292話 遠き果て、いずれくる時へ《840》
おそらくは認識コードであろう数字が3桁ほど。
手紙の封筒部分には宛名の如く840とのみ書かれている。性も、名さえ書かれていない。
「コードが若すぎる。そうなるとヴィーナス社の上級職員か」
「しかも100番台から999番までしかいない選りすぐりの技術者に与えられるコードだね」
夢矢もひょいと身を乗りだし東のもつ手紙を覗きこんだ。
これは裏を返せば挑戦的ともとれる。なぜならこの数字は人類でなければ理解できないもの。
つまり200年前の人間は、この3桁で己という存在を誇示している。
これに古株や年輪は関係ない。ノアに住まう民ならば当たり前に知っていること。
ノアの民であるジュンやヒカリだって例外ではない。
「認識コードって確か死んだら次に別のヤツに割り振られる仕組みだったはずだぜ。そんなもんいまとなっては別のヤツがついてるんじゃねぇか」
「基本的に私たちくらいの一般市民は5桁から6桁ですなぁ。おじいちゃんおばあちゃん世代の役職もちでたまぁに4桁とかいた気がするけど」
知識としては教練というより道徳に近い。
認識コードは残存人類1人1人全員に割り振られている。
そうすることで船内での経歴、住所などをはじめとしあらゆるデータが管理棟にて管理される。
1つの例外があるとすれば、ノアに生を認知されてないものの存在か。船外で生まれるか、または船内で死亡したとされる人間にはコードが剥奪されるケースもあった。
とどのつまりこの手紙の主は、関係している。宙間移民船のみならず人類の遙か遠い歴史に関連しているのだ。
「でも200年間に3桁番号を保持しているってどれくらい凄いことなのかしら?」
「そもそもノアで使われるただの管理番号ってやつだしな」
ジュンとヒカリはお手上げ状態に陥っていた。
しかし生まれの良い虎龍院家の御曹司は違う。
夢矢は首を捻る2人に指をピンと立てて見せる。
「1桁ならヴィーナス社立ち上げに関わった役員クラス。2桁ならそれ以下の管理職や名誉ある研究者。3桁は替えの効かない職員とかかな。若いコードはそれだけのエリートへ送られる職位だよ」
ふふん、と。顎をあげて得意げだった。
対してジュンとヒカリは「ほぉん」「へぇ~」わかっているのかいないのか。反応が薄い。
「宙間移民船建造に大口出資した御三家もまたヴィーナス社との関わりは深いからね。虎龍院家の子息としては常識みたいなものさ」
英才教育の賜物なのだろう。
家柄もあって一般船員では知り得ぬ情報に深い。
いっぽうでもう1人の御三家の子息はといえば、先ほどから言葉を発すことさえなかった。
「んぇぁ?」
うつら、うつら。船上でもないのに佇みながら船を漕ぐ。
亀龍院珠はまるで首の据わっていない赤子のように首をもたげていた。
彼女とて元祖第2世代のひとり。みずから次世代に開眼したという華々しい実績をもちうる。
そのため近ごろ鍛錬などで周囲から活躍を期待されている場面が多々増えていた。
「……まだ朝じゃん」
ようやく半目が開いて世界を映す。
しかしまたすぐ閉じてしまい立ち寝をはじめてしまう。
珠のコントロールは東でさえ非常に困難を極める。
「もう昼だぞ」
「じゃあ実質朝じゃん」
「…………」
どうあってもこちらの御三家は使い物にならないようだ。
東は吐息とともに早々に見切りをつける。
すぐさまもう1人の御三家である夢矢のほうに手紙を傾けた。
「虎龍院家次期頭首であるお前から見てこの数字になにを見る?」
唐突な投げかけに夢矢は「そだねぇ~」と、丸い瞳で空を仰ぐ。
「約200年前の3桁となるとおそらく宙間移民船の建造に深く関わってる人なんじゃないかなぁ」
「人類が母星より旅立ったのもそれくらいの時代といわれているな。つまりこの人間は……」
偶然にも2人が回答へ到達するのは、ほぼ同時だった。
そしてどちらもが全身に電流を浴びたかの如く目を見開き、見合わせる。
「もしかしてこの人……地球から直接この世界にやってきたってこと!?」
「あくまで可能性だが濃厚だ。さらにノアにはない旧世代の文化がここに散らばってる理由の説明にもなり得る」
互いの瞳にはそれぞれの感情が入り交じっていた。
1つは、あり得ないと決めつけながら裏返されたという驚愕。もう1つは、未知を求める探求への好奇心。
現在人類は事実上宇宙を漂流しているにすぎない。もし停止した宙間移民船が航行可能であったとしても征く宛てすらないのだ。
人がアザーという未開惑星に執着している理由も帰る母星がないからにすぎない。遠き母なる星である地球は近代文明を駆使しても行方知れずのままだった。
「ってことはつまりそのなかには俺たち人類が忘れちまった過去が書かれてるってことかよ!」
「私たちがなぜ生まれた星を置いて宇宙へと旅立ったのか。それから200年前の地球でいったい私たち人類になにがあったのか」
「僕たちの閉ざされてしまった過去がこの大陸世界で明かされるかもしれない!」
若人たちから感極まるが如き羨望の視線が手紙へと注がれる。
忘れ去られた道程。人類漂流の謎。未来へと漕ぎだす唯一の鍵。
そもそも人類の在りかたそのものが異様だった。たかが200年ぽっちでなぜ過去のデータが喪失してしまったのか。
「はっはァ、そう急くものではないぞ。まだこのなかに我々の求めるものが入っているとは限らんのだからな」
東でさえ少々正気を保てていない。
想像を膨らませるにつれて得意のニヤけ顔がヒクヒクと痙攣する。
しかも開封する指が凍えているのかと思うほどに震えていた。
そしてようやく封蝋を切ってなかから紙を引き抜く。
「こ、これは――ッ!!」
驚愕で身が強ばる思いだった。
東は全身の毛を逆立たせながら剛直する。
それほどまでにこの手紙は――過去からのメッセージは強烈すぎた。
「な、なにが書かれてたんだよ!?」
「人類の過去はいったいどうなっちゃってるの!? 地球でいったいなにがあったの!?」
焦れたジュンたちが東の元へと押し寄せた。
そうして固まってしまった東の手から手紙を引ったくる。
「う、嘘だろ……?」
「これも……これも、これもこれもこれも!?」
ジュンと夢矢もまた同様だった。
同様に動揺する。それほどまでに手紙の内容は不可解だった。
硬直したジュンの手からリーリコが音もなく手紙を奪い去る。
「……ぜんぶ、白紙?」
ヒカリも穴兎のようにひょいとその手元を覗きこむ。
「消し跡もないびっくりするほどまっさらな白ね」
全員の感想が同じだった。
大切に保管されていたであろう封の中に入っていたのは、ただ白い紙。まっさらな紙には炭もなければ筆跡さえなかった。
メッセージどころか抽象するヒントさえない。複数枚にわたって白い紙が入っているのみ。
東は、再び手紙を手元にとり戻す。
「これはいったい……どういうことだ?」
しかしもう裏表と見ても紙には文字ひとつ書かれていない。
子供でさえこんなことはやらないだろう。これではただタチの悪いの悪戯ではないか。
「誰かが中身を奪って代わりに白い紙をいれたとかそういうのじゃないの!?」
「この手紙は1度きりしか開封出来ないようになっているんだよ。大陸でも指折りの呪術師が封蝋に強力な呪いをかけていたんだ」
急転直下。淡い期待や高揚感は失望へと変化した。
入っていたのは閉ざされた歴史への糸口なんて高尚なものではない。場には旧世代のガラクタのみが残されている。
しかもディアナのいうことが正しければこの手紙の内容を知るのはこの場にいる面々と、当事者のみということ。
手元にあるのは意図不明の白紙が数枚だけ。1枚でない辺りなにかしらの思惑があった、と思いたい。
それぞれが意気消沈するなか。リーリコはローブをたなびかせながらガラクタへしずしずと歩み寄っていく。
そうやって山積みとなった硬く冷たい材質触れる。
「でも、まるで私たちがくることを知っていたかのよう。じゃなかったらこんなものをわざわざ残さない」
滴を落とすようにしっとりとし、静謐めいた囁きだった。
それを聞いて東は落としかけた肩を再び起こす。
――人を信じていたのか? 人類が再びこの世界と邂逅するその希薄な可能性に賭けていた?
問題は手紙の内容ではない。
なぜ200年前の人間は、人間にしかわからないモノを――大陸種族たちが触れられぬ技術を残したのか。
「くくくっ」
これほど掻き立てられるモノがあろうとは。
もはや東のなかで人類の歴史なんて助演に成り下がる。
思わず薄ら笑いも深くなろうというモノ。数多の女性を口説いてなおこの残響に勝るドラマはない。
「すまないが妖精王殿ひとつ質問させてもらおう。貴方の知る限りで良い。彼がいったいどんな人物だったのかお教えいただけないだろうか」
1人で世界を渡った男の話。
これほどチープでそそられるものはない。
失礼を承知の上で妖精の王に尾のありかを伺い立てていた。
するとディアナは利発そうな表情でこくり、と。1度ばかり頷いてみせる。
「前に来た人間はとても臆病で命をなによりも尊ぶような男だったよ。そしてずる賢く、誰よりも勇敢で、世界が彼を愛するくらい優しかった」
とつとつ、と。語られていく。
否。受け継がれていく。
世界を渡り聖剣を抜いた孤独で1人の勇敢なお伽話。
ディアナは懐かしみ過去を辿るようにして遠い空へと視線を投げる。
「そんな歪な人間だったからこそ聖剣は彼が生きる世界と時間を本気で愛したんだろうね」
語られるのは、たった1人の語られざる記録だった。
戦争の絶えぬ大陸世界に束の間の平穏を与えた英雄の記憶でもある。
そして剣聖リリティア・F・ドゥ・ティールによって愛された人間がいたのだという。
奇しくもその彼女こそが、人を大陸に止めようとする守護者であり決闘者だった。
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