296話【VS.】背に栄光と傷跡 勇者ルハーヴ・アロア・ディール
決闘当日。列挙する救世主たちが広大な円形を囲う。
期待値は語るまでもなく肌身に感じる。とうに興奮の熱気と殺意めいた冷気が混同している。
血と汗が大いに染みついた会場には、大勢の無頼たちがひしめいていた。
若いエルフの男が頭の後ろで手を組む。
「こりゃ勝負はついてるようなもんだな」
長耳を揺らしながら退屈そうに大あくびをくれた。
他の観客にもドワーフ男、虎耳女など。まさに群雄割拠。強き者らが種族の垣根を越え存在する。
「相手はヒュームとはいえあの西方の勇者だ。錆びついてもそこいらの雑魚に劣るもんか」
「ここにいる連中は大番狂わせも勝ち負けもハナから気にしちゃいねぇのさ。血が見られりゃそれで今夜は安眠ってわけよ」
飛びだすのは言葉はみな相応に、言いたい放題である。
その様はまさに、駄弁る。英雄のなりそこないたちに品はない。
そしてその無頼たちの頂点存在とばかりに蝙蝠羽の主が君臨する。
「キキッ! 剣聖との決闘まで退屈するかと思えば嬉しい誤算もあったもんだぜ!」
物見用の玉座まで用意して、ふてぶてしい。
持ち前の美貌を掻き消すほど、この場の誰よりも深く強烈な笑みを刻む。
悠々自適とばかりに特等席に浅く尻を落としながらむっちりと肉の厚い白い足を組みえた。
会場のボルテージはすでにはち切れんばかり。これでお流れにでもなれば暴動のひとつふたつはくだらない。
期待と高揚によって待ち望まれる演目は、弱いものいじめ。救世主たちのなかで1人として他を望むものはいない。
「……きたか」
闘技場の中央には勇壮な男が1人佇んでいた。
熱気と殺気が飛び交うなか。一切の平静を乱すことはないあたり強者の面影が垣間見える。
手には歴戦の証したる装飾としても煌びやかな5尺ほどの槍を携えられていた。
しなやかな柄とは対比するかの如く。穂は分厚く無骨。まさに打ち、貫くといった殺す意思が籠められている。
そして勇壮なる男は、開眼と同時に接近してくる気配を睨む。
「逃げなかったことを褒めてやる道理はねぇ。もし逃げたら追いかけて細切れにしてたところだしな」
「…………」
あのとき以来の邂逅だった。
ミナトとルハーヴは6日ぶりの再会を果たす。
あのときと異なるとすればどちらもが万全であるということ。
万全というのは体調や具合を示す指標ではない。いまは互いに互いを敵として認識し、両者ともに舞台へ上がる。
ミナトの登場に会場のボルテージはもうひと段階ほど熱意を上げた。
「無様晒すんじゃねぇぞォォ!!」
「ガキのお守りくらい片腕1本で澄ましてやんな!!」
まさに喧噪渦を巻く。
そんななか客席には祈り結ぶ者もいる。
テレノアは、背を丸めながら祈りを捧ぐ。
「お願いですルスラウス様……! どうかミナトさんへお恵みをお与えください……!」
両目をぎゅうと閉じながら波髪の垂れる額に祈り手を押しつけていた。
騒音のなかで聖女が祈り結ぶ。そのか細き祈りは無頼たちの侮蔑や濁音によって簡単に掻き消されてしまう。
そんな祈り手をザナリアは引ったくるようにして掴み、引き寄せる。
「な、なにをっ!?」
「覚悟を決めた男の決意を神に祈り滲ませるなんて無礼千万甚だしい行為です」
冷たくも真の籠められた瞳だった。
射貫かれたテレノアは「で、ですが……」と、目を伏せてまつげの影を伸ばす。
ザナリアは、案じながら言葉を詰まらせるテレノアの頬に優しく手を伸ばし、触れる。
「我が友を見くびらないでくださいませ。そしてあそこに立つ我が友は貴方の友でもあるのですよ」
慈愛にあふれた美しく可憐な笑みだった。
2人の身には来賓用の煌びやかなドレスがまとわれている。
それ以外にも人間との繋がりの多い者たちがこぞって客席に集まっていた。
「ミナト、大丈夫かな?」
「さー、どうだろうねぇ。僕に出来るのは心身ともに傷ついた彼をひと晩中慰めてあげることくらいかなー」
「スーちゃん! 小さい子に意地悪いっちゃダメだよ!」
小龍、海龍、エルフの少女もまた人と縁を結ぶ者たち。
それぞれがそれぞれに思いを抱えながら固唾を呑んで見守っていた。
会場にはミナトの師である剣聖、不動明迅、双腕という傑物たちまでもが肩を並べている。
「キサンらの弟子はずいぶんと血の気が多いのう。時すら待てずに喧嘩押っ始めよったわい」
「人とヒュームはあちしらとは違うんだー。時の流れが速いというのが通例ってやつだなー」
ゼトは鉄腕で髭をしごき、しごく。
その横で斧動明迅アクセナ・L・ブラスト・ロガーが大股開きながら伸びをくれた。
「して……育てのお前さんは、どうと見る? ヒュームとはいえ西方の勇者が相手じゃ。そう簡単な話ではなかろう」
相手は百戦錬磨。
対してミナトは剣をもって半年と経ていない。
歴戦と凡庸。戦力の差は日の目を見るより明らか。
だがリリティアは、静かに三つ編みを横に振って見せる。
「人間という種族がなんの根拠もなく場を乱すような愚かな真似をするとは思えません。正直なところ私には結末がまったくの予想ができないといったところです」
居住まいは精錬で、金色の眼差しは真剣そのもの。
彼女の視線は会場から一瞬として逸らされることはなかった。
歓声や罵声がさめざめと収束していく。会場に残されたのは尾を引く雑音の残響のみとなる。
肌で感じる。間もなくはじまろうとしている。対峙する2人は身体をほぐしながらようやくお互いを認識する。
「おいせっかく受けてやったんだぜ? なんとかいったらどうだ?」
ルハーヴは、ニヤけながら威嚇する。
虎の子の如き薄ら笑いを浮かべながら余裕を見せていた。
しかしミナトのほうは取り合いもしない。
胸板の革紐を確認してから腰の剣の位置を丹念に整える。
「ハッ! びびって口もきけねぇってか!」
その一言に観客から嘲笑が渦を巻いた。
渦の大きさは円形闘技場が浅く轟くほど。そのどれもがこの試合を試合として認識していない。
すでに全員の瞳のなかでは一方的な責め苛む、痛ぶり、屈服を再生しているのだろう。
機を見計らうようにしてレティレシアが口角を吊り上げる。
「殺しはなしだ。その代わり好きなだけいたぶりつくす権利を互いに与えてやる」
吸血鬼に相応しい孤を描く血色の笑み。
紅潮。興奮。欲情。王座にてふんぞり返る様は愉悦を噛みしめるが如く。
そして片腕で優美に振り上げられた大鎌が振り下ろされる。
「小難しいルールやお行儀の良さはいらねェ!! 好きなだけ盛り合って余を感じさせてみやがれェ!!」
無頼の女王から下された達しは、単純明快。
彼女の手みずからによって試合開始が布告された。
だが、双方にこれといった動きはない。
「…………」
「…………」
ルハーヴはゆっくりと外周するだけだった。
対してミナトも未だ剣は腰の鞘におさめられたまま。正中線で彼を追いつづける。
間合いの外側から互いを計る。その間にだっていまにも爆ぜそうなほどの緊迫感が身を軋ませていた。
どちらかが動けば決闘の幕が急激に開く。場の全員がその瞬間を焦がれ、待ち、怯えながら予想している。
「こねぇのか?」
「…………」
「まただんまりかよ。会話にもならねぇのはつまらねぇな」
開始のゴングを打ち鳴らすのはどちらか。
どちらか、どちらだ。水面下に沈んだ期待値がいままさに最高潮に至ろうとしていた。
「ッ」
そしてはじめに動いたのは、ミナトのほう。
剣は抜いていない。しかし手にした別の武器をルハーヴに構える。
そして次の瞬間だった。彼の手にした筒から雷光の如き閃光が爆ぜたのだ。
「っ。……なんだこりゃあ?」
つつ、と。ルハーヴの頬に1本の赤い筋が伝う。
触れて見れば頬の皮膚に1閃。浅い傷が口を開いて血を吹いている。
「矢かッ!!?」
否。だがさすが手練れといえよう。
ルハーヴは即座に切り替えた。虎の如き速さで駆けだし、回避行動に移った。
ミナトは影を追うようにして構えたカービン銃の引き金を刻む。
「妙なもんもってると思えば初っぱなから使ってくるとはなァ!! なかなかどうして憎いことしやがるじゃねぇかァ!!」
飛び、跳ね、まるで猿か曲芸師の身のこなしで銃弾を躱す。
「1発目はサービスで外してやったんだ。だからこれを卑怯とはいわないでくれよ」
ミナトは冷徹にサイト越しのルハーヴを追う。
全弾射撃ではなく指切りでの精密射撃を行使していく。
だが、すでにルハーヴは銃弾にも対応しはじめていた。
「恐ろしく早え、目視さえ叶わねェ!! でもなァ!! そういう手合いは初めてじゃねぇんだよォ!!」
槍を高速で回転させながら銃弾を弾く。
これによって彼の回避行動である飛び、跳ね、躱すに弾く、逸らすが追加される。
そしてルハーヴは弾丸を弾きながらミナトに向かってもう突進を開始した。
「いつまでも涼しい顔してんじゃねぇよ」
「――っ!」
鋭い。下方から振り上げが風を薙ぐ。
同時にカービン銃が縦に切断され、破砕してしまう。
だがミナトに傷ひとつついていない。完全に槍の間合いを見切って身を逸らし切っていた。
「お前はちゃんと負かしておいてやる。ちゃんと心からの謝罪が出来るようにな」
「雑魚が調子に乗るなよ。やれるもんならやってみろや」
ここでようやく言葉が交わされる。
さらにミナトは腰の剣を引き抜く動作で居合いを放つ。
「フッ!」
白刃の骨剣が逆袈裟切りの軌道を描く。
が、ルハーヴはそれを槍の柄で受け止めた。
「ヘッ、これは嬉しい誤算だぜ。お前の斬撃で受け手が軽く痺れたなァ」
互いがいま初めて己のもつ武器を携える。
2人の間合いが煮詰まることで武器同士での押し合いへと転じた。
しかし余裕があるのは傍から見てもルハーヴの側である。
「剣聖に弟子入りしたんだってなぁ? 世界最強種族の剣技はさぞ鋭かろうよぉ?」
「くっ!?」
ミナトの身体はじりじりと押されていく。
踏ん張るも上背の勝るルハーヴの腕力によって靴裏が足下の砂を分かつ。
「それが圧倒的に覆らねぇ種族格差ってやつなんだよ。そしていまからお前はこの大陸世界でもっとも弱ぇ種族である俺に負ける」
耳を舐めとるような囁きだった。
絡め捕らんとする毒蛇の囀り。心をへし折り沼の底へ引きずりこむ。
そしてルハーヴは腰を捻ると同時に強烈な蹴りを繰りだす。
「……ほう?」
虚を衝く。
しかしミナトは半身を開く最小動作で回避に成功していた。
すかさず空いた隙目掛けて上段から白刃の刃で斬り伏せにかかる。
だが、すでにもうそこにルハーヴはおらず。空振りになってしまう。長い脚を使った悠々自適なバックステップでの立ち回りだった。
2人は間合いが開いたことで再び睨み合いへと後退する。
「あぁ~……? 当てるつもりだったんだがなかなかに目がいいじゃねぇかよ……?」
「別にアンタの攻撃が鈍いとはいわないさ。だけどリリティアとフィナ子の剣のほうが遙かに早いってだけだ」
ルハーヴは「チィッ」と軽く舌を打つ。
槍を杖代わり立てると、色素の薄く毛根のしっかりとした短髪を強引に掻きむしる。
「せっかくのイベントだってからうちのお姫様にも楽しめるよう手を抜いてたんだが……――ちっとばっかしマジでいってやるとするかぁ」
彼が面を上げた直後眼光が鈍く光を放った。
凍えそうなほどに強烈な寒気。ミナトのなかで芽生えた感情は、腰が引けそうなほどの怖気でもある。
強者ゆえんの覇気に当てられ全身の毛穴が一斉に開くのがわかった。焼け付くように肌が膨大ななにかがくるという未来を予見する。
「ミナトくん注意してッッ!!」
響いたのは客席にいるヨルナの金切り声だった。
いわれるまでもない。そう、ミナトが脳内で巡らそうとした刹那にそれは起こった。
戦局は急激な乱れを生じさせる。
「これで仕舞いにさせんなよ」
すぐ近くでルハーヴの声がした。
ミナトは心臓が破裂するかと思うくらい慄く。
「下だとッッ!!?」
その瞬間顎先かすめて穂先が視界を跨いだ。
辛うじて回避できたのは奇跡と実力のどちらもを有していたから。
聖騎士や剣聖という化け物との経験がなければ、いまごろ顔面が2枚開きになっていたことだろう。
「シィィィッッ!!!」
しかしそれははじまりの1手でしかないことを知る。
連撃。ルハーヴの手によって100と見紛う無数の閃撃が四方八方より襲来する。
しかも1撃1撃が必殺の威力を秘めていた。一朝一夕如きでは決して届かない神域の槍捌き。
もし受けを1手ミスすれば当たったときの結末の想像は悲惨なものでしかない。
だが、もし当たらなければどうなるだろう。その神域の穂先のすべてが当たらなければ必殺は必殺となりえない。
「……マジかよ、オマエ……」
強者は目を剥いて驚愕に色を変えた。
咲くは、猛々しき火花。
轟くは、鮮烈な共鳴。
「オオオオオオオオオオオオ!!!」
防ぎきる。
ミナトは、咆吼を発しながらそれらすべてを確実に受け、流し、逸らす。
簡単なものか。だが、やれないことでもない。
そして絶え間ないルハーヴの連撃に1発のみ、動揺というほつれが生じる。
ミナトは思い切り脚を踏み込むことで勢いをそのまますべて踏み潰す。
「種族特性? 弱い種族?」
「ッ!? そん、な、バカなァッ!?」
穂先を踏まれたルハーヴは前方によろめく。
すでにミナトのもつ白刃の切っ先は、彼の顎先を捉えている。
敵を狩るは、死神。そう、それは光の抜けたあのころの瞳を想起させるものと同義。
「だから、どうした?」
つつきをやろう。
切っ先を下ろし穂先から脚を退ける。
勝負を放棄するに等しい愚弄だった。
「上等だテメェエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!」
そしてより苛烈に。
鮮烈かつ猛烈に。
死の大部隊で大渦の如く駆け巡る。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆




