288話 光差すほうへ《False Courage》
唱えると勢いよく計器に触れる。
すると彼女の手からあふれる蒼が計器に潜りこみ伝っていく。
「す、すごいすごい! この船の設計が直接脳内に送られてくるみたい!」
その瞬間、緊張を孕んでいた室内はわっ、という歓声に色を変える。
しかしもっとも嬉々としているのはヒカリのほう。
身体の表面を包む蒼を沈めて、ぴょん。無邪気に実りある部分を弾ませた。
「専門的な部分はわからないけど、船の故障箇所や断線している部分が蒼を通して伝わってくる! この能力ならお料理とかにも併用できるかもっ!」
「あ、あはは……。第2世代能力もうちのコック長にかかれば調理道具なんだね……」
当人は至極真面目でも素っ頓狂であることに変わりはない。
感動するヒカリを置いて、船内から吐息が重なって木霊するのだった。
なにやら若人たちが盛り上がっている。遠巻きながら東にも気配くらいならわかった。
「なんだ? また覚醒者が生まれたのか?」
革靴の硬い足裏でこつり、こつり。
段を下っていくと、察した少年がふやふやな笑みを花咲かせる。
「東おはよーよく眠れたぁ?」
世間一般では彼を男子と位置づけるらしい。
さらさらの髪もシミひとつない肌も彼自身を引き立てる装飾に過ぎない。
東を世に反する愛らしさで迎えたのは虎龍院夢矢だった。
「実はヒカリちゃんが昨日第2世代に移行したみたいだよ」
さらに間へとヒカリが滑りこんで割って入る。
「へっへーん! それ見たことですかついに私も第2世代っ子に仲間入りしちゃったんだからっ!」
おもむろに瓢箪のようにくびれた腰に手を添えた。
天狗よろしく鼻高々と、弓なりに背を逸らす。
「これで私を含めて第2世代に移行した船員は26人中8人ってことになるわね! これで東から叩きつけられた挑戦状船内全員第2世代も現実味が増してきたわけですなぁ!」
にやり。含みのある笑みが東へと仕向けられた。
1匹ガキ大将のような傍若無人ぶりだが讃えられるだけの功績をあげていた。
なぜなら世代を移行可能な確立は、およそ10万分の1といわれている。それだけに移行というのは君臨と同義。
「はっはァ!」
こうなっては大人として売られた喧嘩は買わねばならぬ。
返す刀の如くフィンガースナップが弾けた。その程度で未熟な胸を張られてしまっては困る。
「まだ半分にも満たないとは残念でならないな! 元世界に帰るとあれだけの啖呵を切ったのだからもう少々目覚ましい結果を拝ませていただきたいものだ!」
どうやら「……うぐっ!?」効き目は抜群らしい。
正論による切れ味鋭いボディブローだった。
嬉々としていたはずのヒカリは、みるみるうちにしおらしくなってしまう。
「せっかくの祝いの席だってのに大人げねぇことすんなっての。ヒカリは努力して第2世代に上がったんだからもっと誇ってもいいはずだぜ」
な? ジュンはしょげる少女の肩をぽん、と叩いた。
するとヒカリは「じゅん~!」浅く涙を浮かべる。
「ということで戦闘ダメダメで料理しか出来ない私なんかでも第2世代になれちゃいました! だからみんなも頑張って東にぎゃふんといわせてやろうじゃない!」
我武者羅な発破がかけられた。
男女混合した「やってやる!」「おー!」という賛同がちらほらとつづく。
とはいえ東だって努力と成果を認めている。認めているからこそ損な役回りとして対立するのだ。
昨今の第2世代への移行状況は、普通ではない。
正直な感想でいえば異常でしかなかった。
――……さすがに早熟すぎる。アカデミーでさえ年に1人を輩出できるかわからん。
東は躍起になる若人たちを順繰りに見渡す。
元より使える者が数名ほどと、使えぬ者たちがいる。
そしてこの異世界にやってきたことで目覚めた者たちがいた。
――船員は偶然寄せ集めただけのたった26名だ。そのうち8名が10万分の1の才覚を秘めているとは到底思えんが……。
F.L.E.X.開発の原点であるアカデミーが算出した統計だった。
第2世代に上がれるのは10万分の1とされている。
その確率なんと0,001パーセントに値する。天文学的確立といわずまでも途方もない数字だった。
チームシグルドリーヴァのリーダーである最年長の東でさえ領域には届き得ない。
現状の人類最高到達地点。それが第2世代なのだ。
「でも不思議。使えるようになってみるといままでなんで使えなかったのか忘れちゃうくらい当然みたい」
ヒカリは興奮冷めやらぬ様子で掌へ視線を落とす。
僅かながら指先がふるふると震えている。
まだ自分自身が移行できたことを実感出来ていないのだ。
「きっと第2世代と第1世代では使い勝手の違いだろうな」
ヒカリが「使いかた?」ふとした風に顔をあげる。
顔を上げた先では、ジュンが逞しい腕を組み、佇んでいた。
「なんつーか力の使いかたというより発動させるまでの繋ぎかた……かね。その辺が言語化出来ねぇくらい色々と複雑だから感覚でしか共有出来ねぇ」
眉を渋く寄せながら身体ごと斜めに傾く。
と、そこへ夢矢がぴょんと軽快な足どりで割りこむ。
「この間第2世代になったばかりの僕でも感覚の違いがわかるよ。第1世代能力が内側からこみ上げるものとするなら第2世代は外側へ意識をもっていくような感じだよね」
唇に指添え、もう片方の指をくるくる。回す。
第1世代の若人たちは集中して次世代の声へ耳を傾けている。
しかしやはりF.L.E.X.そのものが未知であるがゆえに確信をつくには至らない。
「マッチョが胸の筋肉をヒクヒク動かしたりパフォーマンスすんだろ。実はあれって筋肉が肥大発達してるから感覚が通って動かせるようになってるんだぜ」
「ジュンのたとえはともかくとして。私の力がその新しい感覚を掴める段階にまで進んだということになるんですかねぇ」
「それにジュンの場合は蒼色症候群でフレックス値が常人のおよそ10倍はあるのも考慮していいかも。人よりもフレクッス値が高いから移行への前提条件クリアもまた早かった。だから第2世代へ目覚めるのも早かったのかもしれないね」
絶え間なく巡る。
若人たちが揃って唸りながら首を捻りなが個の意見をぶつけ合う。
答えが用意されている問題ではない。答えがあるのかさえわからない。しかもそれぞれ価値観が異なれば性別だって同じとは限らない。
「でも俺らはヒカリよりも年上だしアカデミーでの開発経験もかなり多いよな?」
「フレックス値だけでいえば私たちの年代のほうが遙かに上のはずよ」
「そうなるとつまりフレックス値の前提より後者、複雑な感覚とやらにたどり着くしかないわけだな」
それなのに若者たちは真摯にディスカッションを広げながら答えを目指す。
個の感情や思いはあれど、全員目指している地点は奇しくも変わらない。
そうして言葉を交わすことでより精密に詰めていく。上へ昇ろうとする青葉の如き若い情熱がひしめいている。
経験。そして発達。苦境に阻まれてなお若者たちが望むのは、新未来。
東は感嘆の思いを胸中に抑え込みながらパンパン、と。拍を打つ。
「だいぶ散らかってきたところだからそろそろまとめみるとしよう」
おもむろに親指と人差し指を立てて見せる。
まず1つ。
「第2世代へ移行する第1条件はフレックスをある一定以上の数値に触れさせること」
そして2つ。
「もう1つは第1条件を満たしてかつその新たな感覚に気づくこと」
東は言葉として定義を明確とした。
これはあくまで仮定とするものに過ぎない。
しかし仮定というのは前提なのだ。成を否決するのは検証の後でも遅くはない。
「この2つの条件をクリアしなければ次世代には移行出来ない。しかしこの2の条件をクリアすれば誰もが第2世代へ移行する可能性を秘めている」
やや強引ではあるが、上々だろう。
チームシグルドリーヴァは特別ではない。そして第2世代能力者も才覚ではない。
誰でも移行できると位置づければ先の疑問、10万分の1の説明がついてしまう。
東の意見に若者たちもどうやらおおよそ納得がいったようだ。
各々噛みしめるように首を縦に揺らす。
「そう考えてみると案外簡単に聞こえてくるもんだな。条件さえクリアできればミッションコンプってわけだろ」
「でも第2世代能力には複数種類があるぶん後者の分岐が激しいから迷子になっちゃいそうだね」
「意外と自分が得意なものを突き詰めていけばいいのかも? 私が将来料理人になりたいと願っているのと、私の第2世代能力って近しいところにある気がしますなぁ?」
これこそが東のなかに覚えた異常だった。
第2世代能力者が増えたのはその異常の一端、切れ端のようなものでしかない。
驚くべきはチームの結束にある。この珍妙な異世界に降り立った直後とは雲泥の差だった。
ブルードラグーン船員チームシグルドリーヴァに、悲観し嘆く者は1人としていない。全員が一丸となって1つの目的に向かいひた走りつづけている。
――フッ。くよくよと世迷い言に気を揉んでいたのはどうやら俺のほうだったらしい。
強いな。とっさにほくそ笑む口が感想を漏らしてしまう。
そしてこの世界を創ったのは、たった1人だった。己の命まで差しだしてまで勇気を振る舞った奴がいる。
「ねえ」
会議中ずっと閉ざされ沈黙を貫いていた口がようやく開いた。
襟首にまで外套と静寂をまとう。同僚たちからは1歩離れた部屋の端で物憂げに佇む。
「ミナトくんからの連絡ってないの?」
リーリコ・ウェルズからの慎ましやかな問いだった。
一堂は朧気な眼差しを互い互いに彷徨わせる。
「夢矢くんとジュンはなにか知らない? ジュンは同じチームだし夢矢くんも仲良しでしょ?」
「僕のところにはなにも届いてないよ?」
「ここしばらくあっちからの連絡はねえな。ただ最後の連絡でちっと本気だすとか大袈裟なこといってたぜ」
彼と親しい間柄の2人でさえ明確な回答はなかった。
はじめのころは定期的な連絡や面会はあったはず。なのにここ60日ほど行方を知るものはいない。
「しばらく顔を見てないから心配ですなぁ……」
ヒカリの吐息交じりな発言におよそ全員が同じ反応を示す。
彼が決闘に勝たねば帰るもなにもあったものではない。しかも死闘の相手は大陸最強種族とされる龍である。
先ほどまで流れていた団らんとした空気が彼の名のでた瞬間ピタリと静止した。
「私たち……本当に帰れるのかな?」
弱々しく雫が滴るようにか細い不安だった。
すると途端に覚えのある湿気た空気が室内に充満していく。
「もし全員ががんばって第2世代に移行しても帰れなければ無駄になっちゃうよね」
不安なのは誰だって同じなのだ。
そもそも見据えた希望なんて偽りに似て脆弱。辿り着く前に消えてしまうくらい儚い幻想でしかない。
だが、いまばかりは虚偽を心酔するバカのままで良い。
「俺は信じてるし微塵もブレることはないぜ。アイツは約束の時間をきっちり守るヤツだからな」
ジュンはあっけらかんといってのけた。
まるで日常を散歩するような感じで、覇気のひとつもありはしない。
しかし船員の少女のほうはそのていどで納得できるものか。
「でも相手はすごく強いんでしょ? もしかしたらその相手にミナトくん自身が殺されちゃうかもしれないんだよ?」
涙ながらの訴えは、きっと私利私欲ではない。
それも彼女なりにミナトという少年を思う、ひとつの優しさ。
決闘へ挑まねば全員が絶対的に生き残れる。その代わりにブルードラグーンの船員たちは異世界へ残留が決定する。
ノアという過去を置き去りにさえすれば、この地に足のついた異世界で平穏無事に生きられるのだ。
「ミナトが俺たちに嘘をついたことがあんのか?」
「そ、それは……ない、けど……」
「アイツはまったく関係のねぇノアの民との約束を命懸けで守ってくれたんだ。俺らが勝手に押しつけちまったにもかかわらず全力で人類を救ってくれたじゃねーか」
叱るでもなければ諭すような口調でもない。
ただジュンは気っ風の良い兄貴めいた笑みで胸を張る。
「それに俺がミナトを信用する理由は友人とかチームメイトとかそんな浅はかなもんじゃねぇ」
歯を見せるようににっかと口角を引き上げた。
そしてジュンは大柄な拳を前へと突きだす。
「俺はこの間アイツの使うフレックスに触れて確信したんだ。もしミナトがフレックスを使えるようになったらなにかが大きく変わるぜ」
愚直。なれど曲がらぬ確固たる自信があふれていた。
だからこそ直後に厳粛となりかけていた空気が唐突に緩急する。
「ジュン……それなんの根拠にもなってないよ」
「最後の最後で詰めが甘すぎ~……そんなの誰でもいえるじゃ~ん」
夢矢とヒカリをはじめとし、次々にメンバーたちが腰からへし折れていく。
相対していた少女でさえがっくりと頭を垂らしてしまう。
「な、なんでだよいま俺すげーいいこといったじゃねぇかよ!? う、嘘とかじぇねぇぞ本気でいってんだぞぉ!?」
自信満々になにをいうのかと思えば、ただの憶測。
逆に真剣だったこちらが頬が熱くなるほど。恥辱を味わう結果になってしまった。
「いやマジなんだって! アイツのフレックスの使いかた第2世代の俺ですらわけわかんねーんだっての!」
閑話休題という切り替えには丁度良いタイミング。
悪あがきするジュンを置いてメンバーたちは散り散りに散っていく。
「さーさーそれじゃそろそろ本日の鍛錬にはいっちゃいましょうねー」
「時間は大事。いまは強くなることを考えるべき」
「血を抜かなくてもフレックスをバッテリーためられるようになったから色々捗るねぇ」
「はーはっはァ! では俺もブルードラグーンの修理進捗でも確認に行くとしよう!」
「おい女どもだけならともかく東と夢矢もかよ!? こんの裏切り者どもめぇ!?」
怒鳴り声に意も介さなかった。
ジュン以外はぞろぞろと列挙しながら外への出口へ向かう。
だからこれで良かった。盲目でも良い。信じられればジュンのようなバカで良い。
――負けに向かって走るバカがいるものか。
と、区切りをつけて出口の扉がぷしゅうと開いた。
すると先頭の東の眼前によく見知った顔が至近距離で現れる。
「おお」
「おっと」
あわや衝突。
といったところで思わず互いに呻いてしまう。
廊下側に漠然と佇んでいたのは、西洋騎士。なんとも船内風景に似つかわしくない格好の男だった。
危うく男同士で口づけを交わすところだった。東は心に冷や汗を滲ませながら胸板に手を添える。
「おはようございますレィガリア殿。もしこちらの世界の扉を開きたいのであれば横にあるスイッチというものを押してみてください」
十中八九。想定通りだろう。
異世界種族である彼にとってこの船は、超過技術。過ぎたるもの。
扉を開けずに四苦八苦していたところで偶然でくわしたのだろう。
「これはまた珍妙な機構ですな。押しても引いても開かぬので魔法の類いかと頭を悩ませていたところです」
月の紋章を背負う厳かな騎士の正体は、レィガリア・アル・ティールだった。
彼はコンソール部をしげしげとながめながら眉間にしわ寄せ「ぬぅぅ……」と低く唸る。
「ところでどのようなご入り用ですかな。これほど早朝から足を運ばれるということは早急であるようですが」
「これは唐突な来訪で礼を欠いてしましたな。昨晩より聖都へとある御方が来賓されまして、なにやら人種族と語らいたいとの申し出を承った次第です」
来賓? 東はわけ知らぬ嫌な予感を覚えた。
王直下の騎士である月下騎士団長が直々に動くという事態。これはさすがに、きな臭い。
レィガリアの対応から察するに手合いは高貴な出の何者か。さらにその者は人種族を既知であり対面したいと申しでている。
「しばしお時間をいただけませんでしょうか。なにぶん急なもので即答するのは難しいお話です」
結論からいえば先延ばしが正解だろう。
もし相手の機嫌を損ねて問題になればこれ以上面倒なことはない。
だからといって知らぬ存ぜぬ相手と無策で語らうのも恐ろしい。
――せめて相手の情報くらい頭に入れておかねば話にならん。
そこまで東の頭が巡ったところだった。
しかし気づいてしまう。
鱗鎧で恰幅の良いレィガリアの背後にもう1つ影が潜んでいることに。
「おほおおおおおお!!」
高く幼い、揺らぎ。
それはあまりにも小さく、子供と同等くらいだろうか。
「なんだいこの材質は固いのに鉄でもない鋼でもない! そうだこれは空を飛ぶものだから鉄材よりもきっとずーっと軽い素材の組み合わせで完成されているんだねぇ!」
まさに飛び回るかのような挙動で天井や床へと、好奇心旺盛だった。
それもそのはず。彼の背には丈を上回るほど大きな翅が生えている。
羽ではなく、翅。龍の鱗翼や、羽毛とも違って、どこか昆虫っぽい。透明で煌びやかな翅。
「レィガリア殿……なぜ連れてこられてしまったのですか」
「すみませぬ……口酸っぱくお伝えしたのですがまったく聞き入れていただけませんでした」
「い、いちおう尋ねさせていただきたいのですが……あの、あれは、どちら様で?」
レィガリアは、眉間を摘まみながら低く鈍く渋く、こういった。
叡智の妖精王、と。
これほど聞かねば良かったと思ったことはない。
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