280話 第2世代《NEW Generation》
波乱が明けて翌日のことだった。
管理地区最下部にあるF.L.E.Xの基幹施設アカデミーは熱狂を博していた。
前日を遙かに上回るほどの雑踏によってごった返す。もしかしたなら自由に動けるフレクサーたち全員が訓練場に集結しているかもしれない。
「ついにここまできたって感じね」
杏は、ふん、と筋通った鼻を膨らませた。
薄く透ける流動体繊維の胸部を惜しげもなく逸らして押しだす。
すでに状態としては万全。集結した若人たちは一介にパラダイムシフトスーツを身にまとう。
ノア制服とは異なり戦闘服は統一性が少なく個の特色が目立つ。それぞれ人によってデザインは大きく異なって個性が際立っていた。
人によっては艶やかなり、華やかなり、と。なかには重々しい固形タイプに身を固め、威圧感を醸しだす者も少なくはない。
そんな自由が輝くなかでもっとも異質をまとうのは、彼女だ。
杏は隣に佇む長身の少女にちらりと視線を振る。
「また頬っ被りローブなんて着てるのね」
「う、うんやっぱり人が多いところだと色々……ね」
ツン、と。唇を尖らせながら下から上へと睨め上げた。
それぞれ動作しやすい格好だというのに、ウィロメナときたら場違いもいいところ。
これには久須美もたまらずといった感じではたと首を捻る。
「せっかくストレッチ性が高くて破れにくいスーツですのよ? 汗を掻いても生体繊維が汚れとともに吸収してくれますし、なにかご不満でもありまして?」
「しかもただの布なんかを頭に被ってひらひらしてたら利点がなくなっちゃうじゃない」
杏と久須美は「非効率ね」「非効率ですわ」良く響く声を重ねた。
この場で誰よりもウィロメナの格好が浮いている。長布で全身を頭から足首までを覆ってしまっていた。
2人に睨まれたウィロメナは、申し訳なさそうに指を編む。
「こ、こうしてないとちょっと……というかかなり恥ずかしくって……」
前髪と布。2重に隠れた表情がぽっと熱を帯びていく。
どうやら彼女はパラダイムシフトスーツを帯びる第1関門が未だ克服できていないらしい。
「恥ずかしがるから余計に回りが見てくるの。もっと堂々としていればそのうち慣れるわよ」
杏は見せつけんばかりに背を弓なりに反らす。
近頃成長の著しい胸部の山なりが波とともにたわんだ。
「わ、わかってはいるつもりだよ。でもどうしても……その、色々聞こえてきちゃうから……」
「あーもうそうやってなよなよするからダメなのよ! 男っていうのはね隠れているから見たくなる生き物なんだから!」
堂々としていればいいものを。
しかし叱られたウィロメナは目深に被ったフードのより奥に隠れてしまう。
彼女だからこその悩みというやつだろう。第2能力は、周囲の感情が聞こえてしまうというもの。
とはいえウィロメナも多感な年頃の少女である。周囲の下卑た視線や感情をアンテナの如くキャッチしてしまうのだ。
「第2世代能力である心経は万能で広範囲を読み解けるいわば逸材の能力よ。もう少しその自分の能力と上手く付き合っていったほうがウィロのためなんだから」
「ごめんね……でも少しずつ慣れていこうとは思ってるから。でもやっぱりまた少し大きくなってるから……」
そういってウィロメナはローブの中をぞもぞした。
ぎょっ、と。思わず杏は目を見開いてしまう。
「はぁ!? まさかあの大きさからまだ成長してるってわけ!?」
「ちょ、ちょっと! こ、声が大きいよう!」
ウィロメナが慌てて口を塞ぐも、もう遅い。
周囲から男女問わず好機の視線が一挙に彼女の元へと押し寄せた。
「マジかよ……あれよりデカくなることって生物的にありえるのか……」
「し、信じられない! 私なんて15のとき以降まったく増えてないのにぃ!」
好色というよりは驚愕に近いさわめきだった。
杏はしまったと、みるみる真っ赤になっていくウィロメナの援護に入る。
「それ以上ウィロのことを見たら……――潰すわよ?」
ウィロメナへ露骨な視線を送る連中を遮って手をかざす。
同時に杏の体表面に揺らぐ蒼が噴出した。
燃えるような怒りを秘めた蒼が発現すると周囲のものたちは一斉に口をつぐむ。
「ちょっとこの室内の数人を地べたにアンティーク代わりに貼り付けてみようかしら? 重さの加減は、そうね……両肩に各100kgくらいがちょうどいいかもしれないわね?」
蒼に縁どられて魔性の笑みが咲く。
するとたちどころに好機の瞳をウィロメナに向けていた者たちがさぁ、と青ざめた。
これにはたまらずウィロメナが後ろから杏を羽交い締めにして止めに入る。
「そ、そこまではしなくていいよ! これは、あの、周りというより私の心の問題だから!」
「でもいざとなったらちゃんと相談しなさいよ。もし実害でも加えてこようものなら煎餅かもんじゃ焼きにしてやるんだから」
「それ前者はともかく後者はもうどうしようもない状態になっちゃってるよね!? こんなことでがんばって生き残ってる人類の数減らしちゃダメだよ!?」
指の関節をぽきり、ぽきり。
軽く威嚇してやればもう杏に逆らうものは誰1人として存在しない。
第2世代に至るというだけでこれほどまでに圧倒する。第1世代と第2世代の壁は正真正銘人間の次段階を意味する。
「またお馬鹿なことをやっておいでのようですわね」
長く白いおみ足が交互に繰りだされるたび2房の気品あるブロンドが揺らぐ。
白き甲殻に身を包んだ鳳龍院久須美が合流してくる。
「あら? ずいぶんと遅いご登場じゃないの。昨日は興奮して寝られなかったのかしら」
「ご冗談を。朝のトレーニングを終えて身支度を整えてきたです」
あら、そ。杏は興味なしとばかりに久須美から目を背く。
隣に並んでも汗の臭いが香らないあたり風呂も済ませてきている。ブロンドの髪には満遍なく櫛が通っており優雅さに磨きがかかっていた。
久須美は頭1つほど下にある杏の顔を眺めながら目を細める。
「おいそれと能力をひけらかす行為は賞賛に値しませんわよ。持つものだからといって他人を安易に威嚇すれば信頼すら失いかねませんもの」
「ウィロをエッチな目で見る連中に警告しただけよ。原因が向こうにあるのなら一方的じゃなくて戦略的でしょ」
杏は悪びれもしないで唇をつんと尖らせる。
そんな傍若無人さに久須美はげんなりと肩を落とす。
「もう幾度目ですのその話題が上がるのは。いくら恥ずかしいからといってパラスーツの着用はいまや船内での義務です。ですからいい加減ウィロさんも慣れなくてはお辛いでしょう」
「わかってるんだよう……! わかってるんだけど、う”う”う”……!」
しかしウィロメナは喉を絞りながらローブを脱ごうとはしなかった。
それどころかようやく見えている顔の下半分まで覆い尽くしてしまう。
「なんというか……ジュンさんがいなくなってからより酷くなってるのではありませんこと?」
「たぶんあのあっけらかんとしたのが横にいないから余計に空回ってるのよ」
いつも一緒だった幼馴染みがいないことで起こる弊害の1つだった。
船員が着用しているスーツは現代科学の推移を結集して作られた流動生体繊維と呼ばれるもの。
いわばシステム化された微生物の集合体である。硬度や面積の上下も自由自在であり、なおかつ人体の垢などを吸収することでほぼ無限に増殖する。
このように宇宙生活を送る上で生体繊維は良いことしかもたらさぬ。ゆえにパラダイムシフトスーツ、通称パラスーツが開発されて以降着用は義務と同義だった。
ただ1つの問題があるとするならば、少々透けが強いということ。それがいわゆる関門というやつ。
杏にとってはそんなこと知ったことか、だ。話が早いことを利とし美とする彼女にとっては些細極まりない。
「そんなに薄々透け透けが恥ずかしいのならスーツステーションのデザイナーさんに再発注したらいいじゃないの?」
「そもそもいつでも低価格帯でリデザインしてくれますわよ。あるいはいっそのことテンプレートにでもするというのも手ではありますわ」
流体繊維の肝となるのは、効率の良さにある。
破れても修復されるし汚れることもない。老廃物を糧に増殖するため実質無限に復活する。
しかも究極をいえば頭髪さえ清潔にしていれば水を無駄にしなくてすむ。そのため慣れておくに越したことはないのだ。
だが、ウィロメナは頑なになってまで身に覆う布地を脱ごうとはしない。
「私こういう服みたいなののセンスがなくって……。そんな私に見かねた愛ちゃんが特別にオリジナルでデザインしてくれたの。だから……愛ちゃんに申し訳なくってさ」
指揉みしながらの友情だった。
しかしその裏にあるのは邪悪極まりない。憎悪。
実情を知る杏と久須美は、吐息混じりにうな垂れる。
「それ絶対愛に騙されてるわよ。自分が2次性徴終えても薄型ミニマムボディだからってウィロに当てつけしてるだけね」
「しかし薄型ミニマム乙女なお悩みだけに難儀ですわねぇ。ですがウィロさんもイヤならイヤとはっきり伝えたほうがお互いのためですわよ」
「ええええ……でも愛ちゃんはそんな酷いことするような子じゃないと思うけど……」
杏と久須美は「するわ」「しますわね」意図せずまた声を重ねたのだった。
そのとき雷光と裏返すような怒鳴り声が同時に響き渡る。
「DA・RE・GA・薄型ミニマムじゃああああ!!! さっきから好き勝手いいやらあああ!!!」
名実ともに落雷が落ちた。
ビリビリバチバチという耳障りな炸裂音が広々とした屋内に弾け回る。
遠間で蒼い雷が明光するたび小さな悲鳴が上がった。人だかりが割れた向こうには猫耳型アンテナがにょっきり生えている。
そうして、ずかずか。小さな影が人混みに揉まれながらもかき分けつつ近づいてきていた。
「なんなのなにがいいたいの!? 僕の体型が洗練されてシャープな持ち運びやすい最新型とでもお思いでして!?」
研究者の白衣を引きながら大股食い気味に乗りこんでくる。
幼き見た目ながら怒り心頭といった具合だった。
その証拠に彼女の能力が発現し、空気中でバチバチと爆ぜている。
「あら聞こえてたの? まさかチームメンバー相手に聞き耳立ててたわけ?」
「フレクサーの聴力なら同じ部屋にいれば声を潜めてても聞こえるもん!! あとまずもって杏ちゃんたち堂々と言ってるし、潜めてないし!!」
涙目に鳴った美菜愛は、烈火の如き憤慨で喚き散らす。
だがチームメンバーである杏にとっては日常茶飯事の小競り合い。
元をたどればコンプレックスが招いた悲劇だった。この場で唯一の被害者はコンプレックスの犠牲になったウィロメナのほう。
「アンタウィロにいたずらしたんでしょ?」
ギロリ。常時厳しい目立ちがより鋭利に端を尖らせた。
すると愛はぴくりと華奢な肩を揺らす。
「い、いたずらなんて……し、してないしぃ?」
「声裏返ってるじゃないの」
「裏返ってないしぃ?」どうやら白状するつもりはないようだ。
杏は白々しい口笛を聞きながらやれやれと肩をすくめる。
「まあ今回の騒動は痛み分けね。周囲を気にしすぎるウィロも悪いし、そんなウィロで遊んだ愛も悪いからどっちもどっちよ」
喉から胸いっぱいの吐息を零した。
このように小さな小さないざこざでチームの亀裂になっては元も子もない。
いまのところ杏、愛、ウィロメナの参加するチーム盾の五芒にリーダーは不在だった。
だからこそせめていまだけはこうしてとり繕いながら延命させるしかない。
杏はつり上がった目を下げてから愛の頭にそっと手を添える。
「大丈夫よ、愛みたいな薄型ミニマムでも需要はあるにはあるから」
「ここでまさかの対話拒否!? そして優しい笑顔を浮かべながら一切慰る気ゼロ!?」
訪れた今日という激動が動きだそうとしていた。
そのときまでしばし生き残りたちは談笑を交えるのだった。
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