281話 共振法《Heart and Soul》
「そ、それではよろしくお願いしますっ!」
緊張で喉が開ききっていないどこか頼りない気迫だった。
うら若き少女の前へ置かれた台の上には訓練用ダイスが置かれている。
どれだけの若人たちがこの1辺50cmの鉄立方体に挑んだことだろうか。鉄ダイスを浮かせるのは第2世代到達試験の合格点を意味していた。
この忌まわしき物体は上を目指す若者たちの心を幾度と屈してきた呪物に等しい。重さは1トンにも及ぶため――人どころか――上背もなく華奢な少女の細腕で到底太刀打ち出来るものではない。
可憐で華奢な少女は、胸いっぱいに酸素をとりこんでから、意味ある言を叫ぶ。
「すぅぅ……っ! 「《重芯・鶴翼》ぁ!」
蒼をまとい手を差し向けた。
すると125000立法センチメートルのダイスが蒼をまとい、重力を失う。
そして飛び立った小鳥が巣へ帰るみたいにチャチャ・グルーバーの手の上へと降り立つ。
「まごうことなき第2世代能力だ!?」
「しかもあの子ってこの間までアザーで暮らしていたはずじゃ!?」
一帯が目を皿のように丸くしながら動揺をひしめかせる。
しかしチャチャは愛らしい面を緊張で強ばらせながらつづけた。
「よっ、と」
人差し指でとん、と。本当に僅かな力で浮遊する立方体の側面を突く。
すると立方体はシャボン玉の如くふわり、彼女の手から旅立つ。
「《重芯・岩翼》!」
直後に立方体は台の上に殴りつけられた。
自重より遙かに勝る落下によって衝撃吸収用のゴムが敷かれた台が、めしゃりとひしゃげる。
重力の軽減、さらに超過。それらは第2世代F.L.E.X.の《重芯》に他ならない。
くるり、と。白い丈長ワンピースの裾が風を孕んで翻る。
「お目汚し失礼いたしました! それと、あ、ありがとうございましたっ!」
チャチャは、スカートの裾をつまんで礼儀正しく礼をした。
審査員と見物客たちに向かい黄金色の髪を幾度と縦に振ったのだった。
それと同時に「おぉぉぉ……」「すけぇ……」なんて。関心と感嘆が混ざり合った吐息が至るところから漏れでる。
なぜなら次世代への到達は努力云々でどうとなる単純な話ではない。F.L.E.X.とはもう1本腕が増えるようなものといわれることが多い。
そのため第2世代能力の習得はいうなれば感覚の生成、人としての進歩。これらを合わせて進化と呼ぶ。
リーダーである源馬を筆頭に四柱祭司のメンバーで刮目する。
「これはすごい!! いま俺の身体は感動に打ちひしがれている!!」
紗由そしてクラリッサもまた信じがたき光景に戸惑いと好奇を示す。
「これはどういうことなの……? ついこの間までアザーいたはずの彼女がなぜ……アカデミーすら必要としない短期間で第2世代能力を……?」
「しかも1種類だけじゃなくって、《雷伝》、《不敵》、《重芯》ときたもんだ。3形態を一気にお披露目とか人類の歴史が引っくり返るレベルじゃんよ」
当然チャチャ・グルーバーの試験結果はいうまでもない。
3形態に及ぶ2世代能力を数百人の聴講生たちを前に実践して見せたのだ。
これを合格とせねば試験そのものの仕組みが疑われてしまうことになりかねない。
「これが現実ならば素晴らしいの言葉につきるな! 第1世代からたったの2ヶ月で3形態を身につけるとは確かに最短だ!」
「でもこれをいったいどうやって……? 現状の四柱祭司でさえこれほど迅速に次世代化を図る術を知らないわ」
「きっしししぃ~。知るのは当事者のみってとこかね」
四柱祭司たちの口から漏れるのは最大の賞賛のみ。
本物の天才と称される彼らでさえ胡乱かつ怪訝に状況を分析する。
しかし答えを握るのはただ1人。チャチャ・グルーバーという作品を生みだした少年、暁月信のみ。
場に集うみなが一様に端麗な長身の少年の元へ期待と驚愕を集わせた。
静寂をまとい佇む信は、閉じていた瞳を開く。
「俺は共振法と呼ばれる能力開発をチャチャさんに施した」
共振法。不明瞭で聞いたことのない言葉だった。
往々にして数人が首をかしげ木霊の如く繰り返す。
すると信は1人1人を確かめるみたいに様子を伺ってから再び喋り始める。
「直接相手の身体に己の到達点を流しこんで能力の扉を無理矢理こじ開ける方法だ。第2世代能力者の蒼を適宜第1世代止まりの能力者たちへと流しこむ。そうやって感覚を能力越しに伝えることで上へ引っ張り上げてやれば最短で第2世代能力に目覚めるだろう」
淡々として落ち着いた声だった。
衆目の面前だというのに身じろぎひとつしない。隆起する背には杭でも刺さっているのかというほど、どっしりと佇む。
彼には年若くして静寂を生むほどの風格が染みついていた。
「一つ聞かせてほしい」
すると折を見て源馬が代表し、踏みだす。
それを信は真剣な眼差しで無言のまま応じた。
「知っているとは思うが許容量を超える蒼の流入は肉体そのものを破壊してしまう。君はそのような危険な行為を彼女へ施したということかね」
ああ。返答は迅速で切れ目さえない。まさに返す刃の如き切れ味。
信は曇りなき眼で源馬の投げかけに答える。
「この実験はすでに被検体を経て確立されている手法だ」
「……被検体だと?」
「ああ。長岡晴記が第2世代へ移行したのも俺を種に共振法を行ったからだ」
そのひとことでとり巻きの空気が一変した。
聴講生たちが一斉に動作を止め凍りづけ同等に静止する。表情も肉体も指先1つに至るまで自由と熱を奪われる。
恐怖の根源となるのはいうまでもない。第7代目艦長長岡晴記の名前がでたことで間違いはないはず。
「まさか……ここで長岡晴記の名前がでてくるなんてね」
「死してなお語られつづけるのは歴史的英雄か愚者です。無論7代目艦長は後者に位置づけられるでしょう」
杏と久須美は揃って苦虫を噛み潰したように表情を歪ませた。
通常であれば暴挙。信の語る共振法というものは一般的に狂気科学でしかない。
だが、真実がもっともな証明でもある。事実として共振法はチャチャ・グルーバーという被検体の上で成功している。そのため周囲は怯えても異を唱えるものはいなかった。
「確かに危険を伴う行為だが加減さえ覚えられれば結果は見ての通りだ。俺は数万分の1人という常識から天才の1人を選出したわけでもない。彼女はあくまでただの普通の第1世代でしかったんだからな」
そういって信はあちら側に佇む2人に視線を振った。
瞳に映っているのは彼にとっての家族。チャチャ、そしてディゲルの2人である。
「えへへへっ! ちょっと緊張しちゃいましたけど修行の成果が上手くいって良かったですっ!」
話を振られたチャチャはくすぐったそうに透明感のある白いワンピースの裾を流す。
照れの浮いた桃色の頬を両手で包みながら身体を揺すった。
偉業をなしたとは思えぬ無垢なはしゃぎぶり。見ている側も思わず目尻が蕩けてしまいそうな愛らしさ。
そんななか信は腰を揺らすチャチャへ僅かに目尻をほころばせる。
「それは努力の賜物だ。1度覚えた技術はそう簡単に忘れることはない」
彼の変化に気づけたのは、きっと杏だけだっただろう。
喜ぶチャチャを見つめる彼の目はとにかく優しいものだった。
――へぇ……そんな顔も出来るのね。
なぜかそれが杏のなかでとても複雑な感情を呼び起こす。
似ていたから。思いを潰すみたいに胸の袂で拳を握りしめる。
信もそうだった。血の繋がりがない家族をこよなく愛し、人類を救った1人に、とてもよく似ていた。
いっぽうで他の人々は新たな世界の架け橋に興奮を隠そうとしない。
「もし本当にそんなことが可能なら……俺たちでも第2世代に上がれるってことだよな?」
「そうなれば私たちのように蒼の才能に恵まれなかった子たちもD-dayに参加できるってことよね!」
一筋の光明が差して希望に湧く。
共振法と呼ばれる開発を行えば第2世代へ移行することが可能となる。
これほどまでに人類が急速な進化を迎える機会がいままであっただろうか。F.L.E.X.という能力に人類が気づいた歴史と同等の価値ある発見だった。
チャチャは沸き立つ空気に負けじと小兎のようにぴょんと跳ねる。
「あ、ちなみにみなさん! ディゲルさんも第1世代から第2世代に上がったんですよ!」
「俺は《亜轟》の1つ止まりだがな。どうやら歯がゆいことに歳食ってるとちぃっとだけ足が遅いらしい」
「つまりお年をあるていど召していても共振法を使えば誰でも第2世代になれるということです!」
文句のつけようがない、偉業だった。
これには頂点に君臨する四柱祭司でさえ浮き足立つ。
源馬、紗由、クラリッサの3人は向かい合う。
「ディゲル中将まで第2世代に至ったのか!! これはこれはまさに恐悦至極の領域だな!!」
「もし船内のメンバーが総じて第2世代に目覚めることが可能なら……戦力は100倍以上に膨れ上がる」
「あ”~……そうなりゃ飛躍的に勝ちの目まで手が届くようになるなぁ。こりゃあ明日からの未来が楽しみすぎんでしょ」
これほどの成果を見せつけられては教育者であるからこそ受け入れざるを得ない。
第2世代能力は第1世代より遙かに能力向上が見こめる。それは旧世代では新世代に決して勝てぬといわれるほど、圧倒的な差だった。
だが当然ながら希望に見惚れる歓喜のなかからとつとつと漏れる不安もある。
「……でもやっぱり怖いかな。だってあの長岡晴記の残した技術でしょ……」
「もし蒼の加減を失敗したら肉体が内側から破裂するって話だぜ。そんなもん易々と受け入れられるわけないだろ……」
すべての人間が共振法という未知と向き合えるはずがない。
歓喜の声に埋もれるような小雨の如き囁きだった。
しかし鷹の如き鋭い眼差しは、不安を募らせ影を落とす者たちさえ見逃さない。
「せっかくだからこの場にいる人間で実証してやろう。目の前で安全性の確認までしてもらえるのなら御の字だからな」
信はおもむろに腰に履いた長刀を外す。
頼む、と。ディゲルへ預けてから前へと歩みでる。
彼の歩みに合わせて人垣が割れるようにして掃けていく。
そして信の向かった先には、1人の少女がぽつんと立ち尽くしていた。
「おいそこのお前協力してくれ」
ぶっきらぼうな声かけだった。
少女のほうはまさか自分とは思っていないらしい。
明後日の方角を眺めながら呆けている。
「ねねね? ラミィちゃんラミィちゃん呼ばれてるよ?」
友人に袖を引かれ彼女は「んあ?」と、間抜けた声を漏らす。
そしてようやく信の存在に気づいたのか曲がった背が即座に伸び上がる。
「おいお前同じ言葉を喋らせるな。協力を頼むといっているんだから返事くらいしたらどうだ」
「へぇ!!? マジなんで私なの!!?」
降って湧いた事態だった。
ラミィという少女は倍ほども眼をおっ広げて愕然とする。
「ええええええ無理無理無理無理!! 私こう見えて……というかこう見えてるからこそ才能とかないし!! 蒼の伸びしろないっていわれてからほぼグレでピアス穴とか空けまくりながらサボってるような女だしぃ!!」
彼女のいうとおりだった。
どちらかといえば道からそれたような見た目をしている。
耳には小粒大粒のピアスが斑点を作っており、口や舌、鼻なんかにも煌びやかな装飾が輝いていた。
この場には多くの若者が揃っており、実験するのであればもっと上等な手合いもいるはず。
しかし武器さえ手放した信は、彼女からの拒絶を一切無視して漠然とつづける。
「それだけ耳や顔に穴を開けているんだから恐怖にも強いはずだ。だから適材適所、是非とも協力しろ」
「いやまあ確かに顔ピ舌ピとかつけるの痛くないのかってよく聞かれるけれども!? それとこれとはやっぱり話が別じゃん!?」
「なにも怖がることはない俺から受けとる蒼の力を己のなかで理解するだけで良い。それだけで挫折したお前は次のステージへと導かれることになる」
「マジ頑ななのなんでよ他にも第2世代を目指す頑張ってる子がいっぱいいるじゃん!? そして私の話にまったく聞く耳もたないじゃん!?」
《区切りなし》




