295話 過去の栄光、一族の勇者《Double ー Crossing》
死にかた。このワード1つで全員が理解しただろう。
ここから先語られる物語は、明るいものではない。
まつげを伏せたヨルナの頬はすでに治癒魔法で完治していた。
そうして彼女は紅茶の水面を見つめながらとつとつと語り始める。
「同種であるヒュームを他種族との戦争から守り抜き煌びやかな栄光を抱きながら死した勇敢な男。多くの種族は彼をこう認識しているだろうね」
「他国過去ということで知名度はさすがに高いとはいえません。しかし勇者ルハーヴの勇猛果敢な英雄譚はエーテル国にさえ伝わっております」
「私の見識によればいまより200年以上前にご活躍なさった御方ですよね。そのころはいまと異なって種族たちが国境という枠組みに縛られながら常に睨み合っていたと伺っております」
いつしかザナリアとテレノアは僅かに前のめりになっている。
語り継がれる伝説に種族や国は関係ない。ヨルナの語りに興味津々といった様子だった。
――なんか歴史の授業っぽくなってきたなぁ……正直メンドイ。
しかしそうでないものもいる。
ミナトは気だるげに頬肘をつく。
――いまがあって過去があるんだ。結果的に落ちぶれたヤツの昔話なんてどうでもいい。
とはいえ少女2人がらんらんと銀燭の瞳を輝かせていた。
これではさすがのミナトとて話の腰を折るのは忍びないというもの。
「ヒュームという戦闘にむかぬ種族でありながら他種族に立ち向かうその雄々しさ。もし彼が短命種族でなければ是非とも現世にて手合わせ願いたかったところですね」
「月夜の光を封じ込めた伝説の槍ニルヴァーナ。涅槃の槍を携えた勇者は炎をまといて風を薙ぐ。多くの種族が尾を巻き身を縮め彼の残影に恐怖する。これぞまさに一族を守護せし英雄の詩ですねっ!」
ザナリアは感心したように首をこくこく縦に揺らす。
テレノアも絹のように白い頬の横でぽんと手を打つ。
伝え聞く話なのだから多少の誇張はあるだろう。伝説とはまさに波紋の如し。語り聞く者の妄想のなかで肥大し手のつかぬモノとなる。
だが、ヨルナの口から飛びだしたのは、そのどれでもない。
「終焉を迎える真実の名に栄誉や栄光の類いは含まれていない。そう、彼が最後に呼ばれた本当の名は、逆賊のルハーヴ・アロア・ディールさ」
さすがに聞き捨てならなかった。
勇者からの逆賊。これでは没落ではないか。
固まるテレノアとザナリアを無視し、ミナトは話に割って入る。
「勇者から逆賊とは波瀾万丈が過ぎるな? アイツ最後に仲間でも裏切ったのか?」
「それは違うよ。裏切ったのは彼じゃないんだ。本当に裏切ったのは彼が守り抜こうと決めたヒュームたちのほうさ」
「っ……」
あまりの衝撃にそれ以上の声がでなくなっていた。
ミナトは、いまにも涙を零しそうなヨルナの横顔に、すべてを察する。
きっとおそらくは、勇者だったのだ。だからいまここで語られているのは、朽ちし勇者の物語。
「彼はヒュームのなかで強すぎたからこそ価値を生んでしまった。だから止めどない他種族からの襲撃に怯えた村民たちは精神的に追い詰められたとき結託してしまった。そうしてルハーヴという男を己が得る安寧の対価として売り払ったんだよ」
ヨルナは、残酷な物語を締めて紅茶をひとくち含む。
か弱き同族を守った1本の槍。確かに勇者はいたのだ。
しかしそんな勇敢な男を待っていたのは凄惨な裏切り。しかも敵の手に落ちてしまえば英雄は転じて逆賊となる。
逆賊のルハーヴ。そう呼ばれた男がその後どのように生を終えたか、なんて――……想像したくもないな。
「身を粉にして戦う者をおとしめるとはなんたる薄情さですかッ! 生物の風上にも置けない! それでは悪鬼羅刹の所業に他なりませんッ!」
うきうき、と。英雄に胸騒ぐ様はだった影もなかった。
ザナリアは烈火の如き怒りに震えながら身を強ばらせる。
「その後裏切り者たちはどのような末路を辿ったのです!?」
「力なく種として増える能力の高いヒュームはやがて上位種族であるエーテル族の奴隷となる。そう、解放の時が訪れるまでヒュームは闇となかを歩きつづけたんだよ」
「――ッ!? そ、そんな……なんという……!」
その握りしめられた拳に落とし所はない。
戦争。略奪。殴殺。裏切り。すべてが大陸世界で完結する、地続きなのだ。
歴史とは積み重ねて錬磨されていく。過ちという地雷を踏みながらゆっくりと整地が行われて、いまという形におさまるもの。
そして過去とは誇張と風化の2種類が存在する。輝かしく語られる譚もあれば、闇底深くへと葬られる譚もある。
「ですが……そのような悲しいお話を耳にしたことは1度としてありません。私たちエーテル族に伝わる勇者の伝説との乖離はいったいなんなのでしょう?」
「おそらく過去に起こった悲劇を上手い具合に隠蔽しようとしていたんじゃないか、って。少なくとも僕はそう考えているよ」
気の安らぐはずの喫茶店に暗くよどんだ空気が漂いはじめていた。
知る必要のないもの。しかし知らねばわかり得なかったことでもある。
それが勇者ルハーヴ・アロア・ティールの英雄譚。仲間のために生き仲間の手によって誅されし男の物語だった。
「とにかくもしとり返しがつくのなら僕からルハーヴに話を通してみる。ミナトくんだってあのときは疲れ果てていたんだしなにかの間違いだったってことに出来るかもしれない」
ヨルナは暗雲を払うみたいにゆるく首を振った。
彼女がおもむろに立ち上がるとカップの紅茶が僅かに乱れる。
「それでいいよね、ミナトくん」
「いいわけないだろ」
「うん。それじゃあいまから僕は棺の間に戻っ……――えっ?」
底の乾いたカップが置かれてカチャンという陶器の音が響いた。
小兎のように店員の少女が小股気味にこちらへ向かってくる。
「ミントティーをストレートでお願いします」
「かしこまりましたぁ♪」
カップを回収した彼女は甘い声と香を残して調理場へ立ち去った。
ミナトはおもむろに伸びを入れて瘤のような肩をぐるり、回す。
いちおう2人の友へ報告をしにきてみれば。やれ戦うなだの、聞きたくもないちゃちな話を聞かせてくれるものだ。
「もし向こうが首を縦に振って決闘が流れたとしても、オレは戦う。あのクソ野郎がヨルナを殴った現実は曲がらないんだからな」
願うは、意思貫徹のみだった。
抜いたのはこちらの側なのだ。勝手におさめてもらっては困り果ててしまう。
当然ここまでが説得なのだとしたならヨルナだって引くわけがない。
「でもキミはきっと負ける。もし次に彼と戦うなら容赦なくキミの心を折ろうとしてくるはずだよ」
墨色をした黒い瞳と、黒炭色の漆黒が、交差した。
睨み合いではない。互いの意思を明確に推し量ろうと努力している。
「なら目の前で大切な友だちが理不尽な暴力を奮われて黙ってろっていうのか? もしヨルナの目の前でヨルナの大切な人が殴られて黙ってられるのか?」
「ぼ、僕がたいせつっ!? そ、それは……時と場合によるかもしれないけど……」
真顔で発される言葉に突如としてヨルナの表情が崩れた。
ぼっ、と。赤くなって視線は惑う。太ももの内側をもじもじとこすり合わせる。
「じゃあ今回はその時と場合の巡り合わせが最悪だったってことさ」
しかしミナトは気にもとめなかった。
集まってくれた3人の平等な友を順繰りに見つめ直す。
「なにしろオレは、性根の腐ったアイツが、身の毛のよだつほどに心の底から、大嫌いだ」
堂々としていた。
さらに心から言い切ってしまう。
まったく意思は揺らがぬ。たとえ勇者の末路を知ったとして、だからなんなんだ。これに尽きる。
しばし沈痛めいた静寂が場に訪れた。離れにあるメインストリートから僅かなざわめきが屋内に流入する。
「私は貴方の意思を尊重します。曲がりなりにも勇者と呼ばれた男が婦女子へ暴行を行ったのです。それは明瞭な罪であることに変わりはありません」
「ふふっ。優しいミナトさんがそんなに誰かを嫌うなんてことあるんですねぇ。いえ、優しいからこその怒りなんでしょうね」
ザナリアとテレノアは困ったように眉を寄せながら微笑を作った。
当人が譲らぬのだから折れるしかあるまい。
ヨルナも力なく幅広の尻を椅子に落として徒労を讃える。
「わかったよぅ……いいだしたら本当に頑固なんだから。でも本当にマズいと思ったら決闘中でも僕は助けに入るからね」
まだ正直受け入れられないといった感じだった。
曲線美しい胸いっぱいに呼気を溜めてから深々とため息をつく。
いっぽうミナトは甲斐甲斐しい店員の少女から茶を受けとる。
「そういう事態にならないよう善処するよ」
「もうそういう事態になってるから善処してほしかったんだけどなぁ」
薄く笑みを広げながら若草色の茶を啜った。
信頼を置く友が案じてくれているのだから嫌なものか。表情にはあまりださぬようキリリと鼻の奥を洗い流すミントの香りを楽しむ。
こんなにも優しい少女の頬を張ったのだから同情の余地はなし。いくら勇者に冷たい過去があろうともそれはそれ、これはこれ。
――ただヨルナの考えとオレの考えは真逆だけどさ。
へっ。焦点がずれていることに気づくと思わずほくそ笑んでしまう。
すると気づいたヨルナがはたと前髪を揺らめかす。
「? なにか可笑しいことあったのかい?」
「いやべっつにぃ。ただ悲観してると人ってマイナスのほうにしか視界が狭まるんだなぁ、と思っただけだ」
「……この場で人はキミしかいないんだけどね」
どうやらこれで話はまとまったらしい。
そしてもう動きだした秒針が止まらないことを意味している。
――落ちぶれた勇者か。いちおう最終調整くらいは入れておくとするか。
予行演習と称してはいたが今回の勝負こそ分水嶺となるだろう。
勇者に勝てねばそもそも剣聖に叶う道理なし。勝負自体が己をどれほど突き詰められたか測定器具のようなもの。
今回ミナトのもつ唯一のメリットは、油断をしていないこと。どこまで1流に食らいつけるかが争点となる。
「いらっしゃいませぇ♪」
店員少女の屈託ない迎えの声が店内に響いた。
微かに緩んでいた空気が揺らいで全員が店の入り口のほうを見る。
しかし1つしかない入り口に飾られたベルが奏でられることはない。
おそらく客ではないであろう女は、別の扉から姿を現す。
「たくよぉ……いちいち面倒くせぇことはじめやがるぜ」
そこにはなにもなかったが、がいまは存在していた。
シックな店内に似つかわしくない青銅の扉がぽつんと口を開いている。
「で、だ。余に面倒ごとぜんぶ押しつけやがったゴミクズは女を囲ってランチときたもんだ」
ヒールで床材を打ちながら首を回す。
高く括った髪が深い川のように流れ、頭には山羊の角が生え伸びていた。
すらりと背が高く痩せているが、彼女が上等であることに異論を唱えるものはいまい。
全身から色気がむんっ、と香るほど。女性らしさを強調する服装は性的で、歩むたびに尻や太ももが波を打つ。脆弱なまといからは膨よかな箇所の肉がはみだしてしまいそう。
唐突な登場にテレノアとザナリアは、ぎょっと眼を丸くする。
「れ、レティレシア様!?」
「なぜ冥府の巫女様が聖都へ!?」
彼女の存在に気づいた2人は、跳ねるようにしてほぼ同時に立ち上がった。
とてもではないが平静でいられない。さらには敬うなかどこか警戒した胡乱な対応を見せる。
だがレティレシアは2人のことなんてまるで意に介さない。
尻を左右に揺らしながら真っ直ぐミナトのほうへと歩み寄っていく。
「ゴミクズの癖に余をこき使うたぁいい度胸してやがるなぁ? 普段なら骨の2~3本を生け贄にしてもらわねぇとわりに合わねぇ所業だぜぇ?」
降って湧いた決闘の提案をとり仕切るのは当然棺の間の主である彼女だ。
ミナトとて多少なりとも申し訳ないという感情が、なくもない。だからこそ文句のひとつふたつなら承知の上だった。
しかし予想は転じて長い牙を従えた血色の半孤が描かれる。
「キッヒヒヒ! だがこういう祭りごとは大好きだぜぇ! テメェらが納得してヤりあえるようきっちり日時からなにからセッティングしてやったからなぁ!」
レティレシアはくびれた腰を曲げるとミナトの眼前にて笑みを作った。
大鞠をぶら下げながら愉悦を謳う。もうたまらないといった感情を隠そうともしない。
見下し、下卑て、歓喜する。無頼どもの女王とはまさに彼女のためにあるような称号だ。
ミナトは、爽やかなミントティーを飲み干してから主催者へと、問う。
「オレとルハーヴの決闘日時とルールはどうなったか聞かせてくれ」
「そう急くんじゃねぇよ候野郎が。乱痴気するのは5日後棺の間。ルールは死ななければなんでもありだ」
「合理的だろぉ?」そういって彼女は鬼気として笑みを絶やさない。
レティレシアは隠微な香を振りまきながら長い舌で唇をねろりと舐めたのだった。
過去勇者だった逆賊に相対するは、平凡以下の人間。これほど目に見えて愉快痛快な劇の特等席もそうそうありはしない。
「ムカつくオスが血反吐に塗れて転げ回る様を見られるなんてなァ! 胸が高鳴って高鳴ってしかたがねぇよなァ!」
世界を跨ぎ雌雄を決する日は刻一刻と差し迫っている。
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