『※新イラスト有り』274話 蒼き波動、紅の血脈《Blue & Red》
母と子
かけがえのない
強固な絆
いつか合う
その日まで
蒼き意思
紅の龍
儚き祈りの後に、しばしの静寂が満ちる。
「まさかキミが命を賭してでも帰りたいと望む理由って……それなのかい?」
「元いた世界へ置き去りにした家族との、再会」
ヨルナとエリーゼでさえ辛辣そうな表情でミナトを見つめていた。
とうに窓の外では夜が更け、虫たちでさえ寝静まる時刻まで暮れている。
街の灯も落ち明日に備えるドワーフたちがそれぞれのねぐらへ戻っていく。
そんななか、ぺたり、ぺたり。静まりかえった屋内の扉外から陽気な足どりが近づいてきていた。
「案の定派手にやってますねぇ」
玄関扉がノックもなく開かれる。
来訪者は、目覚ましい山吹色を引いた白いドレスの女性だった。
ディナヴィアは燃えるような紅の髪を流して女性のほうへと振り返る。
「白龍か? 如何様でここにいる?」
「イカもタコもクラーケンもないですよ。私は可愛い弟子が雑なドワーフに壊されていないか心配で見にきただけです」
唐突に登場したリリティアは誰の許しも得ず部屋へと上がりこむ。
ストラップサンダルがぺたり、ぺたり。暢気なリズムで床板を踏み鳴らす。
そうやって彼女はディナヴィアの前で抑揚ない薄い胸をふんすと反らす。
「ダメですよ私の愛弟子に手をだしたりなんてしたら」
「もし手だしをしたら貴様はどうする?」
「たとえ貴方が相手でも斬ります」
決して挑戦的ではない。どころかその逆。
リリティアは朗らかな笑みを広げたままで、はっきりと言い切った。
するとディナヴィアは彼女に一瞥を送り、アンニュイな吐息を零す。
「なるほどそれは億劫になるほど面倒そうな話だ。それに妾が此奴に忠を下す謂れもない」
売り言葉に買い言葉。とはならなかった。
ディナヴィアみずからがリリティアの挑戦から身を引く。
というより争いを 避けようとしているらしい。
たまらずミナトはヨルナに耳打ちをする。
「あれどうなってるんだ? ディナヴィアさんって最強だったんじゃないのか?」
「龍同士の決闘は規模が僕らのものと比べものにならないからねぇ。言葉通りの意味で本当に面倒くさいんだと思う」
「龍の戦いは3日3晩つづくケースもある。戦いが終わらず寝落ちしたほうが負けたこともあるらしい」
ひそひそ、と。一塊になっての密談が交わされる。
龍族同士の語らいにミナトどころかヨルナとエリーゼでさえ入る余地なんてあろうものか。
おそらくリリティアのほうも戦いにならぬと踏んでの先の発言なのだ。
なにしろ2人は自分の産んだ卵を預け、受けとるほど。信頼の堅い間柄なのだから。
「妾は王だ。小さないざこざに出張っていては王という地位、ひいては種族全体の尊厳に響きかねん」
「どうせ私たちが戦っても勝負はつかないでしょうしね。それにもし私が焔龍に勝てたとして王の座なんてこれっぽっちもいらないですもん」
2人は高低差のある肩を並べてながら軽口を交わす。
間柄に王や民という大層な言葉は似合わない。2人の場合だとどちらかといえば古くからの友であるかのよう。
こうして珍客の登場により話し合いの空気が有耶無耶になりかけていた。
「……しかしいまの発言は聞き捨てならん」
唐突だった。
毅然とするディナヴィアの眼光が一方向に鋭く向けられる。
「私ですか?」
「違う。そこにいる人の子が先に口走った発言が気にかかる」
体を傾けるリリティアの横をするりと抜けた。
ゆらり尾を引き、付随するよう火の粉が舞う。
そうやってディナヴィアはミナトの正面に立って足を止める。
「貴様の名はなんという?」
「……ミナト、ミナト・ティールです」
ミナトは気の抜けた体が強ばるのを感じた。
本能的な防衛。絶対強者に至近距離から見下されるという恐怖。
彼女にとって眼中にない存在であっただろう。しかしいまディナヴィアはミナトへと語りかける。
「母にとって娘も、娘にとって母も……宝物と、そういったな?」
俯瞰し、見上げ、初めて気づく。
彼女の眼差しは、はっきりと、真剣だった。
ブレない。1点を見据えながら背くことはない。
それはミナトを見ているというよりその先に答えを見いだそうとしているような……
だからミナトは「はい」彼女の瞳を真っ直ぐに捉えながら浅く首を縦に振る。
「……そうか……それが母か……」
吐息に溶け入るが如き呟きだった。
しかしそれも一瞬。憂慮するみたいに曇った表情が凜と引き締まる。
「把握した貴様の提案を受け入れよう」
ディナヴィアはおもむろに広げた翼で風を煽りながら身を翻す。
「今日のところは退く。世話を焼かせるのは忍びないがそこまでいうのであれば子は貴様に預けるぞ」
そのままこつり、こつり。ヒールの音色が遠ざかる。
華やかな裾を波立たせながら玄関のほうへ向かって入ってしまう。
「あら? もう帰っちゃうんですか?」
「戻るべきと判断したにすぎん。これ以上妾がここにいれば子の気が休まらんらしいからな」
リリティアも引き留める様子はなかった。
ディナヴィアは颯爽と場を離れて外に向かう。
心変わりとでもいうべきか。淀みのない撤退だった。
屋内の誰もが王の去る背をあっけにとられるような感じで見送る。
「モチラ」
「……?」
そんななか名が呼ばれた。
呆然と母を見つめたいたはずのモチラは、名を呼んだ相手を見上げる。
そしてミナトはそっと片膝をついて彼女の小さな肩へ両手を添えた。
「せっかく迎えにきてくれたお母さんがお前のために気を遣ってくれたんだよ。だったらなにかいうことがあるんじゃないか」
「……あ」
丸く開かれた口からか細い息が漏れる。
しかしミナトは淡々とつづけた。
「はじめは横暴かと思ったけどモチラのことを本気で大切にしている優しいお母さんじゃないか。なら次に勇気をだして伝えるべきなのはこっちのほうだよ」
ディナヴィアはすでに開いた玄関口から外へでてしまっている。
そして足を止めたまま。こちらに振り返ろうともしない。
だがこのまま帰らせては進展がない。しかも平等ですらない。
ミナトは、「ほら」モチラの華奢な背をぽんと押してやる。
「あ、ああ、あ……りが、とう」
たどたどしいながらの感謝だった。
モチラらしいといえばそうだろう。しかしいま彼女に必要なのはもう1歩先へと進むこと。
「もっと大きく! 子供らしく元気よく!」
「――っ! ありがとうお母さんっ!」
ミナトから発破がかけられ、モチラはようやく母ディナヴィアに臆さなかった。
あますことのない感謝を言葉に乗せて伝えたのだ。
だが、母の姿はもうそこにはない。一陣の風を残し飛び立ってしまっている。
ミナトたちが慌てて外にでて空を仰ぐと、夜闇の中に煌々と輝く美しき龍が。とうに粒ほどのサイズにまで小さくなっていた。
モチラは不安そうに眉をへの字にしながら胸の前で手を結ぶ。
「き、きこえたかな……」
「聞こえたでしょ。だって大切な宝物からのメッセージなんだからさ」
ヨルナがこぢんまりとした頭に手を添え勇気を讃えた。
星々の瞬くビロードをみなが一様になって仰ぎ、見送る。これにて親子騒動はひとまずのところ終結だった。
先延ばしという半端な形ではあるが最適解といえる幕引き。もし次にモチラとディナヴィアが邂逅するのであれば今度こそ親子として再会が果たされるであろう。
「み、みなと」
「……ん?」
「ありがと、ね」
愛らしくくい、と裾が惹かれた。
しかし「ああ」モチラへの返事はかなり素っ気ない。
――最強……か。ようやく目が覚めたよ。
ミナトは考え事をしていた。
腹も減ったし疲れたし死にかけて頭への血流でさえ回っていない。
だが、ひとつだけはっきりとしたことがある。
――オレは龍には勝てない。天地がひっくり返っても無理だ。
知っていたさ。呟きながら浅はかな己を嘲笑した。
半人半鳥戦で学んだ。龍と人とでは覆しようのない圧倒的な種族個体差が明確に存在している。
この身が弱いことはもう覆しようのない事実として確定する。
弱小だった。矮小といってもいいほど弱い。煌々とたぎる白炎はミナトの心でさえ微塵と焦がし尽くしてしまった。
「さて、さて……さて」
ミナトはルーティンのように片側の頬を頬を軽く叩く。
そうすることによって刺激された肌にじんじんとした痛みが奔る。
――ずっと迷っていたけど、もうあれしか方法がない。
正々堂々勝利を手にしようと考えていた。
それがリリティアやエルフ国女王に対しての義理となると思ったから。
しかしそれが無理であると悟る。ならばもう手は選ばない。
ミナトはおもむろにリリティアのほうへと振り返る。
「リリティアに会えてちょうどよかった」
「はい? なにがです?」
疲弊しきってのだらけ顔だった。
声だってかすれていただろう。だが、いままでとは異なる。
「……へぇ。ミナトさん……ちょっと見ない間に変わりましたね」
ミナトの異変を察してかリリティアは注意深く目を細めた。
きっと普通だったら諦めていた。あの不毛の星で心を潰し鍛え奮わねばこうはならなかった。
いまだって死に震え媚びへつらっていたかもしれぬ。
だが、そうではない。
「ここからは全力かつ確実に勝てるよう卑怯に行かせてもらう」
拳を手に収めながらこの期に及んで笑う。
否、少し違う。これは腹を決めて牙を剥く獰猛な狩人の威嚇に近い。
「龍がどれだけ強かろうが知ったこっちゃない。オレは意地でも師匠であるアンタを超えてノアに帰る」
そう。負けを見る目ははじめからなかったのだ。
なぜならこの死を怯えぬねじ曲がった少年はことここに至って諦めを知らずにいる。
なぜならはじめから勝利のみしか見つづけていないのだから。
「後悔はさせないから決闘の日まで是非全力でオレを鍛えてくれ」
圧倒的強者を前にしても大胆不敵だった。
宣言を聞いた周囲がどよめく。ヨルナでさえ声を詰まらせ硬直する。
リリティアは、意外そうに金色の眼を「……ほう?」と、瞬かせた。
しかしすぐさま雄弁な笑みへと昇華する。
「ならばこちらも全力でもって受けて立ちますよ。1秒でも長く楽しませられるよう期待していますから」
闘技。殺し合い。
決闘の先に得られるのは帰還か、はたまた死かの二者択一。
この夜に蒼き意思と紅の血脈が、互いを敵と認め、初めて交差したのだった。
★ ★ ★ ★ ★




