282話 2人の英雄《Last Hope》
詰め寄りなんて比ではない。もはや詰問。
ラミィが紅潮しながらあたふたと両手を踊らせ交代する。
しかし信もまた一歩として譲らない。
「落ちぶれたお前を俺が救ってやる。アイツが人々へそうして回ったように俺もまた誰もとりこぼさない」
伸ばした手が彼女の手を捕まえる。
決して力任せの強引ではない。逃げる蝶を両手で包みこむみたいに優しいもの。
「……あっ」
「もう次はいわない。頼む」
とうとうラミィは情熱に気圧されてしまう。
腕をとられて参ったか、退く足をたどたどしく止めた。
吸いこまれそうなほど真摯な瞳をじっと見つめながら息を止める。
「あ、あの……本当に私なんかで……」
「己を蔑むような言葉を使うな。俺自信がお前を見こんで選出したんだ」
そしてしばし至近距離で見つめ合う。
途端にラミィは顔面をぼっ、と真っ赤に染めた。
それから萎れるみたいに彼女の身体から力が抜けていった。
「ひゃ、ひゃい。よろしくおねがいしましゅ……」
「同意をとれて光栄だ。では時間もないさっそく共振法の実践を始めよう」
周囲の若人たちでさえ脳を揺すられてしまいかねない光景だった。
積極的かつ紳士的。女子たちが片っ端に頬を灯しくらりと脳を揺すられてしまう。
1番たちが悪いのは信自身が己の評価を自覚していないこと。
高身長超優秀顔立ちまで整っている。完成された美しさも相まってノアでの女性人気は群を抜く。
杏は、展開の一部始終を網膜に映し、眉をしかめる。
「あればナチュラルなたらしね」
ウィロメナと久須美からは「あ、あはは……」「難儀ですわねぇ……」乾いた笑みが咲いたのだった。
人付き合いの不器用。当人曰く必要ないからそうしないというわがまままでしかない。
だが信は決して意味なく他者を貶し咎めるような真似はしない。少なくとも杏が知り合ってから彼はずっとそうだった
きっとあらかじめ武器を手放したもの相手を怖がらせぬため。警戒させぬよう彼なりに最低限の配慮したのだ。
こちらがあきれるいっぽうで。あちらのほうはといえば粛々とコトが進んでいる。
「それほど繋がりのない俺を完全に信じろとは言わない。が、己を低く見積もることだけはやめておけお前なら絶対に出来るはずだ」
ラミィは「は、はい……」と、子犬のように従順だった。
端正な少年と奇抜な少女が肌触れあう至近距離で見つめ合う。
互いの5指5指を左右に絡ませる。それだけで周囲からも乙女の吐息がこぼれる。
「さあ始めるぞ。明日を恐れずこちらの世界に上がってこい」
「わ、わかんないよ……そんなの」
「それをいまから教えるんだからわからなくて当然だ」
まるで初心者に踊りを教えるインストラクターのよう。
そして信の身体から人由来の蒼が立ち昇る。
「逃げるんじゃないあるがままに受け入れろ」
「で、でもなんか怖い……! なにか知らないものが身体に流れこんでくる……!」
2人の微かに明暗異なる蒼と蒼が重なるように溶け合っていく。
それは色と色を混ぜ合わせるかのよう。互いの身体の中央から生みだされる蒼き力が揺らぎばがら押し合う。
「ああっ! これ頭のなかに私とは別の感情があってぇ変になりそう!」
「それが俺のもつ蒼だ。耐えることをやめれば自然と許容できるようになる」
足をふらつかせながら目に涙を浮かべ喉で喘ぐ。
ふらつくラミィがバランスを崩しそうになると、すかさず信は腰に手を回して支えに入った。
そうやって2人の蒼がしばし揺らぐ。
どこか神秘的ありながら侵しがたい光景だった。
だからか周囲の若人たちは目を凝らしながらも沈黙を背負い固唾を呑む。
共振法自体が理解の外だったということもある。2人の行為はどこか身体を折り合わせるようでいて、心を繋ぐようで、僅かに艶めかしい。
「あっ! ああああっ! なにこれ強くて暖かいモノが身体の奥にあふれてくる!」
そして信から発される明光とラミィのもつくすんだブルーが1つになる。
分かれていた別色の蒼が次第に境界を失って同色に混ざり合う。
蒼をおさめた信は、ゆっくりと閉ざしていた双眸を開眼する。
「俺の予想通りお前は及第点だ。初めての共振法にもかかわらず最後までよく耐えきったな」
呼吸を刻む華奢な彼女の肩へそっと手を触れた。
しかしラミィのほうからの返答はない。どころか彼女は蒼の収束した己の手に目を堕としたままピクリと動かない。
「どうだ? 新しい世界の感覚は?」
短な問いだった。
その直後ラミィは機械仕掛けのように首を軋ませながら彼を見上げる。
「す、すごい……これが第2世代能力者が立っている世界ってこと!? こんなの私いままで知らなかった!?」
全身にびっしりと玉汗を浮かべながら額を拭おうともしない。
ただ顔中で驚愕を作りながら全身で戦慄する。
「フレックスへのアプローチがまったくの別次元すぎる! 第1世代と比べて考えかたが根本から違うみたい!」
ラミィはおもむろに蒼をまとった。
震える手を静かにかざしながら唇をすぼめて吐息を吹く。
「思いが伝わっていく……心臓、肩、腕、そして手のひらへ……ゆっくりと」
すると彼女の手のひらには白くふわりとした光球が現れた。
その瞬間周囲からは緊張と興奮の入り交じった声がそこらかしこで生まれる。
彼女の手に現れたのはまとうものとはまったくの別物。繊細優美な白色の塊が身体外部に突如として出現したのだった。
「おめでとう。それがお前のもっとも得意とする次世代――《調乖》だ」
拍手すら送らない辺り付き合いの悪い彼らしい態度か。
ラミィのほうはといえば、未だ半信半疑のまま立ち尽くしている。
「スケール……これが私の次世代?」
滲む瞳で己の生みだした光の玉を凝視しつづけていた。
調乖。それは肉体へのアプローチを特異とする能力である。
F.L.E.X.効果は対象の肉体異常などの発見や分析。触れて異常箇所を発見すれば治療さえ可能という完全支援型。
ノアでは主に医療従事者として重宝される能力のひとつでもあった。
「まずはじめに調乖が目覚めるタイプは慈愛や博愛を好む傾向にある。あるいは人間体への執着や執念、理解度が関係するため医療関係者などがそうなるケースが多いといわれている」
ラミィは紅潮と怖気、2種類の感情で信を見上げる。
開かれた扉。実感が遅れる曖昧な立ち位置。彼女の表情がそれらすべてを醸しだす。
「……無能の私が第2世代?」
ようやく吐きだせたのがそれだった。
だが、一笑。口角すら上げず筋の通った鼻から嘲笑の風が吹く。
「バカいうな最大保持フレックス量が規定に達しているからこそ第2世代に上がれるんだ」
「それってつまり私には第2世代になれるだけの力がもうあったってこと……?」
「積み上げてきた研鑽というのは心の中央に糧として残りつづける。たとえお前が心折れてすべてを投げだしたとしてもだ」
信は、己の心臓の位置辺りに指を立てる。
そうやってさも当然のこととばかりに堂々と彼女の日々を肯定した。
「~~っっっ!!」
嗚咽。それから少し遅れて感情が頬に滴る。
ラミィは消えた光の玉を再び胸に抱きしめるようにしながら膝を落とす。
見捨ててしまったこと。己を見積もってやめてしまったこと。積み上げてきた日々のそれらすべてに贖罪を捧ぐ。
「もう、ダメだって……ずっと、がんばってきて! なのに、どうしても結果がだせなくって……それでいつの間にか置いていかれるのが怖くなって目を逸らしてたの……!」
ラミィは背を丸く床に額を押しつけるようにしながら涙を流すのだった。
さめざめしんしん、と。面を伏せ声を上げぬよう感情を床に吐きだしていく。
「ありがとう……! 私のことを連れてきてくれて……ありがとう……!」
「おかしなやつだな礼には及ばない。むしろこちらが頼んだ側なのだからな」
信がぶっきらぼうにそう返答した。
その、次の瞬間だった。
溜まっていたであろう感情が一帯から爆発するように響き渡る。
殺風景な白とダイス目が描かれたトレーニングルームには、刹那の間にして歓喜と歓声の渦が完成した。
泣き崩れるラミィの背に向かって友が飛びこむ。
「ラミィちゃあああああああああああああん!!!」
「へ、サニー? ――ブぅッッ!!?」
蒼をまとった少女が直撃した。
そのまま数メートルほどもんどりをうってようやく止まる。
「よかったねぇよかったねぇ!! ラミィちゃんずっとがんばってたのワタシ見てたからねェ!!」
「人の胸に頭こすりつけるなぁ! それに私だって出来たんだしどうせサニーだってすぐ追いつくんでしょ!」
友のほうに尻尾が生えていたら振り切れんばかりだったに違いない。
兎にも角にもこれで共振法という未知は、人々にとって既知の代物となった。
杏は、焦りを感じながらも歓喜する同僚たちへ祝福の吐息を送る。
「これは私たちもうかうかしていられないわね。余裕風なんて吹かせていたらすぐに追われる立場に早変わりだわ」
「ねっ」
ウィロメナはたまらずといった感じ。
目元が隠れていてもわかる満面の笑みとともにローブ下の鞠を弾ませた。
1人が上がってきたのだ。これから爆発的な早さで次世代たちが上り詰めてくることは容易に予想できる。
「…………」
歓喜に熟れるなか久須美は静寂をまとう。
熱く拳を握りしめながら感涙に咽ぶラミィをじっ、と見つめつづけていた。
地獄の日々は、人類を確実に次のステージに導く。8代目艦長の設定した半年という期限のなかで必死に生きつづけている。
終末。到達点が明確だったため人々はいかな苦難も乗り越えられた。
そしてついに越えられない壁はないことが証明される。生きるために必死に生きている人々にとって最高の朗報だった。
「第2世代は決して特別というわけではない。まずはその負け犬根性をなくすところからはじめろ」
彼が声を発すだけで人々は笑みを閉ざす。
英雄の一言一句を聞き逃すまいと、口をつぐみ耳を澄ました。
「F.L.E.Xは人に与えられたはじめから使えるものだ。つまり人間ならば誰にだって使用可能で、使用できないのなら固定観念が蓋をしているに過ぎない」
彼もまた立ち上がり直したうちの1人。
打ちひしがれてなお立ち直ることを志す勇気ある者、勇者なのだ。
ゆえにノアの民たちは暁月信という少年を受け入れる。どのような過去があったとして、それはもう過去に過ぎない。
「使えぬ者が嫉妬する時代は終わった。なぜなら使える者が使えぬ者たちを支えて引き上げる。これこそが本当の意味での守り合いだ」
「違うか?」その問いに異論を唱えるものはいなかった。
人とは少なからず優位を維持しようとする。謀る、出し惜しむ。誰もが己の特別を保持しつづけようと画策する。
しかし信の場合は違う。
ふんぞり返ることもなく、優越感に浸るのでもない。ともに歩む。
――そういえば聞こえは良いけど……。でもアイツはの場合は人如きしょせん人だと豪語しているだけよね。
杏は感嘆する思いだった。
1度の挫折を終えた信という少年はあまりにも達観しすぎている。
上も下もない、天地の間をとって、天上天下の横並び。
人如き財も地位も名誉もなければ、ただの人。
「俺はアザーに根ざしたアイツを確実にぶち殺す……! 大切な家族を奪ってなお未来すら奪いつくそうとしているアイツをだ……!」
意見をとるまでもなく満場一致だった。
信の裏に燃えさかるのは、正義ではなく、怨嗟。
まるで復讐と報復を薪としたおどろおどろしい炎であるかのよう。
「だからせめてステージアップした人類の手であの化け物をぶち殺す……! そしてミナトへ送る手向けとしてやる……!」
耽美な表情が形作るのは、憤怒。
あるいは、鬼神の如き形相。
「お前らはミナトにとって宝物同然だったんだッ!! だから俺はミナトが命懸けで守ったお前らをミナトの代わりにこの命で守り抜いてみせるッ!!」
発布する。
怒りに感情の蒼を想起させる彼こそが、新世界の歯車を回す。
意思がつながる。友の死を経て長刀を携えし若き虎が覚醒する。
そう、誰もが彼の背後に英雄の面影を見たのだった。
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