241話 よく晴れた月の夜に《Moon Light Song》 2
この世界の夜は2色存在する。
どこまでも透き通るような美しい蒼が1つ目。
不安を覚える民の夜を仄明かりが優しく包む色。
もう1色は、血の如くおどろおどろしい朱の混ざったバイオレット。
勇壮な蒼に朱が溶けこむことで夜闇は顔を変貌させる。
日が落ちて蒼き月が空へと昇る。するとそれを追いかけるようにして朱色の月が姿を現す。はじまりの蒼に夜は栄え、それから朱が昇ると暮れの如き紫と化す。
今宵はちょうど蒼き月が地平の彼方より頭をだしている。大陸の闇が蒼き夜へと変わる頃合いとなっていた。
「あはははっ! この世界はなんて美しいんだろうね、ミーナっ!」
「うふふふっ! 種族たちも愛おしいし世界のすべてがこーんなにキレイよ、カーナ!」
天使が夜を舞台に舞い踊る。
くるり、くるり。素足で青草を踏みながらステップを踏んで身と翼を回す。
なにがそれほど楽しいのだろうか。否、きっとすべてが楽しいのだ。
神聖な夜に鈴を振るような無邪気な声が響き渡っていた。
「これがルスラウス様の創造した愛すべき新世界だ! これこそがボクたちの望む理想郷だ!」
「それなのに今日でもうお別れだなんてとっても悲しいわ! 吹き抜ける風も澄み渡る海も豊かな森林もすべて届かない夢となってしまうのね!」
カナギエルとミナザエルは無垢な笑みで舞いつづける。
向かい合い、小さな手をしっかと繋ぐ。そうやって軸を後退しながらなだらかな丘の上で月明かりのダンスステージを踏む。
天には月光があふれ星々が瞬く。夜に天使たちが舞い踊る姿は、幻想的だった。
「ハァ!!? 聖女様から避けられているですって!!?」
こちらは裏を返すが如く現実的である。
ドレスをまとったザナリアは腰に手を宛てがい額に青筋を立てた。
「そんなわけないでしょうに!! あれほどのことを成し遂げてなに腑抜けたことをおっしゃっておられるのですか!!」
「い、いやでも……なんかあからさまに視線逸らされちゃったし……」
「お黙りなさい!!」指を揉む隙さえ与えてはくれない。
もはや愚痴を漏らすことさえ彼女の逆鱗に触れてしまうらしい。
「此度の聖誕祭ほど種の財をなす功業はありません! それをなんですかうじうじと! やってのけたみずからで否定するおつもりですの!」
「……そ、そういえやザナリアって感情的になるとお嬢様口調になるよね……」
「お話を逸らさないでください! 此度の聖誕祭を貶すというのであればいくら我が友といえど不敬と捉えます!」
ファンシーな天使たちの舞う中庭に別の怒張が憤慨した。
ミナトは少しでも慰めてもらおうとでくわした友に弱音を吐いただけである。
なのにそれがザナリアをいたく嘆かせてしまっていた。
「ザナリアおよし。彼は城に招かれたお客人なのだよ」
「ですがお父様!? このねちゃねちゃと軟度の高い軟弱スラッグは叩き直すべきです!?」
「お友だちをそう悪くいってあげてはいけない。ソレに彼は私の恩人なのだからね」
ハイシュフェルディン教に諭されてようやくだった。
ザナリアはむっつり唇を尖らせながら怒りに蓋をする。
しかし溜飲を下げるに至っていない。彼女は頑なに落ちこむミナトを睨みつづけていた。
娘に対してこちらは融和そのもの。ハイシュフェルディン教は片側のローブ裾を優雅に摘まんで一礼をする。
「申し訳ありませんミナト様。どうにも聖女様のこととなるとうちの娘は歯止めが効かなくなってしまうようで」
「ああ別に気にしなくても構いませんよ。オレも慣れてますしだいたいザナリアってこんな感じの子なんで」
「ソレは貴方がいつも珍妙奇天烈な行動をとるからです! 私だって怒りたくて怒っているわけではありません!」
静けさを求めてふらりときてみれば、騒がしい夜もあったものだ。
曰く、天界へ帰る天使たちを見送るためにこの場に集っていたのだとか。
そこへたまたま猛省中の凹んだアルミ缶のようなミナトが現れてしまった。
奇妙な偶然もあったものだ。ミナトは丘上で踊る天使を見上げる。
「もし邪魔になるなら別の場所に行きますけど?」
「おそらくこれも神のお導きでしょう。偶然といえど起こったのであればそれは必然のはずです」
隣でハイシュフェルディン教も月を仰ぎながら優美な横顔をふふと綻ばす。
ビヒラカルテに憑かれていたときとはまるで別人である。
ミナトが以前まで彼に感じていた胡散臭さは、まるでない。どころかそのまま聖人君子を地でいくような柔和な人柄をしている。これが淫魔に操られていないいまが彼の本来の姿なのだろう。
「きっと友である御方との再会を天使様たちご自身が望んだのでしょう」
「そういうもんなんですかねぇ?」
ハイシュフェルディン教は胸に手を添えながらそっと浅く一礼した。
それほど切に頼まれてしまったのであれば、仕方がない。
――というよりいまさら会場に帰るのも気が引けるか。
「それならお言葉に甘えさせてもらいます。どうせ会場でも肩身狭く油売ってただけですからね」
「……祝福の場で油売っているというのはどういうことなのですか」
ミナトは、小言を聞き流し、居座ることに決めた。
いまのところあちらよりこちらのほうが居心地は良い。絢爛豪華な会場より羽織るような柔らかい夜が心安らぐ。
なにより着目すべきは騎士姿ではないザナリアの恰好にある。
ミナトは「ほぉ~う?」と、目を細めながら検分を開始した。
「鎧よりもずいぶんと華やかなドレスが映えますなぁ」
わざとらしく顎をしゃくりながら矯めつ眇めつ確かめていく。
彼女のまとうのは鋼鉄ではない。大人びた印象の強い品のある鮮やかな紫陽花色のドレスである。
銀の長髪を細目のリボンで1本に束ね腰の辺りまで垂らす。ざっくりと入ったスリットから覗く太ももも白く美しい。
なるほどどうしてそこいらの女性より花も恥じらう女性をしているではないか。騎士姿の頃よりよほど見目良く清楚である。
これにはミナトも友を代表して――という言い訳で――芳醇な胸元を覗きながら縦に頷かざるを得ない。
「な、なんです? その奇異なものでも見るような目つきは……」
「いやいや逸材だとは思ってたけどここまで思いもよりませんなぁ」
ニヤけ顔を前にザナリアはたまらず両手で身を隠してしまう。
慣れぬ召し物に彼女自身も戸惑っているのだろう。イヤらしい視線を伏し目がちにひと睨みするも、迫力は皆無だった。
「私も少しは女性として生きるよう努力中なのです! これからは騎士としてだけでなくきちんと女性としての作法も学ばねばなりませんので!」
ぷいっ、と。むくれてそっぽ向く姿も眼福。
もとより美しいエーテル族であるが、普段男勝りな分ちょうど良いスパイスとなっている。
彼女は父の願いを尊重しているのだ。聖誕祭の一件が起因していることはミナトの目から見ても明白だった。
ハイシュフェルディン教の願いは、娘が普通の少女であって幸せになってほしいというもの。聖誕祭で彼はザナリアにそう伝えている。
だからこそこうしてザナリアも娘として女性を学ぼうと躍起になっているのだ。父の隣でもう1度歩みだすために。
ミナトは、友の晴れ着姿を微笑ましく思いながら、問う。
「もう道に迷わないで済みそうですか?」
問われたハイシュフェルディン教は一瞬ハッと目を見開いた。
それから笑みを引き締め瞼を閉ざす。
「はい」
その身へ染み入らせる重き誓い。
手を胸に添えながら己に言い聞かせるかのよう。
それでいて堂々とした、肯定だった。
「近々妻の墓参りを終えたなら禊ぎを済ませるつもりです。やはりあのような事態を招いてしまったのですから教祖の立場からは1度退かせていただかねば信徒に顔向けが出来ません」
「敵に操られていたことは聖都中に知れ渡っているんですからもっと気楽に生きればいいじゃないですか」
ミナトだって軽口をいいながらも、わかっている。
誰かが彼を許すのではない、彼自身が己を許せぬのだ。
病で死した妻に縋り、信仰へと逃げ、娘から目を背きつづけた。そんな自分との決別を図っていくつもりなのだろう。
「そして私はいち教徒としてルスラウス教へ遣えるつもりです。最後まで禊ぎを済ませ心の迷いをすべて振り解いてからまた神のお膝元へと参りましょう」
迷いのない口調と凜々しい表情だった。
今回の聖誕祭でもっとも変わったのはきっと彼なのだろう。
ザナリアも誓い立てる父の隣へ颯爽と並ぶ。
「その道には私もご一緒いたします! これからは娘として聖女として1国の王としてお父様と寄り添いつづけるつもりですわ!」
「ザナリア……苦労をかけてすまない、ありがとう」
「苦労などありませんし親子なのですからいくらでもおかけになってくださいませ! 娘としては不肖なれど騎士の精神で如何な障害も打ち砕いて見せます!」
2人並んでみると、どうしようもなく親子だった。
優美なる種の血筋でありながらくっきりとした目鼻立ちもよく似ている。
その上キレのある目つきながら奥には融和を意味する優しい光が灯っている。
ふとミナトは忘れかけていたことを思いだして首を捻った。
「そういえばザナリアも聖女になっちゃったんだっけ?」
「言うに事欠いてなっちゃったとはなんですか!? 貴方があんな滅茶苦茶な条件を足したのでしょう!? 私ははじめから聖女になるつもりなんて微塵もなかったんですからね!?」
選定の天使が選んだのは、2人である。
元より聖女であるテレノアと、教団騎士のザナリア。
そうなると彼女はミナトの願いの犠牲者だった。
彼女もまた聖女ザナリアになってしまったということになる。
「騎士を志していたはずなのになにをどうすれば女王になれということへ飛躍するのですか!?」
「そ、それは……っ! チョコについてくるおまけのオモチャみたいなものだな!」
「どうやら国の統治を舐め腐っておられるようですね!? 巫山戯るのも大概にしなければその口を上下で縫い合わせますわよ!?」
ザナリアによってタキシードの襟元を引っ掴まれてしまう。
エーテル族の豪腕にかかれば人の力なんて微々たるもの。
普段剣を握っている筋力も相まってミナトの頭が首振り人形の如くガクガクと揺すられる。
「本来であれば由緒だたしき教団騎士として名を馳せるはずでしたの!! それがなにをどう間違えれば女王に行き着くというのですか!!」
とはいえ唐突に女王になれといわれて思うところは多いはず。
ザナリアは夢にも見ていなかったであろう大躍進を遂げてしまったのだ。
だからこそこの怒りは当てつけでなく、真っ当。なんの相談もなしに重責を押しつけた罪と罰。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、死ぬ!? それ以上強くされたらたぶんさっき食べた中身がぜんぶリバースされる可能性が――ッ!?」
「しかも大陸の民のなかでもっとも神の膝元に近いといわれる聖女にまでなってしまったんですからね!? いったいこれから先どう責任をとってくださるというのですか!?」
ぐわん、ぐわん。怒濤の如く揺すられるたび世界が転回した。
しかもザナリアは気づいていない。ミナトの視界が彼女の豊かな胸部を映していったりきたりと凄いことになっている。
すでに軽めの脳震盪だった。遠景がぼやけ、景色が朱色に染まっていく。かなりグロッキーな状態に変貌しつつあった。
と、ミナトのピンチに人ならざる身体能力で滑りこむ影がひとつほど存在する。
「――ミナト様ッ!!?」
まさに疾走だった。
現れたテレノアは血相を変えて現れる。
疾風怒濤の勢いを止めんとばかりにヒールの踵で土を掘り抜く。
「あっ」
当然そんな不安定な靴で全力疾走なんてしようものなら誰にだって予測はつく。
蹴躓いたテレノアは勢いそのままにザナリアとミナトのほうへと飛ぶこんでしまう。
「……へっ?」
ようやくザナリアも気づく。
だが遅い。すでに涙目のテレノアロケットは目と鼻の先にまで迫っている。
「ごめ”ん”な”ざーーーい”!!?」
「きゃあああああああ!!?」
横から追突するようにテレノアが直撃した。
ザナリアでさえもその唐突さと勢いに耐えきれず姿勢を崩す。
そして両者はひとまとめにもんどりを打ちながら――ミナトごと――草の上をブザマに転げ回った。
(区切りなし)




