284話 優秀な師、完璧な環境《Ultimat’s Teacher》
怪我をした――死にかけた――冒険者たちを治療し森の外へ送り届ければ、日は中天に差し掛かる。
いつしか居慣れたすえた丸木の家に戻ると、腹の虫がぐう、という不満を喘ぐ。
「マンイーターをかすり傷ひとつ負わずに討伐したらしいじゃないですか」
水場には質素なれど貧相ではない白い装いの女性が立つ。
鼻歌を奏でながら踊るように炊事へ勤しんでいた。
いっぽうミナトは食事の完成を座して待つのみ。
「……そんな話いったい誰から聞いたんだ?」
男だから調理場に立たぬという道理なんてない。
ただこの家の管理者が許してくれないのだ。
曰く、調理場は踊れる者の戦場なのだとか。その証拠にキッチンへ立つエプロンの騎士は間断なく忙しない。
じっくりと野菜を蕩かした鍋に気をやりながら丁寧に肉の筋をとっていく。水を1滴鉄板へ垂らし温度を見ながら火の通り難い順番に食材を置いてから葡萄酒で火を立てる。
すべての動作が流麗で手慣れていた。彼女が舞うたび豊かな香りが屋内に満ちる。白い裾と大きな三つ編みも一緒になって踊っていた。
ゆえに資格を持たぬ者は腹の奥が奏でる低音をBGM代わりに頬肘ついて料理の完成を待つ。
「さっきテレノアが嬉々として語ってましたよ? ミナトさんはか弱い冒険者さんたちの元へを自ら進んで飛びこみ助けたんですー、って」
「…………」
ミナトはたまらず気だるい吐息を漏らした。
妄言甚だしい。とはいえ救われた命があるため文句もでずらい状態だった。
半開けの黒い瞳をキッチンからリビングの端へと滑らせる。
「貴方という御方はなぜそうやって身勝手身動き回るんですか!!」
重装鎧に身を包んだ少女が凄まじい怒りを滾らせている。
持ち前の冷ややかな美貌は露と消え、顔中に険を集結させていた。
怒りの矛先は当然もう片割れの女王に真っ直ぐ向けられている。
「あ~ん! もうそろそろおろしてくださ~い!」
「本当に反省しておられるのです!? そもそも生誕祭のときだって向こう見ずな行動で両足を負傷したと聞いておりますよ!?」
すでに騒ぎの元凶は天井の梁から吊られて半べそを掻いていた。
女王という高潔な身の上でありながらの失態。それをもう片割れの女王がまくしたてながら仕置きしている。
無闇やたらに救助に入り危うく危険に身をさらす行為は愚でしかない。それだけにテレノアへの処罰、吊り下げの刑は真っ当といえよう。
双女王の片割れ。ザナリア・フォアウト・ティールは、断固として目端を下げることはない。
「いつもいつもいつもいつも! 何度いったら女王として毅然とした振る舞いを覚えるのです!」
「それならザナリア様は領内の冒険者さんがピンチなのに見捨てろとおっしゃるんですか! それこそ民を守る女王の風上にも置けない行為に他なりません!」
ふんすこ。得意げかつ鋭い返しだった。
逆さ吊りでスカートを押さえていなければふんぞり返っていたに違いない。
「守れていないから注意しているのです! 最後にしっかりと詰めを誤っているではありませんか!」
だがザナリアからの返す刃のほうが酷である。
実際テレノアは最後ぶらさがっていただけ。幕引きを押しつけられたのはミナトのほう。
これにはテレノアとて「うぐぅっ!?」反論のしようがなかった。
「と・に・か・く! 今日1日は猛省なさっていただきますから!」
「えええ!? そうでなくても今日は地面にいる時間より宙づりの時間のほうが多いんですよ!?」
「裸で逆さ吊りにされていないだけでもありがたくお思いなさい! まったく鍛錬中のミナトにも危険なマネをさせるなんて支離滅裂、言語道断ですわ!」
どうやら刑の執行は決まったらしい。
執行猶予なし。実刑判決。逆さ吊り継続。
テレノアは、むぅ、と唇を愛らしく尖らせる。
「私の身を案じるようなことをいってますけど実はザナリア様ってばミナト様のことばかり心配なさってますよね」
じっとり目を細めながらの悪態だった。
これにはたまらずきめ細やかな頬が怒りとは別の血の気で火照る。
「わ、私は別にそんな邪な気持ち微塵も……!」
「この間だって執務中ずっと憂いた吐息ばかりついていましたよね。それに今日だってお抱えの騎士すらつけず颯爽とこの場に現れましたし」
「~~~ッッ!!」
真っ赤になったザナリアからの反撃だった。
おもむろにテレノアの両手をひしと掴む。
押さえを失った白いスカートが開花するようにはらりと垂れ下がった。
「減らず口が聞けないように両手を縛り上げて差し上げます!!」
「ひあああああ!! ご無体ですからそれだけはやめてくださーい!! ぜんぶ、ぜんぶ見えちゃってますからぁ!!」
「問答無用ォ!! 後悔先に立たずですわァ!!」
ルスラウス教団の元教祖の娘と聖女による日常が繰り広げられている。
互いを意識しながら敵対することもない。姦しさはあれど以前までの間柄と比べればずっと健康的だった。
それどころか神託の下った生誕祭以降双王となった2人の距離は格段に縮まっているといえた。
王の席が空いたままだったエーテル国からしても朗報といえる。当然聖女派として加担した人間にとっても同じこと。
「やああああん!! ミナトさん見ないでくださーい!!」
テレノアとザナリアは晴れて女王の席に着任を果たす。
生白い素足を根元まで晒しながらつり下がっているのも、女王。
そうなるようしむけて横で青筋立てているのも、女王である。
「いまお腹減ってるからそういうの後でな」
「雑ですッ!?」
そしてこうしてときおり様子を伺いにきてくれる、友だった。
ミナトは声のする方角から顔を背け、しっしと手を払う。
見たら見たでザナリアが破廉恥だと怒る。それに見ようと思えばわりかし楽に見られるのであればリスクは避けるべき。
そうこうしている間に敏腕コックが調理を終えて大盆片手に料理を運んできてくれる。
「ご飯が完成しましたのでそろそろお行儀良くですよ」
ずぅん、と。尋常ではない質量がテーブルを軋ませた。
盆の上には複数種類の料理がこれでもかといわんばかりに敷き詰まっている。
汁物、肉、野菜、肉肉肉。1食目だというのにオードブルさながらな彩りだった。
ザナリアは配膳されていく皿へあっけにとられたよう銀目を彷徨わせる。
「私たちもご相伴にあずかって構いませんので?」
当然のように返答は、朗らかな「はい」だった。
リリティア・F・ドゥ・ティールは、柔和な笑みを広げて頬横に滑らかな手を打つ。
「今日はおふたりのおかげで新鮮なマンイーターのお肉が手に入りましたからね。正当な労働には相応の対価を支払うのが我が家のしきたりです」
蚊も殺さないといった聖母の微笑。
その裏を返せば剣術の達人であり元剣聖。しかも大陸最強種族の龍という横暴ぶり。
リリティアの微笑みを横目に、よくいうよ。ミナトは心のなかでぶすくれる。
そんな心中を知ってか知らずかリリティアは金色の目を細めた。
「それにマンイーター如きに無傷で勝利したていどじゃまだまだです。私の鍛えた剣技さえ活かせればお茶の子さいさいですしね」
者を試すかの如き挑戦的かつ蠱惑さだった。
ミナトの感想としてははじめから変わらない。いうと思った、だ。
「正当な労働? マンイーター如き? それはいったいどういう意図での発言なのです?」
不穏な空気を察してかザナリアはミナトのほうへ一瞥をくれる。
疑問に思うのも自由であれば、こちらとて隠す必要もない。
今日までなにをやらされてきたのかをつまびらかにすることもやぶさかではなかった。
「最近オレが食材を狩ってこないとまともな料理を作ってくれないんだよ。しかもゴブリンていどの雑魚だとアク抜きすらしない煮汁がでてくる」
真実を語る音は渋く苦々しい。
リリティアの修行は、まず食材の調達からはじまる。
しかも設定まである始末。ある一定ラインの魔物を狩らねばならない。
腹が減っては戦はできぬ。逆も然り。戦をせねば腹が減る。とてつもない循環作業が完成していた。
「この最強格の魔物が住まう誘いの森で狩りをさせられているということですか!?」
これにはザナリアも目を丸くこぼれんばかりに剥く。
「もし実力以上の魔物や群れに行き当たってしまったらどうするおつもりなのです!? この森の魔物は我々エーテル族の精鋭騎士でさえ立ち入ることを拒むところですのに!?」
「危険や危機を見極めて選択し逃げ回るのも実践経験なんだとさ。存外その辺の尺度は集中力さえ切らさなければなんとかなってる」
「なんとかなっているなどと……そういう問題ではないでしょう!? 修行なのに命懸けというのはあまりにも薄氷を踏む危険な行為ですわ!?」
ザナリアは重装鎧を軋ませながらリリティアとミナトを交互に見た。
友として案じてくれているだけでもありがたい。
しかし生きようとすれば生き残れてしまう。なんとかなってしまっていることのほうが問題だった。
ちっ、ちっ、ちっ。すらりと長く良く反る指が左右に振られる。
「ザナリア様の懸念はもっともです。しかしミナトさんはこの私のお弟子です」
リリティアは配膳を終えた手をくびれ腰に添えた。
おもむろに平坦な胸を押しだして筋の通った鼻をたかだかに顎を上げる。
「多少なりとも本人の努力もあるでしょうけど! やっぱり私という師の教えかたが非常に優れているためそう簡単に死にません! 多少なりとも本人の努力もあるでしょうけども、ですっ!」
それは部屋中に反響するほど。
堂々として自信に満ちあふれる宣言だった。
「最初と最後なんで2回いったの?」
「ミナトさんのことはちゃあんと評価していますっ! ですが私の指導役としての才能を世に知らしめるためですっ!」
さいで。ミナトは気が抜けたように伸びを入れる。
態度はどうあれ感謝していることに変わりはない。リリティアの元で――方法はどうあれ――強くなっていることだけは、事実だった。
しかし「ですが……」ザナリアは眉を曇らせる。
「龍族である剣聖様が人種族に合わせるというのは前代未聞です。さすがに力量差がありすぎて至難ではありませんか」
筆頭に上がるのはたいてい種族格差の部分だった。
エーテル族である彼女ならばまだ理解できよう。か弱き人種族のミナトと龍のリリティアでは種族性能に開きがありすぎる。
するとリリティアは待っていたとばかりに瞳を嬉々として輝かせる。
「はじめのころは私も教える側としての能力が足りていませんでした! しかし私が本気をだして修行法を練ればミナトさんをこうも強くできてしまうんです!」
「まあ……確かに剣を握ったばかりにしてはかなりのものです。あのミナトがマンイーターを単機で圧勝するほどというのは私自身も驚きです……」
ザナリアはどこか納得のいっていない様子で腰を揺らめかす。
剣の道に生きるのであればリリティアという師は渇望するほど。価値がある。
だからこそ彼女は疑念を抱く。鍛錬という努力で築き上げた己をもつからこそ信じ難い。
ザナリアは勇壮な足甲を踏みながら友を見下ろす。
「貴方……いったいなにをしているのです? いえ、なにをさせられているのですか?」
案じつつも疑いの眼差しだった。
テーブルに頬杖をついたミナトは、ちらりとそちらへ視線を送る。
「リリティアのいうとおり最高の師と最高の環境が揃っているだけさ」
気だるげに素っ気なし。なあなあに手で視線を払った。
するとザナリアの眼に僅かながら怒りが籠められる。
「私を愚弄することは友であれども許しません! 貴方の剣技は尋常ではない速さで向上しています! これは私が武に生きるからこそわかることなのです!」
「じゃあザナリアが驚くほどオレは頑張ってるってことだろ。なにも目くじら立てるようなことじゃない」
「ですが……」
熱くなりかけたザナリアだったが、これまで。
正論をしつらえられてはたまらぬ。ミナトへと伸ばしかけた手をよそよそしく引いてしまうのだった。
素振りや筋力の鍛錬は終えている。やったとしても柔軟や基礎トレーニングていど。
ここから必要になってくるのはセンス。戦う力。柔軟性と応用力が試されていた。
ゆえにリリティアの放つ超実践稽古は理にかなっている。魔物との現実的な命の奪い合いはミナトを迅速に鍛え上げる。
「……ふああ~」
これで幾度目か。
ミナトは喉奥を晒すみたいに大あくびをくれた。
横に案じてくれる友を置きながら止められぬものは止められぬ。手入れ油臭い手でクマの厚い眼をこすってはもう1度あくびを漏らす。
「先ほどからかなり眠そうですけど……ちゃんと睡眠はとれておりますの?」
「ああ大丈夫大丈夫。昨日だけちょっと眠る暇がなかっただけだから心配しないでくれ」
ミナトは、覗きこんでくるザナリアにもう喉奥を見せつけた。
「そのクマ……1日2日ていどで刻まれるものとは思えないのですが……」
「いや本当に大丈夫だから。なんならアザーで暮らしていたときとか7日くらいろくに睡眠とらなかった時期もあるし」
ミナトはザナリアのほうを見もしない。
伸びとあくびを繰り返しながら脳や身体に血流を促していた。
実際身体は健康そのもの。大陸にやってきたころと比べれば雲泥の差といえる。
骨の浮いた胸も胸囲となって隆起立つ。腕や足なんて倍以上膨れ上がって筋張っていた。
ヒールの筋疲労回復効果とスパルタクスが逃げだすスパルタトレーニングの賜物が身に染みついている。
「まさか精神的に追い詰められて夜な夜な眠れていないということではありませんか? もしそうであるのなら聖都でアロマなどお買いになることをおすすめしますわよ?」
「オレがそんな繊細なタマに見えるかね。こっちは死ぬために戦ってるんじゃなく生きるために強くなると誓ってるんだ」
ザナリアからの小姑のような気回しだった。
だが問題はまったくない。語る口に嘘ひとつありはしない。
ミナトはおもむろに立ち上がると立てかけてあった骨剣の鞘へと手を伸ばす。
それからすらりと白刃を引き抜いて吊り下げられたテレノアの蔦を分断した。
「きゃあっ!? もっと優しく下ろしてくださーい!?」
すてーん。短い悲鳴とともに背中から落っこちてしまう。
そして半べそを掻きながら腰の辺りをさすり、さすり。ようやく地面と対面したのだった。
「とりあえずそろそろ朝食を済ませよう。せっかくテレノアも協力して用意してくれた食材なんだからちゃんと味わって食べないとな」
ミナトは骨剣を鞘におさめながらニッカと笑う。
食材を贖罪としよう。そんな大雑把な提案だった。
ザナリアはよろよろ立ち上がるテレノアをちらりと見てから眉根を摘まむ。
「まったく……貴方というかたはどこまでも甘いですわね」
「はらぁ~……頭に血が上ってゆらゆらしますぅ~……」
どのみち彼女の怒りはテレノアへの優しさでしかないのだ。
だから少し怒りすぎたというだけのこと。
親愛なる聖女と同じ立場になってまだ日が浅い。そのため距離の測りかたにも四苦八苦しているのだろう。
喧嘩を仲裁したミナトはあらためて席に着いてから手を合わせる。
「それはともかくとして、いただきます!」
これほど豪勢な料理が揃っているのだ。
空腹も相まって敵にするならこんなに都合のよい戦いもない。
そんなミナトに習ってリリティアたちも卓について豪勢な朝食兼昼食にありつく。
「はぁ~ほっぺたが落ちてしまいそうです! リリティア様のお作りになるお料理は宮殿のお料理より美味ですねぇ!」
「こんな美味なる食事を毎食食べるために魔物を狩る力が増しているということですか。なんとも剣の道に背く度し難さ……」
ひとくち頬張れば虜だった。
あれほど喧々諤々としていたというのに2人は並んで舌鼓を打つ。
そんな様子をリリティアはご満悦といった微笑で見守っている。
「ところでミナトさん午後の鍛錬はどうします?」
「棺の間。それから夜の狩り」
肉を食いちぎりながら淀みのない返答だった。
もう剣聖リリティアとの決闘まで2ヶ月弱ほどしか時間が残されていない。
負ければ、死。勝てば、元世界への帰還。秒針の刻む足跡は刻一刻とその時を目指す。
「最近ずいぶんと足繁く棺の間へ通ってますね。あまり遊び歩いているようでは私には到底叶いませんよ」
「心配してくれるのはありがたいけどこっちも準備に忙しいんだ」
1分1秒として無駄にする時間はない。
そう。笑むたびに深まるクマが雄弁に語り尽くす。
無駄にする時間はない。遠く離れた信じる仲間たちの声を忘れた夜はないほどに。
「ごちそうさまでした! いってきます!」
テレノアとザナリアが目を丸くするほどだった。
迅速に平らげ終えて締めとする。あれほど盛られていたはずの皿は空いて無駄がない。
そう。もう無駄は必要ないのだ。
1分1秒を人として全力で生きている。
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