249話 頼れる助っ人《Holy Girl》
森の空き地に丸太の家が場違いにもぽつんと1件ほど佇む。
かなり昔に建てられた者で外見は酸い茶褐色に風化しておりだいぶ古めかしい。
しかしよほど腕の良い職人が建設に携わっているのだろう。時を経てなおもこうして住処としての機能を失っていない。
なにより周囲の森林が風よけになっているのだ。自然に守られた丸木の家は悠久を経てなお人の暮らしを支えつづけている。
「もうちょっとで出来あがりですからおとなしく待っていてくださいね~♪」
ぐらぐら煮たつ鍋からは腹の呻く美味しい匂いが立ち昇っていた。
それ以外にもスパイスや肉の脂が木造のなかにたっぷりと充満している。
過度な運動と適度な疲労とくれば腹が減るのも生命の道理というやつ。
「ローパーの煮付け~♪ オークのホルモン~♪ ミノタウロスのビ~フシチュ~♪」
リリティアは鼻歌交じりに清掃の行き届いた台所で調味を施していく。
調理台はローカルで、未だ薪が焼べられ火を灯す。水も井戸から手でくみ上げる方式だ。とても文化的とはいえない作りとなっている。
ガスもなければ水道もない。ここは文化から切り離された誘い森。地上の孤島とはまさに。
そんななか飢えた少女たちはすでに卓へ着席済みである。
「ごはんっ!」
「おにくっ!」
笹葉の如き長耳と肉厚の鱗尾が景気良く揺らぐ。
目を蘭々に輝かせた少女たちはいまかいまかと食事の完成を待ちわびる。
良くいえば力関係がはっきりしていた。料理を制するものは一家を制すると同義なのだ。
なにより彼女の料理はそんじょそこらの高級料理店を遙かに凌ぐ。もし急かして機嫌を損ねれば一家の存続に関わりかねない。
「食べ盛りがいっぱいいるなんてひさしふりですから目一杯作らないとですねぇ♪」
いっぽうでリリティアのほうは鼻歌交じりに上機嫌だった。
料理をするのが楽しくて仕方がないといった感じ。調理台の前で小気味良くステップを踏むたびスカートと大きな三つ編みがふらふら揺らぐ。
くつくつ煮立つ鍋から気泡の弾ける音と香ばしさがあふれでる。躊躇のない肉の塊が熱した鉄板の上で脂のタップダンスを奏でる。
調理台の上で食材たちがはしゃいで歌う。彼女の手によって調理が進んでいくと、室内に豊かな香りが魔法の如く広がった。
と、そこへフィナセスが外に繋がる立て付けの悪い扉を潜って入ってくる。
「ふぅ、寝起きの運動もいいものねっ! 急に非番になったときはどう暇を潰そうかと思ってたけどちょうど良い肩慣らしになったわ!」
頬についた井戸水の水滴を首かけタオルで拭う。
運動のあとだからか肌も上気し健康的かつ健全な色気がむんと香る。
顎先から垂れた雫が豊かな胸に落ちて深い谷間へと流れ落ちていく。
顔を洗って汗を流してすっかり爽快といった様子。そうして引きずった少年をひょいと屋内の床に放る。
「………………」
ごとり、と。半死半生がうつ伏せに置かれた。
気力も体力も絞られ切って立ち上がる意思さえ削げている。
辛うじて魂は繋ぎ止めているもののいつ口からはみだすかわからない状態だった。
「どうせですからフィナ子さんも食べていってください。せっかくの休暇なのにこんな辺鄙なところまできてくださったお礼です」
「ほんとですか! 剣聖さまのお料理が食べられるなんてめちゃくちゃラッキーだわ!」
フィナセスは喜びのあまり子兎のようにぴょんと跳ねた。
普段の騎士然とした風格もいまばかりは非番。リリティアからの思いがけぬ提案を即座に受諾する。
いつもであれば抑揚ある女性らしさの大半は鎧によって堅く閉ざされていた。だが本日の彼女は赤いリボンで髪を結い、ラフな白ワンピと赤い革靴でおしゃれな町娘風に決めている。
「ふっふっふ! 誰もが1度は口にしたがる剣聖様の手料理にありつけなおかつ剣の指導もしていただける! これもすべてここで平たくなっている平石くんのおかげね!」
腰に剣さえ履いていなければかなり美しい部類だろう。
元より顔立ちの良いエーテル族。銀糸銀燭の目や髪もあって透き通るような美しさを秘める。
さらには剣の達者な聖騎士一筋で性格も明朗快活で欠点がない。鎧を脱いでしまえさえすれば街行く男が2度見するほどの美女だった。
「……誰が平石だ、誰が」
そしてようやくの再稼働だった。
ミナトはふらつく頭を抑えながら老人のように重々しく身を起こす。
乳酸に使った筋肉がだるく、関節が軋む。朝からこの調子ながらくれる頃には意識さえ失っているかもしれない。
「人のことを粘土細工みたいに放りやがって。あんな過酷な訓練ばっかりやってるから騎士連中の友だちが出来ないんだぞ」
「なによ失礼しちゃーう私にだって1人くらいお友だちいますー! 月下騎士団長のレィくんという信頼できる親友がいるんだからっ!」
「…………」
フィナセスはちょっと怒った感じでくびれに手を添え前に屈む。
ワンピースの胸元であふれそうなほどの果実が重力に従ってぷるりと震えた。
ミナトは、弾む鞠を横目に、彼女を睨みつける。
――レィガリアのほうはたぶん迷惑がってるんだよな。
「なによーその物言いがありますって視線はーっ!」
あの堅物がこの俗物と摩擦なく付き合ってるはずがない。
なによりフィナセス自身は己の意思でここにいると思いこんでいる。
だが実態は厄介払いされただけに過ぎない。
暇になったフィナセスといったら体裁は良い。しかしその裏には大きな渇望が暗躍してた。
ミナトの脳裏には、月下騎士団長レィガリア・アル・ティールの切実なる表情がまざまざと刻まれている。
『ミナト殿あの女は剣の腕のみ、それだけが非常に優秀な騎士です。なので修行に連れ添わせるというのは如何だろうか』
傷顔の渋い面構えに疲弊がモロに滲んでいた。
婦女がくらりといきかねない色男がこの家の戸を叩いたのは、およそ一昨日くらいのこと。
聖誕祭以降、エーテル国聖都に聖女たちが女王となった。騎士団長である彼は仰々しい祭りの処理やらでてんやわんやといったところ。
そんな忙しい最中を縫っての緊急来訪である。
『あれが無作為にはしゃぎまわっていると私どころか聖城全体に被害を及ぼしかねぬ。だから10日ほどで良い……城の内情が盤石に整うまでフィナセスを追放したいのだ』
眉間にシワをうんと寄せながらげんなりと肩を落としていた。
いますぐにでもトラブルメーカーを連れ去ってほしい、そんな状態。
そうでなくても女王の着任であらゆる治政が変わりつつある。国としても非常にアンバランスで立ちゆかぬ事態だろう。
そんな二転三転があっていまフィナセス・カラミ・ティールは、聖都を追放されていた。
なによりリリティアも教え手が多いに越したことはないと断るつもりもない。そのためミナトが口を挟む余地は1mmもなかった。
大盆をもったリリティアがふくふくとした笑みで卓に向かう。
「私実はお弟子とるのはじめてなんですよね。だから教える側としては超初心者なんですごく困っていたんです」
盆の上はそれだけでパーティでも開けそうなほど色鮮やか。
数10kgはあろうという料理を細腕1本で軽々と運ぶ。
そして待ちかねる少女たちの前へと肉、肉、野菜を手早く配膳していく。
「さあユエラとモチラさんのおふたりは先に食べてていいですよっ」
ふんわりとした家主からの許可がでた。
直後に「いただきますっ!」「ますっ!」怒濤の如き昼食の火蓋が切って落とされる。
激戦のそれをよそに金色の眼がフィナセスとミナトを交互に見やった。
「しかも私の場合独学で上り詰めたこともあってか私自身もまたよく理解できていないんです。なので正規な手段で騎士となったフィナ子さんから色々学ばせていただこうと思っています」
慎ましい微笑を困らせながら白い頬を掻く。
使い手としては1流であっても教え手として熟達しているかは別ということ。
すると唐突にフィナセスは銀目を零れんばかりにぎょっと剥きだしにする。
「えええええ!? まさかこんなへにゃちょろが剣聖様の1番弟子なんですか!?」
ずびっ、と。躊躇なくミナトの額に指を突きだす。
「まあ? そういうことになってしまいますかねぇ~?」
リリティアが目を逸らす。
と、フィナセスは子供みたいにむくれた。
「ぶーぶーっ! 私なんて200年以上前から弟子入りのお願いしつづけてフラれてたのにぃー!? なんでよりにもよってこんな剣すら触ったことのないへにゃちょろなんですぅー!?」
しかも現場にいる当人の感情をよそにいいたい放題である。
いわれ放題だがミナトにだっていいたいことは山ほどある。
「……こっちだって好きでへにゃちょろやってるわけじゃないっての……」
強くなりたいという思いだけは、日々増すばかり。
なのに心と体が乖離する。剣を握り豆が潰れるほど振っても一向に強くなった気がしないのだ。
当然リリティアだってその辺りが悩みの種であろう。
己もまた自他ともに認めるほど教えるのがド下手という見解である。ゆえに伝説級の武芸者とはいえ教える側に向いているというわけではないのだ。
だからこうして代理講師としてフィナセスの出番と相成っている。
「まあ色々思うところはあるけどいちおう呑みこみましょ!」
脳天気というか、考えなしというか。とにかく前向きで明るい性格だった。
ひとしきりむくれきったフィナセスの切り替えは迅速だ。
「今日からはこの美女と剣聖様で剣づくしにしてあげるから覚悟なさい! 私を差し置いて剣聖様の教えを乞うのだから弱音を吐いて逃げだすようなマネは許さないから!」
両手を腰に仁王立ちとなって腰を突きだし鼻をツンと逸らす。
どん、と。叩かれた胸が弾んだ拍子に波紋の如く波を打つ。
「だからでっかい帆船に乗ったつもりになっちゃってもいいわよ!」
「こっちは海じゃなくて宇宙船からきてるんだよなぁ……」
漠然としながらも盛大なやる気に満ちる宣言だった。
これにはミナトも圧されつつも微かな期待を籠める。
「それにアナタには聖女様を一人前の女にしてもらった貸しもあるもんね! こうなったら私も全力でアナタを一人前の男にしてあげちゃうわよ!」
「……いいかたがなぁ……しかも女じゃなくて女王なんだよぉ……」
底抜けに明るいちぐはぐな相棒の参入だった。
心強い援軍かと問われれば、暗雲ひしめく。
とにかくミナトの修行に聖騎士フィナセスが協力することと相成った。
これによって決闘に向けた試練の本格始動ならぬ本格指導が幕を開ける。
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