259話 真の教え手《Black Smith》
「おーいミナトくーん! ようやく治療してくれそうな子を見つけたよー!」
「ううう……! そんなにはし、らないでぇ……!」
引きずられているのは見覚えのある女性だった。
走ることにむかない底の厚いヒールずるずるスリ引く。格好は重厚なゴシックロリータ調に統一されている。
身にまとう白と黒を基調としたドレスは余すことなく華やか。彼女があくせく駆けるたびに鴉が羽根を広げるようなフリル生地が幾重にも揺れ動く。
「この子が怪我を治してくれるってさ!」
「はぁ、はぁ、はぁ……げほっ! な、なんで私がこんな目にぃ……!」
こちらへ到着するころには、どちらが病人かわかったものではない。
生白い肌の女性は真っ青になって肩を激しく上下させた。
この棺の間では人の子を目の敵にするという傾向にある。そんななかで治療してくれる者なんて限られた数しかいない。
なによりこんな派手な格好をした女性をミナトだってそうそう忘れるものか。
「この子って確かルハーヴとやったときに治療してれた子だよな?」
「そう! あのときにもお世話になったエリーゼちゃんだよ!」
ヨルナはしたり顔で女性の背をぽんと叩いた。
しかし女性のほうは自己紹介すらままならない。
「ひぃっ、ひぃっ、ひぃっ……!」
よほど体力がないらしい。
膝に手を宛てがいながらいまだ激しく呼吸を刻みつづけている。
そんななか老父がのっそりと巨体を揺らして鋼鉄の腕を掲げた。
「よう。相変わらず小鳥のように忙しないのう」
「あっ! 双槌の師匠だっ!」
彼の存在に気づいたヨルナは、子兎のようにぴょんと跳ねた。
花が咲くような笑顔を浮かべて老父を見上げる。
「お久しぶりですっ! お元気そうでなによりですっ!」
「こちとら魂じゃかんな怪我も病気もせんわい」
ヨルナは両足の踵を揃えてから、ぺこり。
さして仰々しくないが敬意を払うみたいに一礼をした。
老父のほうも髭をしごきながら目尻にたっぷりとしたシワを集める。
どうやら老父とヨルナはほどよき関係を持つ知り合いのようだ。とはいえ棺の間という限定された空間では珍しくないのかもしれないが。
ミナトは、治療役の女性を待ちつつ、顎に手を当て思案する。
「弟子……師匠……?」
先ほど老父は弟子と口にした。
そしてヨルナもまさにいま師匠と豪語した。
なんだかもの凄い近いところでなにかが結びつこうとしていた。
「このドワーフのおじいさんは僕のお師匠様だよっ! 僕の家系は祖父の代から同じ工房でお世話になってるからねっ!」
うきうきと胸を弾ませながら紹介だった。
答えをだす必要さえなくヨルナ本人の口から事実がつまびらかとなる。
つまるところ師弟関係といったところだろう。本当にたいしたことのないクイズ。
老父は、快活なヨルナを横目に「うぉっほん!」とわざとらしい咳を零した。
「まったく此奴は婿ももらわんでおっちによってからに……。せっかく鍛冶師としていっぱしに育ててやったっちゅうに、親不孝ならぬ師不孝もよいところじゃわい」
「イヤだなぁ僕的には幸せいっぱいに天寿をまっとうしたつもりですよ! やっぱり死ぬなら金床に前のめりって決めてましたから!」
天真爛漫な笑みに当てられるよう老父はがっくりと肩を落とす。
些細なやりとりの間にも2人の信頼関係が現れている。ヨルナは老父を見つけてからというもの子犬のように懐いていた。
そんな2人をミナトがぼんやり眺めていると、視線を感じて不意にそちらを気にかける。
「漆黒の髪と鴉色の深い瞳……闇に似てとてもキレイ♪」
いつからいたのか。
すぐ顔横に生白い女性の顔が置かれていた。
「うぉぉっびっくりした!?」
ニタァ、という表現がまさにちょうどな笑顔だった。
どうやら疲労が癒えたらしい。ミナトが慌てて飛び退くも、合わせて女性はさらに詰め寄る。
「もっと、もっと良く見せて……! その純な黒色を是非複製させて……!」
「な、なんだコイツ動きがめちゃくちゃ機敏!? あとさっきから恐ろしいこといってるんだけど!?」
先ほどまでくたびれていたとは思えぬ。
まるでゴキブリのように凄まじい瞬発力でつかず離れずの距離を保ちながら追従する。
たまらずミナトはヨルナの背後に回りこむ。
「このどう見ても記憶に残るタイプの女はなんなんだ!? なんでオレのことを追いかけてくるの!?」
「さっきも軽く紹介したけどこの子は継ぎ接ぎのエリーゼ・E・コレット・ティールちゃんだよ。引き籠もりだから体力はないけどエーテル族だからがんばってね」
「なにをがんばれっていうんだよ!? これ捕まったらなにかされる流れか!?」
そこから激しい追走劇がはじまった。
追う側と終われる側。ともにヨルナの周囲を軌道衛星の如く周回する。
「ふ、ふ……ふふふ……! 大丈夫ちょっとだけ、ちょっとだけだから!」
両端で結った長い髪束が躍動するたび狂気じみた笑みが深まっていく。
女性は中央から別れたドレススカートを蹴るようにして白い生足で駆け回る。
「なにをちょっとなんだ!? それにアンタだってキレイな黒眼の……エーテル、ぞくぅっ!?」
ミナトが足を止めた直後だった。
女性が覆い被さらんばかりにのしかかったことで体勢を崩してしまう。
藻掻こうとするも女性の手は万力の如く締まって外れず。細腕なのにもかかわらずミナトは容易に組み伏す。
獲物を捕らえた女性は馬乗りになりながらたまらず目尻をうっとりと下げる。
「この髪色もすごくイイ……! 虹彩も自然なダークブラウンでまるで芸術品みたい……!」
腰を揺らしながら頬をほんのり朱色を浮かす。
蕩けるような笑顔に睨まれたミナトは本能的に死を覚悟した。
「いいなぁいいなぁ、すごくいいなぁ……! 私みたいに染めたりしないナチュラルな闇色……! ととと、とっっっても欲しい……!」
「――バラされるッ!!? マッドなサイエンティストに身体中が切り分けられようとしているッ!!?」
鼻息荒く吐息さえかかるほどの距離にまで迫っていた。
が、そこまで。老父が片腕でひょいと女性を軽々持ち上げ、回収する。
「怪我しちょるといっておったじゃろ。暴走なんぞしとらんでとっとと治癒魔法くらいかけてやれぃ」
「んぅ……残念」
首根っこを掴まれた女性は宙ぶらりんの姿勢で首を縦に振った。
地面に下ろされた彼女は膝を抱えると、横たわるミナトに向かって手をかざす。
「《再生》」
微睡むような詠唱だった。
掲げられた白い手からぼう、と仄明るい光が灯る。
ミナトの全身が光に包まれていく。治癒魔法の光から身体にぬるさが巡っていく印象を覚えた。
「でもあまり怪我をしすぎるのは感心しない。無茶な仕合いを挑みまくるのはバカのやること」
「こっちだって必死に足掻いてるところなんだよ。いまをがんばらなきゃ明日はこない精神だ」
退屈そうな視線に見下ろされながら、ふてくされる。
ミナトだっていわれるまでもない。こうして己の進むべき道を見失っていることくらい自覚していた。
こちらはもとより適切がわかっていないのだ。努力するにしても努力する方向性があやふやな状態だった。
「……なにかをしていないと落ち着かないんだ。だから1番実感のあった実戦を繰り返してるだけだよ」
治療を終えたエリーゼは「ふぅん」と、淡泊で愛想のない返事を返す。
スカートの裾を払い払い白く長い脚を伸ばし立ち上がる。
「だとしてもやりかたは考えるべき。方向の定まらない無茶をつづけるのは無能の証明。つまり頭を使いなさい」
細い声だが有無をいわさぬ口ぶりだった。
毎度こうして治療を頼んでしまっているぶんミナトとしても無碍には出来ない。
無茶を繰り返すにしてもとくに大切なのは、治癒魔法。異世界魔法があるおかげで疲弊なく暮らせている。
早朝の薪割りから鍛錬まで。それからも剣術指導があって、夕以降は棺の間での実戦という詰め詰めのスケジュールをこなす。
これでもし治癒魔法という万能医療がなければいまごろ過労で床に伏しているだろう。
「と、いわれても強くなる方法なんていままで考えたことすらないっての……」
ミナトは重い身体を揺らしながらようやく立ち上がった。
肉体的には万全でも、精神まではそう上手くいかない。
常に全力で空回っている気がして焦燥感だけが勝つだけだった。
「でもミナトくんがんばってると思うよ。まだ60日くらいの鍛錬でもメキメキ上達していってるのがわかるもん」
「もう決闘までの日数を3分1も使い切ってるんだ。なのにリリティアの足下にすら届いてない現状がなぁ……」
友からの激励だった。
しかしヨルナの優しささえミナトはやるせない吐息に変えてしまう。
これ以上ないと思えるには悪循環の迷宮に閉じこめられている。
「強くなるためならなんだってやってやるのに……」
両手をだらりと垂らしながら遠い目つきで黄金色の空を仰ぐ。
空をバックに映る仲間たちの顔立ちは離れたときから変わらない。ずっと遠くであの頃の笑顔を咲かせていた。
変わろうと本気になれば変われると、そう思っていたのだ。そのためなら血反吐くらい吐ききってやるつもりだった。
だが、現実は甘くなかった。渇望するほどに蒼き力が疎ましい。火を増すごとに焦がれるほどの嫉妬と欲望が腹の内側で渦を巻く。
「いまオマンずいぶんと覇気のある妄言を口にしよったな」
ふと鉄すれの音とともに勇ましき筋肉が胎動した。
幹の如き足が大地を踏むたび地鳴りの錯覚を過らせる。
隆々とした老父は髭に鉄腕を添えて「うぅむ」と、枯れた喉を絞った。
「ひとりだが……まあ、オマンを叩き直せるであろう実力のある師を知っちょる」
目耳に水。あるいは青天の霹靂。
ミナトは音がしそうな速度で振り返り、仰ぎ見る。
「本当ですか!!?」
この好機飛びつかずしてなるものか。
期待いっぱいに満ちた視線の先で、老父は眉間にシワを集めていた。
「じゃがなぁ……彼奴はちくとくせもんでなぁ……」
腕組みしながら深くうつむき思慮の姿勢で背を丸くする。
なにやらも髭の向こうではごもごと舌の滑りが悪い。太い胴間の喉もあってか非常に聞きとり難い。
しかしミナトもここで諦めてなるものか、と。老父ににじり寄った。
「誰なんですか!? そのオレを強くさせられる人の種族っていったい!?」
「人なものかい。彼奴はれっきとしたドワーフじゃ。しかも雌のな」
そう答えてから老父は銅色の手で白髪を掻きむしる。
「作ることに長けるドワーフじゃが彼奴の場合壊すほうが専門でのう……しかも一等妙な癖をもっておってなぁ」
と、老父がソコまで語ったあたりから静観していたヨルナの肩が跳ねた。
「え”!? それってもしかしてちび師匠のこといってます!?」
中性的な顔立ちが見るからにギョッとして青ざめた。
「それ以外で他に誰がおるんじゃ。オマンがいっぱしの剣士になれたのも彼奴の手ほどきあってのことじゃろがい」
「それは、そうですけど……い、いいのかなぁ? ちび師匠ってかなり雑でミナトくんのこと壊しかねませんよ?」
「それほどに雑だが腕だけは確かじゃ。ワシとオマンならば彼奴と知古の仲ゆえそう邪険にもせんじゃろ」
2人の間で不穏なやりとりが繰り広げられていた。
しかも老父とヨルナのどちらもが憂い、四苦八苦しているではないか。
ふとミナトは2人のやりとりに疑念を覚えて口にする。
「ヨルナの師匠ってアナタじゃないんですか?」
「ワシは槌の師匠、つまるところ鍛冶師としての師じゃ。ヨルナには剣の師、もう1人ほど実戦の師がおるでのう」
老父はなおも逡巡するように肩をすぼめた。
樹皮の如き顔中のシワを中央に集めきっていた。
しかし確かにヨルナの強さは常軌を逸しているといえる。魔法の扱い、身のこなし。どちらの点もミナトが足下に及ぶか及ばないか。
さらに彼女は人と同等といわるヒュームである。身体能力はイコールであるはずなのにもかかわらずあらゆる面で人に勝っていた。
「彼奴ならばいまごろドワーフの街でくすぶっちょるはずじゃなぁ」
老父の口ぶりからしてどうやらオススメではないらしい。
それでも迷うだけの価値ある存在であることだけは窺えた。
ヨルナはぷくりと膨れた唇の前で白く長い指を立てる。
「ちょっと癖のある師匠だけど、会ってみる?」
ミナトに向けられたのは有耶無耶な苦い微笑だった。
その問いに思考を挟む余地は、ない。なにしろこちらは藁にさえ縋る。
「是が非でも頼む! ヨルナを鍛え上げた職人ドワーフのところへ導いてくれ!」
いまはこの降って湧いた流れに身を委ねるしかなかった。
だからとりあえず流れるがままに会ってみることにする。
「ふふ~ふ。私も暇だからゼトと一緒についてったげるぅ~」
あとなぜかもう1人ほど怪しい同行者が増えたのだった。
龍の子づれの一党らは、棺を飛びでてドワーフの住まう国へ出立する。
目的地は、ドワーフたちによって統治される物作りの街。
ドワーフ国首都。名は、山颪の街イェレスタム。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎




