魔法の熟練値は他種族に劣る。とはいえ肉体の軽強化くらいならば容易いこと。
はじめて封を切る。魔法を使う。ここにはもう自負も驕りもない。
ルハーヴは顎を下げて虎の如く背を丸めながら敵を睨む。
――やっぱりかよ。こいつ半龍の娘と同じ色を隠してやがった。
じっくり、と。観察してようやく判明した。
少年の双眸の奥底には仄明かりが示され、宿る。
――へっ。もしまったく同等の力だとすれば当たらねぇわけだぜ。
その昔に覚えがあった。
棺の間で戦いが行われるのは別に珍しいというわけではない。ただその日は阿呆が半龍の娘と稽古をしていたというだけ。
龍なんぞに勝負を挑むなんてみずから心を折られに行くようなもの、下らない。
だが、ルハーヴはその下らない記憶をいまも鮮明に網膜へ焼きつけている。
――生命を注ぐ蒼き力か。半龍娘の戦っている姿は鮮烈なまでに美しかった。
思わずクク、と口角が自然と引き上がった。
種が明かされれば、なんてことはない。こちらもそれを上回る実力でねじ伏せればいいだけの話。
そうやってルハーヴが脳内に意識を巡らせながら策を企てていた。その微かな意識の隙間に突拍子もない声が滑りこんでくる。
「動物じゃあるまいし、そんなもんだろ」
「……はァ?」
ピタリ、と。戦場の空気が膠着した。
策を巡らす脳が麻痺を起こし意識が引き戻される。間合いを計る足でさえ静止する。
いま彼はなんといったか。ルハーヴは脳内で反芻しながら耳を疑った。
「おまえ……ここまでやって仲間を信じてねぇってのか?」
「信じてるさ。ただアンタとは信じるの方向性が違う」
少年はあっけらかんと言い放った。
さらに戦いの最中だというのに驚くべき愚考にでる。
構えを解くどころか白刃の剣を腰の鞘にすらりとしまう。
「人間は平気で裏切るし他人の頭を踏み越えてまで先に進もうとする。自分最優先で後ろに人が倒れていようが目もくれない。争いを悲観して平和を求めるけどそれでもまた覇権を得ようと誰かが紛争の火種を作る」
だからどうした。いったいどちらが挑戦者なのだろうか。
少なくとも彼の佇まいは、威風堂々としており、弱者のソレではない。
しかもはじめからいまこのときに至ってなお少年は、見つめつづけている。
真っ直ぐに。精錬と思わせるほど愚直で、強固に。それが信念であるといわんばかり。ひとたびとて対峙相手から逸らしはしない。
その姿が、佇まいが、気に食わない。
「じゃあどうしてそう軽々と信じるなんて口に出来ンだよォ!!」
ルハーヴは、青筋立てながらなりふり構わず怒鳴り散らす。
たかが20年も生きていないであろう小僧になにを悟れるものか。
なによりこの灼熱の如く湧き上がる怒りの根底には、己の信念が関わっていた。
「そんなくだらねぇ連中をテメェは命懸けで救おうってのかァ!? 吐きだす言葉と行動が真逆なんだよテメェ――」
「そんなどうしようもない連中でも必死に歩調合わせながら同じ屋根の下で不器用に生きていたんだ!! だからオレはそんな不安定でままならない人間という生き物が心の底から――大好きなんだ!!」
「――クッ!!?」
横面を張られたような気分だった。
脳が揺れ、全身が揺らぐほどの衝撃だった。
はじめから気に食わなかったのだ。だから少しちょっかいでもかけてこの不満を晴らそうとした。
だがようやくその飲み下せなかった理由をルハーヴは理解してしまう。
「アンタだって勇者と名乗れるまでの正義があったはずだ。きっとそのころは後ろに守りたいものを背負っていたんじゃないのか」
この少年は、この身と同じほどに心という器が似すぎていた。
失意の果てに落ちぶれた己と同じか、それ以上に絶望を知っている。
「お、俺は……ち、違うッッ!! 俺はあいつらに売られて処刑されたんだッッ!!」
「アンタが勇者という称号を抱えながら必死に守った連中全員がひとり残らず裏切った、そういいたいんだな?」
とうにルハーヴの構えは崩れていた。
槍は手にただ手にぶら下げているだけで、握りもしていない。
さらに言葉を叩きつけられるたび指先からすぅ、と熱が引いていく。
「……ぜん、いん? おまえ、いったいなにをいって……」
止めろ。そう、心が張り裂けそうだった。
止めろ。そう、全員に裏切られたことにしておけば楽だった。
止めろ。同胞に売られて惨めに死したという幻影で代えなければ、耐えられなかったから。
「嫌というほど誇張された煌びやかで荘厳な勇者の伝説は他国にまで広まっている。ヒュームの国を飛びだし時を超えてまで語り継がれ讃えられている。なのにアンタは誰からも認められずその生涯を終えたって言い切るのか」
立ちすくむルハーヴへ言葉という拳が切り殴りかかった。
忘れかけていたはずの思い出の扉をこじ開ける。これを暴力といわずしてなんと呼ぶ。
「だとしたらアンタのやっていることは過去を愚弄し塗りつぶす行為に他ならない。同種のために勇敢に戦って勇敢に死んだ勇者の名を冠した男への侮辱だ」
からん、と。砂上の伽藍に槍が放り落ちた。
過去に置いてきた憤怒がすぅ、と抜け落ちるのがわかった。
死して注がれるはずの恥のはずだ。なのにいまなおこうしてぐずぐずと未練を残して立ち尽くす。
――おれは、おれは、情けねぇッッ!!
「テメェにィィッッッ!!!!」
気づいたときには徒手で駆けだしていた。
技術もなければ策も武器もない猪が猛進するかの如き攻撃のようなもの。
「俺が味わった絶望のなにがわかるってんだよオオオオオオ!!!!」
そして顔面は烈火を体現したかのように血色1色だった。
拳が頬横をかすめて限界まで引き絞られる。
「ガキ如きに絶望の味ってやつがわかるかアアアアア!!!」
「オレのときは鉄の味だったよ」
高速で顎先へ迫っていた。
しかし腕の穂先が瞬時に止められたことで風は少年の前髪を散らす。
ルハーヴは、何者にも触れずに拳を引いて踵を返した。
「テメェ……いや悪ぃ。確かミナトだったか?」
踏みつけた足跡を踵で撫でるようにして引き返す。
怒りで蹴るのではない。長い足を交互に繰りだし散歩するように定位置へ向かう。
そうしてルハーヴは辿り着いた先に横たわる愛槍を踏んで立たせ、握りしめる。
「俺如き余裕で超えねぇとてんで話にならねぇ。もしあの大陸最強の剣士であり大陸最強種族の龍に勝ちてぇならなぁ」
超えてみろ。銀の穂先が大気を震わす。
腰をひねり突けるようを若干ほど低く落とし足裏に大地を確かめる。顎は引いて視界は広く意識も澄ます。
「西方の勇者ルハーヴ・アロア・ディール!! 正々堂々推して参る!!」
きっと問われるまでもないのだ。
なぜなら彼の腹はこの試合がはじまるより遙か過去に決まっている。
「応。当たり前だ」
両者再び武器を構えて対峙した。
しかして両者の表情に怒りは露として存在していない。
勇壮で精錬とした笑みにて向かい合う。
そして姿を拝見する誰もが、静寂を覚え、緊張の面持ちで見守る。
それは次の対峙にて決まる、勝負の結末を見ているかのようだった。
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