290話 200年前からの声《Dying Messenger》
人々は、薄い背と翅によって導かれるまま船を這いだす。
すでに日が昇ってほど良い頃合い。夜に冷えた草原の青草が日の光によって暖められている。
閉塞的な船から外気へ踏みだすと、タ温多湿な草の吐息がむっ、と鼻腔をくすぐった。
船から降りたジュンは青空に気ままな伸びを決めこむ。
「くぅぅ~、本日も大陸世界は空が青くて気分が良いぜぇ!」
本日も陽光。ピクニックでもするのであれば最高の決行日より。
広く澄んだ青空を大海原に見立て小さな雲が優雅にオールを漕ぐ。
夢矢でさえだらしのないジュンを咎めるようなことはしない。
「僕らの世界じゃこの当たり前がないから余計に気持ちが良いよね」
あくびを噛みながらふにゃふにゃと目を細めて空を仰ぐ。
つづくヒカリも大地を踏むと同時に胸いっぱいに大気を含む。
「この世界にくるまで本物の空を見たことがなかっただけに感動もひとしおですなぁ」
未開惑星の曇天でもなければ映しだされる偽りの空でもなかった。
こんな当たり前でさえ人々にとっては夢心地である。
徒党を組みながら船員たちは翼なき機体から這いだしていく。
「ところで我々に見せたいモノというのはいったいなんなのですかな」
「ンー。その件に関していうのなら僕より君たちのほうが詳しいんじゃないかなぁ。実際僕らにとってはガラクタでしかないわけだし」
ふと東はレィガリアのほうにブラウンの瞳を背ける。
すると彼は仏頂面の傷顔を縦にこくりと揺らす。
「ガラクタではあります……が、外側から流入した技であるがゆえガラクタ以上の付加価値をつけられぬのです」
「つまりそれになにかしらの価値があったとしても解明することが許されていない?」
ええ。レィガリアはリーリコの問いに浅く応じた。
口調は重苦しく佇まいにも微かな緊張感を孕む。
200年前の人間が残した宝箱。単身世界を渡り後世になにを思うのか。
「びっくり箱かはたまたパンドラの箱か。はっはァ、これほど心躍る土産もないな」
「おうおう。いまから妖精の国までとりに行くって話じゃねぇよな?」
これに心躍らぬ者はいまい。
男衆はみな期待と憶測を半々といった感じで瞳を輝かせている。
「でも表にでたけどそんな大層なモノなんてどこにも見当たらないよね?」
夢矢が首を傾げるとおりそんなものはどこにも存在しない。
外にでても視界に映るのは広大な草原のみだった。
墜落現場の傷跡残す小高い丘が存在しているだけ。
するとディアナは唐突に空を仰いで声を張り上げる。
「あ、きたきた! おーいここだよぉー!」
大きく広げた両手を天へと振った。
見上げてみれば、なにやら星ほどの小さな点が浮いているではないか。
ジュンは手でひさしを作りながらあちらへと目を細める。
「おいおいなんだよありゃあ! なんかが空の向こうからこっちに近づいてきてるぜ!」
影の奥で瞳に蒼を灯す。
夢矢もつづいて遠見の能力を瞳に宿らせる。
「あれって……龍?」
「まだ遠すぎてハッキリとはわからねぇけど……ちょっとなんかオカシクねぇか?」
なにかがオカシイ。違和感があった。
言い放ったジュン含めて場に集う面々の感想だった。
わっさ、わっさ。空色を押すように鱗の両翼がはためいている。
ひと押し、またひと押し。羽ばたきとともにシルエットが無尽蔵に膨れ上がっていくのだ。
たまらずジュンがたじろぎながら叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待てよ! サイズ感がヤバくねぇか!」
アンノウン飛翔体がこちら目掛けて接近してきていた。
しかも高速で接近しているはずなのにさらに大きく巨大になっていく。
一党らとて龍の存在は聖都で目視済み。それなのにもかかわらずたじろぎ、青ざめ、唇を震わせた。
上空へと到達した巨影から暴風が舞い上がる。それを人々はただ漫然と落ちた影に包まれながら佇むしかない。
「で、でっかすぎでしょぉ!? このままだと僕ら押しつぶされちゃうんじゃないの!?」
「龍は空の生き物だから大丈夫さ。鳥は枝から落っこちないし魚も水のなかで溺れたりしないものだよ」
夢矢が瞳を零れんばかりに剥きだし、叫ぶ。
対してディアナは微風に吹かれるかのように澄ましている。
そうこうしている間にも山ほどあろうかという巨躯がズズンという豪快な着陸を決めた。
それだけで大地は軋み、草原が窪み、草花が千切れ飛ぶ。
『頼まれたものもってきたよぉ、運搬係ぃ~』
そして大気を震わせぬ女の声が響き渡った。
巨躯から想像も出来ぬほどまったりとした声色。音が鼓膜を通さず直接脳へと伝達される。
『これぇ、どこに置けばいいのぉ?』
「そのまま地べたに平置きしちゃっていいから! もともと壊れているモノだし多少形が変わっても平気さ!」
『承諾ぅ~♪』
歌うような音色がとともに鉤爪状の手が開かれた。
もっているのは編み草の包み。それが凶暴な龍の手にちょこんと乗せられている。
無論のこと対比は人の常識と大きく異なっていた。巨大な龍は見上げてなお釣りがくるほどに大きすぎる。
しかもそんな巨大龍がちんまりと運んでいたモノなのだ。人からすれば規格外な重量物でしかない。
人々はあんぐりと開いた口から「で、でけぇ……!」「やばぁ……!」「どうなってんだよこの世界……!」異口同音。各々震えながら感想を吐露する。
『うんしょっ』
莚包みが草原の中央に下ろされた。
地面に軽く接触すると、なかからガラガラという鉱物が擦れ合うが如き異音が響く。
包みのサイズとしては家屋ほどもない。それでも人が数人で持ち運べるような大きさでもなかった。
そうして使いを終えた巨大龍は、ディアナに向かって鼻先を近づける。
『お使い終わりぃ~?』
視界を占拠するような鱗顔がぬぅ、と近づく。
すると佇む人々へ向かい長洞の如き鼻から生暖かい風が吹き付けられた。
巨大龍の鼻先に立つ人々は、男女問わず震え上がる。それぞれ口から短な悲鳴を漏らす。
これでは蛇に睨まれた蛙ならぬ龍に睨まれた人の構図だった。
「もう姿を変えてもいいよー! そのままの姿だと人間たちが怯えちゃうからー!」
『はぁ~い』
さもありなんといったやりとりが繰り広げられる。
大陸種族にとってこの異形は日常であるらしい。人々が震え立ちすくむなかディアナと龍は友のように言葉を交わしていた。
そしてまばゆき閃光の後に巨大な龍は姿を消す。巨大な足跡を残して空から1人が姿を現す。
巨大龍から姿を変えた少女は、なおも大きい両翼を広げながら大地を踏む。
「やれやれ質量はいったいどうなっているのやら。非科学的すぎて考えるだけでも馬鹿らしいな」
「いや、それでもだいぶんデケぇぞ……色々な部分が……」
そろそろ慣れたころと思っていたところにこれである。
東とジュンは隣り合いながら同時に肩を落とす。
大陸世界の異質さにあらためて打ちひしがれる想いだった。
龍の少女は、人を見るなり唐突に大鞠を弾ませる。
「わぁぁ~っ! 本物の人種族たちだぁ~! また会えるなんてとっても嬉しいなぁ~!」
彼女に敵意がなく、むしろ好意的だった。
尖立った鱗尾で地面を叩いて空気を混ぜる。
そうやって戸惑う船員たちに駆け寄って次々に握手を交わしていく。
「えへへぇ~!」
2手2足になってなお彼女は規格外だった。
(区切りなし)




