293話 報いの誓約《VOW》
無作為に浮かぶ橙が闇をかき混ぜ巡る。
炎が揺らぐたび先鋭たる骨剣が艶を孕んで燐光を塗す。
「…………」
瞳を閉ざし、黒を踏み、影をまとう。
呼吸の音でさえ邪魔だ。願わくば心音でさえも、と。傲慢にすらなる。
精錬され磨き抜かれた集中のなかにあった。
こうして生きてきたのだ。これくらいわけない些末なこと。
「……くるかッ!」
開眼とまったく同じタイミングだった。
何処かの闇に迸る音を追って切っ先を仕向ける。
すると不明確なあちら側から景気よくも殺気立った影が迫っていた。
「ワガキシ、ホコリニカケ、イザマイラント」
眉目秀麗で美しい顔立ちであるが、眼はぼやり虚ろ。
半身は馬で、上背部分が女という歪さ。しかも手には目覚ましくも果敢なり騎士槍がぶら下がっている。
武器の先端を丸めているわけもない。れっきとした実践使用の殺し道具だった。
「あの脚力に踏まれ蹴られでもしたら致命傷になりかねないな」
『頭蓋あたりが割れれば即死確定だね。治癒魔法で治療できない怪我はだけはしないように気をつけるんだ』
人の身なぞしょせんそのていど。
彼女のいうように頭に渾身をもらえば容易に魂は肉体を捨て天へと旅立つ。
しかしこちらも生を得てだいたい14年を経ている。生きていればそれくらい脳より身体が理解していた。
「手合わせしたことのない種族相手に油断もクソもあるもんか」
ミナトは気付けついでに胸当てをどんと叩いた
緊張の笑みを携えて、骨剣を構え直す。
そうやっている間にも半身馬女との距離はみるみるうちに詰まっていた。
なにせあちらは4脚駆動である。人如きは2手2足で進化が止まってしまっている。あらゆる意味であちらのほうが生物学的に地上戦での最適解といえよう。
「アマネクシニ、ホコリト、チュウセイヲ!!」
3mはあろう長槍の鈍光が闇を裂く。
丈長であり鉄の塊。脚力もさることながら振るう腕力も並外れていた。
両者の影がすれ違う。直後に斬撃の音と閃光が同時に弾ける。
「っ――重!?」
ミナトは慌てて槍の先端を滑らせ、逸らす。
おそらく女の体重は400kgはくだらない。そこへさらに時速60km以上もの衝突力まで加わる。
逸らしの判断が後コンマ1秒遅れていたら1撃決殺のところだった。全身の産毛が諸手を挙げて生き残った感謝を讃えている。
まさに瞬く間の攻防だった。女のほうはといえば再び半馬の脚力で間合いの外へと駆け抜けてしまう。
「ふぅぅ……まるで歩兵対騎馬だな。1人で人馬一体が完成するとか生物としてタチが悪すぎる」
吹きだす汗と肝が冷える心地だった。
空いた手で頬伝う汗を拭おうとする。だけど手汗のほうが酷い。
『まるでじゃなくて実際歩兵と騎馬なのさ。動物の血をもつ複合種族のなかでもケンタウロス族の騎馬突撃は随一の威力を誇る。しかも速度も桁外れだからすぐさま次がくるよ』
「脳内解説ありがたい。息つく間もなしとはまさにこのことだ」
耳奥へ響く声を中途半端に聞きつつも集中は乱れず。
闇のなか小気味よく響く蹄の音が方向を変える。遠間へと去った騎馬が再びこちらへ牙を剥こうとしていた。
『ほうら次がくるよ! 攻撃を運任せで捌くだけじゃ勝ちは拾えないからね!』
「わかってる!」いちいち諭されるまでもなかった。
先の1手で受けきれぬことが判明した。だからこそ切れる手札も限られてくる。
半身馬女は、優雅な孤を描きながら闇を縫って姿を現す。
「チニシバラレシゾクブツヨ! ワガヤリノサビトカセ!」
「なんでさっきからコイツ極まってることしかいわないんだよ! いってることがずっと物騒すぎる!」
半身馬女とミナトの武器が再び相まみえようとしていた。
だが、同様ではない。拾った命で二の舞を演じるのは、愚かといえよう。
「フッ!」
ミナトのとった手段は回避だった。
槍の先端に胸当てを削られつつ、同時に武器を手放す。
すると半身馬女は、そっと空中に置かれた獲物へ視線を置く。
「……ナンダト?」
己を狩るであろう唯一の武器が投げられる。
それは奇跡などではなく、生物として当然の反射的行動だった。
武器を手放すということは失うのと同義。戦場にて武器を失うというのは手痛い失態でしかない。
だが、武器を手放すことに利があるとするのであれば、両手が空く。
「そらぁぁぁ!!」
咆吼とともにミナトは地を蹴りつけた。
見計らいつつ機会を設ける。一瞬のすれ違いで意識を逸らし身を軽くする。
そしてミナトは、がむしゃらな跳躍とともに半身馬女の胴部分に組み付いた。
「ロデオ体験まで、っ! 出来るんだから、便利なもんだなァ!」
空いた両手で半馬部分をよじ登っていく。
決して楽ではないし、落馬すれば死の危険すらある。とりあえず戦闘の継続はまず間違いなく不可能になるだろう。
だが半年前までの貧相で貧弱な肉体ではない。ミナトは倍ほども膨れた腕で馬の背に食らいつく。
「クッ! ワレヲブジョクスルコトハユルサナイッ!」
女部分が慌てふためき槍を振り回す。
必死に腰を捻るも、完全に背後をとられているため為す術がなかった。
「このリーチでその槍は長すぎるよなァ! 突けない槍なんて棒きれ以下だッ!」
「ア――ガッ!?」
トドメは泥臭く、かつ理論的な方法だった。
両手が空いており武器がない。ならば両腕で締め堕としてしまえば良い。
「オオオオオオオオオオオ!!!」
「ギ、ャ……ァ」
ぐらり、と。暗黒世界そのものが輪転した。
滑走中だった馬体が横薙ぎに倒れ、地響きとともに大地に転がる。
あまりの衝撃によってミナトの身体が半身馬女から剥がれてしまう。
時速でいえば50kmほどだったか。砂埃を舞い上げながらもんどりうって転げた。
それから10mほど砂を全身に感じていると、ようやく静止する。
「だ、大丈夫かい!?」
真っ青になったヨルナが空間を歪めて現れた。
ミナトは、それに砂を浴びた親指を立てて応じる。
「はぁ、はぁ、はぁ。……ちょう……よゆう……」
「まったく無茶するんだからぁ……」
苛烈な戦いだった。
全身は砂まみれだし、節々がキリキリと軋んで悲鳴を上げている。
だが死線を越えて勝ちを制したのは、人の側だった。
しかし勝利したとはいえ限界は近い。ミナトはごろんと仰向けになって酸素を刻むように喉で呼気を荒げる。
「次は、そうだな……っ、脚力のある兎系で頼む」
「まだやる気なの!? もうこれで12戦目だよ!?」
ヨルナが声を荒げるほど、ミナトはほぼ瀕死だった。
とうに体力は尽き果て気力のみが全身を動かしている異様な状態でしかない。
視界は歪み意識も曖昧で耄碌している。先ほど馬から転げ落ちて骨が無事だったことくらいが救いだろう。
「試合しゅ~りょ~」
どこからともなく低血圧な気だるい声が響いた。
彼女が指を弾くと周囲の闇が霧散する。集合した蝙蝠が飛び立つようにして黒が晴れていく。
暗黒の魔法がかけられていた。限定された空間だった。
そうすることによって視界を制限し聴力と感覚を養うというもの。
二房に結った黒い髪の少女は、眠たげな眼差しをそちらへと仕向ける。
「慣れない種族の身体でよくやれていたと思う。とにかくおつかれさま」
それは決してくたばりかけのミナトへ向けられるものではない。
横たわったままだった半身馬女が元の姿へと形を変えていく。
そうして変幻自在の魔法を解いて現れたのは、継ぎ接ぎだらけの粗雑な人形だった。
猫を模した人形は短い2本の足でぴょんと跳ぶ。膨よかな胸元へとジャンプし、飛びこむ。
「あまりセリーヌの手を煩わせないで頂戴。形は自由に変えられても本来の能力に馴染ませるのはかなり難しいから」
エリーゼは動かなくなった人形をぎゅうと愛情たっぷりに抱きしめた。
継ぎ接ぎだらけで綺麗ではない。が、修繕跡には愛着のようなものが染みついている。
かなり大切にされているのだろう。年季が入っているというのに汚れひとつとしてついていない。
「そうやっていま立ってるのだっていっぱいいっぱい。戦闘状態から覚めれば直に限界がくる」
「はっ、はっ、はっ……っ。どうせなら死ぬ直前までまでやりたいんだよ。それに寝なければ半年は1年になるっていう寸法だ」
「愚直。それまるでバカの考えかた」
なおも引き下がらないため、エリーゼは為す術なしとばかり。
首をゆるく横に振って両端の大きな束になった髪をふらふら揺らした。
先ほどまでミナトが相手していたのは、本物ではない。エリーゼの魔法によって変化したセリーヌである。
ヨルナはおもむろにとりだした竹筒の栓を抜く。
「しかし良くこんなやりかた思いつくよね。棺の間の救世主たちをコピーして木偶にしちゃうなんてさ」
なかの水をミナトの顔に向かってかけ流す。
「私もセリーヌをこんな乱暴に使う男を初めて見る。別の意味で乱暴しようと企む輩なら大勢知ってるけど」
「それってさ、レティレシアの作る複製体を棺に持ち帰る輩ことかい?」
そういうこと。眉を困らせ笑むヨルナとは真逆だった。
エリーゼは不快感を露わにしながらセリーヌが潰れるくらい強く抱きしめる。
本人曰く、劣化複製なのだとか。術者であるエリーゼの記憶を追憶し、セリーヌは己と異なる身体へと変質するらしい。
その際に追憶可能なのは、表面的な箇所。いわゆる肉体のみとなる。術者は複製する個体の内面的な能力や理解し得ないものを真似ることは不可能だった。
つまるところ本来在るべき姿が真実ということ。本人のほうが賢く、身体に慣れており、圧倒的に強力となる。
「血の気の多い救世主どもに決闘を申しこめば喜んで受けてくれるはず」
「なのにどうしてこんな雑多から逃げるような空間を選んで人形遊びを選ぶんだい?」
2人の疑問はもっともで、芯を突く。
ミナトのとっている行動は不効率極まりなかった。
しかしそんな便利な能力を見捨てられるほど、こらちもヤワではない。
ふぅ、と。ようやく呼吸を落ち着けてから立ち上がる。
「これ以上オレのもち得る手札を明かさないためだ。棺の間の住人も、冥府の巫女も、剣聖にだってもうなにも与えないための秘密特訓だ」
厚い生地をした農夫服を払って汚れを落としていく。
だがすでに汗が染みついているためまったく意味を成さなかった。
そうそうに身支度を諦めたミナトは上着を脱いでなかの砂を追いだしていく。
するとヨルナは、はっ、と頬を朱色に染めて眼を背ける。
「で、でもっ! それならいっそのこと剣聖そのものに変化させたほうが良いんじゃないかなぁっ!」
すでに彼の身体は肉体と呼ぶに等しいほど、軟弱ではない。
肩幅は広く丸みを帯びており、それ以外の部分も余すことなく皮膚を盛り上げるほど屈強に筋張っていた。
唐突な刺激物にヨルナの眼は泳ぎ、声もうわずる。
「わざわざ救世主の劣化品を相手にするよりずっと効率的だと思うんだけど!」
「それじゃダメなんだよ」
虚を突かれるようにヨルナは華奢な肩を揺らした。
そして「……え?」と、彼のほうを見かけて「っっ!」再び視界から外す。
いっぽう砂を追いだしたミナトは乙女心なんて毛ほども気にした様子はない。
「剣聖リリティアはこの棺の間の連中よりも強いんだろ。ならそいつらの劣化コピーくらい余裕で捌けなきゃ話にならないんだ」
何事もなかったかの如く白羽織のあわせを結び直した。
一歩つづ、だが着実に進むことによって、岩をも穿つ。
渇望すべきは経験と解放。そこから得られる2の太刀だった。
ここには劣化コピーとはいえ棺の間の住人をおおよそ見知したエリーゼがいる。
ならば存分に。身体と本能に叩きこむように。すべからくそのすべてを血肉と変える。
――ただ強くなるだけじゃどう足掻いても勝ち目はない。もっと、もっと……信じられなくらいの数を会得する。
闘志。未だ萎えることはない。
それどころか限界を迎えてなお燃やせるほどに足りていた。
しかしすでに立っているので、やっと。血は巡れども肉体の内部はとうに枯渇し、疲弊しきっている。
「おっと」
とうとう紗掛かった世界がぐるん、と回った。
ミナトは踏み直そうとするも失敗し、身体が横にぐらりと倒れかける。
「ほら危ないよ。いった通りもう身体は悲鳴を上げてるじゃないか」
「ああ……悪い。あと汗臭くてごめん」
「努力の結晶だね。昔の僕だって鍛冶場で汗まみれだったもん、良くわかるよ」
想定通りといった素早さだった。
ヨルナは、持ち前の俊足で彼の支えに入った。
肉体の疲労であれば治癒魔法で治る。多少の傷や骨折でさえお手のもの。
しかしどうにも睡魔にだけは勝てないのだ。睡眠を欲する脳は瞼をシャッターの如く閉ざしにかかる。
――そろ、そろ、ちょっとだけ……やす、むか。
頬横にあるヨルナの甘い香りが眠気を誘う。
霊だというのに実態もあれば、触れる肌も柔らかくて暖かい。
しかもこのとり憑いた霊は、生きてほしいと願ってくれている。
であるからこそミナトにとって献身的に見守ってくれる少女の存在は心の支えだった。
「おいおいこんなところでランデブーってかぁ?」
眠気に負けかけた意識が急速に引き戻されるのがわかった。
聞き覚えのありすぎる野暮で粗暴な声だった。
「しかもくたばりかけのゴブリンよりみすぼらしいときたもんだァ。女に支えられてようやく立ってられるなんてのは男として生涯の恥だぜェ」
予想とは往々にして悪い方角に当たるというもの。
ミナトは、心のなかで舌を打ちながら落ちかけた頭を起こす。
「おまえ……なんのようだ? どう、してこんなところにいやがる?」
「なんのようだってことはねぇだろがよォ。なんせテメェは俺らの領域で好き勝手やってんだからなァ」
長物の石突が円形闘技場を模した床の砂に突き立った。
男の歳は見たところ30なかほどといった具合。未だ熟練しているとはいえぬやんちゃさが薄く漂っている。
しかし実態は死して生ける魂の傑物。さらに彼を表すのであればもっとも適した表現があった。
「生にしがみつく惨めな虫けらかァ? そうそうにくたばっちまってりゃ楽に逝けたものをよォ?」
西方の勇者。
名をルハーヴ・アロア・ディール。
力弱きヒューム族にして洗練された技は、他種族すら上回るという。
そして同種族を数多くの厄災から守り抜いたという逸話まで持ち合わせているらしい。
ルハーヴは、巧みな捌きで槍を振って、ミナトの眉間に先端を仕向けた。
「なにやら救世主どもにとりいって調子づいてるらしいじゃねぇか」
「…………」
もはや睨むだけで精一杯だった。
ろくに身動きがとれぬいまのミナトでは前回のように抗うことさえ叶わない。
ルハーヴは、槍の先端を惑わすことなく、つづける。
「……その目だァ。その目があれからずっとどうにも気にくわねェ」
「なにがだ。いちゃもんつけるくらいなら視界に入れないでくれたほうがこっちとしても助かるんだけどな」
睨み合えているのかさえ判断が難しい。
こちらはふらふらでいますぐ崩れ落ちそうな死に体。構図としては溝鼠が獅子に粋がっているようなもの。
その証拠にルハーヴの視線はあまりに冷たい。
塵芥を容易に見下すかの如く辛辣で殺気を放っていた。
「自分にならなんだって出来る、やりこなす。努力すればきっと恵まれる。信じられる仲間さえいれば成し遂げられる。そんなガキの見るお粗末な夢を未だに見つづけている。そんなクソしみったれた面だなァ」
槍を顎先に移動させ無理矢理ミナトの顎を上げる。
もう数センチ先に力を籠めればいつでも喉を切り裂けるという間合いだった。
「マジで腹立つぜ、テメェ。このまま誰も見ず知らずの場所で嬲られる間さえなくくびり殺してやろうかァ」
そこまで言って槍の先端から火花が弾けた。
ヨルナは、召喚した短剣でルハーヴの槍を切り払う。
「なにをそんなに怒ってるのかわからないけど、いいかげんにしなよ。彼の努力する姿すらまともに見てないのにどうしてそんな酷いことをいうんだい」
天真爛漫な彼女にしては珍しく眼に本気の怒りを灯す。
さながら友をあざ笑われて代わりに反攻するかのよう。
「おやおやお姫様ときたらずいぶんと人間に執心じゃねぇかァ? いちおう同族であるヒュームの俺にずいぶんな扱いかましてくれるじゃねぇのよォ?」
ヨルナは嘲笑を無視する。
ミナトを守るようにルハーヴの間に身体を押しこめ割って入った。
どちらかといえばあちらのほうが執着している。人気の少ない別の空間にいる人間をわざわざ探してやってきたのだ。
しかも悠長に話しているように見えて、違う。彼から滲む人への殺意は――ヨルナが反応してしまうほど――克明だった。
「キミ……まさか生前のことを根にもっていてミナトくんに当たっているのかい?」
「……なんのことやらなァ。俺はただそこにいるズブで間抜けが気にくわねぇってだけよォ」
僅かにだが空気が揺らいだ、気がした。
ヨルナが問いかけると、ルハーヴのまとう殺気が微量に揺らいだ。
「あれは生けるものの性だよ。考えながら生きる生き物は恐怖という楔にときとして気の迷いを生じさせる」
「……ハァァ。んなもん知ったこっちゃねぇっつってんだろうがァ……」
ルハーヴはおもむろに構えかけた槍を下げる。
「キミを死に至らしめたのは圧倒的な暴力と恐怖だ。そしてそれは残酷であっても……口が裂けても正しいとはいえないけど……」
ヨルナが言葉を喉元で詰まらせた。
次の瞬間。ミナトは眼前の光景に目を疑う。
うるせえ、という冷酷な音色とともに彼女の身体が横薙ぎに吹き飛んだ。
刹那ほど遅れてバチィィンというなにかが弾けるような音が鼓膜を叩く。
彼女の体重が軽いとはいえ身体が吹っ飛ぶほど。明らかに全力の籠められた凄まじい平手打ちがルハーヴの手によって炸裂した。
「ヨルナッ!!?」
数秒ほど呆気にとられながら身体が先に動いている。
あんなものとても大の大人が少女に向かって当てるものではない。
「だ、大丈夫。大丈夫だから心配しないで」
「なにが大丈夫なんだよ!? 口のなかが切れて血がでてるじゃないか!?」
手に制されるも聞くものか。
ミナトは無理矢理に頬を押さえるヨルナの手をどかす。
するとそこには青々とした内出血がまざまざと広がっていた。
「ほらみろよォ! テメェ如き畜生にはなにも守れねぇんだよォ!」
ルハーヴは唾を巻き声を裏返す。
これが喜劇であるといわんばかりに腹を抱えてケタケタと喉を奏でる。
虫唾が走る。どちらに。そんなの当然決まっているだろう。
「……おい……てめぇ」
静寂に満ちた感情の揺らぎ。
蒼き光。剥かれ、絞られ、その2つの眸に宿す。
「ミナト……くん?」
友の案ずる戸惑いがちな声だった。
しかしミナトはすでにヨルナのほうを見ていない。
ゆらり。朽ちかけた身体は憤怒をエネルギーに揺り動く。
そうしてなおも高笑いをつづける敵の元へと歩み寄る。
するとミナトの接近に気づいたルハーヴは悠々自適に槍を肩へ担ぎ直した。
「なぁんだやろうってのかァ? この間みてぇに気ぃ失ったら許してもらえるとおもうんじゃねぇぞォ?」
彼に臆する理由なんてあるものか。
千鳥足でまともに歩行すらままならないガキが1匹。こうなると対峙することすら難しい。
だからこそ構えもしない。槍の切っ先は天を向きながら敵を敵として定めすらしなかった。
ゆえに次にミナトの口にした言葉は、きっと彼にとって初めての経験だっただろう。
「決闘だ」
「……あぁ?」
周囲の空気が圧縮されたかと思うくらい時が止まる。
ルハーヴ含めミナト以外の誰もが耳を疑う。
「オレとお前のサシでやろうぜ。で、オレが勝ったら――」
「おい待てよ。なに勝手に話し――」
止まらない。止める理由がない。
このクソ野郎の話なんて1mmとして聞こうとは思わなかった。
だからミナトはさらに話を遮って、己への誓いとする。
「オレの友だちに頭垂らしながら地べたに手をついて一生の謝罪をしてもらう」
傷つく友を見て、もう弱者でいることは止めた。
これ以上を失うのはもう耐えられなかったから。
だからもう1度だけ。死神と呼ばれたころの据わった眼をしていた。
ただ1点のみ異なる。
黒い瞳には異なる色が薄く、それは見えるか見えぬかほど。
蒼き力が瞬くように灯されていた。
○ ○ ○ ○ ○




