243話 よく晴れた月の夜に《Moon Light Song》 4
いつの間にか背後に立っていたのは、東だった。
機を見計らったかの如き最悪のタイミングでの災厄到来である。
なにが最悪かといえば先ほど言い放たれたテレノアの激白だろう。
いっぽうでザナリアとハイシュフェルディン教の親子は固まったまま。
「…………」
「…………」
しかもあんぐりと口を開き、零れんばかりに瞳を剥いて、立ち尽くしていた。
そんな騒動の最中でも東は軽快にぱちぃんと指打つ。
「乙女の異常を察知しこっそり動向を窺っていたのだがまさかこれほどの騒ぎになっているとは思いもよらん!」
「堂々とこっそりとかいうんじゃない! 女の子の後をつけるなんて最悪だろうが!」
「いまや女王である聖女ちゃんがそわそわうきうきしながら外にでていってしまったんだ! 大人として気にならないはずがないだろう!」
「大人を盾にした凄まじい詭弁!? 絶対好奇心が勝っただけだな!?」
ほろ酔いながら浮かれきっている。
ミナトが食ってかかっても素知らぬ風を装っていた。
しかも目の前のスクープに興味津々といった様子さえ隠そうともしない。
対してミナトはもうなにがなんだか整理のつけようがなかった。
声荒げつつ平静を装って入るも、頭のなかは滅茶苦茶である。
「て、テレノアがオレのことを……好き?」
混濁しながらもう1度テレノアを見た。
どうせ、どうせ聞き間違いが関の山だろう。
「…………」
だが彼女はまんじりともせずに佇んでいる。
瞳を滲ませながらこちらを真っ直ぐに見つめつづけていた。
「~~ッッ!!」
今度はこちらがたまらず目を逸らす。
しかし逸らした先にはニヤニヤ面の東がいる。
「はっはァ。お前も先ほどの勇気に報いなければならんようだな」
四面楚歌の完成だった。
東、テレノア、親子。味方はどこにもいない。
ミナトは逃げだしたい気持ちがいっぱいの頭を抱えてしまう。
「そんなこと急に言われてもだなぁ……!」
とにかく唐突すぎた。予想だにしていなかった。
いまはどうかんがえてもそれどころではない。まずもって帰らねばならぬのに恋だなんだとかまけている時間は1秒としてないのだ。
しかしこのままテレノアを無視出来るほど心を失ってはいないのも、事実として存在する。
相手は友である以前に多くの民から愛される聖女なのだ。それにミナトだって彼女の良いところを沢山見てきた。
頑張り屋で、気立ても抜群に良い。尊顔だってエーテル族であるということも置いて愛らしい。
そんな女性に告白されて男として嬉しくないわけがない。
「テレノアのとこはまあ美人さんだし……嫌いというよりは好き寄りの感情くらいあるけども……」
気になって手指の隙間からもう1度確認してみる。
と、テレノアは先ほどとまったく同じ姿勢でこちらを見つめつづけていた。
「……!」
瞳を潤ませながらムッ、と口を閉ざす。
ちょっと怒ったように眉尻をあげている。それでいて両手をぎゅっと握りながら震わせる。
ミナトはその吸いこまれるような美しい瞳に囚われかけてしまう。
神経は鋭敏になって友である少女のすべてが伝わってきてしまう。テレノアがこくりと唾を飲みこむ音でさえ聞こえてきてしまいそうな状態だった。
もうここまで意識してしまうと目も見られない。頬は熱いし心音も動悸かと思うくらい高回転を開始しはじめている。
――チャチャさん助けてェ!?
たまらずこの世界にいない家族へ助けを求めてしまう。
しかし助けにきたのは愛らしく清楚でほわほわした彼女ではない。
「ちょっとお待ちになってくださいッ!」
騎士たる称号に恥じぬ正々堂々とした足運び。
勇み足で2人の間に割って入ったのは、ザナリアだった。
「ディアマイフレンド! ザナリアさぁん!」
ミナトは颯爽と登場した友の背に希望を見いだす。
「聖女様と同様の心もちです! 私もこの男を少なからず好いております!」
恥じらいながらも曲がりようのない宣言だった。
前門の虎後門の狼。もはや言い逃れる場すらない。
父であるハイシュフェルディン教でさえ娘を見る目が白くなっている。
「おおおおいこらァ!? 自分の親父が居る前でなにを口走ってくれてんだァ!?」
「そのお父様こそが私に女性らしさをお求めになったのです! ならば騎士としてではなく女として恋路の1歩を踏んだに過ぎません!」
「耳まで真っ赤にしてとんでもないことオープンにしやがったな!?」
急転直下からの殴るようなカーブだった。
なんてこった同時攻略。しかも相手はそこいらにいる女子ではない。
本日聖誕祭によって女王、そして聖女となった2名である。
しかも当事者たちテレノアとザナリアは1人を巡って衝突を開始してしまう。
「私は2度もミナト様のお手によって命を救われた上に夢まで叶えていただいたんです! これで好きにならないわけがないじゃないですか!」
「それをいうならば私だって私とお父様で各1度づつ2つの命を救っていただきました!」
とめどない。はじまってしまう。
供物すら焼べていないのに聖火よりも厳かに燃え上がる。
喧々諤々とした甲高い声が蒼く豊かな空へと次々に打ち上がっていく。
「むーっ、それズルいです! 1回は1回ですからね!」
「いーえそんなことはありません! しかもこちら側だって聖誕祭を成功させるという大任を手助けしていただきました!」
すでに2人の距離は額付き合わせるほど接近していた
テレノアとザナリアは引くに引けぬといった様子で論を被せ合う。
その2人の間にミナト如き貧弱な人間が割っては入れるはずもなく。
「お願いだから2人ともオレのために喧嘩しないで!? この言葉を真面目に使う機会がくるとは!?」
おたおたと手を踊らせながら鎮火を願うしかない。
やいのやいの。生誕を祝う夜に轟々とした大風吹き荒れる。
「ハイシュフェルディン教! アンタの娘さんを止めて下さい!」
「そういわれましても……あの子は母ともども強情でして」
「諦めないでお父さあん!?」
もはや止めようがない、と。ハイシュフェルディン教は困り顔だった。
しかし珍しいことが多い夜である。あの聖女を讃えるザナリアがあれほどテレノアに食ってかかるとは。
その上テレノアもザナリアに負けじとも劣らない。
「私なんて聖誕祭ですっっごく落ちこんでいたとき慰めてもらったんですから!」
「私だってそうです! わざわざ教団の神殿に出向いてこの身に勇気を与えてもらいましたわ!」
「なんですかそれ!? もっと詳しく聞かせてください!?」
ミナト含め誰もが頭を抱えながら諦めかけていた。
その時だった。飄々とした軽い足どりで伸びた革が草場の緑を踏み鳴らす。
東は、丈長の羽織を流しながら颯爽と丘を登る。
「天使様がたひとつお尋ねしても構わないだろうか」
丘上で物珍しそうに喧嘩を眺める天使たちを仰いだ。
「選定の天使があの凡庸な少年を選んだことがとても偶然と思えん。なにかしらの理由があったのではないか」
ミナザエルとカナギエルは目を丸く瞬かせる。
純な瞳で互いを見つめ合う。
そして2人の天使は東へ向かってこくりと縦に頷いた。
「もちろん偶然じゃないよ。彼は選定様に見初められるだけの一貫した行動をとりつづけていたんだ」
「当然偶然じゃないわ。彼が枠外の種であるということもあるけれど、選定様が理由もなく種を選定することは決してありえないことよ」
そういって天使たちはくすくすとか細い喉を喜びを奏でた。
喧嘩していた2人もさすがに天使の前で醜態を晒すことはない。
「偶然……じゃないんですか?」
「一貫した行動……ですか?」
隣り合いながら丘上を見上げた。
確かにあのタイミングは出来すぎている。まるで仕組まれていたと勘違いするくらいに絶好だった。
それだけに東が疑問をもつのも無理はない。
「つまり凡庸な少年は知らず知らずのうちに選定の天使を降臨させる条件をクリアしていたというわけだな」
凡庸。優れた点がなく、平凡で一般的。
そしてこれといって特徴のない者を指す。
まさに能力の使えぬミナトのためにあるような心を刺す言葉だった。
しかし双天使たちはそんな平凡な少年へ猫のように目を細める。
「彼はね、誰とだって平等だったのさ。聖誕祭がはじまってからずぅっとだったね」
「現聖女たち、怪魚など、供物そう。しかもワタシたち相手にだって対等だったの」
「決して彼は比べなかった。教団や聖女に偏った行動をとらず、どちらにも平等な振る舞いをしつづけていた」
「ただ救おうという理念に基づいて一貫しつづけていた」
「「だから天使は彼を認めた」」双天使たちは互いの片翼と声を重ねた。
東は振り返りながらミナトを見下ろす。
「どちらかに偏れば楽だったのに両方をとって藻掻きつづけた、か。世の天使様はずいぶんと阿呆が好きらしい」
「オレは友だちのどっちもが不幸にならない道を選んだだけだ。あと誰がアホだ誰が」
それが嫌み、ではないことはわかっていた。
どころか月影に浮かぶ彼の表情はどこか誇らしさを滲ませている。
まるでミナトのとった行動を東自身で讃えるかのような微笑だった。
テレノアとザナリアたちも天使たちに1礼をし、前へと踏みだす。
「先ほどミナト様は聖誕祭の結果に戸惑っているとうかがいました。しかしそれは神と運命の指し示した羅針盤が導いたのです」
「ただ私たちがただひとついえるのは、これが失敗ではないと断言できます」
表情は柔らかくとも瞳には固い信念が秘められていた。
ついいままで喧嘩していたとは思えないほど、清淡な笑みを浮かべている。
祝宴を唄う、みなが笑う。
本来であれば失われていたかもしれない者たちが1箇所で集う。
それこそが行動の結果だった。苦心しながらも歩むことを止めなかった1つの結末。
数多くの種族たちが悩み嘆き苦しんだ。転じてその逆もかなりの数存在している。
「……そっか、そうだよな……」
そしてようやくここがひとつの終着点だと理解する。
ミナトは固く握りしめて中天の月を仰ぐ。
開始から帰結までそのすべてが想定外の連続だった。このような結末を予想できたものが果たしていただろうか。
激闘の末得たのは、友の生存と、泡沫の如き平穏。途中妨害も入ったが、それでも大団円といえるだろう。
そうやってミナトが実感に入り浸っていると、小さな手が2つ左右から裾をちょいと摘まむ。
「キミはぜんぜん弱くなんてないよ。あの淫魔へ立ち向かえる種族がどれだけいただろう」
「アナタはとても勇敢よ。アナタがいなければきっとワタシたちはあの淫魔にやられてしまっていたかもしれないわ」
カナギエルとミナザエルは声を揃えて「ね、ミーナ!」「ね、カーナ!」と微笑みを傾けた。
仲睦まじいというより、ほぼ同一生命体であるかのよう。声の高さに多少の差異はあるが、どちらも等しく愛らしい。
「キミならきっとどれほど多くの困難でも乗り越えられるはずさ」
「その苦難の先には必ず光が見えてくるわ。そしてきっとアナタは多くの光を携える大きな大きな月となる」
本場の天使からの祝福だった。
ミナトは片膝をついて2人の明るい色をしたブロンドを手で乱す。
「こちらこそありがとう。あのサイコバスと対峙したとき2人がきてくれなかったらと思うとゾッとするよ」
すると2人はきゃあきゃあ小鈴を振るみたいに身をよじった。
日常であれば種族の手に届かぬ相手。しかしいまばかりは不敬と遮るものはいない。
人も種族も変わらず。歌う天使たちを和やかな目で見つめている。
「ところでミナトお前、2人の女王に告白されていることを忘れてはいないか」
「うっ……!」
天使をくすぐる手がピタリと止まった。
東のほうはといえば腰に手を宛てがいニヤニヤとニヤけ顔をしている。
問題はおよそ打ち上がったばかりで、未解決。かといって告白という無理難題をスルーするわけにもいくまい。
しかしミナトの答えは決まっている。
ため息ひとつを零しながら隣り合う2人のところへ歩み寄っていく。
というより考える余地はなく、選択のしようもないのだ。2人に対する答えは1つのみ。
「すぅぅ……――ごめん!!」
断腸の決断だった。
聖誕祭での勝利はあくまで入り口でしかない。
ここからが本番である。剣聖リリティアとの決闘に勝利し始めて道が開けるといっても良い。
だからこそ夢恋現なんてものに浮かれている暇はなかった。
「2人のことはだいぶ良いなとも思うし、かなり好意的な意思はもっているけど、付き合うコトとかは出来そうにない!!」
手を合わせ、腰から90度折り曲がっての謝罪。
こればかりはもうこうするほかあるまい。2人の乙女からの好意を無碍にするのだから。
すると奇妙な間が開く。
しかしミナトとて本気の謝罪だから頭を上げるわけにはいかない。
そうしてしばし展開を待っていると、テレノアがはてと首を傾げた。
「私はミナトさんのことが好きと伝えたかっただけですよ? 好きな殿方に好きと伝えるのは普通のことではないのですか?」
次いでザナリアもまたツンと唇を尖らせる。
「堅い覚悟を備えた上で貴方は帰ってしまうと豪語しているのです。ならばどうあっても引き留めようものですか。嬉しい回答なんてものを期待して思いを伝えているわけがないでしょうに」
まるで断られることが当然であるかのような口調だった。
2人の素振りはこれといって変わらず、謝罪に対して怒りを向けることもない。
ここでようやくミナトは、片目を瞑ったままで、恐る恐る顔を上げる。
「でもいま伝えなければきっと後悔してしまうと思ったのです。だからあまり重くお考えにならないで下さいっ」
「聖誕祭が終わってしまったとなればもう容易に対面することも叶いませんから……つまり話半分に受け止めてくださればそれで十分ということです」
1発くらい殴られる覚悟はあった。
しかし映るのは、なにもかわらぬ少女たちだった。
「ククッ、どうやら聖女たちのほうが恋愛に関して1歩上をいくようだ。しかしこれならお前からの回答も伝えやすかろう」
ミナトは東の気楽さに腹を立てながら「あ”~……」頭を掻きむしる。
そして友であるテレノアとザナリアを真っ直ぐに見つめ返す。
「オレも2人のことが好きだよ。いまのところは友だちとして」
「はいっ! これからも是非によろしくお願いいたしますっ!」
「そ、それとお忙しいとは思いますが……た、たまにお顔を拝見してさしあげますわ!」
波乱に満ちた聖誕祭。
勝者0、敗者0、1引き分け。
これによって新たなる聖都の主となったのは、聖女テレノアと聖女ザナリアの2名である。
死を伴う死闘を制したものは、いない。神の奇跡によって捻じ曲げられた道理は人の手によって歪に修正された。
不完全な祭り。しかし新の終わりは真をも超越する。
ゆえに対立していた派閥は華やかなる笑みをもって幕を閉じた。
どちらが正解かだったのかは、誰にもわからない。
「ところでザナリア様も聖女になったことですしいつになったら敬語をやめてくださるのです? あと様付けも止めてほしいなーなんて思ってるんですけど?」
「せ、い――テレノア様だって私に敬語を使われているではありませんか! なぜ私だけが変えねばならないのです!」
「えー? ミナト様には敬語じゃないのに私はダメなんて悲しいですよー?」
「それはそれ! これはこれです!」
それでも良しとする。
こうして肩を並べて笑い合う。
彼女たちの幸せな姿を見て失敗というものはいないだろう。
…… …… ……
夜に浮かぶ陣へと天使たちが帰っていくのを見守った。
すでに蒼き夜は過ぎ朱の入り交じる更けの世へと世界は変貌している。
そんななか。ようやく孤独を手に入れた少年が1人、佇んでいた。
「…………」
漆黒の瞳に星々を映し空を見上げていた。
奥に揺れるのは心の錆。淫魔によって植え付けられた恐怖を秘める。
あのときは天使たちの危機もあってなんとか身体が動いてくれた。しかしいまは違う。
――……ノアの魔女。
この身は弱く、なにかをわかろうとすることでさえ難しい。
だが、わかることだけは止めたくない。
ようやくだった。ようやく手がかかるという寸前のところまできている。
だが、ミナトは此度の聖誕祭でいらぬものを得てしまっていた。
「……いまのオレじゃ……届かない。確実に決闘は負ける……」
この身は狂おしいまでの凡夫でしかない。
求めども得られぬ。手にしたものを掴むことさえ叶わぬ。
いままでであれば誰かが手を引いてくれた。しかしここからは己の身で切り開かねばならない。
ゆえにビヒラカルテとの戦闘で感じた死が脳にこびりついて離れない。
「どうして」
紫煙の光が絶望に落ちた背を照らす。
与えられなかった人間は、羨むしかない。嫉妬にまみれながら与えられぬコトを恨みつづける。
残す日数はおよそ135日ほど。
もう幾日と月と日が巡れば苛烈なる決闘が開催される。
それは人が変わるには残酷なまでに時が足りていないことを意味している。
「どうして……なんでオレには誰かを救えるだけの力がないんだ……!」
神が少年の問いに救いを与えることはなかった。
ただ夜は更けていく。
少年の灯火を食いかじりながら秒針は刻一刻と進みつづける。




