289話 はじまりの人間《Old Legends》
人間の元へ来訪したのは、背に翅を生やした短髪の少年だった。
膝小僧を晒し歩く動作に合わせm薄く透ける翅がときおり根部分をはためかせる。
透明なプラスチックであるかのよう。製作物めいたソレに人々の眼が自然と吸い寄せられてしまう。
「大陸北西の戦地から遠路はるばるやってきたけど。こんな素晴らしい科学に触れられただけでもきた甲斐があったよ」
少年の肌は僅かに濃い色素をしており、やや褐色といったところ。
背格好は年相応といった感じ。しかし利発そうな顔立ちをしているためやや大人びた雰囲気をまとう。
「本当なら君たちがやってきたその日のうちに会いこようと思ってたんだけどね。どうにも最近時の軍前の動きが活発化してて嫌になっちゃう」
少年は浅いため息をついた。
小さな頭の後ろに手を組みながら唇をちょんと尖らす。
「僕の統べる妖精の国は大陸の最終防衛ライン。だからもし抜かれでもしたら世界が終わっちゃうかもしれないしね」
しかし彼が王の器であるかと問われれば話は別。
後に黙々とつづく人々の目はいまだ半信半疑の域をでない。
すると不満の空気を察したのかレィガリアがよそよそしげに声を潜める。
「妖精種はあれが成熟した姿です」
囁きを聞いた船員たちは少なからずの驚愕を表情で描く。
またも常識の範囲外。相変わらずな大陸の道理にぎょっとする他なかった。
「しかして彼らは他種族と比べ無邪気ながらに貪欲であるがゆえに聡明なのです。知識を貪るという傾向が高いため頭脳明晰な種族となっておられます」
レィガリアの対応がいつにも増して厳かだった。
それ相応の器の持ち主ということか。騎士然と振る舞う立ち姿はいつも以上に肩肘を張っている。
「なかでも彼の御方ディアナ・L・ルセーユ・シェバーハ様は妖精種で群を抜く知性を備えておられる」
「人は見かけによらずといったところか」
後につづくジュンがすかさず「人じゃねーけどな」という愚痴を漏らす。
東でさえいまだ暗雲の渦中なのだ。若人たちがおいそれと警戒を解くとは思えない。
アポイントメントなしで唐突な来訪である。言葉を選ばぬのであれば、不躾極まりない行為。
なのにディアナという名の王は、鼻歌交じり。我が物顔で船の狭い廊下を歩く。
「僕らってさ精神年齢が見た目のまま成熟してしまうんだよ」
壁を撫で、触れ、軽くこづく。
そうやって未知なる材質を学んでいく。
「魔物も多いし外にでれば野盗や半端者までいて危険ばかりだ。その上またしても他種族との抗争が舞いこむかもわからない。なのに妖精族は軍を作って戦うこともままならない」
不意に翅が翻った。
振り返った少年の瞳はビー玉の如く丸い。
「君たち人間ならばどうするかな?」
穢れのない澄んだ微笑が人々に向けられた。
あどけなさの裏にどこか試すかのような思惑が垣間見える。こちらの回答に五分五分な期待が秘められている。
東は足を止め、頭ひとつ下辺りに視線を落とす。
「まず根本的な教育の見直しを図る。そこから徐々に識字率を向上させ国民全体の知性を底上げする」
ただの世間話に責任なんてあるものか。
ここで間違えたとして大きな話にはならないだろう。
しかし挑戦を振られたのであれば正面切って応じてやらねば人の格が下がるというもの。
「いいねっ。僕の導きだした回答とまるで同じだよ」
ディアナはぱちぱちと小さな手を数度と鳴らした。
どうやら東の回答に満足したようだ。彼は満足げににんまりと猫の如く目を細める。
「やっぱり君たちは種族を通して頭が良い。きっと僕らと比べてより効率化された学びを歴史に組みこんでいるんだね」
両手を広げ踊るようにくるりと細い足を組み替えた。
幼くも、所作ひとつひとつが知そのものを匂わせている。
なによりコトここに至って存在自体が有耶無耶だった。その無邪気な笑みの真意が読み切れぬ。
たまらずといった感じでジュンが髪を掻きむしった。
「で、そんな聡明な妖精の王様とやらがなんで俺たち如きに会いたがるんだ?」
粗暴。とてもではないが王と対面する態度ではない。
すかさず夢矢が慌てて彼とディアナの間に割って入る。
「ちょっとジュン! そんな態度じゃ失礼だよ!」
「仕方ねぇだろこっちだって暇じゃねぇんだからよぉ……。しかもアポなしで乗りこんでくるとかどっちが失礼かってことになんだろ……」
普段あまり不貞腐れない好青年のジュンだったが、不満ももっともだった。
いざ今日の予定を決めて動きだそうとした矢先の訪問である。若い船員たちからは少なからずな不安と不義が滲みでていた。
「いいよいいよ」
しかしディアナはまるで気にした様子なく、つづける。
「礼儀とは時として関係を阻む壁になり得る。僕はそういう堅苦しいのが1番嫌いなんだ」
本題を急ごう。踵を鳴らして翅先をはたたと瞬かす。
「君たちは過去にこの世界へと流れこんだ人間の存在を知っているかい?」
未熟な声のトーンが2音ほど下がる。
無邪気な微笑も閉ざされ表情も凜と引き締まった。
唐突な問いかけに人々は朧気に互いの眼を見合わせる。
「なんとなくだけどいちおう話くらいは知っているね」
「どこの誰かまではわかってませんなぁ。正直なところそこまで気を回していられる余裕がないのよね」
「でもこうして人の存在が大陸世界に認められている恩恵は大きい。エーテル族からの信頼を得られたのもそのはじまりの人間がいたから」
口々にもちうる情報を絞りだす。
しかしおおよその理解度は、そのていど止まり。
なぜかといえば烏兎匆々たる現状で関与は難しい。他に気を回す余裕がないといったほうが正しいか。
人々が胡乱にしていると、レィガリアは真一文字に結でいた口を重々しく開く。
「初めて人種族がこのルスラウス世界に出現したのは200年ほど前のことになりますな」
「2世紀も前の人影ともなれば2つか3つほど世代が巡る。そうなると痕跡を追うのは些か面倒な話になるか」
東は、ふぅむと軽く唸りながら無精髭を蓄えた顎をしゃくる。
過去存在したという人の話なんて小耳に挟んだていどの知識しかなかった。
人の命なんて長命の大陸種族からすれば風前の灯火。刹那の揺らぎていどでしかないだろう。
――む。待て。なぜ知れている?
降って湧くような違和感が落雷の如く襲ってくる。
東はたまらずその身を強ばらせた。
はじまりの人間。ただの1人。
なのになぜ大陸種族に周知されているのか。
エルフ女王の時もそうだった。彼女が庇護と協力を申しでてくれたのも人を知っていたから。
さらにこの妖精国の王でさえその1人を伝としてこうして現れている。
「まさかそのはじまりの人間は大陸世界で膨大ななにかを成したということですかな?」
東は寒々しい感情を押しとどめて問う。
するとレィガリアは「相違なく」首をゆらりと縦に揺らす。
しかし彼はそれ以上を語ろうとしない。ただ疑問を肯定しただけに過ぎなかった。
こうなると話は変わってくる。ただ1人で世界を越え、成したというだけで埒外である。
その上こうして2世紀前からいまに向かって伝令を残す。
「その200年前にやってきた人間の遺書と遺品をもってきてあげたといったら――興味が湧かないかい?」
妖精の王はふふ、と鼻を鳴らす。
微笑は、得意げで、僅かに悪戯めいている。
人々に回答を選ぶ権利なんてはじめからないようなものだった。
「もう間もなく外に到着するよ、はじまりの人間とともに落ちてきた君たちの文明がね」
…… … … ……




