247話 D-day《Landing on the Planet of Death》
「1番3番ハッチより機雷投下」
一同モニターを睨みながら息を呑む。
正面の大型モニターに映しだされているのは船外映像である。
仄暗く、階段状になった大部屋には計器とモニターがずらりと並ぶ。
「予定航路にて問題なくバリア外へと流れていきます」
「アプローチまで5カウント。……5、4、3、2……」
ノアから吐きだされた機雷が等速のまま真空を流れていく。
機雷の流れる先には半透明の六角連鎖体が立ちはだかる。
星の海を漂うように白い球体は連鎖体のバリアから外へ飛びだした。
「1……弾着、いま」
オペレーターがカウントを終える。
直後。バリアにこびりつく無数の異形生物に機雷が接触した。
爆ぜる閃光によって宇宙が刹那ほど白く染まる。バリアを抜けて飛びだした機雷が異形の壁に穴を穿つ。
「起爆範囲内で敵数体の霧散を確認……! 機雷による敵個体の破壊は可能です……!」
オペレーターの淡々とした声色に僅かだが隆々とする昂揚が混ざった。
包囲に穴が開いたのは本当に一瞬だけの僅かな間だった。すぐさま別の個体によって開いた穴の部分が塞がれてしまう。
実証効果のほどは、良くも悪くもまあまあといったところか。浮かれるほどのことでもないが悲観するようなこともないといった感じ。
第8代目艦長ミスティ・ルートヴィッヒは、見届けた結論に豊かな胸をほうと撫で下ろす。
「衝撃によるバリアへの損害は?」
猛虎の如き鋭い視線が計器を睨みつける。
オペレーターの女性が手早くコンソールを叩く。
「残量フレックス量オールグリーンです。計器上でバリアーに問題は認められません」
「これ以降も現状維持を保てるようチェックを頼む。最後の要だ、フレクスバリアーが喪失すれば我々人類は途絶えてしまう」
了解。迅速に返答だった。
安堵する間もなくチーム連携を欠かすことはない。いま可能なのは出来うる限りの情報共有と各員の理解を深めることである。
実験後も予断を許さぬ状態がつづく。先ほどから司令室内に立ち籠める空気は凍てつくほど冷たい。頬の皮がヒリつくみたいに逼迫していた。
「効果は上々といったところですわね。あれだけの爆発で傷ひとつつかない化け物ならば手の施しようがありませんもの」
「炸薬の破壊力でなら撃破が可能といったところか。しっかし奴さんらは無限に湧いてきやる気かい」
「この群れるすべてを爆破して回るとしたら何日かかるかわかりませんね。まあもしやるとしても炸薬の数がまるで足りませんが」
ここはノアのなかでも頭脳を司る要所。
環境区管制塔作戦司令室。指揮系統のもっとも先端に立つ場。
詰め寄るものたちもまた相応の身分をもつ者に限られている。
「なにもない空間というのも億劫ですわね。これが水中ならばもっと衝撃も効率的に伝わるでしょうに」
そのなかでも彼女ほど華々しいものはいない。
流麗な所作で扇子を広げる。描かれた華麗なる花々の絵がはたはたと舞う。
「機雷の発破による1点突破の脱出はいちおう可能。しかしあまりに短時間ゆえに外側へ味方を送れる数はごく少数ですか」
扇子で口元を覆い隠し、悩ましげに目を細めた。
身に帯びるのは高位である白き丈長の纏い。抑揚豊かな肢体をパラダイムシフトスーツが包み、その上に丈長の羽織をまとう。
華美たる彼女の名は、鳳龍院家現当主、鳳龍院加津美である。
「そうなるとチームの厳選が作戦のキモになってきますわね。人類側から送りこめる戦力は数十と考えるべきかと」
年端も寄るというのに肌は絹のように滑らか。
それでいて大人としての上等な風格を醸しだしていた。
その隣では研究衣をまとった男が不敵に笑う。
「大気のない宇宙空間というのがあだとなっている、か。存外自由に見えて不自由が詰まってやがらぁな」
どっしりと逞しい腕を組みつつ喉を転がす。
虎龍院剛山。彼もまたこの場に立つ資格をもつ1人にあった。
風貌の通りの無頼とはいえ地質学者として頭脳明晰な面も兼ね備えている。船のなかで失ってはならぬ重要な人物の1人だ。
「それにしても亀龍院のかたはいらっしゃらないのです? 通達のほうは済んでいるはずですが?」
「あっちは兵器側の開発増産に缶詰だとよ。航空力学やらの専門は亀龍院のとこのおはこだ」
がっはっは。剛気な声が剣呑とした司令室へ響いた。
しかし加津美は気にした様子すらない。
慣れているとばかり。扇子で口元を隠しながら胡乱げに目を細める。
「御子息の訃報……痛み入りますわ」
豪快に笑う剛山を横目に、ぽつりと零す。
亀龍院、そして虎龍院。ともに跡とりである子を亡くしている。
おそらくは亀龍院家の当主がこの場に顔をださないのも、その辺りが起因しているのだ。
だが無頼の男に情は似合わぬ。剛山は横目も振らずににっかり歯を見せつける。
「訃報ったぁちっと穏やかじゃねぇな。なんせ俺は息子の死に水とってねぇ」
そしてまた野太い声が天井を叩くのだった。
めげるしょげるという言葉が最も遠い男である。
「それに船には東のやつがのってやがったはずだ。ならそうそうみすみすくたばるようなタマじゃねぇはずさ」
「……そう、ですわね」
加津美は静かに瞼を閉ざしながら口をつぐんだ。
いいたいことはあってもはばかられることも多い。御三家のうち鳳龍院家のみが犠牲を伴っていないのだから。
蒼き龍を模した船には剛山の息子が乗っていた。そして亀龍院の娘も。
船は実質行方不明という状態にある。
最後の瞬間をノアの船外カメラが捉えていた。宇宙に開いた謎の巨大な穴にブルードラグーンが呑まれる映像が残されている。
死体の回収はまず無理だろう。それどころかこちらから出向くことでさえ無茶が過ぎる。どうあっても手を打つ術はない。
「それではそろそろ次の議題に参りましょうか」
ぱん、ぱん。乾いた音が室内に2度ほど響いた。
湿った空気を入れ換える。気さくな笑みがふふと綻ぶ。
「運良く前7代目艦長の残した先端技術によって人類は存命したといえる状況です。しかも機雷や高速船などという対抗策のラインすらも用意されてたのです」
微かにだが諭すような説明口調だった。
その上で場にいる全員がわかりきったことを改めて口にする。
「私には先代である長岡晴紀自身がこの絶望的状況を想定していたとしか考えられません。この件について皆様がたはどのようにお考えでしょう」
藪畑笹音は、灯の落ちた司令室をぐるりと見渡す。
艦長秘書からの問いかけは、それこそもっとも答えにくい。それでいて意地の悪いものだった。
人類を囲う――守護するフレクスバリアーは、明らかな超過技術の集合体である。人類は宙間移民船そのものを覆いつくすほど優れた科学を知らない。
しかもさらにいえば解明のしようがないのだ。当の本人である7代目艦長長岡晴紀はすでに息を引きとってしまっていた。
「おそらく長岡は予測と対抗にマザーコンピューターを使用したんだろうな。でなきゃあのイカれが単身でこれほどのもんを作れるわけがねぇ」
剛山は広げた鼻からふん、と息を吐いた。
加津美も眉根を寄せながら勢いよく扇子を畳む。
目端を吊り上げると高圧的に拳をコンソールへ叩きつける。
「あの男が正しいとは口が裂けても仰らないでいただきたいところですわ。人を生命とさえ思わぬ残虐性と独裁制のどこに義を認められますか」
対象への憎らしさが怒りという形に顕れていた。
長岡晴紀の敷いたルールは、およそ人を家畜にまで貶めた。
しかも人権もなにもあったものではない。船員ならば誰もが彼女の怒りを当然と捉える。
いっぽう笹音のほうは怒声が響くなか顔色ひとつ変えることはなかった。
「しかし実際人類は彼の功績の上に立っているのです。その証拠に残存する人類が力を合わせることでバリア復旧が可能となっているではありませんか」
「それは、っ! ……結果的にそうなったということでしょうに」
「お言葉ですが先ほどの宙間機雷やブルードラグーン等のおよそ戦闘を鑑みた航空兵器、それらすべてが偶然で片付くものではないでしょう」
柔らかな声色だが突くところに容赦はない。
どころか青年は慇懃無礼ともとれる佇まいでニヒルな微笑を貼りつけている。
ぐうの音もでないとはまさにこのこと。彼の主張はなに1つとして間違ってない。
押し黙る加津美に見かねて剛山はやれやれと肩をすくませる。
「とはいえ死人に口なしだ。いまから納骨されたお仏様を引っ張りだして尋ねたところで答えっこねぇよ」
これ以上の論争は下らぬと、思い思いに手を払う。
「実際ノアの主導権は長岡晴紀からとり戻したばかりだ。だからアイツがどんな未来予想図を描いていたのかさえブラックボックスってわけさ」
さすがの研究者でも死を覆すことは不可能であることを意味していた。
1人の英雄によって処されたまで時を戻せるのであれば話は別だったろう。しかし死と時はともにすでに平等であるがゆえ、儚いのだ。
だがな、と。剛山は、つづけながら頭をボリボリと掻きむしる。
「長岡晴紀の敷いたルールのなかで俺らのフレックスは確実に底上げされている。その底上げがなけりゃ最初の1撃で、人類は確殺……滅んでいただろうな」
「……っ。まったく度し難いですわ……」
彼にとってもそれは受け入れ難いものだったのだろう。
加津美だって否定肯定をせず麗しき面を曇らせるのみ。
現状のバリアーを維持できているのは奇跡の所業に近い。船員の担い手から提供されるフレックスが辛うじて足りている。
長岡晴紀の敷いた圧政。それよって人類の格が上がっているのは明白な事実だった。
司令室内にずんぐり重い空気が立ち籠める。
否、もとより重苦しく息苦しい。ここ2ヶ月は毎日が困窮し逼迫していた。
「ところでなにか提案があるようだが……君は私になにを求めてここにいる?」
静観という立場からシフトする場面だった。
他の面々に仕切りを任せていたミスティがようやく重く閉ざした口を開く。
西洋の血の混じった美しいブルーの瞳がそちらを捉える。
するとそこには暗がりの室内の壁に寄りかかる青年が1人いた。
「…………」
しかもまるで威嚇でもするが如く険しい表情を固めている。
そんな彼から返ってきたのは、言葉ではない、無言。
目鼻立ちのくっきりとした端正な顔には、明らかな警戒の2文字が見てとれた。
ミスティは、オペレーターたちが怯えているのを見て、困り笑みを浮かべる
「確か名は……暁月信君だったね?」
「信でいい。敬称は必要ない」
どうやら敵対的というわけではないようだ。
というより喋る必要がなかったからずっとそうしていただけか。
意を汲んだミスティは、改めて対話可能となった彼へ問う。
「可能であれば君の話を聞かせては貰えないだろうか。現状不動の船、鳥籠の牢獄から脱し生き抜くことに上も下もないからね」
唐突に信は壁にもたれた背を起こした。
規則正し所作で長い脚を繰りだし、数多くあるコンソールのうち1つの前で立ち止まる。
「地上の反応はどうだ?」
「っ! げ、現在なおも膨大なエネルギーが増幅しています!」
頬横から尋ねられたオペレーターはたまらず肩を跳ねさせた。
コンソールを叩いた手もダン、と強引で紳士的とは思えない。
低く、それでいて凄まじい美を耳に吹きかけられてしまう。だからか瞬く間に彼女の頬は熟れ、耳先まで真っ赤に染まる。
だが信は目の前で堕ちる女性に目ひとつくれやしなかった。ただじっと艦長であるミスティを真摯に見つめている。
「俺を――アザーに送れ。星に降り立った16の瞳を倒さなければ間もなく人類は滅ぶ」
とても正気とは思えぬ発言だった。
要人含めほぼ全員が彼の言葉に耳を疑い、どよめきを放つ。
「さっきやったように機雷で穴を開けてくれさえすればそれで良い。あとは俺があの化け物を刻んでやる」
未成熟な子の我が儘を聞くのも大人の務め。
であるなら子をそっと諭すのも大人の務めであろう。
ミスティは正気ではない青年にふふと微笑を送る。
「単身君をアザーに送ってどうするというんだい? 私には君がただ無謀に死ぬ姿しか想像できないのだが?」
「俺には十分な力がある。イージスから受けとった力と俺自身が家族のために磨いた2つの力だ」
なおも信は引こうとしない。
腰に履いていた長刀を押しだす。
断固として意思を曲げることはなかった。
未熟。これには思わず吐息が深く零れてしまう。
「ハァ……」
「頼む。俺はもうこれ以上家族を失いたくはないだけなんだ」
真っ直ぐな意思表示だった。
愚直なまでに生意気で、生易しくて、現実を何も理解していない。そんな純情な瞳である。
ミスティは目の前のガキを溜まらず抱きしめたくなってしまう。
そんな母性あふれる心もちを押し留め、ついと指を振る。
「降下に成功したカメラの映像を彼に見せてやってくれ」
「……了解。1番のメインモニターに表示します」
オペレーターのひとりが手早く指を動かす。
すると正面のモニターには死の星アザーが大きく表示された。
その瞬間室内にいる多くの人物がモニターから目を逸らす。
「っ、いつみてもおぞましい姿ですわ……!」
「生物学は明るくねぇ俺だがこれだけはいえる……! とてもじゃねぇけどあれを生き物と呼ぶのは科学への冒涜だ……!」
加津美と剛山はモニターの姿を見るなり青ざめた。
映しだされたのは荒れ果てた荒野そのもの。しかしそこに映る影はあまりにも巨大かつ歪すぎる。
なんと表現すれば良いのやら。そう思えてしまうほどに異形で、憎悪を体現した姿だった。
前足が2本。ずんぐりと太い足が支柱のように大地へと刺さりながら胴を斜めに支える。
背はなだらかな坂を作る。胴は後部にいくにつれて幅が広くなっており大地に寝そべるかのよう。
そして先端の頭部と思わしき最上段部分には、赤く黒々とした瞳が16個存在していた。
それぞれが別の意思でももっているのか、ぎょろぎょろと忙しない。
化け物が映しだされると同時に人々は冷静さを欠く。ただ1人を除いて。
「敵性存在の大きさは、全長がおよそ110m、全高は約90mだ」
ミスティはしなやかに丸い腰を振りながら白裾を波立たせる。
薄手のスーツを裂かんばかりに突起する鞠の下で腕を組む。
そうして首を傾げながら信の耳元に唇を添える。
「対して君が自信満々にもつご自慢の刀はどれほどの長さかな?」
「だからといってこのままアイツを野放しにしておくというのか! 長距離射撃の防御で俺たちのフレックスがどれほど無駄になったと思う!」
「それに君を送りだす強襲艇にも限りがある。死に土産としてもっていかせるには些か過ぎたるもののようだ」
「……っ!」
むせかえるほど大人の色が香る。
当てられた信は、よろめきつつミスティから距離を離した。
そんななかミスティは逃がした鳥へ愛おしげに目を細める。
「そう焦る必要はないもう幾ばくか研鑽する余地が残されている。君も与えられた時間だけだが生きることを楽しむめばいいさ」
ノアはすでに多数の敵反応によって包囲されていた。
ここはもう不動の船のなか。朽ちるまで開かない鳥籠の牢獄。
もし外にでようものならでられるが、死ぬ。敵の気性の荒さはドローンで確認済みだった。
ドローンが射出されバリアからでた瞬間に敵は目の色を変える。あとは爪でズタズタに引き裂かれてガラクタの完成である。
異形の者たちはあまりに凶悪すぎた。さらには動くものすべてに残虐性を秘めている。
これでは人を模したダミーで実験する必要がないほど、明確だった。敵は間違いなく人間を攻撃してくるだろう。
「では勇気ある提案をしてくれた君に特別な良いコトを教えてあげよう」
「……良いこと?」
信は、不快さを全面に眉間にシワを寄せた。
ミスティはそんな彼の横に並ぶとコブだった逞しい肩に手を添える。
「マザーコンピューターから開示されたあの生物についての情報だ」
作戦のひとつに決死隊を向かわせるという案もあった。
それは死へ直行する片道切符以外のなにものでもない。
しかもアザーに到着前に皆殺しにされる危険性のほうが高いだろう。
「権限セキュリティクリアランスレベル8……圧縮型惑星間投射亜空砲……」
いずれ来たる日はもう間もなく迫っている。
しかし死に急ぐことはない。
せめて自分たちの終わりくらい自分で決める権利はあった。
「その名は、アンレジデントシックスティーンアイズ」
選択はない、あるのは流動する命運のみ。
最後と定めた日に、人類は総力戦を挑むことになる。
Landing on the Planet of Death.
死の星へ向けた降下作戦まで秒針は止まらない。
いずれ絶える、その日まで。
人類は限りある平穏がつづくことを移民船に祈りながら注ぎつづける。
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