251話 波の静寂に舞う乙女たち《Combat》
「これはいったいどうなってるんです?」
広大なり。視界いっぱいに蒼い空がどこまでもつづいている。
ここはいつもの鬱蒼と茂る森の牢獄ではない。潮鳴りと波吹く壮大な砂浜だった。
首を捻るリリティアの横には、運搬役の少年がサンセットよろしく長椅子に寝こけている。
「なんか息抜きと修行の一環のためなんだってさー」
絹のように白い肌を黄色い日差しがじりじりと照りつけた。
スードラ・ニール・ハルクレートは、ビーチリゾート気分満天に日光浴を楽しむ。
「まったく急に呼びだされて駆りだされるこっちの身にもなってほしいもんだよー」
青い鱗に覆われた尾を横に垂らしながら仰向けになって長い足を交差させる。
運搬という任務を終えた彼はすでにひと仕事を終えていた。
大陸世界には電車どころかバスさえない。そんな交通不便世界で長距離の移動をするとなれば日を跨いで野宿するしかあるまい。
しかし龍である彼の背に乗れば大陸の端から端に移動するのにもそう時間はかからないのである。
リリティアはしっとりと目を細めてくつろぐ彼を横目に睨む。
「……。そのわりにずいぶんと用意周到じゃないですか」
駆りだされたにしてはあらゆるものが揃いすぎていた。
木組みに長い布を張った横たえ型の椅子と日差しから目を守る黒質の眼鏡。
完全どころかどう考えても遊ぶ気満々といった装備である。
「だってここは海龍である僕のお気に入りスポットだからねぇ。この浜に刺す日差しの質は季節関係なくアガるんだよぉ」
「そんなこといって楽しむつもり満々な感じがなんだか気に入らないんですけど」
スードラは埃を払うみたいに手をぷらぷらさせる。
「いいじゃんいいじゃん白龍も森に籠もってないでたまには開放的な時間を楽しみなよ。僕ら龍族はたまに鱗を日にさらさないと調子が崩れちゃうからね」
リリティアが眉根を寄せるもスードラのほうは気にした素振りもない。
肉厚の尾の先端をちろちろ揺らしながら頭の後ろで手を組み白く美しい脇を晒す。
「……私も日光浴は好きです。どちらかといえば大好きといってもいいくらい好きです」
「じゃあ鱗を変えて水着になっちゃえばいいじゃん。種族の生肌で浴びる日光は格別だよ」
「それも別にいいですけど……」
リリティアはとっぷりとため息を吐いた。
それから根負けしたとばかりに己のまとう白いドレスを水着へ変化させていく。
全身を覆う布がゆっくりと収縮しながら2手に分かれる。みるみるうちに几帳面で素朴なドレス姿から煽情的なビキニ姿へと早変わりした。
「そっちのほうがやっぱり見目麗しいと思うよ。普段着ている鬱陶しいくらいの厚着よりもさ」
「私は寒がりさんだからいつもあの恰好をしているだけです。それに私のような純粋な龍はアナタのように寒冷耐性をもっていないんです」
リリティアはどこか不満げに頬をぷくりと膨らませる。
そのまま砂浜に尻を落とし薄い胸に膝を抱えた。
「ところで海龍はなぜ胸のそれを外さないんですか? 種族の場合男性側は上を脱ぐのが作法ですよ?」
開放的といいながらスードラの身には余分な布が貼りついていた。
海龍である彼は龍のなかでも珍しい寒冷耐性持ち。だから日常でも開放的な恰好を欠かさない。
しかしこの場において彼の恰好はやや不釣り合いといえる。なによりその胸を覆い隠す黒地の鱗は男性にとって必要のないもの。
スードラは眼鏡をずらしながら海色の眼を丸くする。
「だってこれ外したら大事な部分が見えちゃうじゃん」
「別に男性なんですから見えちゃってもよくないですか?」
身を起こしたスードラは「わかってないなぁ……」やれやれと首を左右に揺らす。
リリティアに微笑みかけながら染みひとつない生肌の肩をすくませる。
「こういうところは隠しておかないと希少価値が薄れるのさ。隠されている迷宮だからこそみんなこぞって探検したくなるのと同じだよ」
そういって光沢のある布地へ指をちょいと引っかけた。
汗で蒸した無垢な桃色をリリティアに向かって見せつける。
「ほらね? こうして普段から見えない場所を見られるとちょっとお得な気持ちになるでしょ?」
「あの……変なもの見せないでもらっていいですか。あといっている意味がまったくわからないです」
活気ある常夏の太陽が砂浜を熱して気温を上げていく。
さほど遠くない砂浜が陽炎で踊り、白波の絶え間ない潮騒が賑わう。
そんな誰しも浮かれる熱気に当てられながらもより白熱している場所があった。
「あはは~♪ こっちこっち~♪」
熱帯のビーチに美女の満天の笑顔が弾ける。
短めに結った白銀の三つ編みが尾のように揺らぐ。
豊満な胸と幅広く肉の詰まった尻を振る。身を覆う白いビキニ姿は否応なしに男どもの視線を釘付けとする。
そんな夏の妖精の背後から獣の如き唸りと咆哮が鳴り響く。
「ヨルナ! 2手に分かれて挟みこむぞ!」
「わ、わかった! 合わせるよ!」
狙う先では腰に巻いた白いパレオが流れゆく。
「うふふ~♪ 私を捕まえてご覧なさ~い♪」
フィナセスは2対1の状況でも歌うように逃げていた。
ここはすでに合戦の場である。疾走と滑走の超高速戦が繰り広げられていた。
通常の仕合ならば向かい合って行うのが常。しかしいまばかりは追う側と追われる側にある。
「さすが現役聖騎士だね! ちっとも追いつける気がしない!」
「待てえええええええええ!!」
白い足を繰りだし低くかけるヨルナにミナトも合わせる。
そして機を見ながら標的をもつフィナセスを互いの中央に置く。
しかしフィナセスは余裕の表情を微塵も崩そうとはしない。
「ふふん左右からの同時攻撃ってわけね」
駆けながら対極の位置にある2つの影を目のみで追う。
まとうフザケた気配からは考えられぬほど、逃げる速さにまったくの加減がない。
ミナトが砂に足をとられながら状態を崩していた。だというのにフィナセスは砂の上を滑るかのよう。
こちら2人ともが全力だというのにいっこうに差が縮まることはない。
「ほらほら~♪ そんな速さじゃ美女1人捕まえるコトなんてできないわよぉ~♪」
「うっぜええええええ!! 日差しもビーチもなにもかもが足を引っ張ってくる!!」
「無駄口を叩かない! 余計に体力がもっていかれちゃうよ!」
別では楽しんでいても当事者となればリゾートなはずがない。
砂に足はとられるし、日光は毛穴から汗を吐きださせる。直に敵となって体力を吐きださせてくる。
灼熱と熱砂の地獄。ゆえにここは人間にとって最悪のフィールドだった。
「捕まえたアアアアアア!!」
そしてようやく距離が縮む。
チャンスと見たミナトは号令すらかけず単身で飛びかかった。
「あ、ダメだ! いま追いついているのは向こうの差し金だよ!」
1拍遅れてヨルナが気づくも、もう遅い。
フィナセスは飛びかかってくるミナトにニタリと微笑む。
「よっと」
「これで1本いただき……――あ?」
伸びてくる不埒ものの手を即座に掴む。
そして華麗な背負い投げに移行する。
「ちょぉ!? なんでこっちくるのぉ!?」
「避けてええええ!?」
対極の位置にいたため事故が起こってしまう。
投げられたミナトがそのままヨルナに向かって飛んで行く。
そして2人はもんどりを砂の上で打って転げ回る。
「悪い……単身でしくじった……」
「……なにもかもを焦りすぎだよぅ」
仲良く折り重なりながら目を回す。
1手による同時のダウンだった。
フィナセスは勝ち誇るようにふふんと高い鼻を広げる。
「はいワンダウン~で半刻攻撃禁止~。もっと緩急つけたり意識外から狙わないと一生私から旗をとれないわよ~」
手にしているのは枝と布の安っちい旗だった。
そしてフィナセスは倒れたミナトに向かって「はい水分ほきゅ~」竹筒を傾ける。
するとなかに溜められている清潔な水が彼の顔目掛けて滴った。
彼女の手から直接口に注がれる水は、敗北の味でしかない。
「美女のナイスバデーに見とれちゃうのはわかるけど1点だけを見るのはモテない男よんっ。見るならちゃんと全身くまなく見てあげなきゃねっ」
フィナセスは、いらぬ教示を垂れながら尻を突きだし前屈みになる。
そうやって見せつけるようわざとらしく胸の谷間を強調させた。
ミナトはよろめきながら立ち上がって砂をぱっぱと払う。
「くっそぉ……コイツなんで砂浜であんな早く走れるんだ……!」
「逆に君が悪路になれていないのさ。もっと腕を振る振り子の動作も使いながら身体全体で走らなきゃだね」
2対1という絶好の状態だというのに手も足もでない。
ヨルナのほうは幾分マシとはいえミナトのほうはすでに喉で呼吸をしている。
それゆえまともな思考ではない。熱砂と熱波で限界まで精神が追い詰められつつあった。
「考えなしで勝てる相手じゃないからもっと注意しないとだめだね。さっきもいっていたように一挙手一投足に注意を払わなきゃいけないよ」
ヨルナは竹筒の水筒からくぴりと水を口に含む。
こくり、こくり。飲みこむたびに白い喉が脈を打つ。
ミナトも汗を拭いながら前髪を掻き上げて額に風を送る。
「どっちかが油断を誘うんじゃなく同時のタイミングで一斉に攻めないとダメだな。アイツ目が4つあるんじゃないかってくらいずっとオレたちを気にかけてる」
「彼女くらいの騎士なら予測が出来るだろうからね。魔物に囲まれても記憶と予想で次の行動が読めてるんだ」
2人ともが熱波に当てられながら肩を上下させていた。
いまだってフィナセスの術中にハマったがゆえの敗北である。
あれだけ距離が開いていたというのに追いつけたのは偶然ではなく罠であろう。攻撃を誘うことで反撃を画策していたのだ。
「それにしても砂浜はしんどいねぇ~……普通の大地と比べて3倍くらい疲労してるのがわかるよ」
ヨルナはうんざりとうな垂れながら手で顔に風を送る。
はじめの頃は着慣れぬ水着に乙女らしい反応をしていたが、いまはそんな空気は露ほどもない。
ひと息ついたヨルナは考え耽るミナトへじっとり目を細めた。
「それにしてもなんで僕まで水着を着なくちゃいけなかったんだい?」
協力はヨルナからの助言だった、
しかし水着を着用するよう指示したのはミナトである。
そのせいか彼女は若干の不満を覚えているらしい。
「……? 別に深い意味はないけど?」
「僕なんて生前でさえこんなふ、ふふ、不埒な恰好したことないんだからね?」
ヨルナは視線に気づくと慌ててその身を手で隠してしまう。
黒を基調としたモノクロのビキニ。決して恥ずかしがるような代物ではなく一般的な水着であろう。
そしてミナトも同様に場にそぐうよう水着を着用している。
痩せてあばらが浮く身体から一転し、ほどよく細く柔軟な筋肉で身と包む。
下にはパラダイムシフトスーツをスパッツ型に変化させたものを履いていた。
「じゃあ普段は海にでかけたりするときどんな恰好をしていたんだい?」
「う、海とかそういうところはいったことなくて工場では常に作業着だったし! べ、別に憧れとかあったわけじゃないけどこんないきなり……!」
視線も定まらず耳まで真っ赤っかだった。
どうやらひと心地ついたことで恥ずかしさが再燃してしまったらしい。
そんな痴態に熟れるヨルナをミナトはしみじみと覗き見る。
「ふむ、以外とでるとこでてるんだな……思わぬ逸材かもしれん」
「恥ずかしいからやめてってば!? じっくり見ないでよう!?」
工場で生きた男勝りな生涯が祟っているのかもしれない。
いまこうして女性らしい水着を着ることでさえ抵抗しかないのだろう。
しかしいまや彼女を少年と見間違えるものがいるはずもない。汗滴る白い肌やくびれた腰、健康的で上向きな胸部。それらすべてがヨルナという少女の魅力となっている。
「ヨルナも見た目はいいんだからもっとそういう可愛いのとか着たほうがいいと思うけどな」
意表を突かれるようヨルナは「へえっ!?」ぎょっとした。
しかしミナトは素っ気なくつづける。
「そりゃ嫌なら着なくていいけど魔力で水着を用意してたときはウキウキだったじゃないか」
「で、でも僕は君より10倍以上生きてる上に幽霊なんだよ!? そんな僕の水着姿なんてなんの価値もないって!?」
「見た目だってオレと同じくらいなんだから別に年がどうこうって話じゃないだろう」
本当に見てくれだけでいえば絶世である。
これは彼女の友であるミナトの本音でもあった。
しかしヨルナはよほど自信がないのかわたわた手を踊らせてばかりだった。
そんな男女の語らいのなかへ、ぬぅ、と背後から忍び寄る影がある。
「私抜きの青春禁止っ☆」
スパーン、と高く鋭い音が弾けた。
(区切りなし)




