257話 血色の祝福《Blood Blessing》
「テんメェなに勝手にきてやがんだボケがァァ!!?」
飛沫とともに罵声が轟いた。
浴びる、という言葉がこれほど合うとは。棺の間にきてからもっとも景気の良い罵倒だった。
そこへヨルナがまあまあ、と引け腰気味に止めにかかる。
「ほ、ほらミナトくんにもなにか考えあってのことだから……」
「知ったっこっちゃねぇぞクソがよォッ!!」
だがどうにもおさまりがつかなかった。
通常種よりも長い犬歯を剥きだしに顔中に醜悪な溝が刻まれている。
それもそのはず。ミナトの行った堂々振る舞いは、決して褒められるものではない。
なによりこの空間の主であるならばカチンとくるで済ませられるわけがないのだ。
「フフ。殺傷不可という理由を逆にとってどうせ殺せないとしましたか。これはこれはレティも1本とられてしまいましたね」
別のところから上品な微笑がくつくつと聞こえた。
精巧な作り物の如き美貌。そして笹葉の如き先細りした長い耳は、エルフの証である。
唐突に高貴な仕立ての椅子が地団駄とともに蹴りつけられた。
「決闘前に乗りこんでくるだけじゃなく余の救世主どもと乱取りとはどういう了見だァ!」
棺の主、または冥府の巫女。
レティレシア・E・ヴァラム・ルツィル・オルケイオスは、お冠だった。
息荒げ感情を隠そうともしない。我が儘を覚えた幼子のように怒りのままあらゆる物に八つ当たりする。
もう可能であればいますぐにでも相手を手にかける準備さえ出来ていた。
武器である鎌までは奇跡的にだしていない、が。
「ふぁぁ~……久しぶりに達成感のある有意義な時間の使いかたをしたなぁ」
いっぽうで彼女の怒りの源泉は、呑気。
ミナトは、ふかふかと座り心地の良い椅子の上で伸びをした。
部屋の高級感に反してその身なりは、ずたぼろ。
髪は砂と脂まみれでべたついているし、なにより衣服が血まみれである。
無論その血はすべて己から流れでたもの。傷こそ回復魔法で塞げるが時を戻しているわけではない。そのため顕著に身なりへ反映されていた。
「もしさっきあの場に余が割って入らなければブチ転がされてたかもしれねぇんだぞォ!」
「落ち着きなさい、落ち着きなさい」
憤るレティレシアにミナトは、どうどう。
猛る犬を押し留めるように手を振った。
「そう食ってかかるなって。こっちだってリスクを負ってここにいるんだからさ」
「だぁ・かぁ・らぁ! そのへんのテメェ事情とかは関係ねぇっていってんだろがッ!」
ドスの利いた声が屋内に響き渡る。
椅子の影に隠れたモチラは、怯えたようにきゅっと目を瞑った。
「そもそも制約はテメェを守るためのモノじゃねぇ。死にたがってんなら神羅凪をとっとと寄越してから即死しやがれ」
レティレシアは傲慢なバストを持ち上げるようにして腕を組む。
「テメェは決闘までおとなしくしてろってんだよ」
怒れるままにつん、と。そっぽ向いてしまう。
向こう見ずな行動がよほど腹に据えかねているようだった
垢まみれのミナトが引きずり込まれたのは、レティレシアの私室である。
一見して高級感のある王室風仕立ての屋内は、主の住まう場所として相応しい。
だが内見はすべて赤い壁、赤い装飾、さらにはベッドまで赤、赤、赫。目の痛くなる不健康な色合いにそうそう目が慣れるものでもない。
「……?」
モチラは緋色の瞳を物珍しそうにぐるりと回す。
幼子の目は興味津々。映るものすべてが新鮮に映るのだろう。好奇心たっぷりと期待に満ちている。
そして捨てられるように転がった赤い布地をちょいと拾い上げた。
モチラは、小首を傾げる。
「……ひ、も?」
用途がわからないのか真っ赤な刺繍を不思議そうに眺めていた。
おそらくは、ランジェリーだろう。追って、おそらく部屋の主の脱ぎ散らかしたもの。
広々とした部屋には天蓋付きベッドを中心に、そこらかしこ。下着やら衣類が脱ぎ散らかされたままだった。
「で、テメェの目的はなんだ」
とんとん、と。指で厚く塗られた円卓を叩く。
レティレシアは気だるそうに卓に頬杖をついた。
口端を歪め不快を顕わに隠そうともしない。目の前にいる小賢しい人間をじっとりと睨みつける。
「オレ自身を強くするために連れてきてもらったんだ」
「あ”ぁ”?」
ミナトは彼女の性質を学んでいるため屈することはない。
冥府の巫女といえば粗野、粗暴、悪辣の煮こごりである。
そもそも初対面で肩口を大鎌で抉るような女に好意なんて湧くものか。
「棺の間には格別に強い連中が集まっているんだろう?」
「そりゃ余のお眼鏡に適うくらいにはヤル連中を総じて救世主と呼んでいるからな」
「なら決闘に向けての鍛錬相手に申し分ない。それに小さな森から飛びだして色々な技術を見て回るにはこれ以上ない最高の環境が整ってる」
ミナトが言い終えると、レティレシアは血色の眼を逸らす。
不機嫌そうに口をむっつり閉ざしながら指で拍子を刻む。
とん、とん、とん。中央に置かれた燭台の焔が拍子に合わせて踊る。
「それくらいのことであれば許してあげても良いではありませんか」
美しい声が響いた。
静観していたリアーゼ・フェデナール・アンダーウッドが白く澄んだ手を合わせる。
「強くなるコトへの努力と執念。そして幾度挫かれようとも立ち上がる信念。私は彼の迷いない行動に勇まささえ覚えます」
森のエルフでありながら髪は白く透けるかのよう。
白き女王の精錬された美貌は美しく飾られた細工物より美しい。
背はすらりと高く頭のてっぺんからつま先まで完全を体現している。羽衣のような薄布をツンと押しだす抑揚ある肢体もまた彼女の美貌の1つに過ぎない。
リアーゼはミナトを一瞥し、再びレティレシアのほうを見る。
「それに彼を生かしていることそのものが余興と言い切ったじゃない? ね、レティ?」
友に向けるような気さくな笑みだった。
それを聞いたレティレシアは、むくれ面で片側の頬をぷっくりと膨らす。
「それを許せば面白くなる余地があると思うってか?」
「如何ほどにでも」
チッ。曖昧な返答に思わずといった感じで舌を打つ。
そもそも近く迫る決闘そのものがレティレシアの退屈しのぎでしかない。
しかしそれによってミナトにも生きる、そして帰る希望が生まれている。
つまり彼女を楽しませることが条件のひとつ。決闘の勝敗そのものが冥府の巫女の意思決定次第なのだ。
だからこちらとしてはなにがなんでも楽しませねばならない。
ミナトは、テキトーなカップを選んで紅茶を注ぎ入れる。
「でも遊びにきちゃダメなんてルールはなかったはずだぞ」
啜ってみるとなんといえぬ良い香りが口腔を通じ鼻腔を満たした。
良い紅茶なのだろう。たぶん、おそらく。
「ざっっっけんなッ! さっきから我が物顔で何様のつもりだッ!」
レティレシアは勢いよく立ち上がり卓を叩いた。
叩かれたことで置かれた陶器ががちゃん、と騒々しい音を奏でる。
「んなもん常識で考えろ! 生かしていただいてる身で本陣に乗りこんでくるバカがどこにいやがる!」
ヨルナとモチラは無言かつノータイムでミナトを指さす。
そもそもヨルナに至っては棺の間に案内すること自体に反対していた。
しかしミナトの強引な願いによって無理矢理巻きこまれたに等しい。
「でもこの間別れの時にまたな、っていったらちゃんと返してくれたじゃないか」
「ぐっ……! あれは、っ!」
「もしあれがサヨナラだったらさすがに控えたけどな」
チッ。ミナトには聞き慣れた不満の音だった。
レティレシアは豪快に椅子にどっかと尻を落とす。
肉感的な太ももを見せびらかすみたいに回し、組み、ふんぞり返る。
「許す。……が、これ以上面倒ごとの追加は許さねぇ」
晴れてよりの許諾だった。
棺の間の主から許しを得たのだ。救世主たちも文句はいえまい。
確約を済ませたミナトは高そうな紅茶をひと息にぐびりと飲み干す。
用が済んだのならば、閑話休題。ミナトの興味はすでにレティレシアから別に移っていた。
「ところで……」
「ところでじゃねぇぞ話流そうとすんなボケ」
「なんで女王様までこんな場所にいるんですか?」
「おい。こんな場所とはなんだ、ぶち殺すぞ」
いくら威圧されてもミナトは応じず。
それでいてレティレシアのレスポンスもやけに早い。
そんな2人をエルフ国女王は愛おしげに目を細め眺めている。
「レティ、そこにいる冥府の巫女は私の古いお友だちでもありますのよ」
リアーゼはふふ、と微笑を傾けた。
ミナトも彼女の温和さに釣られて頬を和らげる。
「へぇぇ。友だちちゃんと選んだほうがいいと思いますよ」
「テメェ……本気で潰すからな……!」
この場で憤るのはレティレシアだけだった。
…… … ◎ … ……




