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BREVE NEW WORLD ―蒼色症候群(ブルーライトシンドローム)―  作者: PRN
Chapter.10 【蒼色症候群 ―SKY BLUE―】
287/364

287話 夢の跡《Dreamed》

挿絵(By みてみん)

過去

憧れ


胡蝶の夢


渇望し

燃え尽きた


望郷の果てに

 アロマティックなフレグランスの充満する。

 船倉の如く窮屈で狭い自室がいまばかりは心地よい。

 かけ離れた文明の兆しに触れられるだけで心のバランサーだった。

 仕切りがあってプライベートな空間を作れるというだけでも人としての尊厳が保たれる。


「ふぅん。そろそろ持ちこみのコーヒーも底尽きるころか」


 目覚めがてらに見て見ればキャニスターのなかがずいぶんと侘しい。

 どうやらお気に入りの豆はもう数日ともたぬ量しか楽しめぬようだ。

 確かこの世界にもコーヒーくらいはあったはず。


「さてさて品質はともかくとし、ルーティンが崩れるというのはゆゆしき事態だな」


 顎をひとしゃくりしつつも気だるいが清廉な朝だった

 洗面台のミストで顔を洗う。指で梳くように湿気を帯びた髪を整えていく。

 年輪を重ねても大人の嗜みを忘れるな。それはもはや女性に対するマナーで有り、男であるための示しのようなもの。

 朝の支度を済ませたらおもむろに棚から簡易携行食を1つ抜きとる。

 淹れたての芳しいコーヒーを注ぎ入れれば一丁前なモーニングセットの完成だった。

 携行食の包装を裂いて頬張れば、無味無臭の科学的な味気なさが口いっぱいに広がる。栄養価のみに絞られた科学食品に味という概念は二の次でしかない。

 まだ開ききっていない喉が嘔吐くのを防ぐために黒色のコーヒーで流しこむ。これにより無味無臭が熟成された豆の香ばしさと焦げを含んで胃の腑に染み渡っていく。


「……」


 ふと指を立てかけ、止める。

 これで幾度目か。後悔の多さに我ながら女々しいとさえ思う始末だった。

 しかしもう1度自然に指を流す。ALECナノマシンの記録を呼び起こす。

 網膜に起動したモニターに慣れた手順で指を這わせてく。記憶された媒体の深層には1枚の写真が放置されている。

 またも指を止めかけておもむろに首を振った。


「……やれやれだ。どうにもぶり返してならないな……」


 吐息ひとつ漏らして選択する。

 すると網膜に見慣れてなお見飽きぬ1人の女性の姿が拡大された。

 笑顔が深く、それでいて美しい。乳児を抱いた姿は聖母と見紛うほどに融和を現している。

 誰がなんといおうと美しい。ただ1人の男にとって彼女以上の存在はいない。


「……フッ」


 漏れたのは苦笑のみだった。

 ずっとあの頃のままで彼女は美しい。なぜならすでに時が止まっているから老いも風化もしないのだ。この生前最後に撮影した写真だって背景は、病室。

 頬は窶れて疲れ切っているし、病衣には肩骨が透けるほど。なのにここに映る彼女は誰よりも美しくそれでいて優しい。

 救えなかった。救おうとしたが間に合わなかった。

 科学が進歩していれば、とか。第1次革命がもっと迅速かつ公正に行われていれば、とか。

 いつも思うのは同じ後悔だった。脳が疲弊するほど幾度と過らせた弱さだっただろう。

 彼女との物語はもうすでに終わってしまっている。進まない。


「なあ…………俺はやれているか?」


 止まっている。この身も。

 彼女が時を止めた、あの時から。

 世界を2度に渡って違えたいまも、ずっと。


「フッ、フフッ」


 しおらしい己が面白くなって嘲笑気味に鼻を吹く。

 聞くまでもない。やろうと思っていないのだからやれるわけがない。

 ただ諦めたわりには諦めが悪い性質だった。


「お前の愛する娘はきっとまだ船に生きているはずだ。だから――」


 最後を言いかけて止まる。

 断言できるほどの自信がなかった。

 だからせめて彼女の笑顔の前で嘘は吐かないことにする。

 整えたダークブラウンを手でくしゃりと乱し描き上げた。


「ハッハァ。この期に及んでなにをためらう必要がある。とっくに俺はその椅子から降りたはずだ」


 パチン、と。部屋に乾いた指音が響き渡った。

 名誉も栄光も栄冠も捨てたこの身になにを成せるものか。

 変革を願い、進展を望み、愛するものでさえその野望の贄として捧げた。


「ただ……」


 手放し落ちた前髪がハラハラと額に影を作る。

 心残りがないといったらそれもまた嘘になるだろう。まだたった1つ。ただ1つきり残してしまった遺恨があった。

 着工が開始されて1月はたっただろうか。しかし未だ蒼き龍の目覚めは遠い。

 出産を終えて彼女の腕のなかに眠る。彼女の彼女は世界を違え遠き星の海で白き檻に生きている……はず。


「こればかりは人類を信じるしかないな」


 支配から生き延びたのだからそうそう挫けはしない。

 しかも現人類には旧世代の人類にはない新たな種を植えてある。

 それは果たして芽吹く前に摘みとられるか。芽吹く芽吹かぬ以前に朽ちてしまう可能性も大いに高い。


「杏奈……君の提唱した新世界は確かに縁どられつつあるぞ」


 愛した者の目指した未来を彼女の死後残響として生まれつつあった。

 彼女の求めたのは真なる世界。勇敢で優しい新世界。

 チームシステムは、やがて人類に新たな世界を授ける礎となる。

 少なくとも彼女を愛し、死してなお愛しつづける男は、最後まで足掻きつづけていた。


「おい東早く起きろー。もう若い衆の準備はとっくにできてんぜー」


 唐突なモーニングに寝起きの鼓動が高鳴った。

 せっかくアンニュイに決めているというのに不届きな声が割りこんできてしまう。

 優雅で孤独な時間だったのに過ぎるとなれば、こうも尊い。


――まったく忙しないな。愛の余韻に浸る暇もないとは。


 再度口角を引き上げ苦笑を漏らす。

 しかし頭目なくして進展なし。

 東光輝は、椅子にかけてあった祈り女神の紋章を豪快に羽織った。

 いなせな白裾がわあ、と広がって落ちぬうちに襟を引き締める。


「東ー! おーい聞いてんのかー!」


 短気な損気。

 軽く丈夫な素材をあちら側からガンガン叩く音が響く。

 たまらず東はコンソールからロックを解除した。

 隔壁の開いた廊下側にはショートヘアーの青年が立っている。


「なんだよ起きてるじゃねぇかよ。操舵室に全員集まってるからさっさと本日の方針を決めようぜ」


 どうにも小生意気な口調だが決して憎めない。

 そんな不思議な魅力をもつ青年だった。

 東は、軽く肩をすくめてから青年の後につづく。


「ところでなぜ毎日律儀に俺を部屋の前まで呼びにくるんだ? 通い妻でもないのだからナノマシンで呼べばいいだろう?」


「……あ~そういう手もあったかぁ~。どーりで東を起こしてくるってのに誰もついてこねーわけだ」


「現代人なのだからこの大陸世界文化に感化されて逆行するのはやめてくれよ」


 また飽くなき今日がはじまる。

 誰にでも平等であったはずの日々が。

 とはいえ多少遅れたところで道中はさほど長くはない。最新鋭の推移が詰められているとはいえ小型船である。

 反響する廊下を軽く散歩がてら歩けば操舵室(ミーティングルーム)は眼と鼻の先ほどだった。

 ふと先行く青年が足を止める。


「まさかお前がこの世界への残留を口にするとは思わなかったな」


「なにをいうかと思えば、俺は大人として若者たちの未来を案じただけだ。この平穏な世界ならば人として地に足のついた生活が送れるだろう」


 東は、高い鼻で笑う。

 そのまま彼の横をするりと通り抜けた。


「1番帰るべきなのは東だろ」


「なんだと?」


 不意を打たれるよう振り返る。

 するとノア制服のジュン・ギンガーは、真っ直ぐな眼差しで東を見つめていた。


「若いやつが幸せとか不幸とかそんなことはどうでもいい。東は東自身の心をお前の声で言葉にしろよ」


「…………」


 若い情熱に当てられ閉口するしかない。

 なにより心を言葉にする術をこちらは己の意思で捨て去っている。

 しかし情に厚い青年は、こちらの有耶無耶さを汲もうとすらしない。


「テメェのエゴで娘と喧嘩別れしたままってのはあんまりだろ。なにより東よりも俺はあっちのほうが気の毒で仕方がねぇ」


 己が忌避しもっともなりたくない大人がいた。

 その背を見て学び繰り返さぬよう努力していたつもりだった。

 しかしいつの間にか自分も同じ枠に閉じこめられてしまっている。

 

――これだから……大人にはなりなくなかったんだ。


 熱意ある視線に焼かれ、たまらず裾を翻し踵を返す。

 ばつが悪そうにダークブラウンを掻きむしる。

 幾度と読み終えた輝かしくも勇ましい英雄譚の本を、パタリと閉じるくらい容易い。

 あの頃追っていた妖精の尾(おとぎばなし)を踏む夢路は、課程で潰えたまま。

 夢捨て人。人、それを大人と呼ぶらしい。



……  …  …  ……



 隔壁1枚をくぐり抜けると黄色い活気が身体を叩く。

 最後部から段になる作りをした操舵室にはコンソールや計器が所狭しと詰められている。

 その中段のモニターの辺りで、うら若き少年少女たちが団らんを交わしていた。

 どうやら能力のテストを行っているらしい。日々鍛錬の賜物を見せ合っているようだった。


「いきますよぉぉ~~……」


 輪の中心には、パラダイムシフトスーツを身にまとう。

 流体ナノマシンで構成された近未来的戦闘着は四肢を包み肉体の抑揚を浮き彫りにする。

 健康的な美を晒した少女。ミトス・カルラーマ・ヒカリは、おもむろに手を掲げた。


「《則動(チューン)》っ!」



(区切りなし)

挿絵(By みてみん)

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