255話 いつか、まだ《True Flame》
円形に切りとられた闘技の場に活気と熱気さざめく。
「ガキなんぞ死なねぇていどにひねり潰してやれ!!」
「飛んでい火に入る虫たぁこのことだ!!」
「ワタシラはテメェなんざ待ってなかったんだよ!! 旅だったイージスを返せェ!!」
品のない憎悪が乱れ飛ぶ。
ただ1人に向けての罵詈雑言。
暇を持て余した無法者たちにとってはこれ以上の余興はない。
もし聖女レースのように賭けが設定されていたとすれば一目瞭然。オッズは雲泥を示しただろう。
なにより彼の相手となるのは種族差がそれほどないヒュームである。だからこそ種族格差最低かつ技術のみの仕合が繰り広げられるだろう。
そしてまた1撃。強烈なバックハンドブローが少年に襲いかかる。
「らぁっ!!」
「――つッ!?」
凄まじいキレと穿つが如き腕力。
手合いの挙げたガードでさえ容易に撃ち貫く。
力量差は圧倒的と言わざるを得ない。ルハーヴの拳闘をモロに受けた人の子は大風に煽られるように吹っ飛んだ。
致命傷はないが確実に削られつつある。これで人の子は幾度目かのダウンだった。
さらにはルハーヴもまだ5割と実力をだしていない。
「く、ゲホッゲホ……!」
人の子は、よろめきながら耐え忍んでいた。
足裏で砂塵を舞い上げながら踏ん張りをきかせ転倒を回避している。
舞った砂がスモッグのように視界を薄め、たまらず喉で咳きこむ。
「いいぞルハーヴ!!」
「もっと無様に転がしてやれ!!」
さらに攻撃がヒットするたび品のない喝采によって湧き立つ。
誰の目から見ても無謀でしかない。そもそも勝てる道理が存在していない。
なにしろ相手はヒュームなれど西方の勇者と呼ばれる英傑のひとり。落ちぶれて魂となってなおその膂力は随一といっても良い。
ルハーヴは、肩を解しながら跪く人の子を見下ろす。
「おいおいこのていどで終わりかァ? さっきまでの威勢はどこいきやがった肩慣らしにもならねぇぜェ?」
まんまと現れたのは、あちらのほう。
さらに人の子と対峙したいと名乗りでた者は、多くいた。
しかしそのなかでもルハーヴの殺気が誰より勝っていた。
ゆえに怒りの襷を託すのであれば彼が適任と判断されていまに至る。
しょせんは降って湧いた見世物なのだ。無頼たちからの好奇の目が嬉々として注がれている。
「どうしたもう立てねぇのか? 小鬼のほうがまだやり甲斐があんぜ?」
見世物を求める観客に役者も応じる。
ルハーヴもまた切れかけた狂気の笑みを広げた。
「あれじゃただの弱い者いじめじゃん」
そんななかエリーゼは気だるげに目を細める。
「……趣味わるぅ」と。逞しい肩にちょこんと腰を据えていた。高みの見物を決めている。
ゼトもまた彼女を肩に乗せつつ空いた手で髭をしごく。
「そういうオマンも日和見決めている時点で同じ穴の狢じゃろて」
「だって止めに入る義理もないし……そもそもめんどい」
どのみちこれが痛ましい悲惨な見世物であることに変わりはない。
止めや助けに入るモノはいないが、顔を伏せ、視線を背く者たちもいる。
荒れ狂う者たちだけではなかった。棺の間の全員がこの光景を是としているのかといえばそうでない。
それでも止めに入らないというのは、やはり思うところがあるから。のこのこ渦中に姿を現した人の子に罪はあるのだろう。
「早々にくたばられてもすっとしねぇや。そろそろ互いに慣れたエモノでやり合おうぜ」
ルハーヴからの提案だった。
拳を慣らしながらまだ痛めつけ足り得ない。
しかし少年からの回答はなかった。
「…………」
ただ一心に彼を睨むばかり。
代わりに歓声がわっ、と沸いて盛り上がった。
ルハーヴは、フッと嘲笑の端のシワを深める。
「おいヨルナ! お前の魔法で修練用に使う長物をだして寄越せ!」
「うー……なら重量の乗りにくい棍とかでいい? 刃物は危ないから絶対にださないからね?」
ヨルナとしてもいたたまれまい。
どちらかといえば彼女は棺の救世主でありながら少年の側に立っている。
棺の間の相違とは反した思想側に肩を並べていた。
剣聖リリティア、自然女王ユエラ、そしてエルフ国代表である白の女王。この3名が人の肩をもつ側に立つ。
だからといってこの場に至っては通用しない。なぜならこれは命の奪い合いなどではないから。
ルハーヴは、躊躇うヨルナを眺めながらイヤらしい笑み浮かべる。
「色も知らねぇくせにずいぶんとその餓鬼を気づかうじゃねぇか」
「いちいちデリカシーがないなぁ……ほらこんなものでいいのかい?」
ヨルナの手が淡く光を帯びた。
光が消失すると、1本の長物がもたれている。
呼びだされてた棍は、石突きと穂のない槍と同等の長さだった。
修練用としてなら申し分ない。痛めつけるのであれば最も向いているといえよう。
「ぎりぎりまで痛めつけるのは止めてよ! もしミナトくんが死ぬような事態になればエルフ国の女王と約束を違えることになるんだから!」
「へっ。馴染みのよしみってヤツで骨の2~3本砕くていどにしておいてやるよ」
ルハーヴは、心配するヨルナを相手にしようとスラしていない。
弧を描くよう放られた根を片手で華麗に受けとった。
そして慣れた手さばきで砂塵を切り裂くような舞いを披露し、型を整え、構える。
「さあ坊主も得意な武器をだしてもらえや。オメェは修練用じゃなくて完成品でいいぜ、どうせ当たらねぇしなァ」
軽口に下卑た笑いがそこいらじゅうから漏れた。
ヨルナは、人の子のほうに手を振って呼びかける。
「それでミナトくんは剣でいいよね!」
「…………」
なおも彼はむっつりと黙りこんだままだった。
先のダメージも相まってか、1歩としてその場に立ち尽くして動かない。
ただ奇妙な点があるとすれば、あれだけ力の差を見せつけられても黒き眼が逸れることはなかった。
対峙するルハーヴをまんじりともせず瞳に映しつづけている。
「なんつぅ集中力しとるんじゃ。ありゃあ周囲の野次なんぞ微塵も聞こえとらんな」
ゼトは感心しながら胴の手で髭を扱く。
ここに至って人の子は臆することもなく、怯むこともない。
少なくとも感情に振れ幅はなく、集中という状態に入り浸っている。
しかし互いが望む事態とあっては、ゼトとエリーゼも固唾を呑んで見守るしかない。
「そうえば彼……剣聖のところで修行してるんだっけ?」
「フム。もしかすっと存外面白ぇもんが見られっかもしれんぞ」
「……どうだか」
両者が武器を手にした瞬間から本番がはじまる。
先ほどまでのやりとりは、いわば準備体操。あるいは通過儀礼。
そしておそらくルハーヴもその瞬間から全力で心を挫きにかかるだろう。
「武器の精製は創製のヨルナのお得意技。あるていどの業物を選択すれば武器の能力で圧倒できるかも……」
「《創製》とは生前に打った完成品をマナの限り呼び起こす魔法の名じゃ。あの技巧だけは彼奴のみが扱える逸品モノよな」
ふとした感じでエリーゼは両端の髪房を揺らす。
目を瞬かせながら横にあるしわがれた老父の顔を覗きこむように伺う。
「彼女の魔法に詳しいの?」
するとゼトは丸く厚い肩に座る彼女を担ぎ直す。
「ありゃあワシの数代つづく血統の弟子じゃよ。200年程前から連綿とつづく鍛冶師の家系の末代になるかのう」
伝説級の鍛冶師の弟子。
これにはエリーゼも思わずといった感じで「……マジ?」意外そうに眉をしかめた。
魔法の名は、《創製》。
彼女のヒュームという特性は発想力と瞬発力に重きを置く。ゆえにヨルナという少女の腕は鍛冶という技巧のみでいえばあらゆる他種族を圧倒する。
ゼトは、とっぷりとしわがれた喉を絞って吐息とした。
「さあてあのヨルナの見初めた人の子よ、この事態をどう収集つけてくれるか」
白霞の眼が見やる先。
顎に手を当て熟考の姿勢をしていた人の子がついに動いた。
まずぴしゃり、と。肩頬を軽く打つ。
それから闘技の場である多くの汗を吸った歴代ものの砂をわけるように踏みつける。刻みつけるよう前へ前へと歩んでいく。
そしてヨルナの横を通り過ぎる直前に、口にする。
「ヨルナが前に使ってた剣を2振りほど頼む」
(区切りなし)




