260話 いざ邂逅ッ!!《Silver Fork》
「ドワーフのまちぃっ!!」
雲ひとつないようきに当てられて鱗尾が空を薙ぐ。
小さな背丈にもっちりとした足でころころと転げるように荒地を駆けまわる。
伸び伸びとするモチラの姿に付き添い役からも自然な笑みがあふれてしまう。
「モチラちゃんにとって見慣れない土地はぜんぶ楽しいことなんだねぇ」
「そういえばオレもはじめてノアに上がったとき内心あんな感じだったなぁ」
ミナトとヨルナの視線からは邪気の欠片もない。
眦をうっとりと垂らして孫を見つめる様相を帯びていた。
棺の間の主に頼んで送ってもらった先は、果てない荒野が広がる。およそ草木の枯れ落つ凹凸激しいさながら漆喰の地。
そこからさらに数百mほど歩けば大きな巌山の麓に石造建築の大規模な街が現れる。
「ここがドワーフの統治する中心地、工業の街イェレスタムか」
街の入り口に立ったミナトは遊覧よろしく周囲を見渡す。
まずはじめに新参者を迎えてくれるのは、多くの行き交う荷車たちだった。
どれも街でしこたま買いつけているらしい。そうして煉瓦詰めの街道に止めた荷車へ商品をぱんぱんに詰めていく。
物流の始発か。あらゆる種族の商人たちが目ざとくドワーフの作る商品を求めていた。
そんな忙しなく目覚ましい通りを一党らは路肩に寄りながら移動する。
「聖都とはまた違った活気があふれてるんだな。向こうが貴族の行き交う社交場だとすればこっちはバザーって感じだ」
「活気というよりここまでくるともはや喧噪だね。ドワーフの武器や防具はとにかく出来が良いから多くの他種族が求めにやってくるんだよ」
そうやって軽い会話をしている間にも、工業の音が混ざっていた。
石造りの無骨な家屋のなかからはどこからも鉄を打つ景気の良い音が響いている。
ミナトは通りすがりざまにひょいと家屋の1軒を覗いてみた。
するとなかでは大男が焼べられた炉に鉄を沈めて鞴を仰いでいる。
「この街にある家屋は工房を兼ねているのか」
周囲の家々1軒1軒からもうもうと黒煙が立ち昇っていた。
さらにはキンキンカンカンと鼓膜を打つ音色が重なる。無数の工業の音が街中に響き渡って祭り囃子であるかのように賑わっている。
「熱気と鍛冶、油と汗、そして昼間から酒飲みが闊歩するのはこの街の常識さ。ドワーフといったら物作りの鬼なんて呼ばれるくらい年がら年中物作りしているね」
ヨルナは慣れているからかこれといって変わった様子はない。
股下の短いショートパンツから伸びる白い足で意気揚々と街道を渡っていく。
しかしミナトのほうはといえば、おっかなびっくりもいいところ。筋骨隆々な男たちを直視できずにぶつからぬよう留意する。
「暗くなってまで仕事するのは熟練の物作りにあらず、というのがドワーフの鉄則。こうやって騒がしいのは昼間だけだから慣れればわりと住みやすいよ」
「メリハリがあるのは確かにいいことだな。それに聖都は鮮やかでキレイだったけどオレはこっちのほうが落ち着く」
――荒れ地がオレの住んでたアザーの風景にも似てるし。
そうやって思い思いの感想を胸に閉じこめながら整地された街道を直進する。
近ごろ森暮らしが中心となっている身からすれば街の景色が目まぐるしい。
山を撫で下ろし吹きすさぶ風が砂塵を舞い上げ、煙る。清潔で清廉された聖都の活気と比べてこちらは轟々とした喧噪に満ちていた。
砂、石細工、洒落っ気のない灰色の建物。露店に並んだ剣や防具を冒険者やら商人たちが値踏みする。
埃っぽく鮮やかではない。が、決して廃れているというわけでもない。
大きな山肌を背景にどこか心落ち着く年季の入りかたをしていた。
――それにしても……。
やはりというか。歩いているうちにミナトの疑念が確証へ定まりつつある。
行き交う種族たちのなかで一等目を引くものたちがいた。
そしてそれはもはや日常に隠れた異変ではなく、常識といわんばかりに多く存在している。
「この街に入ってから住人の体脂肪率が低すぎる!」
たまらずミナトは限界を迎えて叫んだ。
イェレスタムに入ってからというものアスリート体型の男性ばかりが視界を占領している。
彼らが金槌を振るうたび筋肉が躍動する。鉄球の如き肩、唸るように脈を打つ胸筋、血管が浮いてバルーンほども膨れた大腿四頭筋。
全身余すことなき作品であるとばかり、筋骨隆々な男たちが至るところで作業に勤しんでいる。
「どうなってるんだよこの街に行き交う連中全員ムキムキだぞ!? 物作りって自分の肉体も含めての作り手なのか!?」
「筋肉質なのはドワーフの特性だからねぇ~」
ミナトは異常に耐えきれずヨルナに詰め寄った。
工房で作業しているほとんどがドワーフ族だということくらい人間にだって理解できる。
しかしそのドワーフ族のほぼ全員が身長180cmをゆうに越えていた。さらにその全員の肉体が仕上がりきっている。
街に住まう人々全員が先の老父と同じくらい筋骨隆々と行き交う。これでは筋肉の楽園ではないか。
「さっきもいったけど男性ドワーフは年がら年中力作業ばっかりしているからみんな自動的にムキムキになっちゃうんだよ」
ヨルナのひとことに一抹の不安が過る。
ミナトは眉間に一筋シワを寄せた。
「話によればいまから会いに行く相手もドワーフ……まさかソイツもこんなムキムキ集団の一員だったりするのかい?」
「んふふ~♪ それはど~うでしょうねぇ~♪」
ヨルナは脚を高く上げて気楽に歩く。
質問を有耶無耶にし、どこか達観していた。
それでいて煙に巻くような笑みを浮かべる。
とはいえここまできて引き返す手はない。唯一見えた光明なのだ。
ミナトに残された最後の希望がこの街にいる。決闘で剣聖リリティアを倒すにはもうそこで実力を養う以外に残されていない。
――鬼がでるか蛇がでるか。どちらにせよ弟子にしてもらわないことには始まらないな。
ぴしゃり、と。肩頬を軽く張る。
手中におさまるチリチリとした痛みが怯える心に喝を唱えた。
ここまできたのだからもう進むだけ。ヨルナを鍛え上げたという猛者に縋るのみ。
街道に鎮座する筋肉の壁に押し潰されぬよう横に躱しながらヨルナの背を追う。
そうしてしばし歩いていると賑わいが捌けてようやく街並みが落ち着いてくる。
「そういえばあの2人は?」
モチラが尾と小首を同時に傾げた。
街並みの喧噪が静まると飽いたのかミナトと手を繋いで穏やかになっている。
基本的にどれだけはしゃいでいても絶対に人の傍から離れ過ぎることはない。
ミナトは来た道を振り返りながら頬を掻く。
「ついてきてくれるようなこといってたけど、結局こなかったみたいだな」
レティレシアに頼んでイェレスタムの入り口へ送ってもらったまでは良かった。
しかしその先はモチラのいう通りである。
棺の間に住まう老父とエリーゼの姿はどこにもない。
「え? 2人ともちゃんとついてきてるよ?」
と、ヨルナは意外そうに目を瞬かせる。
ミナトとモチラが同時に周囲を見渡す。しかしやはりどこにも2人の気配はない。
「ついてきてるって……どこにいるんだ?」
「いやいや、ちゃんとミナトくんについてるよ?」
「ついてる?」そう、反芻したところだった。
ミナトの両肩に堅い感触と重みが伝わってくる。
『ここにおるぞ』
『アナタの身体にちゃんと憑いてる』
ぼやりとした蜃気楼が揺らぐ。
そこには老父とエリーゼの霊体が浮遊していた。
『ワシらはとうに死に朽ちて魂の存在じゃ』
『現世に顕現することは可能。だけど、マナを無駄に使うから媒体を介して移動するのが最も効率的』
浮遊しているため歩く音もない。
ミナトは、はじめだけギョッと慄いた。
しかしすぐに平静を持ち直す。
「ちなみにいまの僕はキミのなかでマナを溜めていたから現世に顕現しているね」
ヨルナという前例ですでにはじめては奪われていた。
ミナトは腰からへし折れてうな垂れる。
「オレの身体幽霊アパートになっちゃってるよ……。優良物件ならぬ幽霊物件か……」
「……わけあり?」
モチラが励ますように彼の腰を優しく撫でた。
そうでなくても魔法世界である。魔法や魔物など幻想的な世界に虚を突かれる機会も多かった。
だからこのていど間借りする幽霊が増えたところで、わけない。毎度驚いていたらそれこそ心臓がいくつあっても足りなくなってしまう。
『ところでしばし気になっとったんじゃが、このめんこいのは龍の子か?』
「……?」
老父と目があったモチラは小首を傾げる。
臆病なわりに相手が幽霊でも怯えている様子はなかった。
ただミナトと小さな手をしっかと繋いで早めの歩調で歩幅を合わせる。1歩踏むたびに肉の厚い尾をゆらゆら揺らす。
老父は、霞み眼で彼女をまじまじと観察していく。
『ちんまいのにずいぶんと鮮明な赤い鱗をもっておるのう。炎を象徴する龍に赤い鱗とはなかなかに縁起が良いわい』
頭にちょんと生えた角や小さな翼を見回す。
それから最後はぷりっとした臀部辺りを覗きこんで尾を根から先まで覗きこむ。
さらにはエリーゼも厚みのある胸元にぬいぐるみを抱きしめた。
『この世界で子龍とか本当に珍しい。最年長の私でさえはじめて見るレベルで超貴重』
『子はすぐに大人になっちまう。その上ヒュームほど生まれやすい種族じゃねぇからとんと見るこたねぇわな』
すっかりモチラは注目の的だった。
2人の幽霊に矯めつ眇めつといった感じで仔細に眺めていく。
それでも彼女は気にした素振りを1つも見せない。
「…………」
困り眉ながらに動じることはなかった。
じろじろ見てくる2人からすっかり興味を失ってそっぽ向いてしまう。
モチラは見た目が幼くともだいぶ肝が据わっている部類に入る。
決闘のときだってミナトを助けたのは彼女だ。例え相手が成年を迎えたヒュームであろうとも果敢に飛びこむことを厭わない。
無謀ともとれる行動の発端が彼女の性格なのか。はたまた龍という血がそうさせてしまうのかは、定かではない。
物珍しげにする2人を置いて、ヨルナは得意げに指を振る。
「なんとこの可愛い可愛いモチラちゃんはあの焔龍ディナヴィアのお子さんなんだよっ」
鼻を膨らませながらまるで自分の功績とばかり。
しかし効果は抜群だった。
その注釈が入った直後。老父とエリーゼが同時にピタリと時を止める。
そこへ追い打ちとばかりにヨルナが「じゃんっ!」と、モチラを抱え上げた。
「いまは訳あってうちで預かってるけど卵から育ててる愛情たっぷりの愛娘さ!」
「うちっていってるけどヨルナは関係なくてリリティアの家な。あとモチラはオレのつけた仮の名前だから――オレの娘だァ!」
ミナトはひったくるようにヨルナからとり上げてしまう。
その間にもモチラは両手両足尾をぷらりと垂らして為すがまま。
彼女は生まれの不憫さもあって実母の愛は1度として受けとれていない。
「あーっ! 僕だっていつも一緒に面倒見ているんだから部外者みたいにいわないでよー!」
「…………」
「オレはモチラがお腹いっぱいになるよう毎食自分の分をわけてるんだ! これはもう血肉を分け与えてるに等しい!」
「…………」
しかし子龍は決してひとりではない。
森の中央に佇む茶褐色の丸木小屋でさまざまな偏愛を注がれ生きていた。
老父の白き霞み眼が子を取り合う争いを眺めながら細まる。
『おっそろしいもんつれちょるのう……。万が一にも怪我させるようなことがあれば最強龍の焔で街1つ消し炭になりかねんわい』
『もうすでに種族の雌雄を決めているのね。龍は生涯で1度しか性別を選べないのに……大胆』
そうやって一党らの意識が龍の子に注目していたときだった。
ずがん、という突如として街中へと轟音が放たれる。
音の波が衝撃と名って全身を裂かんと横から薙ぐように通り抜けていく。
「――なっ!?」
はじめはなにが起こったのかわからず、呆気にとられた。
しかしミナトは素早く音のした方角へと首を回す。
どうやら音の元凶がどうやら離れにある1軒の家屋であることを視認する。
なぜ視認可能だったのかといえば、その1軒の家屋がいままさに内側から破裂するようにして瓦解していたから。
まるでパンパンに膨らませた風船に針を刺したかのよう。離れを中心に360度、大小さまざまな瓦礫がごろごろと転げ回る。
「爆発!? この街は火薬も作ってるのか!?」
ミナトは身を挺してモチラを庇っていた。
驚いた彼女は、か細く「わわっ……!」と鳴く。
そのかいあってか傷ひとつない。代わりにミナトの帯びている農夫服の背に小石の跳ねた跡が残されていた。
あまりの壮絶な事態に状況の理解が追いつかない。それどころか元凶を目視しながらも、いまだ虚を突かれて硬直しながら固まってしまっていた。
「なんだありゃ? ……フォーク?」
破裂した家屋から白煙が徐々に薄く透けはじめる。
するとミナトの視界には家屋を貫くほどに巨大な三つ叉が映っていた。
「うんうん。あれは間違いなく食べるときに使う銀食器だねぇ」
「あんなもんが空からあの家目掛けて降ってきたっていうのか!?」
慌てふためくミナトとは違ってヨルナは至極冷静だった。
というより呆れかえっているといったほうが正しいだろうか。
「あれはね、実は降ってきたんじゃなくて生えてきたんだよ」
「一瞬のうちにフォークが地面から生えてきて家を破壊するとかどっちにしてもわけわからないんだけど!?」
「まあまあついておいでよ。近づけば嫌でもなにがあったのかわかるだろうからね」
ヨルナは口元に半笑いを浮かべながら事件現場のほうへと歩いて行ってしまう。
呆けていたミナトも首を巡らせ周囲警戒をしながら恐る恐る後につづく。
「お、おい……本当にあんな危険な場所に近づいて大丈夫なのか? まだガスの余韻とか一酸化炭素やらの危ないヤツが漂ってるんじゃないか?」
「大丈夫、っていうか僕たちの目的地こそがあの場所なんだよ」
ますます意味がわからない。
ミナトは「……目的地?」と、モチラを小脇に抱えながら眉を寄せた。
ヨルナは一切警戒した様子もない。
まるでこの不可思議な現象が当然であるかのよう。さも軽い足どりで白煙燻るほうへ歩み寄っていく。
現場を見れば見るほど理解に困る。なぜなら倒壊した家屋にはフォークが生えている。およそスケールを間違えた巨人用とでもいうべき銀食器が伸びていた。
あんな不自然なモノを見落とすはずがない。その場所には先ほどまでそんなものの影すらなかった。つまり秒単位の短い時間で唐突に発生したということ。
「うぇへっへぇ! でっけぇなぁでっけぇなぁ!」
恐る恐る近づいた先に、それはいた。
倒壊した家を仰ぎながらゲタゲタという奇声めいた愉悦を唄う。
「やっぱでっけぇってのは最高だーっ! ちっちぇえのより100億万倍でっかくてロマンがあるかんなーっ!」
茶褐色の肌。それから片目には眼帯を帯びていた。
背丈は子供ほどだろうか。奥に生え伸びる銀食器と比べるとなお縮尺が狂う。
「おーい! ちび師匠ー!」
ヨルナが呼ぶと硝子をつんざくが如き奇声が止まった。
そして彼女はこちらに振り返る。
「誰がちびだテンメェェェ!!? こう見えてドワーフの雌のなかではグラマーなほうだーっ!!?」
衣服はさきほどの爆発で弾け飛び半裸状態だった。
そしてガラの悪い、凶悪な幼女が牙を剥いて、そこにいた。
「あのちんまいのが僕のもう1人いる師匠、ちび師匠だよ」
「……マジか」
「ちなみにドワーフの男性はムキムキだけど、女性はみんなあの見た目だから」
ヨルナの歌うような声でさえ、意識の外。
大抵予感というモノは悪いほうにばかり当たってしまう。
胸に閉じこめていたミナトの不安が的中した瞬間だった。
「……マジかぁぁぁ」
半裸の幼女を前に開いた口がしばらく塞がらなかった。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ☆




