246話 暗夜不行《Time Limit》 3
こうしてまとまって登校するのも見慣れた景色だった。
チームマテリアルとチームセイントナイツは先日のブルードラグーン消失以降櫛の歯が欠けたような状態に陥っている。
だから両チームとも集まるというより勝手に集まっているような感じなのだ。
「そういえば愛さんが白衣着てないとはなかなかレアですわね」
「確かにぃ~。いつもならパラダイムシフトスーツの上にぶかぶかの白衣姿が基本だよねぇ」
久須美が目をぱちくり瞬かせると、ウィロメナも乗じて身体を横に傾ける。
頭2つほど高い位置から陽気な歩調の愛を見下ろす。
すると彼女は上目がちに「うん?」と2人を交互に見上げた。
「今日はノアにフレックスを注ぎこむ日だから研究はおやすみするつもり。あれやると頭くらくらで研究どころじゃないからねぇ」
やれやれ、と。頭の後ろで組んでいた手を平行に寝かせる。
童顔の表情にもやや陰りがあってうんざりとした様子。
「フレックスを船に食べさせる際に血を注がなければこんな心配もいらないんだけどねぇ」
「つまり研究職のかたがたもシールド維持に加担しておられますの? てっきりワタクシたちとは別で免除を受けていると思って下りましたわ?」
「ところがどっこいそれじゃ維持するのに足りないんだよぅ……」
しな垂れる愛を横目に、久須美は清らかな輪郭に白い指を添えた。
「そうなると現状船内のフレクサー全員が10日に1度ノアにフレックスを注ぎこんでいるということですか……」
眉間にしわ寄せながら深刻そうなため息を吐く。
研究者といえば船内でもかなりの知識量と才覚が求められる。
なにより愛は小さいながらに天才と銘打たれるほどの技術者だった。
船内の私服ともいえるパラダイムシフトスーツ、標準装備のスイッチウェポン、フレクスバッテリー、等々。それらをはじめとし愛の発明は船内のあらゆる場所で生活に貢献しつづけている。
そんな若き希望まで矢面に立たされる状況。事態の困窮具合は計り知れない。
「近ごろではノアのコトを血を啜る船とか呼んでる人もいるみたいだからねぇ。いつの世もオカルトじみたたとえ話は尽きないよ」
愛はむくれながら足下のゴミを蹴りつけた。
すると蹴られたボトルはピリピリという薄めの閃光をまとわす。
そして意のままとばかりに弧を描いて遠くのゴミ箱のなかへとダイブした。
これにはウィロメナもたまらず「おぉ~」と、口をすぼめながら拍手を送る。
しかし逆に杏は目を鋭利に細めてじとりと睨みつけた。
「面倒だからってそんな意味なく能力を使うのは行儀が悪いわよ」
「はぁ~い。もう出来る限りしませぇ~ん」
「出来る限りじゃなくって見せびらかすような能力の使用は控えなさいっての」
叱咤に対して返ってきたのはなんとも気のない返答だった。
先ほどの何気ない行為だが、それこそが彼女の能力。第2世代の《雷伝》である。
能力を発動すれば脳から発される電気信号を巧みに操ることが可能となる。ボトルに磁場を構成しくずかごと引き合うようにコントロールしたのだ。
同チームである杏やウィロメナは使えぬ能力だが、愛にとっての得意技であるところ。
「とはいえ最近少々船内の清掃が疎かになっているのも事実ですわ」
久須美は足下のゴミを華麗にひょいと拾い上げた。
第2世代能力へと昇格しているものは数少ない。だから久須美は第1世代止まり。
この場にいる少女のなかで唯一能力を次世代に進められていない。
しかし久須美は杏へと、困りつつな微笑を返す。
「そこいら中にゴミが見受けられます。近ごろずいぶんとゴミが乱雑に散らばっておりますわ」
すると杏は露骨に彼女から視線を逸らした。
彼女への気回し。愛を叱った理由がどうやらがバレいるらしい。
久須美は誰よりも次世代へと進むために日々努力している。だからこそ愛の軽率な行為を咎めた。
友と競い合いながら隣で見ているからこその気づかいだった。
「まったく……掃除するほうの身にもなってほしいものね。そうでなくとも船内の自浄系統のほとんどが停止しているっていうのに……」
唇を尖らせながら誤魔化してみるも、なんとも気恥ずかしい。
そんな様子を久須美は声を抑えて眺めているのもまた居心地が悪い。
しかもおそらく心を聴いているであろうウィロメナまでニヤけているではないか。
「お掃除ロボットちゃんたちも軒並み兵器転用のために解体されちゃったからねぇ」
「アザーからの物流引き上げが滞っている現状じゃ無理もないよ。あるものでなんとかしないとだから仕方ないことではあるけどさ」
「だからといって資源はすべてリサイクルすべきよ。こんな場所で放置していい理由にはならないわ」
「船員たちから掃除をするくらいの気力さえ失われているということになりますわね」
少女たちは朽ち征く街並み眺めながら考察した。
血を吸う船、ノアの現状はゆっくりと下降しつづけている。
船員たちの顔色が悪いのも鬱屈した生活だけではない。緊張と焦燥に駆られてままならぬのだ。
現状フレクスバリアーが船を覆っている限り敵の大群が侵入してくることはない。しかし維持するためには船員たちの血とフレックスを貯蔵しなければならなかった。
日々、疲れ果てる船員たち。街並みも閑散とし、いたるところにデモに使ったであろう紙くずなどの有限な資源が散らばっている始末である。
「? あれってなにしてるんだろうね?」
ふとした様子でウィロメナは目隠れの前髪を揺らした。
タイトなスカートから伸びる長い足を止め、あちらを指さす。
どうやらアカデミーの入り口辺りでなにかが怒っているようだった。なにやら大勢が入り乱れるようにして人だかりが出来ている。
「もういやだあああああああああああああ!!! こんな生活耐えられないいいいいいいいいいい!!!」
突如として悲鳴が響き渡る。
人混みの中央から底に響くような悲痛な叫びが発されたのだ。
「集まらないでください!! 患者は非常に重症で深刻な状態ですので距離を置いてください!!」
「あ”あ”あ”あ”あ”あ"あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!」
「ッ! いますぐ彼に鎮静剤の投与を――急いで!!」
どうやら事態は急を要するらしい。
蒼をまとった白衣の少女たちが錯乱する少年へと迅速に元に集う。
そしてうち1人が彼の首へと強引にハイジェッターを押しつけ薬液を投与した。
「……もう……い、きたくない……」
効き目は抜群だった。
最新鋭かつ医療用の鎮静剤が体内を巡ると、少年はとろりと蕩けるように意識を失ったのだった。
「ストレッチャーを広げてから彼を乗せて!」
「居住地区の精神病棟へすでに連絡済みです!」
「患者はフレックスを使用していました! 昏倒から素早く目覚める可能性が高いためベルト固定は強めにお願いします!」
まさに獅子奮迅の仕事ぶり。
さらに連携も完璧で、滝が落ちるかよう。
それもそのはず。彼女たちは人命救助の達人によって構成された一団である。
チームの名は、《白衣の乙女》。船内でかつ人命が関わる場合に出動する特殊チームだった。
杏たちは天使たちの活躍を見送ってから各々に重い吐息を漏らす。
「また、ですの? 1週間以内にこれで何件目になるのでしょう?」
「なんか鎮静剤の投与までの判断が異常に速かったよね?」
「精神疾患を相手にするのにもう慣れてきたってことでしょ……というか慣れざるを得ないというべきかしら」
嫌な話、慣れていた。
集っていた雑踏もすでに散らばりつつある。珍しくもない。
もちろん杏たちだって――しかめ面ながら――もう動揺はしていない現状だった。
ああして挫けてしまう者が跡を絶たない。希望のない生活に活路が見出せず狂ってしまう。
その都度ああして白衣の天使たちが出動する。場の混乱が最小限に控えられるよう迅速に沈静化を図る。
「…………」
なぜだかウィロメナはぼんやりとしていた。
見えなくなった天使の影をずっと追ってしまっている。
「もし変な心の音が聞こえたならいますぐ忘れなさい。忘れられなかったとしても忘れるように努力すること」
杏はたまらず手を伸ばし、彼女の手を引く。
するとウィロメナは、はっと肩を揺らして握り返す。
「杏ちゃんのお手々柔らかいねぇ~。ソレに心配はいらないよ、心が喪失する直前の音を聴いただけだから」
「だったらスキンケアのたまものだわ」
混み合いの去った広場をずかずかと靴音高く横切っていく。
普段から笑っているのは楽しいからではない。友を安心させるために貼りつけているだけ。
友が、お互いが、生きて今日に出会えることだけが心の支えだった。
きっと杏以外も、そう。苦しむことから逃げるためにこうして支え合う。
Landing on the Planet of Death.
通称D-day、それは全人類の運命を現す軍事作戦用語。
D-dayのDはDoomsを意味する。つまり来るべき日は人類の終末を意味している。
来たる日までの設定猶予は、半年。
その間、着々と最終決戦に向けての武装が整いつつあった。
「せめて最後まで……」
杏は涙と奥歯を噛み締めながら前へと進む。
決して泣くものかと、足を止めものかと、決めていた。
ただこうして繋がった手の温もりが絶たれぬよう心に杭を打つ。
それこそが 彼 の願いだったから。
『人として生きつづろ!! 決して獣に成り下がるな!! 辛くてもこらえて笑ってしんどい思いをしてでも生きながらえろ!!』
もう幾度とあのときの録音を聴いたかはわからない。
しかもすでに脳内で同じ声を繰り返せるほど。忘れかけることなんてあるものか。
死に際に彼の伝えたかったことはわかりっこない。しかし最後の願いだけはどうやってでも叶える覚悟があった。
「杏ちゃん……あんまり無理しちゃダメだよ?」
「心配しないで。私は絶対に中途半端で挫けたりはしないから」
先導すると決めたから。
杏は自分を心配してくれるウィロメナの手を引いて前を行く。
ここにいるのは心にぽっかりと大穴を開けたはぐれ者たちの集いである。
もう誰かが1人でも欠けたらきっと……――ううん、そんなことは絶対にさせない。
『オレらの勝ちだ……ざまみやがれ……クソッタレ』
彼が、そう言ったのだ。
だからそう簡単にこの心を折るものか。
ノアの民たちは全員が心の片隅にあの声を耳にしいている。
ゆえにまだ失意のどん底まで荒みきっていない。
それこそが通信越しにノアの民へと残された最後の贈り物なのだ。
杏は、浮かびかけた涙を振り払うみたいに、袖で拭い去る。
「生きつづければ……私たちの勝ちなんだから……!」
光は見えず、しかし瞳の奥に蒼き闘志を宿す。
人は、人間は、未だ暗い世界を彷徨いつづけている。
死を目的に歩きつづける。来るべき日まで残り120日まで迫っていた。
同じ場所で右も左もわからないまま、喘ぎ、藻掻き、苦しむ。
最後の刻を、克明に待ち望みながら。
…… …… …… …… ……




