283話【VS.】死を授けし巨獣 マンイーター
白の朝陽が山を踏み越え登り切る。
本日を迎える空色に紅と蒼の対なす月がばやりと滲んで大陸を見下ろす。
風はせせらぎ小鳥たちの歌を運んで葉を流す。ときおり魔物の禍々しい猛り声が幹の狭間をくぐっては消えていく。
ルスラウス大陸世界東南に位置する奥深き森は、迷宮よりも無謀で命を減らす。
ゆえにここは、誘われしの森。誘いの森。
魂の負が生みだす諸悪根源は今日もどこかで命の円環を執行する。
「がんばってくださーいっ! ふれふれおーですよっ!」
そんな超危険地帯で大立ち回りを演じる者もいた。
理由。誘われし冒険者の生き残りが魔物に追われて死にかけていたから。
理由その2。仲間の死体を守っている死にかけを見捨てるわけにはいられなかったから
理由その3。自分よりも正義感の強い1国の少女が猪突猛進に突っこんでしまったから。
以上の理由を以てして制裁することの運びとなっている。
「Guuuuuuuuuu!!」
4足獅子頭の爪牙蛇尾。
ついぞ威嚇の音が隆々と流れるマグマの如く森に爆ぜる。
爪に裂かれれば致命は必須。強靱な獣の顎のほうに捉えられたのならば死が確定する。
肉どころか腸を食い破られ明日には魔物の養分になっているに違いない。
王者の貫禄さえ匂わせる猛獣と対峙するのは、ただ1人。
「ざっと目測する限りでは、獣型。それも体高2m50ほどの中型か」
圧倒的な死の香りに頬伝う汗が冷える思いだった。
ひと睨みされるだけで鼻の横辺りがヒクヒク痙攣する。
「Grrrrrrrrr……!」
「そう威嚇しながら怯えてくれるなよ。こっちだって今すぐにでも尻尾巻いて逃げたいんだから仲良くやろうぜ」
獣魔は一定距離を保ちながら近辺を周回しつづけていた。
どうやら雌雄を決するときは、そう遠くない。
肌を焦がすような緊迫した空気に心臓が警笛を早め脳に過剰な酸素が送られてくる。刮目しつづけると白い部分だけではなく瞳の裏まで乾いてしまいそうな錯覚を覚えた。
彼をとり囲む幹には焦げや斬撃の痛ましい形跡がいくつも残されている。
木立の根元付近には中型の死骸が4体ほど。群れだった獣魔の連れが血を吐いて転がっていた。
「その1匹が最後なので私のことは気にしなくていいですからね!」
当然やったのは、無力な人間ではない。
そこでスカートを押さえながらぶら下がっている名誉エーテル国女王が成し遂げた成果に過ぎない。
そしてもう傍らには、無謀な冒険者たちの一行が。
へたこみ、気絶し、ギリギリ生きた状態で生き残っている。
「ひぃ、ひぃ、ひぃぃぃ!」
ボロボロの仲間たちが食い荒らされていないのは、彼が勇敢だったから。
最後の最後まで諦めずこの苦境の森で勇敢に立ち向かったおかげで、――巻きこまれ、もとい――助けが間に合った。
しかしもう鎧すら破壊され武器さえも失っている。戦力になることは期待しないほうが良いだろう。
「その魔物で最後の1体ですー! 私のことは気にしないでやっちゃってくださーい!」
ぷらり、ぷらり。金鎧は、逆しまだった。
片足を動く魔法蔦に捕縛された波髪の見目麗しい少女が枝から垂れ下がっている。
悲鳴を聞いて唐突に駆けだし華麗に4体の魔物を討ったまでは良かった。しかし最後の最後で獣の使った魔法の蔦に絡まれいまに至る。
「きっと貴方様なら勝てるはずですっ! 血の滲むような努力をその魔物に見せつけてあげちゃってくださいっ!」
先ほどまでの鮮烈な戦いぶりから転じるほどの間抜けぶりだった。
細剣を握っていたはずの手はいまや下着が露わにならぬよう押さえるだけ。敵の臓物を薙いだ細剣は明後日のほうで戦いの行方を見守っている始末。
「Grrrrrrrrrrrrrrrrrrr!!」
獣魔は値踏みするように周回を絶やすことはない。
しかしこれにて1対1。この最後の獣魔さえ討伐すれば全員生還で生き残りが確定する。
「ふぅぅ……絶望的だぜぇ」
「Gaaaaa!! RaaaaaRaeee!!」
殺気に睨まれながら腰に履いた剣へ手をかけた。
すらり、と。音もなく怪魚骨剣を抜き放つ。
陽光に当たると7色に光る白刃を脇に固めながら切っ先を獣の眉間に定める。
「Grrrrrrrrr……!」
「真っ直ぐ突っこんでくるなら剣が眉間に刺さるぞ。お前だって別に仲間の仇討ちがしたいわけでもないだろう。ここで引くのは長生きのコツだぞ」
どうせ言葉なんて伝わるはずもない。
切っ先が揺れぬよう強く握るのも、冷や汗滴らせながら口角を持ち上げるのだって、ただの強がり。
鍛錬と実践ではこうも違う。明確な生と死が区分される命の世界なのだ。
「Rrrrrrrrrr」
どうしたこないのか。
「Rrrrrrrr」
ならばこちらからいくぞ。
「ああいいぞ。そっちがその気ならこっちにだって考えがあるからな」
間合いが、息が、同時に詰まっていく。
業を煮やしたというよりは、品定めが済んだといった様子。
獣魔物は、人の頭ほどもある巨大な足でのっしのしと草を寝かせて距離を縮めた。
――押すか避けるかの2択。後退は……ないな。
猶予あと幾ばくか。
もちうる手札は五体満足な肉体と剣くらいなもの。
いちおう胸当てはつけてある。が、敵の巨体から繰りだされる攻撃を防いでも衝撃で内臓が逝くだろう。
――敵の攻撃は牙、爪、あとテレノアを拘束した蔦の魔法か。
……なら。息を吐きだし覚悟が決まる。
始めるまでにあらかたの製図が終了した。
死の淵にはこの魂が生まれた頃から慣れている。この状況で焦らず冷静に分析できるというのは経験の強みだったのかもしれない。
そして敵が悠然と死の間合いに踏み入った直後だった。
「GARARAAAAAAAAAA!!!!」
唐突に時動く。
尋常ではない膂力からくる鋭い飛びかかりだった。
「それしかないだろうなァ!!」
それを辛うじて躱す。
遠く離れた木に蒼き線を引っかけ、回収という動作で身体ごと横にズレる。
すると察知した敵は飛びかかりの着地に合わせ、鋭角な軌道で彼を追った。
「GGGGGGGGGGGGAAAAA!!!」
飛びかかりからの飛びかかり。
2度に渡る行動だが初手と異なる点がある。
それは反射的にこちらへ飛んだということ。初手と違って狙いはかなり荒い。
「フッ!」
敵の向かってくる影に1糸が交差した。
鮮烈に蒼く輝く能力の紐。左腕に巻き付けた流線型から音もなく放たれる。
着弾とともに人の身体がまたもふわりと飛翔した。
「G――!?」
魔物でも息を呑むことがあるらしい。
しかし無理もない。捕らえる側だった己に捕らえられる側だった人が高速で迫っている。
そして獣魔物が致命を奮う前に人との軌道が交差した。
「GYAAAAAAAAAAAAA!!?」
悲鳴を上げた主は人ではない。
速度の乗った獣魔物の巨体は飛びかかりの姿勢を崩して、ごろり。地べたを横に転げた。
肩口からはとぷとぷと鮮血が漏れ硬い毛を朱色に濡らす。出所には中途半端な長さの剣が深々突き立っている。
少年は、目的通りに落ちている女王の細剣を拾い上げてひょう、と風を薙ぐ。
「だから老婆心でいってやっただろう。怪我するまでに帰れって」
「きゃー! ミナトさんかっこいいですー!」
たちどころに逆しまのテレノア・ティールから黄色い声援を背に浴びた。
別に意識して格好つけているわけではないのだ。それどころかいますぐ尻尾を巻いて逃げたいというのが本音である。
「さすがに生きてる冒険者3人と女王様を1人置いて逃げるわけにはいかないな」
そう。もう悲観し叫んだところで遅いのだ。
今日この日。ミナト・ティールは、まさに現在死にかけている。
エーテル国女王の片割れがお忍びで遊びにきたまでは、まだ良かった。しかしそこからが問題なのだ。
森のなかから苦痛を伴った悲鳴が上がる。ここはルスラウス大陸のなかでも最強とされる狩り場なのだからなにも不思議なことではない。
だがテレノアにとってそれは聞き逃せるものではなかった。
剣を引き抜き駆けだした彼女のあとを追ってみれば、この始末。つまるところタチが悪い。
「GROOOAAAAAAAA!!!」
いったん怯みはしたものの再び咆吼が息を吹き返す。
それどころか獣魔物はプライドを傷つけられ怒り心頭だった。
「逆手で思いっきり突き刺したのに肩の筋肉が厚くて心臓へ届かなかったか」
だがただ食われてやるという道は、ない。
こちらにだって剣修行をはじめてもう100日を経ている。抵抗する術は、まだ幾らかある。
すると獣魔物はよろめきながら尾の大蛇を呼び覚ます。
「Syaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」
蛇の目が開き赤色の光を宿した。
木の幹が猛りに感化され無数の蔦を生みだす。
そしてそのすべてがミナトへ大蛇の如きうねりで襲いかかる。
「獣が魔法を使うってどういう理屈なんだろうな。この世界本当に――……ふざけてやがるッ!!」
疾走からの連閃だった。
手足を絡め捕らんと襲いくる蔦の雨あられを細剣にて裁断する。
成り立てとはいえ女王の名を冠する者がもつ剣だ。細いながらに軽く、切れ味は抜群。
「マンイーターと対峙するのももうこれで5回目なんだよ」
蛇の目からだせる蔦の本数はおよそ8~12ほど。
学びこそ力。剣の師にふっかけられた無理難題を乗り越えてきた身なら造作なき。
すべてを捌ききって残心をとる。断たれた細切れの最後が地べたに落ちた。
「お前もオレも不幸だな。もしお前がオレの世界に入ってこなかったのならお互いこうはならなかったはずだ」
幾たびの死線を越えて、生存。
死地にて泥を啜りながら剣を磨き上げた。
やがて立ち止まることを知らぬ少年は、100の時を超え仕上がり、開花した。
「早く帰らせてくれよ」
少年は、もう笑わない。
以降の戦いは語るに及ばず。先の1撃で機動力を落とした獣魔物は、蒼と細剣の機敏な反撃により、全身をくまなく刻まれ尽した。
やがて咆吼と眼から光を失った俗物の未来は閉ざされる。地響きとともに鬱蒼と生える草地を己の鮮血にて濡らし動かなくなったのだった。
「オレに残された時間は少ないんだ」
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