《※新イラスト有り》258話 双腕《Metal Heart》
人間が棺の間に顔をだすようになって数日が経った。
人の子が現れるようになって棺の間の住人たちの間では一躍有名となりつつある。
無論。それは決して良い意味ではない。
「つっ、目で追えない!!?」
ミナトは頭に兎耳を生やした女性と対峙していた。
跳躍し、かく乱する素早い身のこなし。縦横無尽ともとれる迅速さを眼で追うので手一杯。
兎耳の女性は錯乱するミナトの懐に容易に潜りこむ。そしてくびれ腰ほども太い脚部から猛烈な蹴りを発射する。
「――フッ!」
「グッッッ!!?」
抉りこむように脇腹を狙ったミドル。
ミナトはそれをなんとか腕でガードした。
しかし勢いは凄まじくそのままの姿勢で3mほど吹き飛ばされてしまう。
「が、は……!」
ガードに成功したとはいえ、だ。
もんどり打って止まるころには己の身体はすでに壊れかけている。
打たれた側の腹とは別。逆側の腹から内臓を吐きだすような衝撃が身体を揺さぶった。呼吸は止まり防御した腕も痺れて使い物にならない。
「ハッ、他愛ないねぇ。私をデートに誘うならもっと努力するコトさね、半端モンよぉ」
兎族の女性は、苦しむミナトを一瞥し、吐き捨てるように唾を吐く。
追い打ちをする気力すらないのか振り返ることもなかった。
ミナトをダウンさせた太く逞しい足を交互に繰りだし、この場を去って行ってしまう。
明らかにこちらの実力不足だった。彼女を5分と引き留めることさえ叶わない。
遠間から見学していたヨルナがとと、と軽やかに駆け寄ってくる。
「ねぇもうやめようよぉ……。このままだと決闘を待たずに死んじゃうよぉ……」
眉根を寄せながら砂にまみれた背を払う。
モチラも心配そうにうつ伏せで動かぬ背を棒で突っつく。
「きょうでななかいだね」
「7回というより7日目だね。今日だってフィナ子ちゃんにこってり絞られたあとなのに無茶するんだからぁ」
レティレシアから許諾を得て7日が経った。
それからというもの毎日懲りずに通い続けている。棺の間の救世主たちと戦を交える日々がつづいていた。
しばしうつ伏せで固まっていたミナトだったがようやく衝撃が癒えてくる。
「あ、ようやく動いた」
「待ってて! すぐに治療役の子を探してくるから!」
ヨルナは慌てた様子でどこかへと駆けだす。
モチラも一瞬ミナトとヨルナを見比べてから彼女の後を追う。
そうして去って行く友をよそにミナトは、汗臭い砂の上にごろりと大の字に寝転んだ。
「……相手が女性でもこのザマかぁ……」
兎耳が愛らしいと言い寄った、もとい挑んだ結果が惨敗とは。
悔しさを噛み締めようにも実力差ありすぎる。凄まじい速力と瞬発力に惑わされ構えをとる時間さえなかった。
――……焦るな。いまは少しずつでも感覚を養うことだけ考えるんだ。
足をくすぐられるかのような焦燥感は常に付随している。
刻一刻と迫る死の香りが判断を鈍らせ脳を麻痺させようとしているのかもしれない。
寝転んだままの姿勢で金色の空に手を伸ばす。
「なんじゃい。またきておったんかい」
唐突につかみかけていた金色の空が遠のいた。
いつの間にかミナトの視界は巨大な影に覆われている。
たまらず首を捻りながら上体を起こす。
「……?」
すると2m以上はあろうかという巨漢がミナトを見下ろしていた。
「毎日毎日懲りんやつじゃ。いい加減ここの砂も食い飽きたじゃろう」
脳を揺らすが如き重低音が鼓膜を越えて響いた。
現れた老父は、「ほうれ」と鈍色の手をかざす。
ミナトはわけもわからず目を丸くする。それから巨大な老父と鈍色の手を交互に見つめる。
「いつまで寝とるつもりじゃ踏まれる前にとっとと立たんか」
「あっ。ど、どうも」
促されてたまらず彼の手を握り返す。
義手、だろうか。体温を感じられず、堅く冷たい。
老父は、片腕でひょい、と。さも紙切れを拾い上げるみたいにミナトを立たせる。
「なにを思うて複合種族なんぞに喧嘩を売ったか知らんが勝てるわけがなかろうよ」
立ち上がってなお見上げるほどに巨大な存在だった。
その佇まいはまるで岩盤。上背だけでもこちらと比べ倍はある。
さらには肩の辺りから厳かな鉄の腕が生えていた。しかも肉体は隆々と起伏だって全身が鋼鉄の如く丸い。
なにより甚平羽織からはみでる隆々とした胸筋には男でさえ視線を奪われてしまうほど、屈強。柔らかな女性のものと比べてそれはさしずめ鎧である。
――このおっさんかっこいいな! 男の憧れる漢って感じだ!
ミナトですらも現れた巨漢に熱い視線を送っていた。
そんな熱望を注がれるなか。老父はふさふさの白髪髭を鉄の手でしごく。
「尻でか足ふと兎どもは瞬発力が凄まじいかんな。まだオマンが相手出来るレベルではないぞ」
見とれていたミナトは不意に違和感を覚えて正気に戻される。
立ち上がる手助けをしてくれた上に会話が成り立つ。この棺の間で出会う連中にしては珍しいタイプだった。
「あの頭から耳の生えた種族に詳しいんですか?」
ものの試しに問いかけてみる。
すると老父はやおら首を縦に振った。
「兎族のおなごの特徴はなによりあのひょろ長耳じゃな。そしてムチムチの尻と筋張ってパンッパンに張った足をもっちょる。あの仕上がりきった下半身が尋常ではない蹴りの発射台になっちょるわけじゃ」
言葉をあげるたび上顎から垂れた髭を吹く。
想定以上の情報量にミナトは、「へぇ……」と生返事を返してしまう。
だが老父は気にした様子もなく講義をつづける。
「それ以外にも周りを見りゃあ耳つき連中がおるじゃろ。連中は総じて野性的なセンスを兼ね備えちょるから見た目以上に強ぇ」
ほれ、と。角張った指が拾い闘技場の一角を指さした。
あちらのほうでは先ほどミナトを負かした兎族の女性が、別の種族と手合わせをしている。
「グオオオオオオ!!!」
相手は、獅子頭。
凄まじい咆哮を喉奥で発しながら一直線に突進していく。
それを白長耳の女性は流麗かつ軽やかな所作で踊るように回避した。
「フン! そのていどの速度でワタシを捕らえられるものか!」
「よくぞ吹いた! 我が鋼鉄にも勝る牙と爪で八つ裂きにしてやろう!」
1回の跳躍で5mは飛んでいるだろうか。
獅子頭の覆い被さるように繰りだされる爪や牙を脚力のみで翻弄する。
着地してからもぴょん、ぴょん、と。拍子を刻みながら筋肉を休ませず、機を窺う。
「小賢しい耳長よ!! 万物の王たる獅子を前に跪くが良い!!」
「ッ――ソコだッ!!」
相手が隙を見せたところで反転する。
獅子頭の突進を最小限の動作でひらりと回避した。
そしてバネのようにしゃがみこむと、瞬時に伸び上がる。獅子頭の下顎に反転蹴りを打ちこんだ。
「たんと喰え若輩者。ワタシの蹴りならばいくらでも喰らわせてやるぞ」
「ヌゥッ!? 1撃当たったくらいで調子に乗るなよ白長耳!!」
打ちつ打たれつ。どちらも一歩として引かない。
そこからも獅子頭と兎の壮絶な戦いが幕引くことなくつづいた。
「……なんだよあのめちゃくちゃな動きは……あの場所だけ早送りになってるんだけど……」
「じゃからいうたじゃろう? オマン如きが挑むには早ぇとな?」
兎と獅子の戦いぶりは尋常ではない。
とても人の入りこめる余地なんてあるものか。遠間から見てこれなのだから実際に対峙してまともに相対出来るはずがない。
ミナトは種族格差という壁に改めて愕然とし開いた口が閉まらなかった。
巨体を押しながら老父がこちらに踏みこむ。
「オマンは強くなりたいか?」
「え? そりゃ、まあ……」
一目で老父とわかるほど肌には年輪となるシワが刻まれていた。
それなのに大柄かつ隆々とした全身からは生命力が漲っている。
彼は結った白髪の髷を揺らし、鈍色の関節を軋ませながら長い髭をしごきあげる。
「リリィに、剣聖リリティアに本気で挑む覚悟はあるか?」
太く唸る、まるで獣の威嚇に似たいぶし銀の声色だった。
老父からの問いかけにミナトは一瞬躊躇う。
しかしその白く霞み掛かった老父の眼差しに真っすぐに向き直す。
「オレの帰るべき居場所には宝物に等しい仲間たちが待っているんです。だから絶対にこの世界で終わるわけにはいかない」
「じゃが帰ったところでオマンの仲間が生きちょるわけではない。それでもなお己はその道を違わず進めるか」
今度の問いかけには、戸惑いはなかった。
ミナトはしかと老父の目を見つめながらただひとこと「当たり前です」と、言い放つ。
すると老父はしばしミナトを見つめて、まんざらでもない笑みを口元で描いた。
「先刻からオマンの動向を追ってみたがやはりマヌケなほど心酔しきった本物のバカじゃな。どおりでワシの可愛い弟子が一目置くわけだ」
「……弟子?」
と、ミナトがクエスチョンマーク浮かべながら頭を傾けた。
それとほぼ同時にヨルナが戻ってくる。
「おーいミナトくーん! ようやく治療してくれそうな子を見つけたよー!」
「ううう……! そんなにはし、らないでぇ……!」




