248話 いざ稽古開始ッ!《Sparta》
すでに日は天高く昇り朝と昼の境目辺りに位置していた。
枝葉をついばむ小鳥たちは巣を作る作業に没頭している。
愛の季節になれば雄たちはみな新居を建設する職人だった。愛を歌い羽音をたてて寄ってきたつがいと住まうためにせっせと働く。
葉を蓄えた樹は小さな動物たちにとって母と呼べる偉大な存在である。どっしりとした幹は雨風を凌ぐ大黒柱で、熟れた枝に果実を宿す。森とは多くの動物が住まう天然の宿だ。
濃緑がせせらぐ密林は今日も風と踊りながら盛況である。緩やかな安寧を葉すれで飾りながらその音に合わせて多くの動物たちが安息を得る。
「――ハァッ!!」
唐突に響いた気迫によって動物たちは慌てて穴に駆けこむ。
吹きすさぶ旋風が穏やかなブランチの余韻を破砕した。
振りかぶった銀の鉄塊は横一線に空を裂く。鉄の重さに体重とひねりを加えた一閃である。
「よっ、ほっ、へいっ」
必殺を狙った渾身の一撃だった。
なのに2の太刀、3の太刀と。それらすべてが容易に受けられてしまう。
まるではじめから斬撃の位置が見えているかのよう。巧みな剣捌きと身のこなしで躱していく。
「ほらほらもっと本気で打ちこんできなさいな。このていどの挙動で疲れちゃうのなら素振りからやり直しよ」
「くそこれでも見切られるか! だったら今度は――ッ!」
技術がない。ぎこちない。
対して相手の動きには一切の無駄がないのである。
「オオオオオオオ!!」
「ほっ、ととっ、ふむふむ?」
こちらから渾身を繰りだす。
すると女性は剣を斜めに寝かせながら受け止めていく。
受けた先からさらに剣身で攻撃を滑らせる。受けるというより彼女ほどの剣士となれば、いなす。
剣身で豪快な斬撃を滑らせながら明滅する火花が、しゃあと散った。
だからこちらの攻撃は彼女に軽い衝撃さえ与えられていない。攻撃をいなすたび銀の三つ編みがふらり、ふらり、と。揺らぐ。
「はい! そこ隙だらけ!」
「――ッ!?」
こちらの攻撃のもっともゆるくなるタイミングでのカウンターだった。
どこか不抜けた太刀筋に――当たり前だが――殺気はない。これは稽古、かかり稽古という勝敗を求めぬもの。
刃先を潰した剣が漆黒髪の後頭部目掛けて振り下ろされる。
「お?」
終幕の気配を剣戟が掻き消す。
女性もこれには驚いたとばかりに目を丸く瞬かせた。
「まだ終わってやるかよ! こっちだって意地があるんだ!」
あわや決着という場面で、食らいつく。
少年は、身体を捻ることで女性の剣を受け止めていた。
「へぇぇ~……けっこういが~い。いまの受け止められるのねぇ~」
しかしそこまで。女性は、首を横に傾けながら細腕に握った剣で薙ぐ。
すると少年が手にもっていた剣は火花を残して喪失した。
「ああッ!? しまった!?」
握りが甘くなっていたところを容赦なく、えぐる。
彼女に弾かれた剣は、少年の手を零れて空へと飛ばされてしまう。
当然武器ももたぬ者の相手なんて赤子の手をひねるようなもの。
「ボーとしてても相手は待ってくれないわよ!」
茫然としているところへ、くるり。
左足を軸に長い脚を払う。
回転する動きに合わせて清楚なワンピースの白い丈が傘のように開く。
「あ、足払い!? ヤバッ――ぐへェ!?」
虚を突かれたミナト・ティールは、受け身すらとれなかった。
バランスを崩して勢いよく横面から青草の上へダイブしてしまう。
そしてフィナセス・カラミ・ティールは、転げたミナトの背にどっかと体重を乗せる。
「ふふん、ちぇっくめ~いと♪ これで私の8戦8勝で君は8戦8ぱ~い♪」
敗者の上に腰を下ろしてふんぞり返った。
フィナセスはしたり顔で白い指を回しながら誇らしげに高い鼻を鳴らす。
完敗だった。実力に圧倒的な差がありすぎるゆえの敗北である。
技量的な差も歴然だった。なにより踏んでいる場数が違う。精神的にも明らかな不利があった。
「……このぉぉ毎回勝つたびいちいち人の上に座りやがって……」
軽い脳震盪に目が霞む。
背に柔和さが押しつけられる感触を覚えながら最悪の気分だった。
いっぽうでフィナセスは息ひとつどころか額に汗すらかいていない。
「こうして勝ち誇るのは勝者の特権よっ。もし私に座りたいのならもっと頑張ってみなさいなっ」
「別にアンタの上に座りたいわけでいってるんじゃないっての……!」
覆しようのない実力差。
それがまたミナトの怒りを加速させる要因のひとつでもあった。
憤りを滾らせても結果は白日の下に晒されている。だからここで不満を爆発させたところで負け犬の遠吠えでしかない。
剣術向上のためにミナトが掛かり、フィナセスがそれを捌く。彼女を受け手としたかかり稽古が森のなかで延々白熱していた。
「いてて。そうか注意しなくちゃいけないのは剣だけじゃないんだな……熱くなりすぎて視界が狭くなってたみたいだ」
「剣は剣のみにあらず魔物を相手する場合はあらゆる技術を用いなきゃならないわ。有名どころでいえば鎧組討術なんてものまであるくらいよ」
体格差はあまりないにしても体捌きのレベルに差があった。
しかも彼女は上位と位置づけられる万能のエーテル族なのだ。尊顔麗しく細腕であれ、人とは比べ物にならぬスペックを兼ね備えている。
これでは能力すらない人間にとって虎を相手するようなもの。
「あの……そろそろ退いてもらえると嬉しいんだけど?」
ミナトは軽い脳震盪が癒えたのを待ってフィナセスを睨みつけた。
すると彼女はにんまりとした笑みを作りながらひょいと尻を退ける。
「おっけー。ならつづきやりましょーっ」
朝からぶっ通しでの剣術指南だった。
もう幾度と脳を揺らされたかわかったものではない。
掛かり稽古とはいえミナトのほうは全力も全力なのだ。一切気を抜いていないし、本気で相手を倒すつもりで試みている。
だが剣を振れども成果は得られずじまい。繰りだす攻撃のすべてが華麗に返されてしまう。
ミナトは厚手の農夫服に引っ付いた草を払いながら再び真剣を拾い上げる。
――……剣は剣のみにあらず、か。
「どしたどしたー? いまので心までポッキリ折れちゃったー?」
「冗談! ようやく暖気が済んだところだ!」
負ける。わかっていても向かうしかない。
ミナトは肩頬を張りながらしおれかけた心に鞭を打つ。
そうやってまた奮い立ちながら戦いへと赴く。
聖誕祭で浪費した2ヶ月をとり戻さねばならない。強くならねば死が待つのみ。
「私くらいの相手なんかちょちょいと倒せなきゃ決闘になんて勝てっこないわよぉ!」
「ならマッハで追いついて倒さないとだなァ!」
そしてまた怒濤の如き打ちこみが開始された。
フィナセスのいう通りおそらくこんなものではない。
なにしろミナトの決闘相手は、ルスラウス大陸世界最強の種族、龍である。
こんなところで躓いていては未来永劫勝てるわけがないのだ。
「……ぐへぇぇ」
「はいまた私の勝ち~!」
そう、わかっているからこそ、焦る。
どれだけ躍起になっても結果が追いついてこない。黒星を重ねるばかりで実力が足りず。
今度の敗因は合気に似ていた。振りかぶったところへ背を押しつけられ、そのまま前のめりに1回転。トドメに喉元へ剣先を当てられ敢えなくの敗北だった。
――くっそなんでこんなに動けない! 筋肉だってつけてるしあの頃よりずっと身体が出来上がってるはずなのに!
なにもかもが足りていないと実感する。
地べたに這いつくばりながら身をもって不能を叩きつけられていた。
これで9戦9敗。いったい今日中に何回負けられるかという勝負になりつつある。
「そんなに美女のお尻が恋しいのねぇ。もしかして私に乗られたいからワザと負けてるのかしらん」
とうとう9回目の尻がすとん。背に乗った。
しかもフィナセスのほうはわざとらしく身をよじりながらぐいぐいと押しつける。
はじめばかりはミナトも役得を感じていた。が、9回目ともなれば屈辱の薪にしかならない。
「ワザと屈辱受けるほど性癖は歪んでない!? ってかこの負けたら座られるルールいい加減止めとけ!?」
「ならもうちょっと善戦してもらわないと飽きちゃうわよー? 剣聖様きっての頼みだから途中で投げだすことはないけどさー?」
代理師範のフィナセスが文句をいうのも無理はない、か?
疲労と屈辱もあってミナトの集中力もまちまちといった様子だった。
そんなところへ遠巻きに観戦していたもう1人が立ち上がる。
「ちょっと休憩にしましょう。いまのままつづけても同じことの繰り返しです」
彼女は温和な口調で手を叩き木陰からしずしずと歩みでた。
首から足首辺りまで隠れてしまう几帳面なドレススカートが品良く揺らぐ。
しかし淑女の佇まいとはいえ腰には剣鞘を帯びる。頭には青い蝶結びのリボンが愛らしく羽ばたく。
そんな彼女が影からでて日光を浴びると、長い金色の髪がキラキラと眩く照り輝いた。
清楚ながら貧相ではないドレスの装いの彼女こそが、ミナトの決闘相手。そして剣術師範代も兼ねる。
聖女お抱え聖騎士のフィナセスでさえ彼女を崇め奉る。彼女こそが真なる世界最強の剣士――剣聖なのだ。
白龍リリティア・F・ドゥ・ティールは、桃色の唇に指を添えながら「んん~」眉をしかめる。
「それでフィナ子さんから見てミナトさんの実力は如何です?」
「センスなし。そもそも剣の才能がないと思いますよ」
ぐさり。フィナセスの尻の下で人知れず傷つく。
言葉で刺されるのは剣で叩かれるよりもよほど痛い。
そんなショックに打ちひしがれるミナトを無視し、2人の掛け合いには悩む素振りすらなかった。
「そもそも種族的に見てもヒュームと変わらないんですよねぇ。このていど多少鍛えたところでドワーフの女性にすら腕っ節で負けちゃいますね」
「ですよね。わかってましたけど、いちおうの確認です」
ある意味でスパルタ――容赦がない。
本人が下で平らになっていても構いなし。
歯に衣着せぬとはまさにこのこと。
「2人して初手王手みたいなこというんじゃないよ!? 頑張ってるこっちの意も汲んでくれないかなぁ!?」
聞かされる側としては正直ショック以外のなにものでもない。
これはミナトは地べたに平伏し涙ながらに訴えた。
しかしフィナセスとリリティアは「だってぇ?」「ですよねぇ?」素の表情で目を瞬かせるだけ。
「デリカシィィィィィ!!!」
悲しき叫びが誘いの森に反響し、消えていく。
稽古は、中天に日が差し掛かるまで、もう少しつづいたのだった。
…… …… …… …… ……




