245話 暗夜不行《Time Limit》 2
法定速度遵守のリニアバスに乗って、しばし。見慣れたノア船内を窓から見送っていく。
緊急エコロジーモードの船内は、生きるのが少し難しい。広がるのは決して快適とはいえぬ情景ばかり。
定期的にやってくるはずのオートパイロットでさえ大半が停止している現状だ。そうなると現代ではあまり日の目を見ない有人の電気自動車などが台頭に立たされる。
居住区の状態も日に日に悪化の一途を辿っていた。水と空気の濾過が最低限生きられるていどの品質で、クリアな環境とは口が裂けても言えぬ。
そういった生存環境の悪化は人の精神状態にも被害を及ぼす。
「懲りずにまーたやってるわね。仕事が回ららず暇が多いからってやることがあれとは痛ましい限りだわ」
「体制を批判することがアイデンティティなのでしょう。このような状況で正気を保つ手段というわけですわね」
杏は、爪先立ちにつり革に捕まりながら目を細めた。
と、久須美もまったく同じ不快顔で眉をしかめる。
「……いまそのようなことをしている場合ではないでしょうに」
つり革をぎゅうと強く握りしめた。
まさに忸怩を噛み締める。下唇を怒りに震わせ噛み締める。
原因は明確で、とある交差点にはなにやら声を荒げる集団が群れているではないか。
遠巻きに眺めていると、ここぞとばかりに代表者が台に昇っていく。
周囲にはモニターが浮いており艦長退任、政府の反逆などが掲げられていた。
そして台に立った妙齢男性はシワの多い顔にわざとらしい険を寄せる。大口を開きながら聴衆たちになにかを訴えかけている。
「この間は食糧難で人類の間引きを行っているとかよくわからないデマを流布していたわ。証拠もないのによくもあれだけ自信満々に語れるものね」
杏は、群衆がビルの影に隠れても、嫌な気分だった。
口の中に酸い苦さが残るような感じ。とにかく胸くそが悪い。
良き未来を待つ若き者たちの目にあのような光景は、愚でしかなかった。
当然のように久須美とウィロメナもうんざりと辟易とした吐息で肩を落とす。
「実のところあの一団そのものが繋がりある団体という噂も耳にしますわ」
「自分たちをよく見せるより誰かを悪くいったほうが楽だもんね。蹴落として上り詰めようとする人たちに管制塔を好きにさせたくないよ」
声までは聞こえなくともなにをやっているのかはわかってしまう。
ああいう連中は得てして強くない。つまり現状の不安に怯えて怯えて仕方がないのだ。
「たぶんフレックスが使えない人たちが大多数なんでしょうね」
「現フレクサーはおよそ40歳未満に限定されていて目覚める兆候はなし。前例から考えるとなんだか可愛そうに思えてなりませんわ」
「きっとああしていないと不安に押し潰されちゃうんだよね。なにか行動に起こして動かないと不安で不安で夜も眠れなくなっちゃうから」
ウィロメナは俯きがちに「……悲しいよねぇ」と、ぽつり。呟いた。
その言葉が全員一致だったのはいうまでもない。憎んでいない、ただの哀れ。
そうしてしばし悪い感情をわだかまりながらアカデミー行きのリニアバスは揺れる。
日々に募る。ああやって噴出させるだけまだマシなのかもしれないとさえ思えてしまう。それほどに救いのない状態だった。
いまこうして人類が保てているのも、稀。1つボタンを掛け違えればあっと頷く間に崩落するだろう。
「かなり鬼気迫って迫ってるね。そしてそれは臨界といっても良いのかもしれない」
トンネルに入ると同時にぽつりと呟く音を聞く。
おそらくウィロメナの声だったと思う。車内は粘り着くような暗闇に包まれる。
普段からおっとりしている彼女からとは考えられぬほど、感情のない声だった。
「…………」
「…………」
杏と久須美は斑に流れるオレンジと闇を眺めながら押し黙るしかない。
ウィロメナは第2世代能力は、《心経》。
否応なしに他者の心を聞いてしまうのだ。そのため誰よりもナイーヴで、他者の狂気に晒される。
黒き異物はいまこうしているだけでもノアにとり憑こうとバリアに食らいついている。それを人類は架空の空を映すことで意識から遠ざけようと空想を描く。
「誰もが生きるのってとっても大変なんだよ。だから……みんな悲観して泣きそうになりながら頑張ってる……」
闇が深すぎて杏にウィロメナの顔を見ることは叶わない。
しかし声に滲む辛さからなんとなくだが理解してやることは出来る。
それ以降、会話はなかった。暗く濁る淡々とした空気のなかで、ただ安っぽいBGMを聞いていた。
そしてようやくトンネルをでると近場の停留所にバスが到着する。
スライド扉が開くと扉に近い杏から順に段差を下り、堅いアスファルトを踏む。
「ん~~っ! アカデミーまで距離があるけど普通に歩くの?」
暗い空間から脱すると格段に空気が美味しく感じた。
たまらず杏は伸びを入れて果実のような房を張り詰めさせる。
すると久須美は待ってましたといわんばかりにほくそ笑む。
「なんならアカデミーをゴールに定めたフレックスでの競争でもいたします?」
お嬢様から途端に闘争心が牙を見せる。
優雅ぶった口調であれ彼女の負けん気は本物。
となれば売られた喧嘩は皿ごと飲み干すのが流儀である。
「未だ第1世代の時代遅れが私に喧嘩を売って勝てると思うの?」
「第2世代能力をもっていても身体能力ならばワタクシのほうが僅かばかり上ですわ。なによりおチビ様では立端が足りないのでしょう」
「あ”?」「はぁ?」交差する視線の中央で火花が散った。
一触即発。いつでも溜まったエルギーを発破し得る状態でお互いにメラメラと本能を呼び覚ます。
「ちょっと鬱憤溜まってるからたまには本気でやってやろうじゃないのよ」
「それならば負けたあとお泣きにならないていどに頑張ってくださいませ」
これが俗に言う肉体言語というやつ。
2人にとってはいつものこと。当たり前の儀礼的な戯れに過ぎない。
久須美の挑戦を受け、杏もまた制服を帯びた身に蒼を立ち昇らせる。
だがこの無益な争いに巻きこまれる側はたまったものではない。
「ふえ~……私走るのあんまり得意じゃないんだけどねぇ~」
争い事を好まぬウィロメナだけは乗り気ではなかった。
しかしもう止められる段階ではなくなっている。2人に火が着いているため置いていかれかねない。
「じゃあ3、2、1でスタートよ!」
「フライングは罰金で全員にジュースを奢ることにしましょう!」
「しょうがないなぁ……第2世代能力は使用禁止だよぉ」
そうして3人は、よーいドンの姿勢になって各々能力のスイッチを入れた。
身に薄く帯ながら明瞭な蒼が揺らぐ。フレックスを発動させて身体能力の強化を図る。
と、そんな躍起になる2人と乗り気ではない1人の元へ、駆け寄る影があった。
「おぉ~い! 杏ちゃんウィロちゃんくっす~ん!」
高く幼げな舌足らず声。
これにはやる気になっていた2人ともが肩透かしを食らって姿勢を起こす。
闘志満々と帯びていた蒼を霧散させてそちらを見る。
「だぁかぁらぁくっすんいうなですわぁ!!」
存在を認めるなり久須美はすかさずツンと目端を吊り上げた。
ころころ、と。小さな影が手を振って1粒ほど、近づいてくる。
アカデミーの制服をまとった愛らしい少女だった。短な足でスカートを蹴るようにこちらに走ってきている。
「はーっ! まさかこんな場所で偶然みんなと合流できるとは思わなかったよー!」
「あら愛じゃない? どうしたのよこんな時間にアカデミーに向かうなんて珍しいわね?」
少女が辿り着くなり満開の笑みが咲く。
無邪気というか、無垢というか。年でいえばウィロメナと同年代というのにいつまでもコンパクト。
しかし跳ねるようなショートへアの小ぶりな頭のなかには、格別の明晰な頭脳を秘めている。
「いまからみんなでアカデミーにいくんだよね! 今日は僕も研究所非番にしたから一緒に行こうよ!」
なにより、彼女のほうがちんまりしているという点が美点だった。
杏はしめたとばかりに彼女を捕獲して肩を組む。
「ふっふっふ! 愛が加わったのならこれで勝負は2対2ね!」
駆けっことは別でコンプレックスのほう。
同じマテリアルのチームメンバーである美菜愛の緊急紫煙だった。
これよって大、小、大の苦境から大、中、小、大という飛躍的進歩が成される。
当然いまきたばかりの愛は知る由もない。
「え、なになになにが? 僕そんなに待ち焦がれられてたの?」
杏に肩を掴まれながら小首をきょと、と捻った。
「なんか杏ちゃんのしめしめ顔にそこはかとない悪意を感じるのは僕だけ?」
「杏ちゃんはいま乙女の部分で暴走してるから気にしなくていいと思うよ~」
「なぜマテリアルのみな様はワタクシのことをくっすんとお呼びになるんですの!? ワタクシにはれっきとして毅然とした鳳龍院久須美の名がございましてよ!?」
1名増えてさらに賑わいは加速した。
合流した麗しき少女は誰からともなく横並びになって歩き始める。
(区切りなし)




