254話 望まれた子と望まれぬ人《Beloved》
身ぎれいな執事服の給仕たちが右往左往、せわしない。
客の呼びかけに反応のみ反応し、太古の遺跡を改築した酒場とキッチンを無表情で行き来している。
もとより血の通わぬ魔道機械である。
思考もマナで編まれているため感情というものは持ち合わせていない。
男装をした美しき木偶。そんな彼女たちの役割は、役を担うことのみ。
安い椅子と古びた卓を感情もなく往復する。酒やら料理を載せた盆を片手に給仕して回っていた。
「おれぁあの子にもっとぉ幸せになってほしかっただけなんらぞぉ!!」
そんななかひときわ感情の波が激しい卓がある。
荒くれどもの溜まり場にメソメソと辛気くさい呻きが鳴り止まずにいた。
さらに古びた卓へ拳が振り下ろされる。立てかけられていた斧槍がゴトンと重い頭を石床に落とす。
「だのに剣聖のやつは俺らの友情を引き裂きやがったんだぁ!!」
もう幾度同じ言葉が発されたか。
下らぬ児戯、数えているほど暇な者もいまい。いつの世も酒は脳を惑わせうちに秘めたる本性を暴けだす。それが魔法より魔法の水の力なのだ。
そしてひとしきりわめき散らしたかと思えば、今度は卓の上に突っ伏してしまう。
「アイツはぁ……落ちぶれた元勇者の俺に生きる意味をくれたんだぁ……」
喧噪のあとは啜り泣きだった。
どこまでも落ちぶれる。先の男前な影でさえあったものではない。
そんな卓に崩れる酔っ払いに侮蔑の視線が送られる。
「なにコイツ……お酒よわっ、勇者きもっ」
「なんせヒュームじゃからなぁ。ワシ等の卓と同じペースに合わせて飲めばこうなるわい」
エリーゼは、すっかり出来上がったルハーヴをさもゴミとばかりに見下した。
ゼトのほうはといえば、そっぽ向いて相手にすらしない。
頬肘をつきながら鋼鉄の指でグラスの氷と酒をかき回している。
「まってくどいつもこいつも酒の飲みかたが下手じゃのう。こんなでは美味い酒の味が濁っちまう」
「水のように酒を飲み干すドワーフなにをいってるのだか」
エリーゼはぽっ、と頬を朱色に染めていた。
つまみ代わりのクッキーに齧り付く。
粛々と酒を嗜む2人と違い勇者は、下戸だった。
黄金色の麦酒を2杯、の途中辺りからか。卓に突っ伏し、ぐだぐたになりながらもう20分近く同じ話を繰り返しつづけている。
内容のない話を聞かされる側はたまったものではない。しかもその内容はほとんどが泣き言ばかりで構成されている。
エリーゼは、辟易と細身の肩を落とす。
「それにしてたって向いてないレベルで酒に弱すぎ。澄ましていない麦の酒なんて香りと色のついた水と一緒」
「そりゃワシらからすりゃそうじゃろうけど……とはいえコイツもなかなかに弱いか……」
ゼトは、卓に伏すざっくばらんな頭へ同情の視線を向けた。
種族によって得意不得意は異なる。大蛇のように酒をいくらでも喰らう種もいれば、そうでないものもいる。
なお潰れたルハーヴとは違ってゼトはようやく本飲みといった具合。
琥珀色の対良い酒を舐めるように楽しむ。
「この男がしょっちゅうあの子に絡む姿を遠巻きに見ていたからのう。てっきりほの字だったのかと思うとったわい」
「違う、あれは無視されていただけ。しかもバカみたいに決闘を挑みまくっていつも薙ぎ倒されてた」
棺の間での交流は、多くの場合技と技の競い合いを意味している。
互いの流派が異なる口論なんて珍しくもない。以前呪術師と死霊術士が意地で強力な呪いを振り撒いたことだってあった。
結果キレた冥府の巫女によってふたりの阿呆は棺に強制帰還。その後の処理として僧侶や元神官が呪いを浄化して回った。
「半分とはいえ偉大な龍の血にヒュームが勝てるわけがなかろ。しかもあの子の師である親はあの剣聖じゃぞ」
「それがわからないからバカなんでしょ……バカマヌケの下戸雑魚勇者」
エリーゼが、恥ずかしげもなく管を巻く男を前にぶすくれる。
いっぽうでゼトは酒に浸した胴色の指を台拭きで拭う。
「とはいったところでリリーの子であることに変わりない。なにより母であるリリーがこの世界より送りだしたのじゃからなぁ」
とっぷりとため息をついてから8部ほど満ちるグラスを煽った。
古木の如き喉が脈動して流す。青銅の錫で浄化した角のとれた酒を胃の腑に落としていく。
そうこうしている間に修練を終えた救世主たちがぞくぞく酒場に集まっている。
魂とはいえ動かさねば戦闘感覚が鈍ってしまう。だから常日頃から暇な連中はああやって互いの技を磨き合う。
いずれ来たる日がやってくれば生き残れるのは実力在る者のみ。本番で腕が鈍っていては落ちるのはこちらの首となろう。
「……気に入らねぇ」
ルハーヴは、卓に顎を乗せ、そう零す。
なにが、と。いまさら尋ねるのは野暮というやつだ。
「なぜそんなにあの子へ執着するんじゃ? イージスはワシらにとっても娘みてぇなもんだったが、オマンからはどこか違う臭いを感じるのう?」
ゼトは意を汲みながらずっと疑問に思っていたことを口にする。
西方の勇者ルハーヴの名を知る者は、そう多くない。
存在そのものが歴史の影に葬られたとさえ語られている。
彼の功績は勇ましいものであったとして、後世に語られるほど華々しいものではなかった。
ゆえにこうして天に至らずにいる。この死生さえ曖昧な魂の墓に閉じられて屍として生きつづけている。
「あの子……イージスは俺の無駄な生に現れた1粒の光なんだよ」
先ほどまでの気勢はどこへやらか。
卓の上に突っ伏しながらのんべんだらりと頭をもたげた。
「俺はぁ、1度の栄光に縋りつき落ちぶれ腐った元勇者だ」
細い声に耳を澄ませながらゼトは、エリーゼのほうをちらと見た。
すると彼女は口をつぐんだまま両端の長い髪束を横に揺らす。
元勇者である。勇者ではない。
ルハーヴ自身がもそれを誰より痛感しているのだ。
「そんな腐り落ちる寸前の俺に道を示してくれたんだ。あの子は俺を過去に囚われ後悔しながら立ち止まっているだけのバカだといってくれたんだ」
ゼトはいたたまれない思いを感じエリーゼのほうをもう1度見た。
すると彼女は慎ましい顔をうんと歪めて激しく髪束を横に揺らす。
栄光と衰退は常に同位置にあるといっても良い。ゆえに彼の発言はどこまでいってもしみったれている。
とはいえこれ以上この酔っ払いを叩いたところでタカが知れていた。
「あの子は俺の天使だったんだぁ……!」
「天使じゃねぇや、ありゃ龍だ。しかも人と龍の混血じゃよ」
ゼトは、彼の腕をとって担ぎ上げた。
無駄のない筋肉は軽くひょいと簡単に持ち上がる。そうしてのっしのっしと巨体を揺らして外に繋がるゲートへ向かう。
別にルハーヴを案じて送るのではない。美味い酒が不味くなるというだけの理由だった。
ゲートのほうは我先と酒を求める無法者たちがひしめく。良き労働には良き酒をうんと浴びるのが明日の糧か。
「そういやじいさまよぉ……、人間って種族はいったいなんなんだ?」
「なんだといわれてもなぁ、この世界には50年ほどの間のみ人間という種族がただ1人ほどおったというだけのことよ」
「……ソイツは強かったのか?」
「いんやいっとう弱かった。だが大陸の種族全員がその1人を讃え、敬い、愛したんじゃ」
あの白い龍でさえも、な。最後の言葉は雑踏に掻き消された。
ルハーヴはぐったりと逞しい肩にうな垂れる。
「…………」
うつら、うつら。瞼を閉ざして船を漕ぐ。
酒の恥は掻いて捨てるもの。溜まった鬱憤が吐きだせたからか、寝顔は安穏としていた。
ゼトは、波を割るみたいに群衆のなかを掻い潜っていく。
そして遠き過去を白き霞眼の奥に描く。
「……お前さんよりもあの子を溺愛しとったのが冥府の巫女レティレシアじゃ。それだけに腹に据えかねる思いも到底想像出来んわい……」
棺の間に選出されし無法者たち全員が、愛していた。
そしてそれは無法者の主である冥府の巫女が筆頭だった。
あの不器用で、頑張り屋で、口下手で、真っ直ぐな少女を、みなが希望としていた。
だからこそあのイージスをなかに宿した少年は禁忌を犯すに等しい。
彼が悪くないことくらい重々承知だった。しかしそれ以上に見送った少女を待ち望みつづけて、焦がれている。
「……っ。おいおいこりゃどういうことじゃ?」
「あ? どうしたじいさまよぉ?」
ゼトは、いつも以上に賑わう酒場の入り口に異変を覚えた。
それと同時にただならぬ空気と鮮烈な胸騒ぎを過らせる。
それもそのはず、ソコにいてはならぬ者がいるではないか。そんな嵐の眼を中央に置いて救世主たちがひしめきながらざわめいていた。
そして虚ろに閉じかけていたルハーヴの瞳が、捉えるなり、瞬時に刮目する。
「ッッ! ――て、め!」
彼は、迅速にゼトの肩から跳びはねた。
器用かつ柔軟な身のこなしで倒立前転を決め、苔生す石床に着地する。
「どのツラ下げてここに――!!」
ルハーヴは酔いすら怒りで塗りつぶした。
そうやって部外者を鬼気迫る様子で睨み、威嚇し、牙を剥く。
この場にいる誰もが思う言葉をがなり立てようとした。
だが、すべての怒りを吐ききることは叶わなかった。
「ちょっと待って1回落ち着いてぇ!? どうやったらこれが修行の最適解になるのぉ!?」
血相変えて止めに入るのは、同胞のヨルナだった。
彼女もまた棺の間に選出されし、1名。
だが、もう1人は違う。
「誰でもいい!! オレがこの世界にやってきたことを1番気に食わないやつは前にでろ!!」
誰より猛り狂う姿がそこにあった。
ヨルナの制止さえ効かず喚き散らす。
「オレは逃げも隠れもしない!!」
「ちょっと待ってってばああ!?」
まず彼を迎えたのは、沈黙である。
正気か、と。かすれながら口にする者がいた。
きっとそれは、否。狂気であることを青ざめたみなが一様に体現している。
異世界より。もっともきてはならぬ場に、遠路はるばる紛れこむ。
「お前らが殺したいほど憎んでいる大嫌いな人間がここにいるぞ!!」
怯えはなく、笑うことさえない。
ただまんじりともせず。その場で胸を張って腕組みを決めている。
「決闘の日までオレを殺せないのならオレが死ぬまでお前らを利用させてもらう」
この場の全員が無尽蔵に叩きつけられた。
これは人の子からの挑戦状だった。
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