273話 強くなる理由《Time With You》
それは初めて彼女が見せた感情のある瞳だった。
ミナトとディナヴィアで身長の差は大人と子供そのもの。まだ年若く不摂生で未熟な彼に対して、彼女は頭2つほど高い位置にある。
熱意のある黒い瞳と、体温の抜けた赤い瞳が、低見と高見から相応に向かい合う。
「えぇ!? こ、これどういう状況なんだい!?」
戻ってきてしまう。最悪の状況に。
エリーゼはちら、と戻ってきたヨルナに目配せをする。
「ようやく戻ってきた。もう少し早かったらこうならなかったかも」
「な、なんでディナヴィア様とミナトくんが喧嘩してるの!? あとなんでエリーゼは止めないの!?」
「だって面倒だったから。それに勝手に火中の栗を拾いにいったのはなにを隠そう彼だから」
この険悪ムードに誰より敏感だったのは、ヨルナだった。
対してエリーゼのほうはといえばあくまで傍観するのみ。はじめ以外で止めに入る気配がない。
風呂に火を入れ戻ってきた矢先に修羅場である。しかも相手は世界最強の龍。街すら一瞬で炭に帰られるという実力者。
仰天するヨルナをよそに、火の着いた導火線はただ突き進むだけ。
「自分の子供をなんだと思ってるんですか? しかも生まれそうな卵放りだしたのだって貴方ですよね? それをいまさら唐突に戻ってきて帰ってこいってモチラの気持ちを一切考慮していないようなものでしょう?」
「卵を白龍に預けたのは用事があったからだ」
「子供より優先する用事ってなんですか。モチラは親がいない間ずっと卵のなかで腹を空かせながら震えていたんですよ」
「……。妾たち龍族は生まれたその直後から獲物を狩り肉を貪るだけの強さがある。弱き身に生まれ落ちながら頂点種族の出生を語るとは笑止千万だ」
真っ向から対峙する。
高低差のある2人の視線からばちばちと対抗意識が火花を散らした。
親がいない。顔も知らぬ。本来の己の名前だって――……知ったこっちゃない。あるのはいまなのだ。
強大な相手だからといってミナトは引けなかった。幼き龍とはいえど怯え震える友を置いて見過ごせるものか。
「邪魔をするなそこを退け。妾は娘を迎えにきただけにすぎん」
ディナヴィアは精錬でいながらも辛辣だった。
それでいて微塵も意思を曲げる気配はない。
視線がミナトを通り越す。背後にいるモチラをじっと見つめつづけている。
するとモチラは彼女の視線から逃げようとまた机の脚に半身を隠してしまう。
「――つっ。アンタはあれが本当に親を見る目だと思うのか」
「……なにがいいたい?」
そして再び深紅色の瞳がミナトを捉えた。
それだけでぞっと背筋に汗が浮かぶ思いだった。
圧倒的なカリスマ。覆しようのない暴力的なまでの生命力に気圧されてしまう。
「モチラは強くて究極の存在であるアンタに怯えつづけているんだ。もしこのまま連れ帰ってもこの子に恐怖を押しつけるだけにすぎない」
しかしそれでも奮い立つ。
ミナトにとってモチラは家族であり恩人。なにより友だから。
「……。では如何様にすることが有益と貴様は考える?」
「時間が必要だ。もっとゆっくりと心が成熟するまで時間を与え――」
と、そこへ唐突にヨルナが駆けこんでくる。
「まーまーまーまー! ちょっとミナトくん落ち着こうかぁ!」
細腕をミナトの首に回し抱えこむように引き寄せた。
「キミ馬鹿なのそれとも死ぬ気なの!? 魔物と戦ってたときよりやばい相手なんだよ!?」
「なんだよいまいいところだから邪魔するなって! 分からず屋を矯正してやってるんだぞ!」
2人は絡み合い頬と頬が触れるような距離感で声を潜める。
「キミ2秒後に灰になっててもいいのかい!? せっかく拾った命なんだからもっと大切にしてよね!?」
「オレには決闘があるから良くはない! でもこのままこの唐変木にモチラを引き渡すのも断固拒否だ!」
潜めながらも、やいのやいの。
賑やかな2人をディナヴィアは陳腐とばかりに感情なく、見下げていた。
「話は終わりだな」
そう、短く言い放つ。
紅の翼が旗の如く開く。根から伸びた尾が波の如くうねる。
そうしてようやく邪魔者の退いた境を悠々と超えて我が子へと歩み寄っていく。
「あ、ちょっと待て!」
させるものかと手を伸ばす。
しかしその手さえヨルナに下げられてしまう。
「モチラちゃんが心配なのはわかるよ! でもモチラちゃんのことを考えるならお母さんの近くで同胞に囲まれて育ったほうが良いんだよ!」
すでにディナヴィアの目に小競り合いは映っていない。
こつり、こつり。乏しい廃屋のなか可憐なドレス裾を流し、ヒールが高い音色を奏でる。
そうやって1歩を踏みながら我が子の元へと歩み寄っていく。
「……ひ、ひぇ……!」
か細き悲鳴だった。
モチラは、さあっと青ざめた。
「帰るぞ」
そのひとことで全身が凍えるように戦慄する。
母の影に覆われながら目元に涙をなみなみと注いでいた。
そうやって辿り着いた母の手が子の頭へと伸びていく。
「…………」
しかし撫でるに至らない。
なぜならヨルナを振りほどいたミナトがその手をとっている。
「最後の質問だ」
曇りなき蒼き意思が焔を司る龍を睨んでいた。
対してディナヴィアは振り解く素振りすらなく、「……なんだ?」平然と応じる。
「アンタにとって親子とはなんだ?」
紅の瞳が僅かに逸れた。
ディナヴィアは刹那ほど天井を見つめる、微かな思慮の素振りをした。
そしてミナトをもう1度見つめながらただひとこと「血の繋がり」と口にする。
「血こそが子と親を繋ぐ唯一の絆。ゆえに妾は親としての責務を果たしにきただけにすぎない」
責務の妨げをそっと腕から外す。
ミナトの手を片手で包みこむみたいに優しく解いた。
「それに我が子なのだから妾の元に引き戻すのが道理であろう」
そうしてまたモチラの頭に手を伸ばしていく。
「……自分の子供を物みたいにいってくれるじゃないですか」
もうミナトは止めなかった。
止めない代わりに面を伏せ前髪の奥に蒼を宿す。
「貴様がなんといおうが子は母の物だ。仕え腹へ宿し血肉を分け与えた――」
「違う!!!」
大声疾呼が家屋のなかを駆け巡った。
ミナトの発した気迫が壁を反響してビリビリと空気を揺らがす。
それによってディナヴィアは我が子へと届きかけた手を己の意思で止める。
「……なにが違う?」
いままでにない色のある瞳だった。
驚愕、あるいは怒り。複雑で感情の読めぬ表情だった。
しかし憤るミナトはもう止めようがない。身勝手な母を叱るよう怒鳴りつける。
「子供にとって母親も!! 母親にとって子供も!! どっちもが物じゃなくて宝物だろッ!!」
がなり声が喪失し、水を打ったみたいにしん、と静まりかえった。
屋内の誰ひとりとして時を止め、ミナトを見つめながら静止する。
「オレの知ってる家族っていうのはそういうものだったよ。本物の家族よりもっと……尊敬してる」
気に入らなかった。
だからこれほどムキになった。
「オレたち家族に繋がりはなかったけどみんな誰かのために笑っていた。なら本当に繋がりのある家族ならもう少ししっかりしてくれよ」
ミナトはいつしか握りしめていた拳を力なくほどく。
そんな縋るような姿にモチラは「……ミナト」母とよく似た朱色の瞳を滲ませる。
本当の家族を知らぬ身にはどうあっても真の繋がりがない。しかしモチラとディナヴィアには血という確固たるものがあるのだ。
ゆえにミナトは己の理想を押しつけてでも許さない。得ている者たちには相応に幸せである義務があると考える。
「貴様は肉親を知らぬのか」
「年齢も名前も親の顔ですら記憶にないポンコツ頭だよ。しかもこの名前だってイージスがオレにつけてくれたただの呼び名でしかない」
ミナトは噛みしめた歯の隙間から震える声を絞りだす。
「だからせめて……っ! オレの大切にしている仮初めを偽物にしないでくれ……!」
(区切りなし)




