261話 交渉術《Art Of Negotiation》
弾け飛んだ家の破片を集めてひとところにまとめ終えるころには、日が傾いていた。
ドワーフの国は乾燥しているため夕暮れ空がとても澄み渡っている。
地平線の山間に沈みかけた陽は暗闇と混じり合って世界を紫色に塗り潰す。
清掃をあるていど終えるころには、すっかり燭台に火が灯る時間となっていた。
「僕の住んでいたころの家がまだ残っていて良かったよ。危うく野宿か宿をとらなくちゃならないところだったね」
石造り特有のひんやりとした空間に滲んだ吐息が漏れた。
んっ、と。伸びを入れると白い脇がぽっかりと色気を放ち欠伸するように窪みを深める。
「とはいえ実体があるのはオレとモチラくらいだしそんなに気にする必要もなかったとは思うけどな」
「それでも路銀が多いに越したことはないよ。これからはここの街が拠点になるかもしれないし毎日宿暮らしなんて無駄遣いだから」
ミナトは、ヨルナの声に耳を傾けながら見慣れぬ石壁を撫でた。
無事片付けを終え日暮れを迎えたが、こちらは家なし。なにしろ片付けていたのは家だったものでもう家ではなくなっている。
そういった経緯もあってミナトは、元より街の住人であるヨルナの家に転がりこむこととなっていた。
すでに身体はくたくたである。鍛錬から棺の間を経ての労働とくれば残る体力は絞りかすほどしかない。
ミナトは部屋に置かれた適当な椅子を引いて重い腰を据える。
「あー……疲れたぁ。1日中動き回ってて身体がもう泥のようだよ……」
「あはは。お疲れさま」
卓に突っ伏すとヨルナが柔らかな笑みを浮かべた。
1度地面から足が離れるともう立ち上がれそうになかった。
心地の良い疲労がくまなく全身へと巡る。おかげで飯もまだだというのに瞼がとろりと溶け始めている。
「あんだぁ? あのていどの石運びでずいぶん女々っちぃやつだーぁ?」
対面には元凶の幼子が薄い胸を反らしながらふんぞり返っていた。
あのあと彼女の自宅からは使えそうなものを回収済み。炸裂した服のいくつかもまた辛うじて完了している。
うら若き見た目相応に愛らしい服装。背丈は130凸凹ほどしかなく人の年にすればおよそ12~3といったところか。
そんな幼子は、晩飯用に購入した乾燥肉を豪快に噛み千切っては、麦酒をぐびりと大いに煽る。
「かぁーうんめぇ!! やっぱ労働の対価は酒だァー!!」
幼子が酒樽を横に置く姿は、異常だった。
世が世なら犯罪だったに違いない。
しかしヨルナの紹介によると彼女はすでに成熟した身なのだとか。ドワーフ的には妙齢の部類に位置づけられるらしい。
ミナトは重い頭をもち上げてからギロリと陽気な幼子を睨みつける。
「なんなんだこの偉そうなちびっ子は……。コイツが家をぶっ壊したっていうのにまったく手伝いもしないでなにが労働の対価だよ……」
初対面での印象は、ほぼ最底辺だった。
なにより見た目がそぐわない。手も短く背丈も己よりも低い。とてもではないが強い姿なんてものを想像出来るものか。
――これならまだマッチョだったほうがマシだよ……。
期待していた師匠像とはかけ離れすぎていた。
ミナトは諦めの吐息を吐いて頬杖をついて目を細める。
視線の先では幼女が浴びんなかりに酒を平らげていく。
「いったいなにをどうやれば家が一軒吹き飛ぶんだよ」
「ありゃ家がちっちぇのがいかんかったなー。次作るときはもっとでっけぇでっけぇ家にしなきゃだなー」
「家のサイズがどうとかの話じゃないだろ……」
やってられるもんか、と。口にはしなくとも表情が訴えていた。
なにが楽しくて無賃労働なんてしなければならぬ。しかも破壊した張本人が責任を感じてさえいない始末。
そうやってミナトが下唇を噛んでふてくされていると、卓上の蝋燭に指が触れる。
「《ローフレイム》」
ぽっ、と。ヨルナの指先に橙が照った。
小さな火花ていどの光が編んだ木綿の芯に移って小さな仄明かり灯す。
炎が安定したのを確認したヨルナは、隣の席を引いて着座する。
「それより僕友だちを家に呼ぶのはじめてなんだよねっ! しかもモチラちゃんまで一緒だからなにをしておもてなししようか迷っちゃうっ!」
こちらはこちらでどこか目的がズレていた。
乾いた生に水でも注がれたというくらい華々しい笑顔が咲く。
垂らした両足を交互にぱたぱたさせながら嬉しいという感情を全面に押しだしている。
「ようやく小坊主も男連れこめるくらいに色気だせるようになったかーぁ! いつまで経っても女にならねぇからあちしは心配してたんだーっ!」
「僕は生まれたときからずっと女です! あとその小坊主っていいかたもいい加減止めてっていったじゃないですか!」
ヨルナは烈火の如く真っ赤になって立ち上がった。
しかし幼女のほうは杯を煽りながら気だるげに手を払う。
「女として認めてほしいんだったら雄の10や20くらい股に引っかけてきてみろってんだー! そんなだから未練たらたらで死んだあとも幽霊になって夜な夜な男を探す羽目になんだーぁ!」
「――別に欲求不満で現世に居残ってるわけじゃないですゥッ!!」
この少女の前だとヨルナが珍しく感情的だった。
師弟関係は定かではない。が、勝手知ったる仲ということだけは確かなようだ。
とりあえずミナトは髪を掻きむしって心機一転を図る。
「なんだいこの無茶苦茶な幼女は? 傍から見てると存在そのものの縮尺がズレてるんだけど?」
隣のヨルナに頬を寄せ声を潜めた。
すると彼女も椅子を寄せてミナトに合わせる。
「彼女こそが僕に剣技を教えてくれたちびの師匠だよ。2つ名は斧動明迅、名はアクセナ・L・ブラスト・ロガーっていうんだ」
「ブラスト……名前負けすごすぎやしないか?」
ミナトは訝しがってアクセナという幼子のほうへ横目を流す。
あちらではひとりでに宴会がはじまっている。
塩漬けした辛い肉はさぞ酒の肴にむいているだろう。回収した酒樽に柄杓を浸し杯に注いでは、ぐびり、ぐびり。
「くぅぅーー!! いいモン作った日の酒は格別だーなっ!!」
見た目さえ無視すればただの中年の親父だ。
アクセナは茶細い喉を脈動させながら豪快に麦酒を楽しんでいた。
「とてもじゃないが人にものを教えることにむいているとは思えない」
ミナトは品のない飲みの様子を垣間見てはっきりと言い切った。
視界から入る情報のすべてが、ただの酔っ払い。しかも昼間の動向から察しても碌な性格もしていないことが窺えてしまう。
「まああの見た目だしキミのいいたいことはとても良くわかるけどね。それでもちび師匠は大陸屈指の実力者さ」
「大陸屈指の実力者ってことはリリティアと同じくらい強いってことかい?」
「さすがに斧動明迅と剣聖を比べるなら剣聖のほうが桁が1つくらい上だと思う。それでもたぶん2人がやり合ったらどっちも無傷じゃすまないだろうね」
秘め事を囁き合うと気づかぬうちに距離が失われていく。
互いの吐息がかかるほどで、甘い汗の香がミナトの鼻腔をくすぐる。
先ほどまで家の残骸を掘っていたためかヨルナから普段以上の疲労が香りつつあった。
「で、そっちの見慣れねぇ童貞臭ぇガキはなんだー?」
どん、と。杯が置かれて卓が揺らいだ。
アクセナは、スカートだというのに卓に踵を落とし恥ずかしげもなく大股をおっ広げる。
童貞臭いかはともかくとして。ようやくアクセナの興味がこちらに向く。
あるいは、いまはじめてミナトが彼女の視界に入ったか。
「オレの名前はミナト、ミナト・ティール。訳あってアナタの助力を乞うためこの街にやってきたんだ」
どちらにせよ、初対面。弟子入りを志願のために礼儀を正す。
ミナトは、まず己を知ってもらおうと自己紹介から入った。
「みなとぉ~? ずいぶんと景気の悪ぃ名前だーなぁ?」
アクセナは咀嚼中の口をへの字に歪めた。
雑な中年の様相を帯びた美少女といった出で立ち。どこからどう見てもただの酔っ払いでしかない。
くっちゃくっちゃと堅い干し肉を奥歯で噛み潰す様に品性の欠片もない。さらにふんぞりかって初対面であるはずのミナトを堂々と見下しにかかった。
不誠実な対応に見かねてヨルナが慌てて間に入る。
「僕が彼にちび師匠を紹介したんだよ。もし良かったら彼の戦闘技術向上に一役かってをあげられないかな、って」
「なるほどオメェの知り合いかー! どーりで弱っちいヒュームみてぇなマナしてるなー!」
アクセナは再び麦酒をグビリと煽った。
おもむろに杯を置いて立ち上がると、覚束ない千鳥足でミナトのほうへと歩み寄る。
「お? お? おおん?」
「な、なんだよ……」
酒臭い吐息を顔面でモロに受け、たまらず眉をしかめる。
しかしアクセナは蕩けた目つきで戸惑うミナトを隅々まで観察していく。
「つまりオメェがヨルナの彼氏かーーーァ!!」
つんざくような絶叫が石造りの一室に反響した。
導かれた回答は、素っ頓狂。しょせんは酔っ払いの戯れ言でしかない。
これにはヨルナもたちどころに「え”!?」と、頬を引き攣らせ、上気させた。
「ん。じゃあ疲れたしそれでいいよもう」
「ほうらやっぱりそうかぁ!! あちしの勘は鋭いから一瞬でピンときたな!!」
ミナトが気だるげに肯定する。
と、アクセナは将を射たりとでもいわんばかりにない胸を反らす。
「お願いだから否定してぇ!? こんな性格の師匠だからすぐ信じちゃうんだよぉ!?」
ヨルナは前髪を散らすよう首を激しく横に振った。
ここで大切なのは冷静さ。
ミナトは慌てふためく彼女の腕を引いて耳元に口を寄せる。
「こういう演技で良いんだよ……! 付き合ってることになればあっちだって断りづらくなるだろ……!」
「で、でも……ひうっ!」
耳に吐息がかかって身をぷるりと震わせた。
構わずミナトは手を合わせて懇願する。
「これは既成事実をでっち上げる作戦の一環だ……! 決闘に勝利するための手段だから頼むよ……!」
ここでもし道が途絶えたなら死活問題だった。
強くなるためには手段は選んでいられない。卑怯な手だとわかっていても強行するしかなかった。
「う、ぅぅぅ……! ちび師匠のこと紹介したのは僕だし……その、いいけどさぁっ!」
「大丈夫だなにかがどうなるってわけでもない……! もしヤバいなと思ったら途中でバラしてもいいからさ……!」
説得がつづいていくうちにヨルナの顔色が露骨な朱色に支配されていく。
もう耳まで真っ赤にしながら全身を丸く縮こめてしまっている。視線も定まらず床を見つめて、もじもじ。白い内股をこすり合わせていた。
そうしている間にもアクセナは2人を見つめながらニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。
「ヨルナの彼氏のくせに弱っちそうだなー! 木の枝のほうがまだ折りがいありそうだー!」
下から覗きこみながらぱはぁ、と酒臭い息をミナトの鼻先へ吹く。
明らかな挑発だった。小馬鹿にしながら嘲笑う。
無論ミナトも少しはイラッ、ときた。だがここで怒りを噴出させるのは違うと判断する。
「良し、じゃあその可愛い愛弟子の彼氏を鍛えてくれないか?」
ここで大切なのは冷静さと交渉能力だった。
ミナトは、さらにダメ押しと、呆けるヨルナを肘でつつく。
するとヨルナはビクン、と跳ねるようにして我に返る。
「ぼっ、ぼぼ、ぼくの……ッ! か、かれ、しを、ちび師匠に鍛えてもらいたいなぁ!」
もう破れかぶれだった。
声も裏返っているし、指を揉む。
誰がどう見ても演技でしかない。
「ふぅぅ~ん? 確かにあちしが懇切丁寧に育てたヨルナの旦那が雑魚ってのは気にくわねぇなぁ~?」
しかし酔っ払いには効いているらしい。
アクセナは、つま先を揺らしながら手で前髪を掻き上げた。
どうやら迷っているらしい。もうひと押しといった感じ。加えてもうひと押しあれば落とせそう。
ミナトは「クッ……!」と、再びヨルナを強引に引き寄せる。
「なんか、なんかないのか……! こう、好きなものとか、釣れそうなコンテンツとかそのへんのやつ……!」
「か、かか、顔が近いってぇぇ……! ちび師匠は豪快であんな性格だから好きと嫌いの境界がそんなにないんだよっ……!」
密談を交わしている間にも猶予は縮んでいく。
すでにアクセナは小難しそうに顔をしわくちゃにして唸っていた。
「でも面倒くせぇなぁ? なんでこの斧動明迅のあちしがこぉんな小汚ぇ童貞坊主を育ててやらんといかんのなぁ?」
酔いで思考が鈍っている。
つまりいまが弟子入りの言質をとる最大のチャンスだった。
しかしミナトは出会ったばかりでアクセナの情報がなさ過ぎる。
ゆえにこれ以上食い下がるにもとれる手段が貧しすぎた。
――どうする……? もういっそ聖誕祭の報酬でも叩きつけてみるか……?
金はあるが有限で無限ではない。
誘いの森を離れこの地で修行するのであれば金は必須となる。
先ほどヨルナが懸念していた事態だった。おいそれと手放せば後々に響いてしまう。
「あちしももっと作りてぇモンが大量にあるし暇じゃねぇしなぁ……」
アクセナから最終決断がでかかっていた。
どこか荘厳な石作りの家に憂い帯びた唸りが2つも反響する。
このままでは無駄足どころか酔っ払いの酒に付き合っただけではないか。
なんとかして活路を見いださねばここで道が途絶えてしまう。
『よう小僧。ドワーフっつうのの特性っちゅうのは生涯を物作りに注いでしまうという厄介なモンじゃ』
ミナトが諦めかけていた、その時だった。
髄まで痺れそうな渋く低い音が脳内に注がれる。
『そんちびもまた呪い級にドワーフでいつづけちょる』
『この意味、オマンにわかっか?』試すが如き問いかけだった。
「――ッ!!」
ミナトは即刻与えられた情報を整理し、捻出する。
ここまで黙っていたはずの老父が語りかけてきたということは、可能性があるということに他ならない。
なにかがあるのだ。アクセナという少女に師を受け入れさせられるだけの致命の一撃が。
「そうか作品か!!」
パチン、と。キザったらしい乾いた音が木霊した。
答えはあった。ここに至るまでの記憶がそれらを完成させていた。
この大陸世界に降りたって得た経験のなかで致命の一撃が目覚めつつある。
ミナトはぶつかるみたいしてへ悩むアクセナに飛びつく。
そしてその小さな両肩を掴んで正面から正々堂々と彼女に向かい合う。
「その決断を下すのはいまじゃなくて明日だ!!」
アクセナは「……あ”ぁ”?」と、不快を顕わにした。
この職人は、とある異端を愛してやまぬ。
それはもう家を破砕しても作品を愛するほどに強い執念をもつ。
しかも弟子であるヨルナにさえ移るほどに強烈な――……偏愛。
ならばミナトは、すでにそれをもっている。
「明日とある場所に案内する!! だからそれを見てオレを弟子にするか決めてくれ!!」
彼女を口説き落とす最高の作品があった。
十中八九。アクセナの好みはデカいモノ。彼女は職人として巨大なモノを作りつづけているのだ。
そして彼女が垂涎してしまうほどにデカいモノがあるではないか。
いままでの大陸世界にはなかったかもしれない。
しかしいま、この世界には存在している。
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