294話 無謀OR愚考?《IDIOT?》
素朴な喫茶店は、熟したコーヒーの豊かな香りで出迎えてくれる。
食事の場に香を焚くのは無作法というもの。調理された色とりどりの食品からから立ち昇る香りこそが神髄。
店の外観こそ染みついて古びており客足が向きやすいとは言いがたい。しかし内装のほうはアンティークで落ち着く風情がある。
ここは平等な場だった。対価さえ用意できればここほど対等を振る舞ってくれる場はない。
「西方の勇者と決闘ですって!?」
風情も情緒もあったものではない。
卓に拳が落とされる。グラスのなかの水が過激に波立つ。
「剣聖様との決闘を控えながらなんたることですか!? いったいなにがどうなってそんな野蛮な事態になってしまわれるのです!?」
対西方の勇者との決闘。
ザナリアにとっては寝耳に水のはず。
その証拠に彼女の驚愕には、対面の人物を射らんばかりの軽蔑が秘められていた。
「んー、しいて上げるとするなら……ムカついたからかな?」
「ッ、貴方は子供かなにかですか! 感情的になることは戦う理由のなかでもっとも稚拙な行いに他なりません!」
怒れるザナリアを前にまったく悪びれもしない。
ミナトは注文した料理を黙々と食べ進めていく。
「うわっ。この生魚の切り身ちょっと酸っぱいけど香り豊かで美味しいな」
「それはですねぇ~、新鮮な海のお魚を冷気のなかで2時間ほど漬けてから檸檬やハーブで風味をつけたものなんですよ~」
給仕を終えて待機中だった店員の少女が踵を鳴らす。
るんるん、と。朗らかな笑みを広げながら料理を詳細に解説してくれる。
「ところで食後のお飲み物は如何なさいます?」
「じゃあいつもの紅茶を多め濃いめでお願いします」
「ダージリンの砂糖多めミルク濃いめですね! かしこまりましたぁ!」
まさに弾むような笑顔と振る舞いだった。
注文を受けた店員の少女は制服のスカートを翻しながら調理場へ去って行く。
人間にとってこの世界の料理はどれもはじめて食べるタイプだった。
それもそのはず。生鮮食品は宇宙世界であまり好まれるものではない。長期保存の利くもの、すなわち科学的に加工されたものが一般的とされる。
そんななかこの土壌豊かな大陸世界は、まるで違う。新鮮な野菜や肉、魚などが非常に豊富で恵まれすぎていた。
――挑戦メニューだったけど当たりだったな。
ミナトは生魚の和え物を求めてフォークを伸ばす。
ずどん、と。青筋を立てるザナリアの怒りが卓へ振り落とされる。
「私のお話を聞いていらっしゃるんですか! ちゃんとした説明をしてくださいませ!」
「このカルパッチョとかいう料理美味しいぞ? ザナリアも1切れ食べるかい?」
「好物ですがいまそれとは別の話をしているので食べません!」
正真正銘。ミナトは西方の勇者に正式な喧嘩を売った。
ここで重要なのは正式であるというところ。あの場で無作為に衝突を起こすのでは公正な結果は望めない。
つまり後日、公正な場にて実力を競い合うという真の決闘形式となっている。
「ごめんね……もし僕が殴られてなければこんなことにはならなかったもんね……」
ヨルナは木椅子に腰を下ろしながらでうつむいていた。
事の発端、または火種となったのだ。肩身が狭いどころの心もちではないのだろう。
申し訳ないとばかりに頭を垂れ、瞳も定まらずによそよそしい。愛らしいハート飾りがついた前髪がはらりと揺れる。
「殴られた……? それはいったい……?」
その儚げな様子を見てザナリアもまたなにかを汲んだらしい。
怒り心頭に荒げていた声のトーンを鎮めて切れ長の目を怜悧に細めた。
「僕が西方の勇者を怒らせてしまったんだ。そのせいで僕が頬を張られて……それでミナトくんが……」
微風の如く切なげな音色だった。
まるでこのような事態を招いてしまったことへ陳謝しているかのよう。
しかしヨルナが殴られたという真実を彼女が黙って聞いていられるものか。
「ミナト貴方……」
「事実を知った上で説教でもするつもりかい?」
双女王となったとて騎士道に準ずるものであることに変わりなし。
つまり彼女は曲がったことが大嫌い。
「さすがは我が友です良くやりました。私から最大の賛辞を送らせていただきます」
ザナリアからの反応はミナトを責めるどころか真逆だった。
驚くべき迅速さで手を裏返す。
「婦女子を守るために剣を抜くその勇敢な志。私も騎士として感嘆に伏す思いです」
先の怒りはどこへやら。のんきに食事を進めていくミナトを勇壮な瞳で讃えたのだった。
勝つ負けるの問題ではない。西方の勇者がヨルナを攻撃したという事実のみが存在している。
「しかし悪漢とはいえ西方の勇者と歴史に語られるほどの男です。相応の覚悟なくば地べたを舐めるのは貴方のほうになってしまいます」
釘を刺されながらも、ミナトは食事する手を止めない。
添えられた黄色い果実をかじって眼端をすぼめる。
「はじめから負ける覚悟固めていくバカはいないさ」
「それは、そうです。が、勝機のない状態で挑むのは些か愚考であると進言しているのです」
爽やかな柑橘の香りが鼻腔を抜けていく。
頬裏にちりりとくる酸味が唾液腺を刺激し唾液の分泌を促す。
ザナリアのアドバイスはぐうの音もでないほどに、もっともだった。
ミナトは1度目に西方の勇者から敗退を受けている。いくらこちらがあの頃のままじゃないとはいえ、あちらだって1度目に全力を見せていないはず。
食事を終えたミナトは、空いた食器の端に匙を寝かせる。
「そろそろオレも実践に身を置きたいと思っていたんだよ」
丁寧にナプキンで口を拭ってから白い布を畳む。
良い環境で育っていないためテーブルマナーなんて知ったことではない。だが公共の場での振る舞いくらいは熟知していた。
「実践ならば魔物相手に努めているでしょう。いっていただければ私や抱えの騎士もお相手致しますわ」
「提案は嬉しいけどさすがに女王様相手に稽古なんて沽券に関わる。それといまのオレじゃエーテル族は少し荷が勝ちすぎてるよ」
会話している間にもそそくさと現れた店員の少女が空いた食器をさらっていく。
代わりに乳白色の濃い香り豊かな茶がことり、と。置かれた。
ミナトは淹れたてで湯気立つ紅茶を小さじほど口に含む。
「だからオレは勇者と讃えられるほどのヒュームを選んだ。人間に近い身体能力と評価されるヒューム。そんな男相手なら剣聖戦に向けての予行演習にも丁度良い」
「真の実力を試すためにヒュームと決闘に挑むというわけですか。それにしても勇者を相手に予行演習とはなかなか剛気な決断ですね」
理にかなった説得。
だがこれはすべてあらかじめ用意された、嘘。ザナリアを納得させるための方便でしかない。
あの状況どの種族が相手であろうが、こうなった。
ヨルナが張られた瞬間のミナトは龍相手でさえ挑んだに違いない。
秒針は動きはじめてしまった。この時計を止める術は、迎えるか、壊すしかないのだ。
「でもどうしてそれほどまでに西方の勇者様が激昂なさったのでしょう?」
同席していたテレノアがここでようやく閉ざしていた口を開いた。
純粋にティータイムを楽しんでいたらしい。
すんと澄ましながらティーカップをソーサーに置く。
「素行は悪くとも勇者とさえ崇められる殿方です。そんな男性がなぜ急に豹変したかの如くヨルナ様に暴力を働いたのでしょう」
「確かにいわれてみれば腑に落ちませんね。武を極める者がそうそう力の誇示に走るとは考えにくいです」
隣り合う双女王は揃ってうぅん、と喉を唸らせた。
どうみてもルハーヴは自意識が高い側だろう。そんな男が体裁を気にせず異性に暴力を奮うというのは些か過ぎるというもの。
それほど付き合いのないミナトでさえヤツの性質くらいはあるていど予測可能だった。
だからこそ。それだけになぜ、という疑問が大きく浮上してくる。
「それはきっと……彼の死にかたに原因があると思うんだ」
(区切りなし)




