277話 句読点《Apocalypse》
いま人類は未曾有の危機に晒されつづけている。
コントロールを失った不動のこの移民船ノアは、死の星からの断続的な攻撃を受けていた。
宇宙空間で停滞した船では修理するための物資さえ入手不可能となる。ゆえに大気の安定したアザーという星は生命線ともいえた。
ゆえにこちらから全人類の総力を結集して乗りこみ、奪取せねば未来はない。
作戦名Landing on the Planet of Death――人類の命運を賭けた死の星降下作戦。
通称D-dayが2ヶ月後に差し迫っている。
「みなさま本日はお集まりいただき本当にありがとうございます」
堅苦しい空気に陽気な声が響いた。
大勢の視線が一斉にそり立つノアのブレイン、管理棟へ移動する。
すると管理棟の内部から現れた影が階段上からこつり、こつり。複数のドローンを引き連れながらこちらに下ってきていた。
「こちらのほうはアレクネットワーク経由でもご覧いただけます。もしお聞き逃しや再度ご確認をとりたい際もまた是非管理棟ページへアクセスしアーカイブをご視聴ください」
青年は、左肩のデータ腕章に手を添えながら恭しく一礼する。
如何にもな感じ。まるで駒鳥をダンスに誘う紳士といった節度ある態度だった。
衆目の前に現れた青年の名を知らぬ者はモグリくらいだろう。いわゆる有名人というやつ。
彼の名は、藪畑笹音。
第8代目艦長の秘書や補佐という重責を自ら率先して務める、物好き。
「相変わらず……なんというか信用できないのよね」
国京杏は唇をちょんと尖らせた。
小柄な割に抑揚の深い胸の底で腕を組み腰を逸らす。
率直な感想だったし、いつも思っていること。艦長秘書を見上げながらつい本音が漏れたのだった。
「でも笹音さんの音っていつも澄んでいて綺麗だよ? 私は信用できる人だと思うんだけどねぇ?」
「そんなことわかってるわ。ただなんていうか……あの顔に見られていると無性にモヤモヤするのよ」
共に聴衆へ訪れた友は、《声》を聞くことに長けていた。
だからか同チームメンバーのウィロメナ・カルヴェロは、「難儀だねぇ~」ほんわかしながら身体を傾ける。
「笹音さんに前科とかないはずだし色々と活躍してくれているはずなんだけど。なんでかみんなから疑われちゃってるよね」
「わかるの、ウィロのいいたいことは全部わかってるの。でもなんでか知らないうちに警戒させるなにかがあるのよ」
藪畑の顔立ちは非常に端正かつ性格も穏やか。
女子女性問わずほどほどに人気があるという噂もでるほど。
だが、とにかく胡散臭い。貼り付けられたかの如きひょうきんな微笑が常になにか異質さを漂わせる。
「う~ん? 格好良くて性格も良くて仕事も出来ちゃう完璧人間だからかなぁ?」
「確かにミスとかしなさそうな完璧主義者っぽいし、一理あるかもしれないわ」
なんて。世間話をしているさなかに「静粛になさいな」と、杭が打たれた。
両側でくくられているのはみずみずしいブロンドの束。それが左右から2本ほど、揺らぐ。
同席していた少女が目端をつり上げて杏たちを睨みつけている。
「これからアザー強襲に向けての役回りが発表されるんですのよ。そんな重要なお話を聞くというときに無駄話なんて言語道断ですわ」
鳳龍院久須美は、神経質そうな両眉の中央に深いシワを刻む。
くびれた腰に手を当てながら制服のスカートの元辺りで幅をきかせていた。
だが杏にとっては昨日今日出会ったわけでもなく、慣れたもの。ここ数日ずっと行動をともにしていたこともあってかいちいちしゃくに障るということもない。
「そういう久須美は藪畑さんのことどう思うのよ?」
何の気なしに問う。
別に知りたいわけではない。だたの場つなぎのようなもの。
久須美はむっ、と下唇を引き上げながら遠間の藪畑を仰ぎ見た。
「日常での身のこなしから姿勢の正しさまですべてが模範的。物腰柔らかでかつ敵を作らず、ある意味では理想型ともいえる御方です」
「育ちの良いアンタから見ても普通じゃないってことね」
「とはいえワタクシは敵対というよりむしろ尊敬の念のほうが上回っておりますわ。なによりあの御方は第1世代にもかかわらず体術が群を抜いて達者ですもの」
貴方と一緒にしないで、とばかり。
久須美は煙たそうに滑らかな白い手を払った。
艦長秘書の藪畑が現れたということはそろそろ刻限だということに他ならない。
杏たちだけではなく若人たちもまた1点に真剣な眼差しを集めている。
そして場のざわめきが干潮を迎えようとしていたところで、ようやく藪畑が動く。
「よしっ。それではこれから本作戦の概要を話していこうか」
フランクに目を細めながら中空に指を滑らせた。
それぞれの眼前にALECナノマシンによって同期されたモニターが表示される。
そこに描かれているのは、おおよそのやるべきこと。それとおおよそ起こりうる事態などが連なっていた。
「今作戦の主目的はアザーへ精鋭を降下させ今なおノアに狙い定めつづけている巨大な亜空投射砲を討伐しアザーをとり返すことだよ」
簡単に言ってくれるぜ。
粗暴な誰かが唾を吐き捨てるように茶々を入れる。
ある意味では誰もが思っていることの代弁でもあった。それが出来たら苦労しないというやつ。
藪畑は意に介す様子もなく、柔らかな口調でつづける。
「作戦に当たって君たちにはそれぞれ3つのチームに分かれてもらう」
「……3つ?」
思わず疑問が口にでてしまう。
杏の想定では強襲と援護の2つであるはずだった。
それを見越していたとばかりに藪畑は、まず1本の指を立ててみせる。
「まず1つはアザーヘの強行着陸からポイントである16の瞳を襲撃する班だね。当然危険を伴うが、作戦の要でもある。もしこのチームが討伐に失敗すれば作戦はそこで失敗といえるね」
ついで2本目。逆から見たピースのような形。
「次は強襲チームを可能な限り守り抜くチームだ。花形ではないけれど突入メンバーたちをアザーヘ無事送り届けることがメインのミッションになる」
ここまでは想定通りだった。
きっと静聴する仲間たちもだいたいそんなものだろう。
しかし1つほど。杏はどこか謂れもない引っかかりを覚えた。
「人類の命運を賭けた決戦だっていうのに可能な限りってどういうこと? しかももう1つのチームを作れるほどの人員がノアにいるとは思えないわ?」
杏は、挙手をし、許しを得る前に尋ねていた。
同意を得る必要はない。おおよその人々が頭を捻らせている疑問を引きだしたに過ぎない。
であるからこそ周囲の視線は杏と藪畑の両方向に彷徨っている。
「少なくとも私は命懸けで降下作戦に志願したつもりよ。それなのにどうして保険をかけるような口ぶりなのか聞かせて頂戴」
杏は、意地っ張りな目つきで藪畑を睨み付けた。
そもそもノアにはおよそ数万人ていどの人間しか――……いまとなってはだけど……乗っていない。
そのなかでF.L.E.Xが使えて戦える人間はごく僅か。さらに第2世代に移行した人間はそこから粒を拾うていど。
作戦の内容が腑に落ちないためか僅かにざわめきがぶり返す。
「そうだ杏のいうとおりだ! 俺らは戦うためにこの数ヶ月全力で生き抜いてきたんだ! それなのになぜ管理棟代表のお前がそんな臆病な言葉を選ぶ!」
声を荒げる彼は誰だったか。
そういえば、最近妹と一緒にいる姿を見ない。
なぜなら彼の妹は、もういない。
白き母鳥の元を去った蒼き鳥とともに消えていた。
「たとえ私たちは最後の1人になってしまっても生きるために戦える! そうしないと死んでしまった子たちを覚えていられなくなってしまうから!」
女性からも同様に覇気が投じられた。
すると噴水の吹き上がる広場にぞくぞくと、波及する。
それも暴徒さながらに驚くほど濃密かつ高速だった。不安の裏返しがここにきて暴発する。悪辣な環境に耐えつづけていた若人の野次がさらなる野次を生む。
混乱が伝搬し、不安が膨張しながら拡大していく。
「…………」
そんななかでも咲いた笑みは、萎むどころか霞みもしなかった。
藪畑は、手を後ろで編みながらじっとその場に立ち尽くす。
そしてたっぷりと時間を空けてから開眼すると、瞳には蒼き光が灯されていた。
『君たちに獣となることを僕は望まない。なにより彼がそうやって君たち人類へ願ったことじゃないか』
しん、と。通信で送られてきたただの一言で、止む。
まるで水を打ったかのよう。あらゆる雑音が静止し、秒針を止めた。
(区切りなし)




