242話 よく晴れた月の夜に《Moon Light Song》 3
猛速で弾かれたおかげでザナリアとミナトは散り散りとなってしまう。
代わりにすんでの所でミナトはテレノアのキャッチに成功している。
「いたたた……今日は厄日かよ」
「きゅぅぅ~……」
咄嗟だったが思わず手が伸びた。
抱き留められたテレノアはミナトの胸板の上でくったりと目を回している。
どうやら彼女を抱き留めることでクッションになることには成功したらしい。
「まったくこんな神聖な夜に強襲とはご勘弁願いたいですね」
ザナリアもさすがは騎士といったところ。
地上に落ちて転ぶ直前に体を捻って器用に受け身をとっていた。
あわや大怪我と思われた衝突事故だったが全員外傷のようなものはなく済んでいた。
ザナリアは立ち上がってミナトに手を差し伸べる。
「ところで……貴方よくあのタイミングで聖女様を受け止めるという判断が出来ましたね。私でさえ受け身をとるのが手一杯だったのですが……」
ミナトはテレノアが落ちぬよう気をつけながら握り返す。
「ザナリアより早くに気づいていたし咄嗟だったからさ。あとこちとらリリティアの木刀に打たれ慣れてるしね」
「なるほど、確かに剣聖様から打ちこまれているのであればあれくらいは反射的に可能ですか」
力を借りて上体を起こすと背にヒヤリと冷が滲んだ。
濡れた夜露も相まってタキシードの背やらには芝がこびりついてしまっている。
良く見ずとも汚れまみれ。これで会場に戻ったなら一笑されて煙がられてしまうかもしれない。
ミナトがそんな杞憂を脳に巡らせていると、もぞもぞ。華奢な肩を抱かれたテレノアがようやく目を覚ます。
「おはようさん。これ寝起きドッキリっていうのかね」
「へぇぁ~……?」
ぽんやり。まだ虚ろ。
夢現を彷徨うみたいに頭を左右に振る。
しかしそこからの覚醒は早い。
「み、みみ、ミナト様ッ!!?」
ボッ、と。一瞬のうちに彼女の顔色が紅に変化した。
ミナトにも手に華奢な身体が縮こまるのがわかった。
「み、みみ、みみみ!? な、なぜこのような……――すごいことにッ!?」
「そりゃテレノアが突っこんできたからでしょうよ。オレが捕まえなかったらもう5mは吹っ飛んでたんじゃないかな」
テレノアは僅かに滲んだ銀燭の目をこれでもかと見開いていた。
それでいていつまでも動こうとはしない。ミナトの胸のなかで全身の筋肉を硬直させ、時を止めている。
ミナトとしては別にこのままでも役得だから構わないのだが、そう遊んでもいられまい。
「聖女様お戯れが過ぎますわ! 国主となったのですからもっと慎んだ行動をお心掛けください!」
ザナリアの叱咤が落雷の如く轟いた。
そこでようやくテレノアはハッ、と我に返る。
「ご、ごごご、ごめんなさい!!」
即座に現状を把握し、弾かれるようにしてミナトから離れたのだった。
ザナリアは神経質そうな眉を寄せながら重めに吐息を吐く。
「まったく……直接的な被害は被ってないので構いませんがいったいなにをそんなに慌てておられたのです?」
「いやオレの姿見てよく被害者ゼロって宣言できたね? どうみても被害被ってる人間がここに約1名にいるはずなんだけど? まさかザナリア視点からだとオレって見えてない? 存在してない?」
ミナトがのっそり立ち上がりながら抗議した。
背だけではなく体中が水滴と草まみれ。摩擦によって潰れた草の汁が黒のタキシードに馴染んでしまっている。
しかしザナリアは全身ボロボロの友に一瞥としてくれることはなかった。
「貴方主役の祝勝会が開かれていますのになぜ主賓がこんな中庭にいるのです」
「えとっ、その……会場にミナト様のお姿が見当たらなくて気づいたら慌てて駆けだしていました……」
テレノアは伏し目がちにしょんぼりと頭を垂らす。
白い肩をすくませながら本当に申し訳なさそうにする。
するとザナリアはふんすと高い鼻を吹く。それから零れそうな房の下で腕を組む。
「ほうら私が先ほど仰った通りじゃありませんか。聖女様が貴方をお嫌いになるわけがないんです」
すん、と澄ましながらミナトを横目がちに睨んだ。
白い手でドレスに貼りついた草を払う。払い終えると少し誇らしげに背を反らしてツンとした胸を押しだす。
「嫌い、ですか? 誰が誰を?」
「聖女様が、そこにいる朴念仁を、です」
テレノアはおろおろと狼狽えるばかり。
状況が読めていないのか心ここにあらずといった様子。
「えっ? 私が……ミナト様を? どうしてです?」
「そんなこと私はまったく存じあげておりません。ただその朴念仁は聖誕祭の結果を聖女様に押しつけてしまったかもしれないと思い詰めているというだけですわ」
ザナリアが声色へ嫌みをたっぷりに含めて言い切る。
一瞬の静寂が訪れた、直後だった。
テレノアはドレススカートの布地を凄まじい速さで翻す。
そして明らかな怒りの滲んだ銀の瞳がミナトを思い切り睨みつける。
「私が貴方様を嫌いになるわけないじゃないですかッ!!?」
雷撃の如し噴出だった。
剣呑な怒気が鼓膜どころか身体まで打つ。
もはやそれは悲鳴と呼ぶほうが早いだろう。
静かな夜に似つかわしくない喧々とした音色が夜に響き渡る。行き場を失った叫びは闇を彷徨いながら星々の踊る空へと消えてしまう。
これには叱られた側も魂を抜かれたかのように茫然と佇むしかない。
「え、と……」
ミナトは彼女がこれほど怒る姿を知らない。
悲観に泣いた姿も絶望に怯えた姿もすべて見てきたと思っていた。だがいま目の前にいるテレノアの姿は1度として見たことがない。
彼女は眉を吊り上げ瞳を滲ませ肩を上下させながら呼吸さえ震えていた。
それは激昂、激怒する姿だった。おそらく物腰柔らかな彼女にとって似つかわしくない、らしくない。
ミナトが棒立ちしている間にもテレノアは詰め寄っていく。
「私とザナリア様がここにこうしていられるのだって貴方様がいたからなのです!! 人間さんたちのご活躍あってこその偉大な栄冠なんです!!」
「わ、わかったオレが嫌われてないってのはわかったから! なんでそんなに怒ってるんだよ!」
ミナトはたじろぎながらもどうどう、と制しにかかる。
しかしテレノアによる怒りのボルテージが段階的に上がっていく。
怒りに尖る目は涙がなみなみと注がれる。さらには顔中怒りで真っ赤になってしまっていた。
「そんなこといわれて怒るに決まってるじゃないですか!! 最初から最後までずっと私に寄り添ってくださったかたをどうして嫌いになるなんて思うのです!! 私の姿は膨大なご恩を無碍に出来るほど薄情者にお見えですか!!」
劣勢。しかもミナトの敵はテレノアだけではなかった。
ザナリアもあちら側についてむっつり口で援護に回る。
「私も聖女様とまったくの同意見です。成した功績を卑屈に受けとろうとしない貴方が圧倒的に恥ずべきだと思います」
髪を指で掬いながら高飛車に払う。
熱がかんかんに籠められたテレノアとは別で彼女のものは冷徹。顎をくい、とあげながらSっ気たっぷりに見下しにかかる。
1対2。これにはミナトもたじたじになって後退するしかなくなってしまう。
「ザナリアまで食ってかかってくるんじゃないって……。なんで2人してそんなムキになるんだよ」
「べ、別にそれほどムキになっているわけではありません! とにかく聖女様だって教団を代表する私だってミナトを嫌う理由がないと伝えているだけです!」
「じゃあなんでさっきテレノアはオレから目を逸らしたんだよ? 久しぶりに会ったからってあの対応は冷たすぎるだぞ?」
勘違いの原因となったのはこちらではない、あちら側。
テレノアがやけによそよそしいことが起因の原点である。
ミナトとザナリアはほぼ同時だった。ふんすこ頭から湯気だたせながら激昂するテレノアのほうを見る。
しかしそちらでは大火にまで成長したムキという炎が未だおさまりがつかずにいる。
「だってしょうがないじゃないですか!!!」
これほど声荒げる聖女の姿を民が見たらどう思うのだろうか。
戦争か、はたまた侵略か。どうあっても碌なことにはならない。
だが、もっと碌なことへならぬ事態へと発展するとは誰も予想だにしなかったのだ。
「私は平時に正常な感情でいられないくらい、ミナト様と目が合わせられないくらい大好きになってしまったのですから!!!」
恥ずかしげもなく怒濤の怒りとともに吐かれた宣言が幾重にも木霊する。
そして夜の一角の時がすでに止まっていた。
決して比喩というわけでもなければ、実際に止まったというわけでもない。
この場にいる天使や教祖、聖女、人、騎士。それらすべてが佇んだまま剛直し、時を止めたのだ。
そうでなくても波瀾万丈。なのにさらなる厄介者が現れたとなればもう大問題である。
「はっはァ! 慌ててでていった聖女ちゃんをこっそりつけてみればパーティーより面白いことになっているじゃないか!」
(区切りなし)
最後までお読みくださりありがとうございました!!!!!
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