240話 よく晴れた月の夜に《Moon Light Song》
どうやらすべてのテーブルを巡って挨拶回りを終えた後らしい。
騎士であっても民は民。国主なれど彼女らしい緻密な気配りといえる。
なにより聖誕祭を勝利するという彼女の夢が叶ったのだ。表情は憑きものでも落ちたかと思うほどに晴れやかなもの。
駆け寄ってくるヒールの歩調も軽やか。淡いパステルカラーをしたドレスの裾も小気味良く踊る。
そうしてこちらにやってくると、テレノアは足を止めてぽんと頬横に手を打つ。
「ご用意させていただいた正装のほうは如何でしょう? サイズなど窮屈ではありませんか?」
燕尾とドレスをまとうメンバーたちに視線を配った。
実のところこれらすべて彼女が懇意にしている服飾屋から買いとった品なのだとか。急遽行われる晩餐会での召し物を突貫で用意してくれていた。
当然煌びやかかつ祝いの場なのだからこちらとて普段の身なりでは不釣り合い。そういうこともあっていまの服装に落ち着いている。
「サイズはぴったりで着心地もなかなかだよっ」
「それはなによりです! もしお気に召したのであれば持ち帰っていただいても構いませんからね!」
感想を聞いてぱあ、と。花が綻ぶような笑みが咲く。
元より城暮らしということもあってかテレノアの着こなしは完璧だった。
ウェーブがかった銀の頭には宝飾美しいティアラがちょんと乗っている。肩出しのパステルドレスもまた優美さと微かな色気が香って目覚ましい。
それに対してこちらはどうにも有耶無耶。夢矢はそぞろに自分の身なりを再確認していく。
「でもまあちょっとキメキメ過ぎて着られちゃってる感は否めないよねぇ。僕らの世界だとほぼ化学繊維だしこんな自然な羊毛スーツなんて高くて買えないし」
振り向いて丈を見たり、袖を伸ばしたり、タイを掴んだり。
とにかく落ち着かない様子。
ジュンなんてすでにタイを外してタオルよろしく首に引っかけている。
「こういう恰好も大人っぽくて悪かねぇんだが堅苦しいっちゃあ堅苦しいわな」
シャツの第1ボタンを外し襟を掴んで風を送った。
気だるげにパンパンに筋肉の詰まった肩を回すだけでスーツが窮屈そうに張る。
「でも煌びやかなお城でジェントルとレディー共演! こういうお姫様っぽい恰好はやっぱり憧れちゃいますなぁ!」
「これはかなり良い経験になってる。社交界の場は情報が飛び交うため影にとっての必須事項」
女性陣からはおおよそ好印象といったところ。
「布地が少なぁい……着るのも脱ぐのも面倒くさぁい~」
ただし珠だけは眠たそうに不満たらたら。
くびれた腰からくの字にへし曲がってうな垂れていた。
「昼間あれだけ仕事したんだから私だけ船で寝てても良かったじゃ~ん……。っていうか最近ちゃんと眠れてないんだからねぇ~」
ぶぅ~ぶぅ~。唇を尖らせながら駄々っ子のようになって抗議する。
無理矢理連れてこられたこともあってか少々ふてくされ気味だった。
そこへセイントナイツ兼昔馴染みの夢矢が颯爽と止めに入る。
「でも明日以降はそれほど忙しくならないはずだし、珠ちゃんもようやくゆっくり休めると思うよ」
「ほんとにぃ~? なんだかんだいってまたこき使われたりしない~?」
「珠ちゃんあんなに沢山の宝石を集めて頑張ったんだから東だって無茶はいわないはずさ。なにより明日以降は修理するだけだから今日ほど大変じゃないはずだよ」
名家御三家の付き合いもあってか扱いに長けていた。
文句たらたらだった珠も言いくるめられるようにして「むぅ~……」と、抗議を止める。
「ほらほらそれより美味しいものを食べて英気を養わなきゃだよ!」
「盛り付けるの面倒くさいから夢矢がやってぇ~。あとタマネギ嫌いだからねぇ~」
「はいはいわかってるって。あっちに珠ちゃんの好きなお魚焼いたヤツあるから移動しようね」
と、夢矢は珠の背を押してどこかへいっていまう。
傍から見れば昔馴染みというより介護兼給仕といった感じ。
まったりとした珠に夢矢があくせく付き添う様は、控え目に見ても仲睦まじい。
やはりああやって仲の良い姿を見ると元来セイントナイツのチームメンバーとして信頼が置ける相手なのだろう。
――そういえば信のヤツはノアのみんなと仲良くやれてるのかね。
馳せるも世界違える。
ミナトはイヤに整った仏頂面を思い浮かべた。
特別な友へ特別な思いがあって然るべきであろう。なにしろ暁月信は家族であり、親友である。
チャチャ、ディゲル、そして信。ノアの安否はわからずとも巡るのはいつも家族のことばかり。
「ん、視線?」
ふと懐かしい顔を思い浮かべていると、誰かに見られている気がした。
何気なくそちらを見ればテレノアがぽんやりと立っているではないか。
「……っ!」
目と目が合う。
と、同時に逸らされてしまった。
「はて? オレなんか嫌われるようなことしたかね?」
ミナトはえらくよそよそしい態度のテレノアを眺めながら小首を傾げた。
しかし答えは「あ、そうか」あっさりと見つかる。
テレノアはずっとハイシュフェルディン教に捕まっていたのだ。
聖誕祭の場で再会を果たしたもののあんな状況では挨拶すら出来ずじまいだった。
「聖女になれて良かったじゃないの」
ミナトは気さくに「よっ」手を立てる。
するとテレノアは「ど、どうも……です!」やけにへこへこした。
「これでテレノアは晴れてよりの王様だな。しかも聖女になるって夢まで叶ったんだから凄いことだよ」
「そ、そうです、ね! お、お陰様で色々と……元気です!」
「? んまあ元気なのは素敵なことだけども?」
なんだか他人行儀が拭えない。
あれだけ死線を越えてきたにもかかわらずどこかテレノアの様子が変、というかオカシイ。
しかも彼女の目線さえ覚束ない始末。きょどきょどと合ったり合わなかったり、実に忙しいのである。
しばらく会っていないというだけでここまで心の距離が開くものだろうか。あれほど微笑みを振り撒いていた影さえ消え失せてしまっているではないか。
ミナトが心ばかりのショックを受けていると、リーリコはため息ひとつ零しながらするりと横を通り抜ける。
「聖女様おめでとう」
「あ! リーリコ様ありがとうございます! みな様のご協力のおかげでようやくスタート地点に立てた心もちです!」
そこからさらにジュンやヒカリたちも加わっていく。
「ずいぶんな苦労したけど結果的に上手いこといったから良かったじゃねぇの! これで他の連中も文句いったりしないで聖女ちゃんを聖女って認めてくれるだろうよ!」
「今度聖女ちゃんのお祝いに私たちの世界で作る料理を振る舞ってあげちゃおうかしら! ブルードラグーンの周辺にくることがあったらいつでも寄っていってね!」
「ばっか聖女ちゃんは女王様になっちまったんだからそうやすやすと外にでてくるわきゃねーだろ!」
やんややんや、と。新たな王の誕生を囃し立てた。
テレノアはくすぐったそうに裾を流しながらもまんざらではない様子。
「あのあの! もしよろしければ女王という肩書きなどは抜きにしていままで通り仲良くしていただけると嬉しいです!」
「そういってもらえるならありがたくそうさせてもらうぜ! 正直仲良くなってから敬語にするのってなんかくすぐったくてだな!」
「なにしろ一緒になって戦った仲間ですからなぁ! そう簡単にこの縁は切れないわよ!」
すっかり談笑の輪が広がっていた。
テレノアを中心にして周囲から注がれる騎士たちの視線も優しさにあふれている。
あはは、なんて。テレノアは褒められるたびに頬を朱色にしながら華奢白い肩をすくませるのだった。
そして輪から外れた場所にぽつんとわびしい背がひとつほど。
「あれぇ? オレなんかハブされてるぅ?」
ミナトが語りかけたさいのテレノアは、さながら壁だった。
なのにミナトが外れたいまは、屈託ない。他の人間、男女問わず、いつも通りにこやかに接しているではないか。
――やっぱり聖誕祭を中途半端にしたのを怒ってるのか。
しかも思い当たる節が数多すぎる。
聖誕祭の終幕時点は、独断上だった。
選定の天使が現れてからというものミナトはあまりに好き勝手しすぎていた。
聖女を2分した上に玉座まで2つにしてしまう。これを暴挙といわずなんと呼ぶのか。
――だとしたらことがことだけに関係修復は絶対に無理だよなぁ……。
みなに囲まれるテレノアの横顔を眺めながら苦心するしかない。
彼女にとって聖女とはその身を粉にするだけ価値ある夢だったのだ。
それをああするしかないなんていう安易な形で歪められてしまう。これでは彼女が怒るのも無理はない。
ミナトはうな垂れながら身を翻す。
「はぁ……。このままボーッとしてるのもみじめだし……風にでも当たってこよう」
笑い声を背にとぼとぼと遠ざかるのだった。
心の底からテレノアを祝福をしながらも、実質的な友との別れに心の底からしょげる。
おめでとうと、ありがとう。そう、互いに笑顔でいえないことはなによりも辛いことだった。
ミナトは団らんの枠から遠ざかっていく。その足どりさえ惨めだし恨めしい。
「オレが嫌われてオシマイってことなら安く済んでなによりだ。どうせこれから森に籠もっての修行で忙しくなるんだし……ちょうどいいさ」
コンプレックス。どうあっても拭えない汚名。
そうやってふてくされながら浮かれる紳士淑女の間を煤けた背中が縫って歩く。
とにかく外にでたい、ここから離れたい。その一心でミナトは聖城の大門を抜けて外を目指す。
「オレなんかが頑張ったくらいでなにが変わったっていうんだ……! こんなフレックスさえ使えない落ちこぼれじゃなかったらもっと全員が幸せになれる方法を見つけられていた……! オレのやったのはただ自分勝手に人の夢へ杭を刺して留めただけじゃないか……!」
心が少しでも気を落ち着ける場所を探し求めていた。
しょせんは落ちこぼれ。人間としてでさえ落ちこぼれ。
もしここにヒーローがいたとしたらもっと上手く聖誕祭を終えられただろう。しかしこの身は力さえ使えぬ落ちこぼれでしかない。だから今宵、妥当な結末を迎えただけに過ぎないのだ。
足早に混み合いから逃げるようにして離れる。そしてついには閑散とする中庭へと差し掛かる。
と、どうやらそこにも静寂は訪れぬらしい。月光の下には先客が青草に長い影を落としていた。
「あっ! 最後にお友だちがきてくれたみたいだねっ!」
「わあっ! きっとワタシたちをお見送りにきてくれたんだわっ!」
風のせせらぎとともに無邪気な声が湿った鼓膜を叩く。
1人の夜を求めるミナトを待っていたのは、柔らかな夜色に包まれる白翼の持ち主。
調律と調和。カナギエルとミナザエルがいた。
…… … … ……




