297話 血色の淡き執着《Thirsthy Hopeless》
「西方の勇者と互角? 冗談だろ?」
これは夢か。
しかも最悪なことに悪夢の類い、笑えない。
勇者とどこぞ分け知らぬ人なる種族が真顔で打ち合いを行っている。
これを現実と称してなるものか。目を疑うしかない。
「雑魚相手になにエグいことやって踊ってんだよォ!! とっとと全力だしやがれやァ!!」
ティレシアは額に青筋を浮かべながら罵倒を飛ばす。
なんたる侮辱か。救世主の誓約を担いだものがこれほどまでの恥をさらすとは。
せせら笑っていたはずの救世主たちが試合模様に視線を釘付けにしながら愕然と目を剥く。
「あ、あれ……ヤバくねぇか? ルハーヴのやつマジでやってんだろ?」
「当たり前だろ……! あんな攻撃アタシらでさえ三切れねぇ……!」
すでに旗色が変わりつつあった。
形勢は逼迫に他ならぬ。一方的な試合だと想定していた。にもかかわらず舞台のふたりは一進一退を演じつづけている。
あのプライドの塊のような男が手を抜いているわけがない。その証拠に攻めは果敢でまるで暴風であるかのよう。
しかし人の子はそんな勇者相手に防ぐどころか斬り返していく。
目まぐるしい光景を前に救世主たちは総じて、戦々恐々。身と表情を強ばらせながら凍てついている。
「まさか……あのガキが勝っちまうのか? あの西方の勇者とまで謳われた伝説が……負ける?」
「ば、バカいうなよ! それじゃあここにいる俺らより強ぇってことになるじゃねぇか!」
「初めて戦ったときはあんなボロクソだったってのにたったの数ヶ月で追つけるわきゃねぇだろ……!」
「じゃあアタシらはいったいなにを見せられてるっていうんだい!? どうして決闘がはじまって半刻も経つのに勇者が勝ち鬨をあげてないんだい!?」
怯え、讃え、畏怖、激怒。様々な感情が口々に淀んだ憶測を並べていく。
が、全員が己に気づいてそうやって日和見を決めているのは明らかだった。
認められないのではなく、認めたくない。
馬鹿にしていたはずの、せせら笑う対象でしかなかった者へ恐れを抱ことへの、恐れ。
それは超高速で追いついて、音速で追い抜こうとしている。
だからこそ認めたくない。現にこうして無頼たちは目の前で繰り広げられる真なる事実を否定しかかっている。
――まさか!? ヨルナの野郎が身体をなかで操ってやがんのか!?
豊かな胸の辺りにぽっと湧いたのは、淡い期待。
しかしレティレシアの膨らませた少女の爪の如きか細い期待は即時霧散する。
ヨルナがこちら側にいるのを発見してしまう。闘技場の高所にある客席側にちょこんと膝を閉じて座っている。
「う、嘘でしょ!? まさかこんなに強くなってるなんて!?」
中性的な顔は青ざめ切っていた。
彼女もまた慄きながら階下に広がる舞台を見下ろす。
人の子とともに並び歩いていたヨルナでさえ想定外のなにかが起こっている。
漆黒色の目をあふれんばかりに丸くしながら全身が驚愕で打ち震えていた。
いっぽうリリティアはうんと目を輝かせている。
「ほらほら見てください! あの動ききっと師匠である私の動きからインスパイアを受けたに違いありません!」
横でゼトは膝を叩いて胴間声で太い喉を転がす。
「カァーカッカッカ!! 剣で槍に食らいつかれっちゃ西方の勇者も形無しじゃのう!!」
「あんニャロ実力を煙に巻いて隠してやがったなァ! 師匠を騙くらかすたぁ不貞なヤロウだァ!」
アクセナもまたどこか誇らしげ弟子の奮闘を見守っていた。
誰もが一方的に終幕すると考えていた。調子に乗った生意気な餓鬼が見るも無惨に屈することを望んでいた。
しかしその潮目は裏を返すほどに激動しつつある。剣戟が奏でられるに連れて少しずつ追い風となって吹きすさぶ。
「あのルハーヴとタメ張るとは見上げた根性をしているわ。いったいどれほど血の滲む研鑽を培ってきたのかしらね」
魔女帽子の女性エルフは紫煙を燻らす。
すると近くの甲冑男もその後につづく。
「アイツは根無し草のように飄々としているが決して弱くはない。他種族相手であろうとも挑み打ち勝つ強さがある」
「たとえ落ちぶれたとして身体に覚えこませた技はそうそう曇らないわ。ヒュームたちにとっては信じたくない話でしょうけど、なればこそあの子の実力を認めるしかないわね」
その熟達者たちを中央にして反論が波及しつつあった。
救世主たちが次々に夢から現へと目覚めつつある。野次を飛ばしていたはずの連中が見る間に歓声と喝采と檄を飛ばす。
喝采はやがて荒波の如き波乱に奮起していく。ざらざらという暴雨となって会場全体を揺らがした。
一角では育てた我が子の取り合いがはじまっている。
「やっぱり私の超実践的な教えかたが良かったんですよっ!」
「バカいってんじゃねーあれはあちしが丹念に作り上げた傑作だー!」
リリティアとアクセナは誇らしげに朗らかな笑みを広げていた。
まるで人種族が負けるなんて微塵も思っていない。そんな様相を帯びながらふたりは高みの見物を決めこんでいる。
聞き捨てならない。レティレシアは大鎌を背負うと大股になってそちらに向かう。
「おい。あのクソ雑魚鍛えてんのは剣聖だけじゃなかったのか」
首をもたげた刃をリリティアの首へと差し向けた。
しかし彼女は露とも意に介さない。そのまま平時と変わらぬ居住まいで「違いますよー」と返してくる。
「午前中からお昼にかけては私が技術と実践を担当してます。午後からはアクセナが体力や胆力といった肉体と精神の両方を面倒見てあげてます。それから夜もなんかやってるみたいなんですよね」
リリティアは白細い指を教鞭の如く振った。
つつけてアクセナも座りながら大股を開いて平坦な胸を押しだす。
「飯は1日1食から2食で自給自足だかんなー。もし自分で魔物が狩れなかったら狩れるまで延々外を彷徨わせてんだー」
あまりに無茶苦茶だった。
それはもう修行というより拷問に等しい。
なおそれが最底辺の種族と同格となれば、より酷い。
「強くなるためにはやっぱり生命の危機が大切ですからね。そうやって命を削りながら食い扶持を探す。これぞ私流のすーぱーな育成法というやつです」
「死なせねーぎりぎりってのが重要だーな! なにより実践は鍛錬を繰り返す数十倍の学びが得られんだーかんなー!」
そうして互いに功績を奪い合うようこくり、こくりと頷く。
朗らかに語られているが、内容は想像に難いほど、過激すぎた。
あまりの境遇にレティレシアは怒りを忘れて愕然とするしかない。
「あのクソ雑魚……伝説級の実力の持ち主2匹から教えを受けているだと……! そんなもんどこぞ新兵鍛えるにしても裸足で逃げだすレベルじゃねぇか……!」
決して人の子の身を案じているわけではなかった。
だが彼女にとってはどうにも信じ難い。種族特性というのはそれほどまでに溝が深く、果てしないもの。
「大陸では他種族の師をとったバカから身を滅ぼすってのが通常だろうが……! そんな弱小の種族と同等でありながら龍とドワーフに扱かれ無事でいられるわけがねぇ……!」
「普通ならばそうだったでしょうねぇ。なにしろ私たちは私たちの鍛えかたを彼に強制しているだけに過ぎませんから」
ひょう、と。言葉を遮るみたいに大鎌が風を薙いだ。
当然どや顔をするリリティアの首を落とそうとしたわけではない。これ以上高圧的に武器を差し向ける理由がなくなっただけ。なによりどうせ狙ったところでそもそも躱されていただろうが。
そうしている間にも決闘は白熱し、会場がわあと煽られる。
両者ともに拮抗、あるいは逼迫。どちらも決め手には及ばないが譲ることもなかった。
立ち会う2名が向かい合いながら激しく肩を上下させる。
少年の側には冷気を帯びた緊迫を帯び、ルハーヴの表情からは焦りと苛立ちが見てとれた。
その光景を双眸に映しながら思わず歪めた口角の端から悪態が漏れる。
「……クソが」
臓物が煮え爛れるほど、気に食わない。
想定していた悦楽は、不純なまでに裏切られた。
そんな主を置いて、海千山千の無頼漢たちが喝采に踊る。
ここにいるのは主であるレティレシアが選定した揃い踏みの実力者たち。武を極めし者たちからの評価は、まず間違いない。
少年は、強くなっている。それも想像を絶するほどの異常な早さで。
「ずいぶんとご機嫌斜めなんだね」
ふと声がして血色の瞳が試合から横に逸れた。
するとそこにはいつからそこにいたのかヨルナが立っている。
その横には赤髪の小龍もまた鱗の薄い肉厚の尾を席から垂らしていた。
「これはキミが望む未来じゃなかったかもしれない。だけどキミが好む退屈とは真逆の展開さ」
彼女はこちらに視線のひとつもくれようとはしない。
清廉な横顔に片手で髪を押さえながらただただ見澄ます。人種族の少年と同胞の苛烈な決闘を黒い瞳が追っている。
レティレシアは大鎌を回して「なにがいいてぇ?」と、やや威圧気味に細い尾をいなす。
「キミは彼に実力を求め、彼もまたキミの求めに応じた。なのにもかかわらずキミは一向に彼を許容出来ないでいる。それはいったいなぜか」
ヨルナは首元のスカーフに指をかけた。
そして凜とした眼差しでレティレシアを睨み返す。
「親友」
純真無垢で真っ直ぐな瞳だった。
たまらず澄んだ視線に射止められレティレシアは、たじろぐ。
返す言葉を探したが、紡ぐことは無理だった。
「親友の背を彼に求めるのはもう止めにしよう」
ぐさり、と。胸の中心に刺さるような気配さえ覚える。
だってそれは、それだけの威力を秘めた真実の槍だった。
レティレシアは奥歯を軋ませ牙を剥く。
「っ、テメェは悔しくねぇのかよ……! 幾百と夜を駆けて待ち焦がれた相手があんなちんけな小僧だったてのによ……!」
「はじめは僕だって失望する思いのほうが大きかったことは隠しようのない事実さ」
「だったら――」
「だけど僕は彼のことも好きだよ。イージスだけじゃなくてミナトくんのことも大好きになれたんだ」
ヨルナはふふ、と恥ずかしそうに肩をすくめた。
頬に朱色を僅かながら浮かべて鮮やかに微笑む。
「彼のことも見てあげなよ。きっとレティレシアだってミナトくんの……」
「なんでそこで言葉を止めるんだよ……」
「んー……ヤバいところとかがたくさん見えてくると思う。少なくとも退屈とは正反対な性格してるからさ」
レティレシアは口癖のように「チッ」舌を打つ。
胸中に渦巻く情念の正体は、彼女のいう失望と別のところにある。
――余が……執着しているだと……! あんな餓鬼如きに、なにを期待してるってんだ……!
認めたくないからこそ見ていなかったことに、気づかされた。
だからこそレティレシアにとってはそれが無性に腹立たしく、不快だった。
認めたくなかったというのもある。その上、裏切られたという心の荒みもある。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
その刹那。闘技場で猛々しい咆吼と閃光が爆ぜた。
5流以下だったはずの猫が獅子に食らいつかんとする。
その姿はレティレシアの目から見ても勇敢で、堅固。揺らがぬ意思と滾るような魂が垣間見えていた。
「ああしている姿をよくよく見てみれば貴方が大切にしていた横顔にそっくりですよね」
聞こえてきた声へ即座に「……似てねぇ」と、むくれ返す。
「そうでしょうか? 不器用なくせに真っ直ぐひたむきで、泥臭いところとかまるで同じですよ?」
すべてが気にくわねぇの一言に尽きた。
母であるリリティアが満更でもなさそうに笑みを浮かべているのも、気にくわねぇ。
己の定めた盟約のうちに蔓延る救世主たちが奮い立つのも、気にくわねぇ。
「ミナト・ティール」
あらためて呼んだ名も、やはり気に食わなかった。
…… …… …… …… ……




